『偶然世界』(フィリップ・K・ディック著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF)

写真》テーブルの上の偶然

 カジノ誘致構想は、コロナ禍が勃発するまで経済再生の切り札扱いだった。これは「統合型リゾート(IR)」という訳がわからない名で呼ばれているが、皮を剥いでいけば中心に賭場がある。IRと言われて、カジノなしのリゾートを思い描く人はあまりいない。

 

 賭け事には、よほど強い吸引力があるのだろう。客全員の収支を足し合わせれば赤字になるはずだとわかっていても、賭場にやって来る人は後を絶たない。大損する客が多くても自分だけは違う、と思うのか。胴元が栄えれば地元も潤う。簡単な理屈である。

 

 もう一つ、賭けがらみでは最近、印象に残る言葉がある。ジャンボ宝くじのテレビコマーシャルで笑福亭鶴瓶が発するひとこと――「買わない、という選択肢はないやろう」だ。今昔の広告コピーを見渡しても、これほど強烈なメッセージはないように思う。買うしか選択の余地がないと断言しているのだから……。だが聞かされる側には、さほど抵抗感がない。宝くじがはずれて訴えを起こす人もたぶんいない。これも、賭けの魔力だろうか。

 

 私事を言えば、賭け事にはほとんど興味がない。若いころから、競馬、競輪、競艇のたぐいにハマったことはない。警察回りの記者だったころ、事件取材で競馬場に張りついたことはあったが、馬券を買う人たちの心理はついにわからなかった。馬は美しい。場内の開放感も高揚感も心地よい。なぜ、それだけで満足しないのか?――内心には、そんな思いがあった。とはいえ、世に競馬ブームが衰える気配はないから、僕は少数派なのだろう。

 

 話は飛ぶが、自分自身の原点に思いを馳せると、そこにも賭けがあったことに気づく。その物語は、父母の結婚に始まる。彼と彼女は戦後、見合いで結ばれた。言葉を換えれば、どちらにも不特定多数の候補がいたことになる。このうち、多数×多数の組み合わせのうち、たった一つが成立して、その結果、生を受けたのが僕というわけだ。人口に照らせば、当たりくじがめちゃくちゃ少ない宝くじで1等賞を引き当てたことに相当する。

 

 いやいや、もっとリアルに話そう。僕が生まれるにあたっては、もっとワイルドな賭けもあった。僕の源流の片方にある一匹の精子は膨大な数の仲間と競いあい、ついには逃げきって、もう一方の源流である卵子に飛び込んだのだ。その精子クンは、勝ち馬だった。それは、駿馬のように身体能力が高かったというだけではない。競争につきものの運不運が、すべてよい方向に転んだのだ。ここでも僕は、賭けに勝ったと言えるだろう。

 

 で、今週は『偶然世界』(フィリップ・K・ディック著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF)。著者(1928〜1982)は、米国シカゴ生まれのSF作家。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』などの作品で知られる。『偶然…』は1955年発表の長編第1作。原題は“Solar Lottery”。直訳すれば「太陽のくじ引き」か。邦訳は、早川書房が68年に『太陽クイズ』(ハヤカワ・SF・シリーズ)の書名で刊行、77年に改題、文庫化された。

 

 まずは、この小説の時代設定に注目しよう。最初の1行に「二二〇三年の五月初旬」とあるから、作品の執筆時点から見れば250年ほど先の未来だ。当然のことながら、世界の様相は、発表時の1955年とも現在の2020年ともまったく異なっている。

 

 地球には国というものがなお存在しているらしいが、その国際関係はもはや大問題でなくなっている。地球外にも「火星のワーク・キャンプ」など有人域があり、「九惑星連邦」という統治機構が生まれていた。最高権力者の職名は「クイズマスター」。クイズ番組の司会者というような意味がある。「執政庁」が置かれているのはバタビア。インドネシアの首都ジャカルタの旧名だ。太陽系の系都が、地球のアジアに置かれているのである。

 

 苦笑を禁じ得ないのは、バタビアを「インドネシア帝国の首府」としていること。1955年と言えば第2次大戦終結の10年後で、インドネシアはすでに独立しているが、それを「帝国」と呼ぶのはどうか。もっとも、同じ年にジャカルタ東方のバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開かれているから、第三世界の盟主というイメージが強まっていたのかもしれない。ただし、「バタビア」の名はオランダ領時代のものだから、チグハグではある。

 

 さて、「クイズマスター」という呼び名の謂れについては本文に解説がある。それは、壮大な世界経済史だ。人類の生産力は20世紀に過剰となり、しだいに購買力が追いつかなくなった。22世紀後半に広まったのが、余った商品をクイズの賞品として分配する方式だという。ここでクイズとは、くじ引きめいたものを指しているらしい。こうして、くじ引きの仕切り屋が最高権力者となり、ついにはその地位も、くじで決まるようになったのだ。

 

 この未来では、社会や経済のしくみが壊れただけではない。「人々は自然律に対する信を失った」。物事は因果律に従うという通念が消え、「偶然事象の連続」ばかりが見えてきた――その世界像は、20世紀前半に確立した量子力学が影響しているのかもしれない。

 

 この小説では、「ボトル」という装置がもたらす「出鱈目(ランダム)な権力転位」によって、クイズマスターが入れかわる。劇的な政権交代だ。残念なことに、本文には「ボトル」の詳述がない。もし、それが量子力学にもとづいているならば、原子の状態遷移のような現象が考えられる。ただ著者は、さほど物理学に踏み込んでいない。本人は、カジノに置かれたルーレット円盤のような素朴な機械を思い描いていたのかもしれない。

 

 こんな政治システムが、なぜ生まれたのか。その事情は、登場人物が語ってくれる。ただ、ストンと腑に落ちるほど明快ではないので、僕なりの解釈を織り込んで読み解いてみよう。背景にあるのは、第2次大戦後に広まった数学者ジョン・フォン・ノイマンらによるゲーム理論。そこでは、考えられる限りの最大損失を最小に抑えるという戦法がある。「ミニマックス」と呼ばれる。ここでものを言うのが、ランダムさなのだという。

 

 ランダムさには、戦略家の分析が通じない。クイズマスターが失脚後、刺客を送って政権を奪還しようとするとき、側近はこう助言する。「あなたがランダムに行動するなら、あなたの敵はあなたの行動を追跡することはできない」「あなた自身ですら次に何をするかわからない」。そのランダムさを制度化したのが、ボトル方式だ。これなら万人がゲームに参加できるし、結果にも納得しやすい。「合理的なやり方」になりうるという。

 

 250年後の未来にはもう一つ、ランダムさが威力を発揮する理由がある。それは、内心の透明性だ。前クイズマスターが側近の助言を聞いて「われわれは計画をたてることができない」と不満を漏らすと、側近は冷たく突き放す。「ティープにかこまれていて計画なんぞたてられますか?」。ここで「ティープ」とは、他人の心を覗ける人のこと。核戦争の放射線被害による遺伝子変異で、そういう能力をもつ人々が出現したというのである。

 

 この小説の筋書きは、ひとことで言えば未来の権力争奪戦なのだが、そこでは権力者が優位にある。執政庁の「テレパス機関」がティープ軍団を擁して守ってくれるからだ。実際、新クイズマスターがバタビアに着任しようとするとき、機関の幹部が前クイズマスターの移動先を告げ、「きっとあそこから采配をふるうでしょう。彼の計画の一部はすでにキャッチしました」と伝える。ティープたちは、いつも感覚を研ぎ澄ましている。

 

 もっとも、それに対抗する先端技術もこの作品には登場する。前クイズマスターが政権転覆のために用意した刺客ロボットだ。外見は一人の人間の姿をしているが、頭脳のほうは次々と入れ代われる。そうすることで、ティープの追跡を撒く強みがあるのだ。

 

 幸いにも今、ティープ軍団は存在しない。だが、類似の機能が社会に備わりつつある。温泉へ行こうかと検索エンジンに地名を打てば、旅心が察知され、ホテルの広告が続々と画面に現れる。そうかと思えば、ソーシャルメディアを内心の吐露装置のように使って、胸中を世に曝す人もいる。ディックは、そんな心が透明な世界が「出鱈目(ランダム)」になるだろうと見抜いていたのか。この小説は、ネット社会の行き着く先も暗示している。

(執筆撮影・尾関章、通算516回、2020年3月20日公開)

 

《お知らせ》ちょっと休んで、新装開店します

 当欄は、私が新聞社に在籍中の2010年4月、記者ブログとして始めた「本読みナビ」を原点としています。以来、「文理悠々」(ブック・アサヒ・コム、2012年〜)、「本読み by chance」(個人ブログ、2014年〜)と看板をかえつつ、1週1冊のペースで読書の醍醐味を綴ってきました。来月、満10歳の誕生日を迎えることになります。

 さて、この機会に私は、当欄の大幅改装を決意しました。要点は、以下の二つ。

1)ブログの自前度を高める

2)ブログの自由度を高める

 1)については、新装ブログをWordPressで開設しようと考えています。これまではjugemのお世話になってきたのですが、これからはできる限り、自力で設計してゆくつもり。すでに着工していますが、コンピューター向けの人工言語まで用いなければならないので、試行錯誤の連続です。

 ということで、2〜3週の休業をお許しいただき、4月中の開店をめざします。

 2)については、再開時にその思いを語るつもり。

 次週金曜日は、「本読み by chance」としての最終回。

 ちょっと早めに、お知らせしました。

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■各編は原則として毎週金曜日に公開します。

■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

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『虞美人草』(夏目漱石著、岩波文庫)

写真》かがり火を受けて初詣

 今年の賀状で僕は、日系英国人作家カズオ・イシグロの小説『日の名残り』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)の一節を引いた。主人公スティーブンスは、名門貴族に仕えていた老執事。ドライブ旅行に出て、イングランドの「うねりながらどこまでもつづく」風景に意味を見いだす(日の名残り映画もいいが本もいい2019年11月29日付)。だから、この1年もなだらかであってほしいと書いたのだが、そうなるかどうか。

 

 むしろ、その逆かもしれない。当欄が『日の名残り』の翌週にとりあげた『晩年の思想』(アンリ・ポアンカレ著、河野伊三郎訳、岩波文庫)には、そんな世界像が提起されていた。物事は「連続的に移って行くのではない」「状態の一つから別の一状態に飛躍する」という見方である(ポアンカレ本で量子論の産声を聴く2019年12月6日付)。もしそうならば今年の僕は、公私にわたって不連続を経験しても不思議ではない。

 

 まず、世の中の先行きについて考えてみよう。年内に予定されている政治日程で全世界が影響を受けそうなのは、米国の大統領選挙だ。現大統領が勝てば、駆け引きにあたふたさせられる不安定な国際情勢がさらに4年間も続くことになろう。もし負ければ、米国の外交政策に良かれ悪しかれ「理念」が復活するだろうが、そこに政権交代がもたらす不連続の断層が生じることは避けられない。そう思うと、なだらかとは言い難い近未来がある。

 

 国内はどうか。なんと言っても気がかりなのは、東京オリンピック・パラリンピックのお祭り騒ぎだ。僕も、選手たちの奮闘には心を動かされる。手に汗を握って応援もする。勝者のみならず、敗者の振る舞いに敬意を感じることもあろう。心配されるのは、それが過剰に報道されることだ。「感動をありがとう」「勇気をもらいました」という当世風常套句の陰で、日本の戦後史を分かつ不連続が覆い隠されることはないだろうか。

 

 そして最後に、私的な1年予測。新年早々、話題にすべきことではないかもしれないが、旧年は実に多くの人々を失った。今思い返しても、現役時代にお世話になった恩人がいる。地元の町でつきあいのあった友人がいる。メディアを通じてしか知らないが、尊敬や親愛の情を抱いていた著名人もいる。同世代が、そういう年頃になったということだ。ということはつまり、自分だって……。そこに不連続の穴がぽっかり開いているようにも思える。

 

 こうみてくると、2020年も不連続のリスクに満ち満ちている。だが、不連続ななにものかを感じとるのは、連続する主体にほかならない。自我がひとつづきの自我として存在する限り、それは途切れない。だから去年同様、今年も本を読むのだ――。

 

 で、年の初めは恒例の漱石。今年は『虞美人草』(夏目漱石著、岩波文庫)を選んだ。著者(1867〜1916)は1907(明治40)年、東京帝国大学などの教職を辞して朝日新聞社に入った。すでに兼業ながら小説家の地位を得ていたが「心は、学校よりは文章を書くことに奪われていった」(桶谷秀昭執筆の巻末解説)。そこで「文芸欄に主として小説を書く義務を負う職業作家の道」(同)を選択したのだ。その第一弾が、この作品である。

 

 恥ずかしながら、僕はこの小説を今回初めて読んだ。中学生時代、『吾輩は猫である』でにわか漱石ファンになったとき、友人の一人から、『虞美人草』だけはやめたほうがよい、と忠告された。子どもには不適、という響きがあった。虞美人は楚王項羽の寵愛を受けた女性の名で、虞美人草はひなげしのことだ。ところが僕は、それを「愚美人」と早合点したこともあって恐れをなしたのである。こっそり、ページを開けばよかったものを……。

 

 作品の書きだしは、麓から山を見あげてこれから登ろうとしている若者二人の会話。親しい間柄らしい。朝方に宿を出て、京都市街の北東に聳える比叡山をめざしているのだ。「君はあの山を頑固だといったね」「うむ、動かばこそといったような按排じゃないか」「動かばこそというのは、動けるのに動かない時の事をいうのだろう」。なんとも理屈っぽいやりとり。いかにも明治のインテリ青年という感じがする(引用部のルビは省く、以下も)。

 

 ところが、会話の合間に次のような文章が挟まる。「春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫ぬいて、烟る柳の間から、温き水打つ白き布を、高野川の磧に数え尽くして、長々と北にうねる路を……」。あまりに長いので、途中で端折ることにする。美文調とは、こういう文体を言うのだろう。桶谷解説によれば、このときの漱石は、美文を「文章における造型意志」ととらえる「旧派の文章意識」を踏襲したという。

 

 正直に打ち明ければ、この箇所は読んでも頭に入ってこない。「ケブルヤナギノアイダカラ、ヌクキミズウツシロキヌノヲ」といっても、現実の光景とはとらえ難い。字面は追えても意味を汲みとる気になれないのだ。この小説に出てくる美文は、映像作品の背後に流れる音楽に等しい。漱石は職業作家第一作に、そういう文体も織り交ぜた。巻末解説が指摘するように、新聞小説の書き手として幅広い読者層を取り込もうとしたのだろう。

 

 裏を返せば、小説の核心は美文を省いた箇所に集約される。なかでも、口語体の極みともいえる会話部分だ。冒頭では男同士が山裾の道で息を弾ませながら軽妙に言葉を交わすだけだが、別の趣を漂わせる場面もある。とくに男女のやりとりには含蓄がある。

 

 たとえば、クレオパトラ談議。男が、シェイクスピア作品のクレオパトラに対して「一種妙な心持ち」を抱く、と打ち明ける。「剥げかかった錦絵のなかから、たった一人がぱっと紫に燃えて浮き出して来ます」――そんな印象だという。なぜ紫か、と女は問う。「何故って、そういう感じがするのです」「じゃ、こんな色ですか」。女は、そう言うなり紫の着物の袖をひらめかせ、男の顔先へ突きだす。この瞬間、男の嗅覚がクレオパトラをかぎとる。

 

 クレオパトラやシェイクスピアという欧州。錦絵や着物という日本。二つの文化が交差する一点で、近代の自我意識に目覚めた男女が知的な題材を糸口に思わせぶりな会話に興じる。ここに、漱石文学の漱石らしさがあると言っても言い過ぎではあるまい。

 

 この小説の中心には未婚の男女6人がいる。哲学を学んだ高等遊民の甲野欽吾、その腹違いの妹藤尾、甲野家と縁戚関係にある外交官志望の宗近一、その妹糸子、欽吾らの知人で博士目前の学究小野清三、その恩人井上孤堂の娘小夜子。清三は小夜子との間に縁談があるのに、藤尾と惹かれあう。一も藤尾に心を寄せる。欽吾と糸子の間にも一定の引力が働いているらしい。比叡談議は欽吾と一、クレオパトラ談議は清三と藤尾のやりとりである。

 

 著者は、近代文明を筋立てに巧妙に取り込む。欽吾と一は京都で、洛中に住む孤堂親子を見かけ、小夜子に興味を抱く。この時点で、彼女と清三の関係を知らない。孤堂は小夜子を小野に嫁がせるべく、東京へ向かう。その親子と欽吾らが同じ夜行列車に乗り合わせるのだ。「四人の小宇宙は、心なき汽車のうちに行く夜半を背中合せの知らぬ顔に並べられた」。欽吾は食堂車で、朝のコーヒーを手につぶやく。「あの女は嫁にでも行くんだろうか」

 

 この年、東京・上野で東京勧業博覧会があった。「文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる。博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーションになる」。電光が建物を飾り、それが池の面に映る。帰京後の欽吾と一は、藤尾や糸子と連れだって見物に来た。「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾。「空より水の方が奇麗よ」と糸子。茶屋に入ると、孤堂親子に付き添う清三の姿が。藤尾の首は固まって振り返ろうともしない――。

 

 旅の途中にすれ違った女性が、実は身辺を騒がせる存在だった。妹にとって、あるいは意中の女性にとって、恋敵だったのだ。しかも、そのことが発覚する瞬間が、博覧会の夜の雑踏に用意されていたとは。この展開の妙は、いかにも新聞小説らしい。

 

 新聞小説は「うねりながらどこまでもつづく」のでは読まれない。不連続な劇的瞬間が仕掛けられていなければならないのだ。このとき、夜行列車や博覧会という都市文明は人と人とを遭遇させ、化学反応を呼び起こす導火線となる。漱石は、それを見逃さなかった。

(執筆撮影・尾関章、通算505回、2020年1月3日公開)

 

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「或る『小倉日記』伝」

『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション()(松本清張著、文春文庫)所収

写真》記憶の媒体

 今年の紅白歌合戦には、美空ひばりが出演するそうだ。そう、NHKが今秋、AI(人工知能)の技を駆使してテレビ画面によみがえらせた歌謡界の女王に再び、ご登場いただこうという趣向らしい。あのとき、彼女はたしかに新曲を歌った。だから、それは過去の映像ではない。歌手美空ひばりが現在に立ち現れたと言ってもよい瞬間だった(NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」2019年9月29日放映)。

 

 NHK公式ウェブサイトのNHKスペシャルのページを開いて、あの番組でどんなことが試みられたのかを押さえておこう。資料として集められたのは「NHKやレコード会社に残る、膨大な音源、映像」。これらをもとにAIが「超人的な歌唱力や表現力」を「数値化」して「再現」しようとした。その結果、3次元ホログラムの立体感ある姿が現れ、秋元康さん作詞の歌を歌いあげたのである。その迫真力に僕も圧倒された。

 

 ここで言えるのは、AIはすごいね、ということだ。そのAI時代は目前にある。だからNHKは、ああいう番組を今年企画して大みそかの紅白につなげたのだろう。だが、すごいのはそれだけではない。こんなことができるのは「膨大」な記録資料があるからだ。

 

 現代の記録資料の威力に僕が気づいたのは約10年前、『クォンタム・ファミリーズ』(東浩紀著、新潮社)を書評したときだ(朝日新聞2010年2月21日朝刊読書面)。この小説では、主人公が量子力学的な並行世界に迷い込む。その世界で別の自分になりきるには、そこに残る個人情報がほしい。幸いIT(情報技術)社会には、写真や動画、そして「メーラやスケジューラのログ」や「ネットにばら撒かれた無数の噂話」もあるというのだ。

 

 で今週は、人間の生の再現について。それも、ITというものが存在しなかったころの話だ。そんな時代でも、人は世を去った他者の生前に思いを馳せ、その姿を脳裏に生き生きとよみがえらせたいと思ったらしい。まして、他者が尊敬を集める人物であれば……。

 

 とりあげるのは、松本清張(1909〜1992)の短編「或る『小倉日記』伝」(『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション(上)』〈松本清張著、文春文庫〉所収)。1952年に『三田文学』誌に発表され、著者はこの年下半期の芥川賞を受けた。ミステリーの巨匠の出世作は、純文学に位置づけられていたことになる。この作品で主人公の心をとらえるのは、文豪森鷗外の福岡県・小倉在住期(1899〜1902)の足跡だ。

 

 作品は1940(昭和15)年、鷗外の小倉在住期の日記が不在だった時点から書き起こされる。「世の鷗外研究家は重要な資料の欠如として残念がっていた」。ただ、日記は最初から書かれなかったのではなく、破棄されたのでもなかったことは冒頭のエピグラフからもわかる。そこに「小倉日記」の一節が引用されているからだ。一時行方不明だったのだろう。史実とはいえ、後年の推理小説作家が冒頭にネタばらししているのはおもしろい。

 

 筋書きとしてはまず、在京の医師兼詩人であるK・Mに小倉在住の田上耕作という人物から手紙が届く。自分は「小倉時代の森鷗外の事蹟」を調査中で、その結果の一部を草稿にまとめたので一読してほしい旨、書かれていた。鷗外が小倉で暮らした「痕跡」は約40年が過ぎてほとんど残っていないが、その様子を間接的にでも知る人を見つけて話を聞きだそうというのだ。日記の不在ゆえの過去の空白を、現在の証言で再建する作業だった。

 

 冒頭でK・Mの田上に対する関心を綴った後、次の節からは田上自身の個人史が始まる。子どものころから舌と片足が不自由だったこと、学校では「ズバ抜けた成績」をあげていたこと、父を早くに失って母親と二人、貸家の家賃収入で暮らしていたこと。そして、文学好きの友人とつきあい、地元の文化人の手伝いをするうちに鷗外の「小倉日記」に関心をもつようになったという。宮部みゆきの「前口上」には、田上は「実在の人物」とある。

 

 田上は「『小倉日記』の空白を埋める仕事を思い立った」。関係者に当たり、「片言隻句でも『採集』しよう」というのだ。当時、地方の若者たちには柳田国男流の民俗資料収集熱が高まっていたから、その方法論を応用した面もあると著者はみる。その姿は「鉱脈をさぐり当てた山師」に似ており、そこには「一生これと取りくむ」という決意があった。ここで彼を駆りたてたのは、日記の不在によって「かくれている部分」の大きさだけではない。

 

 田上には、陰の動機もあった。それは幼年期の思い出だ。借家人のなかに「でんびんや」と呼ばれる年寄りがいた。早朝に鈴を鳴らして家を出ていく。「ちりんちりんという手の鈴の音は次第次第に町を遠ざかり、いつまでも幽かな余韻を耳に残して消えた」

 

 「でんびん」とは何か? ずっと謎だったが、その答えは鴎外の小説「独身」にあった。それは「会社の徽章の附いた帽を被って、辻辻に立っていて、手紙を市内へ届ける」仕事だった。邪魔な手荷物を自宅へ届けてもくれる。でんびんは伝便。鷗外は「小倉の雪の夜に、戸の外の静かな時、その伝便の鈴の音がちりん、ちりん、ちりん、ちりんと急調に聞える」と書いている。田上は、まだ見ぬ日記に「自分と同じ血が通う」ような感覚を覚えた。

 

 田上の聞きとり調査を追いかけてみよう。鷗外と直接の交遊があった人はほとんど亡くなっていたが、存命者もいる。その一人は、カトリック教会のフランス人宣教師。「森さんはフランス語に熱心」「時間は正確で、長い間遅刻はなかった」。当時、鷗外は陸軍第十二師団軍医部長。日月水木金とほぼ連日、勤めのある日は役所からの帰宅後に訪ねてきたという。「キモノに着更えて葉巻をくわえ、途中の道を散歩しながら来るのだといっていました」

 

 禅寺の老僧も鷗外を知っていた。「森さんは、寺の古い書きものや、小笠原家の記録など出して上げると、半日でも丹念にみて居られた」。小笠原家は旧小倉藩主だ。「そうじゃ、森さんは禅にも熱心でな」。別の寺で開かれる禅の会に出ていたことも教えてくれた。

 

 その寺に赴くと、住職らしい僧が「わしの祖父さんの代だし、何も分りません」とすげない。がっかりして帰途につくと、後方で「今、思い出した」と声がする。寺に当時のものとみられる魚板があり、寄進者の名が刻まれているという。「魚板は古くて黒くなっていた」。だが「その名前を見て耕作は息を詰めた」。7人のなかに鷗外の本名「森林太郎」があったのだ。寄進仲間の「身許」を調べれば、鷗外の交遊歴が見えてくるかもしれない――。

 

 田上の調査行では、母ふじの応援が大きかった。ある日、田上は鷗外の亡き友の妻を山あいの集落に訪ねたが、会えずに帰ってくる。ふじは息子の消耗落胆ぶりをみて、先方からどうあしらわれたかを悟る。「明日、もう一度行ってみよう、お母さんも一緒にね」。ふじは翌朝、人力車2台を呼ぶ。往復で8里(約31km)の道のりなので、生活費の半月分はかかる。「田舎道を人力車が二台連なって走るのは婚礼以外に滅多に見られぬ景色であった」

 

 言葉の聞きとりにくさや足の運びのぎこちなさは、疎外感を呼び起こした。そのことを察知したからこそ、母は力を貸したのだ。宮部「前口上」は、田上の営みを「身の置き所のなさ」が生みだしたものと受けとめる。田上には「自分自身の拠(よ)り所」が必要であり、それが鷗外の事蹟調査だった。「どうやったって生き難い世の中を生きてゆく」――そういう人間を描いたという一点で、この作品はまぎれもなく「純文学」なのだと強調する。

 

 田上の調査は、やがて急進展する。鷗外と親交が深かった新聞社の元小倉支局長に会えたことが大きい。それに魚板情報が重なって、鷗外の小倉人脈が浮かびあがったのだ。ではいったい、この作品はどういう結末を迎えるのか。それは、ここでは書かない。ただ、エピグラフのネタ晴らしにあるように小倉日記は見つかったのだ。本人の行動記録が明らかになった今、他者が周辺を調べまわって再構築した「事蹟」はどんな意味をもつのか?

 

 田上作成の「事蹟」にも、鷗外は確かに存在するように僕は思う。人間とは、他者との関係そのものだからだ。そこにいるのはきっと、伝便の鈴の音に聞き入る鷗外だろう。

(執筆撮影・尾関章、通算502回、2019年12月13日公開) 

 

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『日の名残り』(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)

写真》夕空

 当欄は、その前身のコラムと合わせていよいよ通算500回を迎えた。1回や2回の数え間違いはあるかもしれないが、おおむねその里程標にたどり着いたことになる。それを記念して、今回は、好きな作家の好きな小説をとりあげることにしよう。

 

 『日の名残り』(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)。「好きな小説」と言ったが、これまでは映画を観ただけで、原作は読んでいなかった。映画そのものが出色の出来栄えだったので、それで満足してしまったのだ。1993年制作。監督はジェームズ・アイヴォリー。主役をアンソニー・ホプキンスが演じ、その相手役はエマ・トンプソン。この顔ぶれからもわかる通り、渋みがあってしっとりとした作品だった。

 

 もっとも印象深かったのは、結末に近い場面だ。英国イングランド南部と思われる海沿いの町。貴族社会をしのばせる由緒ある邸に仕えてきた老執事が休暇の自動車旅行で、この町を訪れる。映画を観たのはだいぶ昔なので細部は忘れてしまったが、脳裏に蘇るのは夕暮れどきの風景だ。浜辺から海へ突きだした桟橋は遊歩道になっていて、日が落ちると明かりがともり、人々が行き交う。夕闇の静まりと街路の賑わいが溶けあう様子が忘れられない。

 

 その桟橋の映像を見たとき、これはイースト・サセックス州のブライトンに違いないと僕は思った。ロンドン駐在時代、出張や家族旅行で一度ならず足を運んだことのある町だ。ブライトンの第一印象は「江の島」。東京っ子が手近な海水浴場として「江の島」を思い浮かべるようにロンドンっ子はこの海浜避暑地になじんでいるように思えたからだ。そこには、片瀬海岸と江の島を結ぶ弁天橋の代わりに桟橋が海に向かって延びていた――。

 

 今回、原作を読み通してはっきりしたのは、作品のどこにもブライトンが登場しないことだ。映画同様、終盤になって海辺の遊歩桟橋が出てくるのだが、それはウェイマスというドーセット州の町にある。同じイングランド南部にあるが、こちらのほうがロンドンからは遠い。映画制作者がウェイマスをブライトンに移しかえたのか、映画を観た僕がロンドン時代の思い出に引きずられてウェイマスをブライトンと取り違えたのか、それとも……。

 

 映画をもう一度、観返せば答えは出るかもしれない。だが、それはよそう。小説の夕暮れは映画の夕暮れとぴったり重なるものだった。大事なのは、英国南部の空気を漂わせていることだ。どの町でなければならないということはない。ならば匿名のままにしておこう。

 

 小説の話を始める。まずは著者の経歴から。1954年に長崎で生まれ、5歳で英国に渡った日系英国人作家。1982年、『遠い山なみの光』でデビュー、2017年にノーベル文学賞を受けた。当欄は受賞決定直後、その『遠い…』をとりあげている(2017年10月6日付「カズオ・イシグロ、余韻の作家」)。『日の…』は1989年刊。この邦訳は94年に中公文庫から出て、2001年にハヤカワepi文庫に収められた。

 

 本を開くと、プロローグの冒頭に「一九五六年七月/ダーリントン・ホールにて」(/は改行)という記載がある。時間軸で言えば、この小説の現在は第2次世界大戦が終わって10年ほどが過ぎ、世間が戦後の落ち着きを取り戻しはじめたころ、ということだ。ただ、主人公の老執事スティーブンスは折にふれては来し方に思いを馳せる。だから、作中では戦前、1920〜30年代の話が次々に活写される。その重層性が作品の魅力の一つだ。

 

 一方、空間軸の中心にあるのはダーリントン・ホール。ダーリントン卿の邸宅だったが、今は米国人ファラディの手に渡った。ただ、新しい当主の希望で雇人は居残ることになった――。この舞台設定が、前述の重層性を際立たせる。スティーブンスが、ダーリントン時代の邸内に充満していた英国貴族社会の空気を米国風の価値観が入り込んだ戦後の視点から眺め返すことで、旧体制の残像が陰翳を伴って浮かびあがるのだ。

 

 1956年夏、スティーブンスに息抜きの機会が巡って来る。ファラディが、自分が米国に里帰りしているあいだ愛車のフォードを貸すから「どこかへドライブでもしてきたら?」と言いだしたのだ。この気遣いも、合理的思考の産物とみれば米国流ではある。

 

 米国流は良いことばかりではない。邸の雇人は過去に28人もいたことがあるが、卿の親族が邸を売り払うときに大幅に減り、今は補充の新入りを加えても4人。だがファラディは、人をあまりふやさずにやりくりできないかと言う。この難題にスティーブンスは妙案を思いつく。かつて有能な「女中頭」だったミス・ケントンを呼び戻せないか。最近届いた手紙には「ダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ」、脈がありそうだった。

 

 ミス・ケントンは、イングランド南西部のコーンウォール州にいる。スティーブンスが、ドライブついでにミス・ケントンに面談するつもりであることを仄めかすと、ファラディは「ガールフレンドに会いにいきたい?」と冷やかす。「決まり悪いことこの上ない瞬間でした。ダーリントン卿でしたら、絶対に雇人をこのような目にはお遭わせにならなかったでしょう」。この独白からも英国人が米国との対比で自国の流儀をどう見ていたかがわかる。

 

 実際、この小説には英国らしさが満載だ。フォードで通り抜ける沿道の様子はどうか。スティーブンスが1日目の旅程を終えて宿で思い返すのは、「丘の上で見たあのすばらしい光景、うねりながらどこまでもつづくイギリスの田園風景」だ。そこには「壮大な渓谷」「大瀑布」「峨々たる山脈」はない。だが、それらに望めない「品格がある」。そして彼は「偉大なるブリテン」の偉大さは「表面的なドラマやアクションのなさ」に宿ると断ずる。

 

 フォードがガス欠を起こして、スティーブンスが車の外へ出たときの描写にも英国らしさがある。夕暮れのなか、「私が立っておりましたのは、立ち木や生け垣で囲まれた急な上り坂の途中でした」。ここで懐かしいのは「生け垣」だ。英国では僕も幾度かドライブ旅行をしたが、走っていていつのまにか田舎道に迷い込むと、両側には生け垣が続いていることがあった。人の気配を感じさせる自然。これこそが英国の田園風景だ。

 

 このガス欠で、スティーブンスは一夜、農村の民家で部屋を借りることになる。そこに物見高い村人たちが集まってくる。なかには「政治談義」が好きな男もいるが、彼はどこか浮いている。翌朝、地元の医師がスティーブンスに解説してくれる。「あれも変えるべきだし、これも変えるべきだ」と議論を吹きかけられても、人々は「自分たちの静かな生活を乱さないでもらいたい」と思うばかりだ、と。ここにも米国流と異なる英国社会の風景がある。

 

 スティーブンスは、こうした戦後英国の描写に重ねるかたちで、戦前英国を執事として生き抜いた自身や彼の父――父も同業だった――の姿に思いをめぐらせていく。一貫しているのは、執事としての矜持。執事のあるべき姿に対する深い思い入れだ。

 

 たとえば、晩餐に用いる銀器を入念に磨くこと。邸に大物の政府要人が訪れ、駐英ドイツ大使と密談した夜のことだ。要人は当初、会談に気が進まない様子だったが、銀器を見て「すごいよ」「じつに見事だ」と声をあげる。ダーリントン卿によれば、それで「気分がすっかり変わった」らしい。話しあいは順調に進んだ。スティーブンスは「銀器の磨きぐあい」が会談に影響して、外交に「小さいながら無視できない貢献をした」と自負する。

 

 ダーリントン卿はナチスに宥和的だが、スティーブンスは諫めない。「執事の任務は、ご主人様によいサービスを提供すること」「自分の領分に属する事柄に全力を集中すること」という信念があるからだ。「卿の一生とそのお仕事が、今日、壮大な愚行としかみなされなくなったとしても、それを私の落ち度と呼ぶことは誰にもできますまい」。主人にとことん尽すが突き放してもいる。階級社会ならではの割り切りか。ここに強烈な自我がある。

 

 映画「日の名残り」では、名優二人の演技が織りなす心模様ばかりに目を奪われた。だが小説『日の名残り』では、英国の風土とそこに住む人々の気風が時代模様を背景に浮かびあがってくる。通算500回通過の節目に、これからも本を読み続けていこうと思う。

(執筆撮影・尾関章、通算500回、2019年11月29日公開、同日更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『国際エピソード』(ヘンリ・ジェイムズ著、上田勤訳、岩波文庫)

写真》tea or coffee


 いつも昔話ばかりで恐縮だが、今回は中学生時代の思い出から。僕は1964年、中学校に進んだ。東京都内の公立中学校。ここで初めて体験したのが、英語の授業だ。たまたま東京五輪の年、国際化の喧騒が渦巻くなかで母語以外の言語に触れたのである。

 

 忘れがたいのは、その中学校であった英語教育をめぐる異変だ。ゴタゴタと言い換えてもよい。たぶん職員室では、英語教師たちが口角泡を飛ばす激論を重ねていたのだろうと推察する。もちろん生徒は、その内実を知る由もなかった。今からウラをとろうにも、半世紀余が過ぎているから困難だ。憶測を交えることを認めたうえで、何が起こったのかを跡づけておこう。そこに見えるのは、英国派と米国派の対立である。

 

 まずは外形的事実から。その中学校では、僕たちが2年に進級するとき、英語の教科書が突然かわった。1年のときは、いかにも教科書然とした堅苦しいものだったが、2年にあがると、主人公の日常を絵日記風に仕立てた軽快なものになった。今とは違って教師の権威は絶対だったから、学校側は生徒にも保護者にもなんの説明もしなかったように思う。ただ、それが英国流から米国流への転換であることは、子ども心にもうっすらとわかった。

 

 僕個人のことで言えば、英語の先生が1年と2年で違ったことも大きかった。1年のときの先生はダンディな雰囲気を漂わす中年紳士で、appleと言うときに口を縦に開けて「アポー」と発音した。英国流と呼んでよいだろう。ところが、2年のときの先生は大学を出てまもない青年で、appleはほとんど「エプー」だった。口を横に開く米国流だ。こうして僕は中学1、2年にして、英語が一つでないことを知ったのである。

 

 いま考えると、この教科書の取りかえが1965年の出来事だったのは興味深い。このころまで、日本人にとって英語は西洋文化を取り込むための教養だった。それなら本家に従ったほうがよいから、英国流が尊ばれたのだろう。ところが戦後の冷戦で米国が西側陣営を牽引するようになると状況は一変する。国際社会を生き抜く道具として米国流の英語が重宝されるようになったのだ。その潮目が見えたのが60年代半ばだったのではないか。

 

 後年、僕が新聞記者として英国に駐在したとき、米国流英語が英国人の耳にどう聞こえるかを職場の現地スタッフに尋ねたことがある。その返事を意訳すれば「訛りが耳に障る」という話だった。標準語しか知らない人が方言に対して抱く違和感に近い。それでもテレビを観ていれば、ニュースであれ、娯楽番組であれ、米国流があふれかえっている。その時代状況を甘受しつつ、あれは方言だね、と冷ややかに見ている感じなのだろう。

 

 で、今週は『国際エピソード』(ヘンリ・ジェイムズ著、上田勤訳、岩波文庫)という小説。巻末の訳者解説によると、著者(1843〜1916)は米国ニューヨーク生まれ、少年期から欧州経験を重ね、1875年にフランスのパリへ、翌76年には英国のロンドンへ移り住んだ。さらにイングランド南東部に転居、英国籍も得ている。この作品が世に出たのは79年なので、米国人の著者が英国人になりかかったころに書かれたと言ってもよい。

 

 実際、この小説は二部構成になっており、第一部は米国東海岸、第二部は英国ロンドンをそれぞれ主舞台にしている。米英を知る人が米英を描いた。だから米国小説とは呼びがたい。だが、英国小説でもない。文字通りの英米文学。だから題名も『国際…』なのだ。

 

 著者は、文学史の系譜で言うと「意識の流れ」派の先駆けとされることがある。この一群の作家たちは、作中人物の思考や心理を追いかける手法を得意とする。「意識の流れ」とは、著者の兄である著名な心理学者ウィリアム・ジェイムズが意識を動的にとらえようとしてもちだした概念なので、弟も影響を受けたのかもしれない。ただ、弟が本書を書いたのは、兄がそれを言いだすよりも前だ。この作品も、あまり「意識の流れ」的ではない。

 

 さて、話を戻すようで恐縮だが、僕が今回、どのようにしてこの本に出会ったかを打ち明けておこう。なぜなら今、新刊書店で岩波文庫の書棚を探しまわっても見つけるのは難しいからだ。この1冊は先日、当欄「町の店が消えるGAFAの時代」(2019年5月17日付)で話題にした古書店で手に入れた。その店は隣駅の商店街にあったが、4月末に閉業した。店じまいの間際に数回訪れたが、そのときに目にとまり、買い込んだのである。

 

 この文庫版は1956年刊。僕が手にしているのは、1974年の第16刷だ。したがって、手にとってもページを開いても古書感が漂う。漢字はまだ旧字体のまま。なおこれについては本稿で本文を引用するとき、新字体で記述することを許していただきたい。

 

 冒頭は1874年夏、英国侯爵のランベス卿とその従兄が船旅でニューヨークに到着した場面。二人は「際限なくつづく大通りには、さまざまな不調和なものが雑然と入りまじっていて、およそこれくらいイギリスの通りと似ていないものはない」との印象を受ける。いくつか例を拾いあげれば「はでな色彩の雑多な建物」「金めっきの飾り文字」「さまざまな形の日除(ひよ)け」……。町並みからも商業主義の息吹が感じとれるではないか。

 

 気になるのは、通りには「乗合自動車」が行き交っているとあることだ。当時は、内燃機関式の自動車が開発されたばかりのころ。これは蒸気機関のバスなのか。二人がビルに入ると「水力電気で動かしているこじんまりしたエレヴェータ」があり、「垂直の穴の中を矢のようにあがって行って、間もなく彼らを、その建物の八階へ下ろした」という。米国が20世紀に自動車と摩天楼の技術文明を花開かせる兆しは、すでにあったのである。

 

 この小説は、ランベス卿とボストン在住のベッシー・オールデンという未婚の男女が互いに惹かれあう様子を、それぞれ従兄との会話、姉とのやりとりで浮かびあがらせるが、当欄はその筋を追わない。それよりも米国人の英国観、英国人の米国観を切りだしてみよう。

 

 ベッシーの姉キティ・ウェストゲートはランベス卿に言う。「こちらにはお国の別荘生活はございません。昔のお城の廃墟も、広大な領地も、有閑階級も、何もかもございません」。ここでは「別荘生活」の原語が気になる。彼女がそれを口にしたのが、ロードアイランド州の避暑地ニューポートにある自身の別荘だからだ。米国にも別荘はあるが、英国のそれとは違う。貴族という「有閑階級」が享受する特権的な田園生活はない、ということか。

 

 余談だが、この避暑地は後年、ニューポート・ジャズフェスティバルで有名になる町だ。映画「真夏の夜のジャズ」(バート・スターン監督)でアニタ・オディが羽根飾りのある帽子をかぶり、「二人でお茶を」を唄った場所である。たしかにあの開放感は、英国郊外の館で繰り広げられる貴族たちの優雅な団欒とは趣が違う。そしてキティの夫は、妻を別荘へ送りだしても自分はニューヨークから離れない。「馬車馬みたい」に働くのだ。

 

 これは第二部で翌年、今度はキティが妹を連れて英国に着いたときの描写とも重なる。このときも夫は同行していない。そのことを鵜の目鷹の目でみる友人たちに彼女が主張したのも「アメリカには有閑階級がないという、遺憾ではあるが極めて特徴的な事実」だ。堅苦しく言えば、ここにあるのは封建主義対資本主義の構図ではないか。英国は産業革命を興しても前近代を引きずっていた。だが、米国は建国後すぐに近代を始動させたのである。

 

 この小説では、キティが社交のあり方を論じてこう言う。「あたしの国でやっているみたいに、同じ立場に立って交際がしたい」。ランベス卿がベッシーの気性をこう評するくだりもある。「物怖(ものお)じしないんだ。何でも率直に喋(しゃべ)る。誰とでも対等だと思っているんだ」。ただ、その米国の平等感覚には綻びがある。ウェストゲート家に黒人の使用人がいて「ございますだ」口調で来客に応対するのを読むと、そのことを痛感する。

 

 19世紀、欧米で国際交流できるのは貴族か富裕層に限られていた。それぞれの社会は暇もなく財もない階層に支えられていたが、これらの人々が表舞台に出るのは20世紀に入ってからだ。だから、この小説にみる英米の対照は米国台頭の世相の一断面に過ぎない。

(執筆撮影・尾関章、通算477回、2019年6月21日公開)

 

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『われらの時代に』(アーネスト・ヘミングウェイ著、宮本陽吉訳、福武文庫)

写真》ハートのエースが出てこない?

 数週間前、当欄がとりあげたソール・ベローの小説『宙ぶらりんの男』(太田稔訳、新潮文庫)では、主人公が冒頭でまず日記の効用を説いていた。第2次世界大戦のさなか、「非モラル化」の時代である。こんなときこそ、日記を綴って自分自身に語りかける行為が意味をもつのだという。ここで槍玉にあがるのが、そのころ勢いのよかった「ハードボイルド派」である(当欄2019年5月10日付「ソール・ベローのカッコよさは何か」)。

 

 その主人公によると、ハードボイルド派は人間の「内面生活」に興味を示さない。そんなものは「胸にしまっておけ」と言わんばかりだというのだ。ただ、この世の中に人の心に無関心な人々がいるというのは、ちょっと疑わしい。ハードボイルド派は、ほんとうに内面嫌いなのか。今回は、そのことを考えてみたい。過日の回で『宙ぶらりん…』の主人公に共感して、その辛辣な決めつけの尻馬に乗ったことに若干の負い目があるからだ。

 

 もともとハードボイルドとは、卵などの固ゆで状態を言う。それが、第1次大戦後の米国文学に現れた「簡潔な文体で現実をスピーディーに描く」手法を指すようになった(「デジタル大辞泉」)。ここで押さえておくべきは、あくまで文章作法の問題ということだ。

 

 「簡潔な文体」は、個々の文が短いこととほぼ同義だ。日本語ならば、主語→述語とか、主語→目的語→述語とか、主語なしで目的語→述語とか、そんな単純構造の文が連打される。そう言えば、僕の高校時代、国語の教師はハードボイルド文体の歯切れよさを称揚していた。ただそのころ、日本文学では軟派の野坂昭如、硬派の大江健三郎に代表されるような文を長々と続ける作家に人気があったから、僕もそっちの流派に魅力を感じていた。

 

 そうとばかり言っていられなくなったのは、新聞記者になってからだ。駆けだしのころから、記事は簡潔に、と叩き込まれた。だれが、いつ、どこで、なにをした、という骨格をまず書く。そこに、なぜ、どのように、という肉付けをする。whowhenwherewhatwhyhowの5だ。形容詞や副詞はできる限り削ぎ落とす。これが、記者の文章作法だ。原稿の書き方では、僕もすっかりハードボイルドに染まってしまった。

 

 ただ、俗にいうハードボイルドは文体論にとどまらない。行動様式や嗜好のありようを表すことがある。『宙ぶらりん…』の主人公が思い描くハードボイルド派のイメージは、こうだ。「飛行機を乗りまわし、猛牛と闘い、大魚(ターポン)を釣りあげる」。これは、どうみてもヘミングウェイを示唆している。前述のデジタル大辞泉にも、ハードボイルドの手法は「ヘミングウェイらに始まる」とあるから、この連想は当然か。

 

 で今週は、その文豪の短編小説集『われらの時代に』(アーネスト・ヘミングウェイ著、宮本陽吉訳、福武文庫)。ハードボイルドな行動様式の作家がハードボイルドな文章作法で書いた作品を精読して、そこに「内面」の片鱗がみてとれるか探ってみようと思う。

 

 まずは、本の成り立ちから。訳者あとがきによると、著者は1924年に戦場や闘牛場などの情景を断章風に素描する「スケッチ」集を本にした。25年にその一部を小説に改め、ほかの小説と併せて短編集にする。残ったスケッチは小説各編の間に挟み込んだ。30年の決定版は、序文代わりの小話と、小説14編、スケッチ16編を収めている。いくつかの作品の主人公は「ニック」で、同一人物のようにも読める。この邦訳文庫版は88年刊。

 

 著者(1899〜1961)の紹介欄をまず見ておこう。「狩猟好きな医者の父と音楽を愛する母の長男として、シカゴ郊外に生まれる」「幼少年時代は夏になるとミシガンのワルーン湖畔の別荘に行き、釣りや狩猟をしたり、インディアンにまじって遊んだりした」……。これらの記述は必読だ。この本は巻頭に「実在人物は存在しない」とあるから自伝として読むのは憚られるが、著者の軌跡を知っておかないと大変に読みづらい。

 

 たとえば、「インディアン村」という一編。ニックが父や叔父と湖岸にやって来ると、先住民二人が待ち構えている。「二そうのボートは暗闇の中で動き出した。ニックはずっと前の靄(もや)の中にオール受けの音を聞いた。このインディアンたちは素早く浅く水を切って漕いだ。水の上は寒かった」。これぞ、ハードボイルド。ただ、一行が対岸の村へ急な往診に出向く途上だという状況は、父が医師であるという予備知識がないとわからない。

 

 「あることの終わり」では、その著者紹介欄も助けにならない。この一編では、ニックがマージョリーという女性と船に乗って夜釣りに出る。マージョリーは湖岸の一角に目をやって言う。「製材所だったころを覚えてる?」。二人は、幼なじみなのだろう。だが、たどり着いた岬で交わす言葉はぎこちない。「なにもかもが、ぼくの中でめちゃめちゃになったような気がする」「恋愛もちっとも面白くないの?」「そう」。二人の間に何があったのか。

 

 答えは、次の一編「三日間のあらし」でようやく出てくる。ここでは、ニックが友人のビルとウィスキーを飲みながらひたすら語りあう。そのやりとりによれば、ニックとマージョリーは周囲が婚約中と見紛うほどの仲だったが、ニックのほうから「関係を切った」らしい。あの夜釣りは破綻の局面だったのだ。それなのに「あること…」は、「二人はたがいに体も触れあわずにすわって月がのぼるのを見つめていた」といった即物描写にとどめている。

 

 余計な説明をしない筆致。訳者あとがきは、これを「省略法」と呼ぶ。当時の文学者が印象派の画風から採り入れた手法で、著者は「氷山の原理」で説明していたという。氷山は、先端が見えるだけで大半は海面下に隠れている。小説もそれでいい、というわけだ。

 

 この短編集で、ハードボイルドの特徴がいっそう露わになるのは、小説よりもスケッチのほうだろう。前後の小説の筋とは直接関係のない場面が短く切りだされる。たとえば、戦争難民と思われる人々の行列。「水牛や家畜が泥濘をくぐって荷車をひいていた」「年をとった男たちや女たちはずぶ濡れになって、家畜を追いながら歩いていった」「女たちや子供たちは荷車の中で、マットレス、鏡、ミシン、包みといっしょにうずくまっていた」

 

 戦闘そのものもとりあげている。「おそろしく暑い日だった。おれたちは橋をいちぶのすきもないバリケードでふさいだ」。材料にしたのは、民家の玄関にあった鉄格子。唐草模様が施されたもので、そのすきまから銃撃もできる。「やつらがそれをのりこえようとすると、おれたちは四十ヤード手前からねらい撃ちにした」。戦争が殺傷行為によって成り立っていることが包み隠さず言語化されている。ここには、感情のかけらも混入していない。

 

 闘牛の描写はどうか。「マエラは腕に頭をのせ、顔を砂にうずめて動かなかった。出血のせいであたたかくねばつくのがわかった。いちいち角が刺さるのがわかった」で始まるスケッチ。闘牛士が闘いの末に命を落とす場面だ。「マエラ」には「『午後の死』に登場する実在のメキシコ人名闘牛士」との補足説明がカッコ書きで添えられている。訳注だろう。『午後の死』とは、同じ著者が後年に闘牛について考察したノンフィクション作品である。

 

 この描写でちょっと気になるのは、前述の引用部2番目と3番目の文が「わかった」で終わっていることだ。だれが「わかった」のか。「あたたかくねばつく」とあるのだから、闘牛士本人とみるのが妥当だ。英語の原文には、きっとheという主語があるのだろう。著者のハードボイルドは、ただ見たこと、聞いたことを書くだけで終わっていないのだ。瀕死状態にある男の内面に入り込んで、その皮膚感覚を照らしだしている。

 

 ここには「マエラはすべてのものがだんだん大きくなりつぎに小さくなっていくのがわかった」「すべてのものが映画のフィルムがはやくまわるときみたいに次第に速く走り始めた」との記述もある。著者は、瀕死の人の心模様まで外形事実のように叙述している。

 

 ハードボイルド派はぶっきらぼうだ。自分の心の内を冗舌に語ったりはしない。他人の心についてはなおさらだ。だが、人間の内面生活にまったく興味がないわけではなさそうだ。これはというときには内心にも踏み込む。「宙ぶらりんの男」にはそう言っておこう。

(執筆撮影・尾関章、通算475回、2019年6月7日公開、同日更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『宙ぶらりんの男』(ソール・ベロー著、太田稔訳、新潮文庫)

写真》振れて揺れて

 あれは、いつのことだったのか。いろいろ思い返してみても、それが何年だったかさえ朦朧としていることがある。そんな思い出の一つ。まだ学生のころだ。その日、僕は自分の学び舎ではなく東京大学本郷の階段教室にいた。米国人作家の講演を聴くために。

 

 その人は、ソール・ベロー。1976年にノーベル文学賞を受けた作家だ。70年代初めには小説邦訳の文庫版刊行が相次ぎ、日本でも知名度が高かった。講演会があったのは、そのころ。おそらくはノーベル賞の受賞より前だった。僕も米国文学を気どって読んでいたので、友人に誘われると二つ返事で応じた。英語は聴きとれまいと観念していたが……。席は教室の後方。教壇を見下ろすかたちだ。窓からは柔らかな陽ざしが射し込んでいた。

 

 その講演について今回、さまざまなネット検索をかけてみたが徒労に終わった。半世紀も前の催事情報がデジタル化されていることはめったにない。ベローの来日歴くらいは出てきそうなものだが、それも見つからなかった。いま頼れるのは僕の記憶だけだ。

 

 とはいえ、表題すら覚えていない。話の中身は案の定、ついていけなかった。すべてがおぼろだが、脳裏に鮮烈に焼きついていることが一つある。ベローがカッコよく見えたということだ。登壇すると、まずは上着を脱ぎ、シャツの袖をおもむろにまくってから話を始めた。シャツの色はブルー系で、襟元はボタンダウンだったように思う。当時は文学者といえば鬱屈した人という先入観が強かったから、その颯爽とした姿は意外だった。

 

 で、今週は『宙ぶらりんの男』(ソール・ベロー著、太田稔訳、新潮文庫)。この文庫本が刊行されたのは1971年。今回は、その初版を古書店で見つけた。本を開くと、紙は日に焼けている。正真正銘の70年代本に惹かれて、これを買うことにした。

 

 カバーには原題のDangling Manの表記がある。それを見たとき、この本は70年代にすでに読んだのではないか、と一瞬思った。僕が学生時代、どんな仕事に就くかの当てがなかったころ、この小説でdangling=ぶらぶらという言葉を知って「オレは今、danglingなんだな」と自嘲した記憶があるからだ。ところがページを繰っていても「読んだな」と感じる箇所に出会わない。本を買ってはみたものの中身は読まなかったのか。

 

 間違いなく聴いたが、何が語られたのかが皆目わからない講演。題名は原題までも脳に刻まれているのだが、読んだかどうか確定できない小説。1970年代は、すっかり遠くに追いやられてしまった。だがそう思うと、この古書文庫本はいっそう愛おしい。とにもかくにも、「宙ぶらりん」のひとことが一青年のモラトリアム状態に共振したのだ。だったら、小説主人公のdanglingがどんなものかを跡づけてみようではないか。

 

 作品に踏み込む前に、著者の略歴に触れておこう。巻末の訳者解説によると1915年、カナダに移民したユダヤ系ロシア人の家庭に生まれた。父は事業家だったが、失敗を重ねたようだ。一家は24年、米国シカゴへ移住する。家庭は裕福ではなかったが、本人は大学や大学院に進み、社会学や文化人類学を学んだ。大学で教職にも就いている。『宙ぶらりん…』は出世作。44年に発表された。第2次世界大戦末期のことである。

 

 この作品は、主人公の「ぼく」、ジョウゼフ27歳の暮らしぶりを日記形式で描く。最初の日付は大戦中の1942年12月15日。冒頭で、日記をつけること、即ち「自分自身への語りかけをくりかえし、内心の動きを記録に残す所業」が、昨今では「遊び、弱さ、悪趣味」と蔑まれるようになったことを嘆く。ハードボイルド派は「内面生活」を「胸にしまっておけ」と言うが、世界が「非モラル化」しているときにそれは当たらないと主張する。

 

 こんな対比もある。ハードボイルド派は「飛行機を乗りまわし、猛牛と闘い、大魚(ターポン)を釣りあげる」。これに対して「ぼく」は「日に十時間は、一室だけの部屋に一人でいる」。ヘミングウェイ流行動派台頭の時代に、それと逆張りの自己主張をしている。

 

 いわば、内省派宣言だ。当欄の書き手として、僕はこれに深く共感する。当欄は日記と違って公開こそしているが、拡散志向は強くない。たまたま目に触れた人に読んでいただければよい、くらいの気持ちでいる。それでも毎週書きつづけるのは、内省の舞台を確保したいからだ。1冊の本をテーブルに置いて、周りを自分や自分の分身たちが取り囲む。その雑談で視界が広がったりするのだ。これだって大魚を釣るほどの醍醐味がある。

 

 表題にある「宙ぶらりん」は、「ぼく」の境遇そのものだ。シカゴ在住で、徴兵に応じて勤め先を退職したのに、書類の不備やら審査の必要やら条項の改定やらを理由になかなか入隊できない。いわば「官僚主義」の犠牲ともいえる失業状態。友人が臨時雇いで選挙の世論調査員をやらないかと声をかけてくるが、それにも気乗り薄な返事をする。妻のアイヴァが働きに出て、その収入で生活する。住まいは、トイレも共用の下宿屋だ。

 

 「ぼく」は啓蒙時代の哲学者をめぐる論文を執筆中とあるから、文系知識人なのだろう。だが、今は読書が手につかない。代わりに朝食後、新聞を「一語も余さず」に読む。「窓をひらいて、天候を眺(なが)め、新聞紙をひろげて、世界を受入れる」「かくてぼくは、世界にみたされ、はっきりと目をさます」。主人公は自室滞在が長くても引きこもりではない。新聞の精読を通して世界とかかわっている。これも、社会派の一つのありようだ。

 

 この作品には戦時色が漂う。クリスマスの日、「ぼく」が兄の家に招かれたとき、夕食は「物資配給量の不足」の話題でもちきりだった。米国にも物不足があったのだ。兄は、軍隊では幹部候補生をめざせと忠告するが、「ぼく」は同意しない。「大多数の男が、市民生活における野心を、軍隊にまで持ちこんで、いわば、戦死者の背中を踏み台に、おのれの昇進を志す。ぼくはちがいますよ」。戦争がもたらす心理の歪みを冷静に見抜いている。

 

 日記に書き込まれた米国観は読ませる。米国民は「殺戮行為に関与しすぎている」が、その一方で、ペットの救命に飛行機が使われることもあるし、高齢者の延命看護に隣人たちが手を差しのべることもあるというのだ。博愛の理想を追い求めながら、それとは正反対の泥沼にはまり込む。これは、僕たちの世代がベトナム戦争のころに見せつけられた米国の矛盾そのものだ。その意味で、この作品は1960〜70年代の先取りとなっている。

 

 そう言えば、この作品にはベトナム戦争のころに流行ったアメリカン・ニューシネマを連想させる場面がいくつもある。たとえば、兄の家で繰り広げられる15歳の姪エッタとのいさかい。「ぼく」が好きなレコードをかけていたら、エッタが「あたしも、プレーヤーを使いたいのよ」と近づいてくる。それは口喧嘩で終わらず……。まるで幼稚園児のおもちゃ争いのような光景。そんな騒動をありのままに描くところは、ニューシネマそっくりだ。

 

 夫婦喧嘩もある。妻のアイヴァが本を捜していたときのことだ。見つからないのは、よりにもよって「ぼく」がこっそり女友だちのキティに貸していた小説だった。「ぼく」は別の本を読むように仕向けるが、それが怒りを買って外へ飛びだす。めざすはキティの家。雨のなか、「濡れた服、濡れた石炭、濡れた紙、濡れた大地のにおいを吸い、霧の流れに押しやられる格好で、ぼくは街角へ向った」。主人公のずぶ濡れも、ニューシネマ風だ。

 

 内省の記述では、戦争と死が縦横に語られる。ある箇所では、「戦争を支持」と断言する一方で「戦争の恩恵を受けるよりは、その犠牲者となるのを選ぶ」と書く。別の箇所では、「自己保存」を称えるスピノザの思想を引いて「われわれは自分自身を支配すべきだ」「ぼく自身がリスクを背負いこむ必要がある」と自らに言い聞かせる。ところが最終盤では、その自己決定権を放棄するような言葉にも出会う。これが戦時知識人の苦悩なのだろう。

 

 米国社会の価値はgreatばかりではない。自らの弱さを隠さず、理想と現実の乖離に悩む。これは、米国知識人が20世紀後半に見いだしたカッコよさだ。ソール・ベローはその先達だった。最近の米国社会は、この価値観を置き忘れてしまったようにも思う。

(執筆撮影・尾関章、通算471回、2019年5月10日公開、同日更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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「美しい女」(椎名麟三著、講談社文芸文庫『深夜の酒宴・美しい女』所収)

写真》電車

 幼いころ、家のすぐそばに電鉄会社の車庫があった。まだ舗装もされていない裏通り。その道沿いに杭が等間隔で立てられ、鉄条網が張ってある。今思うと、あの杭は線路の枕木だったと思う。廃品を生かして、敷地を囲う塀代わりにしていたのだ。

 

 なによりも僕が圧倒されたのは、そこに立てかけられてあった黒っぽい物体だ。環状で重たそう。自分の背丈よりも高く見える。はじめは「なんだろう」と見当がつかなかったが、やがて「これは車輪じゃないか」と気づいた。建屋には整備中の電車が止まっている。地面のそこここに雑草が生えていた。機械油のにおいが漂っていたようにも思う。鉄道が近代のインフラとして武骨なたたずまいを見せていたころの原風景である。

 

 1950年代半ばの電車はのどかだった。僕が最寄り駅から乗る各駅停車は、たいてい3両か4両編成。車体は当時定番のあずき色で、鋲打ちの出っ張りが露わになっていた。先頭部に行き先の表示板。車内では最後部に車掌が仁王立ちしていた。そこは、乗務員室として仕切られていなかったように思う。車掌は乗客一人ひとりに切符を売って歩くことはしないが、肉声で次の停車駅を告げる。どこか路面電車のような雰囲気を残していた。

 

 小学生時代、自分ひとりで習い事に通っていたころのことだ。その日は急いでいて、電車がホームに停まっているのを見つけるとまっしぐらに走り、飛び乗ろうとして足もとの隙間に落ちてしまった。見事なほどきれいな落下。けがもないので、声一つあげなかった。それでも制服制帽の男性がすぐに駆けつけ、引きあげてくれた。車掌だったか駅員だったかは思いだせない。危ないことだらけだが、それは人間の機転で補われていたように思う。

 

 で、今週は昔の私鉄労働者の物語。「美しい女」(椎名麟三著、講談社文芸文庫『深夜の酒宴・美しい女』所収)。著者(1911〜1973)は兵庫県出身の作家。略歴欄によると、旧制中学を中退後、私鉄会社に勤めるなど職を転々とした。労働運動にかかわるが身柄拘束中に転向、戦後、「深夜の酒宴」で文壇に躍り出た。「ニヒリズムを基調とした実存主義的作風で第一次戦後派作家として注目される」とある。その後、キリスト者となる。

 

 その「ニヒリズムを基調とした実存主義的作風」は若者の心をとらえ、著者はカリスマ作家の一人となった。それは、僕が青春期に入った1970年前後も続いていた。ただ、僕自身は実存主義には心惹かれていたものの、椎名作品は敬遠した。あまりに暗いように感じて退いてしまったのだ。だが年を重ねると、怖かったものも怖くなくなってくる。ということで、今回は彼の代表作を選んだ。手にとった文庫版は2010年に刊行されたものだ。

 

 「美しい女」は1955年に『中央公論』誌に連載で発表された。だが、そこに描かれているのは主に戦前から戦中にかけての日本社会だ。舞台は、おそらく兵庫県播磨地方。地名は「H市のお城」「A市の浜」などと書かれているが、関西に通じている人ならば、ああ、あの都市のことかと察しがつくだろう。そして、登場するのは富裕層や知識層ではない。鉄道職場に働く人々を中心に、市井に暮らすという表現がぴったりくる人ばかりである。

 

 第一章冒頭の一文に、それは凝縮されている。「私は、関西の一私鉄に働いている名もない労働者である」。この「私」、すなわち主人公の木村末男は19歳で会社に入り、「今年はもう四十七になる」。小説は、その「今年」から過去を振りかえるつくりになっている。

 

 この一節にある「レッテル」の話は見落とせない。主人公はそのときどき、左寄りの人からは「無自覚な労働者」とも言われ、右寄りの人からは「無責任」などとなじられてきた。そして今、「人々から与えられたこれらのレッテルへ、人なみの熱い血を通わせ、生命の光を与えてやりたい」という。ここに左翼運動、実存主義、そして最後はキリスト教と拠りどころをずらしながら思索を深めてきた著者の思いが凝縮されているように思う。

 

 主人公は当初、「バッテラ」という木製車輌に車掌として乗務した。「運転台や車掌台が風に吹きさらしになる」つくりなので「振り落されないように」しながら瀬戸内海を眺めていると、職場で募る鬱憤も「何でもないこと」に思われた。「車内で声高らかに次の駅名を叫んでいるとき、自分が鶏でいまときをつくっているのだ、というような気がするのだった」との記述もある。戦前の鉄道員は開放感や高揚感を享受していたということか。

 

 この電鉄線では、車掌が車内を回って検札していたらしい。あるとき、同僚の恋人が切符なしで乗っていたので運賃を徴収した。すると翌日、その同僚から「お前、どうしておれの彼女に恥をかかせたんや」とたしなめられる。そんな几帳面な勤務ぶりが会社からは買われ、賞を受けることになると、仲間の一人から「恥しいことあらへんか」とののしられる。規則遵守(コンプライアンス)至上の昨今の職場からは想像もつかない緩さだ。

 

 親しい同僚からも「木村、お前、あんまり真面目すぎるんや」の声。この場面は、小説前半部の一つのヤマ場だ。主人公は仲間たちに「おれ、普通にやってるだけやぜ」「おれはほんまに無邪気なもんなんやで」「おれはただ電車が好きなだけなんや」と反論する。

 

 主人公の電車愛は半端ではない。それは運転部門に異動になったころの描写から推察できる。ちょうど、バッテラが新型車両に入れ代わる過渡期。その新型を運転する快感がこう詳述されている。「まるで一つの刺戟が微妙で精巧な神経をつたってやがて中枢に達するのを目撃しているかのように、ノッチを入れるわずかな手の動きが、コードをつたわって巨大な八つのモーターに達してそれを動かしはじめるのを感ずるのは、気持がよかった」

 

 ここにあるのは近代文明だ。人間が自分の体を動かすように機械を操っている。ノッチを入れる、コードをつたわる、モーターを回すという過程を実感できるところがモダニズムなのだ。不思議なことに、そこには疎外感が見てとれない。これに対して、当世のIT(情報技術)では機械操作を身体感覚に直結できない。タッチパネルを叩いたりこすったりしながら進める作業にあるのは、浮遊感か。それをポストモダンと呼んでもよいだろう。

 

 表題にある「美しい女」とは、実は想念の産物だ。焼酎を飲んでいるときなどに「私の心に痛切にうかんで来る」「まるで眩しい光と力そのもののような」存在だという。小説では、幾人かの女たちと主人公との関係が描かれるが、それはさほど劇的ではない。筋立てに織り込まれた職場の風景にこそドラマがある。そこに立ちはだかるのは、軍国主義下の人間疎外。主人公は、その時流に呑まれながらも抗う。「美しい女」を追い求めるかのように。

 

 ギクッとしたのは、主人公が事故の記憶を思い返して「学校から鉄橋づたいに帰って来る少年を轢殺した」と打ち明ける箇所だ。電車はハンドルを切れないので、運転する側からみれば避けようとして避けきれない事故だったのだろう。「子供の死は、たえがたいものがある」とも言い添える。だがそれなのに、死なせてしまったではなく「轢殺した」と書く。著者は当時の世相をにおわそうとして、あえてこの表現を選んだのではないか。

 

 電車の追突事故が「全く信じられないくらい続発した」との記述もある。「中堅の乗務員たちの殆んどが軍需産業へ転じたため」だ。新人たちが「十分な訓練を経ないで、いきなり車掌や運転手になった」という。そんななかで悪戦苦闘する主人公の姿も描かれている。

 

 小説の締めくくりで主人公は、戦後の視線で電鉄会社勤めの半生を顧みる。ここで繰り返されるのも電車愛だ。「私は、平凡な人間なのである」「電車にノッチを入れれば動き出すあの平凡な確実さの好きな人間なのである」。そして主人公は、この「平凡」を「悪魔めいたもの」に対峙させる。悪魔めいたとされているのは、戦時中に許せないと感じた「人を轢いてもいいが車はこわすな」という人間否定の風潮だ。美しい女は平凡の化身だったのか。

 

 椎名麟三はこの作品で、電車という近代文明の象徴と向きあう人間の平凡を描いた。それこそが、主人公にとってこの世界の確かな手触りだったのだ。翻って今、IT時代を生きる僕たちは、どのようにしてその触感を手に入れたらよいのか。考えてみたいと思う。

(執筆撮影・尾関章、通算465回、2018年3月29日公開)

 

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●「横山秀夫さんに聞く・物語の始まり」(聞き手・加藤修、朝日新聞デジタル)

写真》デジタルを印字して読んだ

 全盛期を過ぎた感が否めないテレビ番組に2時間ミステリー(2H)がある。かつて民放各局が競い合ったレギュラー枠は大半が消えた。それでも人気シリーズがスペシャル番組のかたちで放映されるのは、高齢層を中心に人々の心をとらえて放さないからだろう。

 

 2H党を自任する僕としてはうれしい限りだが、気になることもある。近年、警察ものが主流になっていることだ。もちろん、老舗のシリーズにも警察は出てくる。十津川警部ものは言うまでもなく、浅見光彦ものも主役のルポライター浅見が津々浦々の警察に出入りする。「温泉若おかみの殺人推理」でも「タクシードライバーの推理日誌」でも(ともにテレビ朝日系)、脇役の刑事がいい味を出してきた。だが、昨今は様子が違う。

 

 あえて言えば、警察という組織がギラギラしている作品がふえた。一例は、科学技術化された捜査体制だ。ドラマで事件解決のカギになるのは、監視カメラ、画像処理、音声分析、DNA型鑑定、プロファイリング……。解析結果が犯人を絞り込む。事件解決の一瞬がコンピューター画面に現れる「一致」のひと言で表現される味気なさ。警察は捜査権限があるので、大概の証拠物件を手に入れられる。監視社会の見本を見ているようだ。

 

 警察組織内の人間関係にも光があてられる。たとえば、本庁と所轄署の軋轢。警視庁・道府県警本部の捜査一課と地元警察署の刑事課との摩擦は定番だ。本庁人事で赴任してきたキャリア組エリートに対するたたきあげ刑事の意地もモチーフになる。同じ署内にあっても、生活安全課など地味な部署の警察官が活躍して花形の刑事課員に一泡吹かせるものもある。警察が体現する縦社会のありようは、ドラマの題材になりやすいのだろう。

 

 こうしてみると、科学技術化であれ人間関係であれ、近年の2Hはリアリズムを追求しているように見えるのだが、どうもピンと来ない。それはきっと、リアルの度合いが低いからだ。科学捜査も現実にはあのようにすんなりと犯人を特定できないだろう。どの解析にも誤差はつきものだし、二つの鑑定が矛盾する結論を導くこともある。人間関係だって複雑だ。雲の上の存在に対する妬みよりも仲間うちの競争意識のほうが強いことは、ままある。

 

 警察ものの2Hがリアルに思えないのは、僕自身が駆けだし記者のころ、ほんの数年ではあれ、警察署を回って取材した経験があるからだ。その後は科学報道畑に進んだのだから、社会部の事件記者のように警察の実相を語る資格はない。ただ、署内に漂う匂いのようなものは記憶の底に染みついている。残念なことに今、2Hドラマからそれは感じとれない。ごく少数の事例を除いては。その例外の筆頭格が横山秀夫原作のドラマだった。

 

 で今週は、「横山秀夫・物語の始まり」(聞き手・加藤修、朝日新聞デジタル)。作家横山秀夫の小説観に文芸記者が迫ったロングインタビューである。朝日新聞群馬県版に2017〜18年、計13回連載された記事が去年暮れに一挙デジタル公開された。群馬は、横山さんがかつて新聞記者生活を送った文筆活動の原点だ。先週に続いて「本」とは違う媒体をとりあげるが、「3万字を超える」とあるから薄い1冊を読むほどの量感がある。

 

 私的な話を付言すると、聞き手の加藤記者は僕の大恩人だ。当欄の前身「文理悠々」がブック・アサヒ・コムに開店していたころ、編集者として面倒をみてくれた。だが今回この記事をとりあげるのは、その恩義に報いるためではない。ただただ面白かったからだ。

 

 まずは、横山さんと加藤記者とのかかわりから。2003年1月に横山さん初の長編『半落ち』が直木賞候補作になるが、落選する。一つの医療手段が作品のカギになっているが、その制度解釈が現実的でないと異論が出たのだ。このとき、加藤記者は関係団体や官庁の見解をもとに、それが非現実的と断定できないことを記事にした。選に漏れた作品に対して丁寧な検証をしたことが、作家と記者の間に信頼関係を生んだのは間違いあるまい。

 

 インタビューは時系列で進む。横山さんが新聞社を辞めたのは、1991年のサントリー・ミステリー大賞で自作が候補作に残った時点。「記者が天職」と思いつつ、「何か違うなという違和感」が募っていたころだ。記事を通じて世にはびこる悪や不正を「断罪」「追及」する仕事を省みて「そんな資格が果たして自分にあるのか」と自問したという。賞の結果は「佳作」。大賞を獲って副賞の賞金で1年暮らすという思惑は潰えた。

 

 横山さんは大賞の当てが外れて、収入減を少年マンガの原作執筆に求める。出版社で原稿を渡すと、年下の編集者5人からてんでんばらばらのダメ出しが返ってくる。「悔しくてね、会議室のテーブルをばーんとひっくり返したい衝動と闘っていました」。このときに打ち砕かれたのは、「記者時代に着込んだ虚飾のプライド」だ。名刺を出せばだれにでも会えるという「万能感に近い自意識」が消え、「等身大の自分」に近づいたという。

 

 作家としての本格デビューは、1998年に松本清張賞を受けた「陰の季節」。警察組織の内情を警務課調査官の視点でとらえた。同名の短編集では、表題作を含む3編で管理部門に光が当たる。「より純度の高い葛藤劇を書くために探し当てた設定」だった。登場人物の心を占めるのは、警察幹部の天下り、県議会の爆弾質問……。裏方で奔走する人々には「事件を追う刑事以上に強烈な負荷がかかる」。横山さんは、それを見逃さなかった。

 

 ではなぜ、組織に焦点を当てたのか。そこには自身の気づきがある。新聞社を離れた直後は「解放感」に浸ったが、すぐに「手かせ足かせのないまったくの自由なんてものは幻想なのだ」と思い至る。会社を飛び出たら、社会という「組織体」の「しきたり」や「しがらみ」が待っていた。それを前提に「どう生きるか」「どう生きたいか」を考えるようになる。「もう組織が個人に及ぼす有形無形の影響を無視しては小説を書けなかった」と言う。

 

 警察組織の人間関係を扱っても、並の2Hドラマは本庁対所轄、キャリア対ノンキャリという図式を撫でるだけだ。これに比べて横山作品には葛藤の深さがあり、心模様は陰翳を帯びている。それもこれも、自身の体験を踏まえた内省があるからだろう。

 

 このインタビューでは、フィクション論も読みどころだ。横山さんは1985年の日航ジャンボ機墜落事故後しばらく、地元紙記者として御巣鷹山に通い詰めた。退社後の生活困窮時、出版社から「現場の惨状をノンフィクションで」と頼まれたが、「書こうとするたび嘔吐(おうと)して」執筆をやめた。自身の「あの事故を踏み台に」という姿に「押しつぶされた」のだ。「金に困っていない時に改めてあの事故と向き合おう」と心に決めた。

 

 それが結実したのが、長編小説『クライマーズ・ハイ』。未曽有の航空機事故を扱いながら「記録でも記憶でもない普遍的な物語」をめざした。思いついたのは「主人公に一度も現場を踏ませない」という筋立て。現場の凄絶さをもっともよく知る作者が、それを「封印」したのだ。描いたのは、新聞社内の「組織と個人のせめぎ合い」。事故の核心と距離を保つことで「メディアという生き物の精神性を炙(あぶ)り出せると考えた」のである。

 

 横山さんはインタビュー後段で、自身はジャーナリズムを離れ、川を渡って「フィクションの岸辺に立った」と宣言。記者と作家の違いを譬え話で語る。無言電話を受けたとき、「誰からの電話か突き止めようとする」のが記者。「誰からの電話か、かけてきた理由は何か、えんえんと考え続ける」のが作家というのだ。記者が手にする「一つの真実」と、作家が思い描く「10も20もの『ありえる理由』」は等価――という見方には思わずうなった。

 

 退社の経緯を語ったくだりに戻ると、こんな言葉もあった。新聞は「分析し、警鐘を鳴らし、提言をすること」に長けているが、「取材したことしか字にできない性質上、人間の気持ちのにじみやグラデーションを伝えるのは苦手」。そこにフィクションの出番がある。

 

 先週、当欄拙稿で書いたように、街を活写するには新聞の文体が力を発揮する(当欄2019年1月11日付「週刊誌を久しぶりに読んでみた」)。だが、人の内面に迫るには想像力が欠かせない。記者出身の横山さんは、それに気づいて対岸に渡ったのだろう。

(執筆撮影・尾関章、通算455回、2019年1月18日公開、同月23日更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『ジーヴズの事件簿――才智縦横の巻』

(P・G・ウッドハウス著、岩永正勝、小山太一編訳、文春文庫)

写真》ジーヴズには薔薇が似合う

 暮れのひととき、皇室に思いを巡らせた。天皇が85歳の誕生日を前に述べた言葉が情感あふれるものだったからだ。先の戦争の犠牲を忘れないこと、平成が戦争なしに幕を閉じそうだと安堵していること、災害時のボランティア活動には勇気づけられたこと、自分を支えてくれた人々に感謝していること……原稿を読むかたちではあったが、間違いなくご本人の真情吐露だったと思う。そのことは、映像と音声からひしひしと伝わってきた。

 

 来春はいよいよ譲位。それは2年前、皇位を退く意向をにじませるメッセージを自ら発したことで動きだした。憲法にある「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」という立場に制約されながらも、人間としての思慮分別をもちつづける。そんな強い意志が感じられる。

 

 皇室をめぐっては、今年もさまざまな報道があった。うれしい話ばかりではない。ときに当事者が触れてほしくない話もある。それを目にするのは心苦しい。一般家庭なら外に漏れない内輪の案件が、あるところまでは公然と世間の目に曝されるからだ。芸能界ではかつてプライバシー報道は有名税とも言われたが、今はメディアが慎重になった。芸能人も家庭に帰れば一市民であると認識されたのだ。だが、皇族は市民とは言われない。

 

 このことを僕自身が実感したのは、日本の皇室にではなく英国の王室に対してだった。1992〜95年のロンドン駐在時代だ。着任のころ、チャールズ皇太子とダイアナ妃が別居したので現地は王室報道であふれていた。科学記者なのでふだんは王室記事を書かないが、担当記者の出張時などに代役を務めることはある。そんなときふと湧いた疑問は、私生活を大事にする英国社会で王室はなぜここまで私事を開示するのか、ということだった。

 

 英国の空気を吸っている者として感じとったのは、英国人は家庭観や男女観を語るとき、王室の出来事を例題にしているのかもしれないということだ。夫婦の破綻や男女の別離が稀でない時代、王族の苦悩を自分たちのそれと重ね合わせているのではないか。

 

 ノーブレス・オブリージュという言葉がある。位にはそれなりの義務が伴うというのだ。英王室の人々は、その義務の一つとして私生活の一部を例題に供しているようにも思える。もしかしたら「象徴」という言葉にも、そんな役割が含意されているのかもしれない。

 

 で、今週は『ジーヴズの事件簿――才智縦横の巻』(P・G・ウッドハウス著、岩永正勝、小山太一編訳、文春文庫)。帯には「皇后陛下もご愛藏」とある。美智子妃が今秋、公務から解放される日々の心づもりを尋ねられて「ジーヴスも二、三冊待機しています」と答えたという皇室報道を引いている。行きつけの書店でも、ジーヴズ本が1カ所に集められて平積みになっていた。その商魂に乗っかって、僕も読んでみることにした。

 

 本の題名に「事件簿」とはある。ただ、いわゆる推理小説を期待して読むとあてが外れる。小さな難題が浮上してどうなるかと思っていると、機知に富む人物がそれを解決してくれるという感じ。広義の「コージー(cozy)ミステリー」に含めてもよいかもしれない。

 

 巻末にある「小伝」(訳者の小山さん執筆)によると、著者は1881年に英国ロンドン近郊のサリー州で生まれた。エリート私立校のパブリックスクールに通ったというから、家庭は裕福だったのだろう。ところが「家計の急変」で大学進学を断念、2年間の銀行員生活を経て文筆業に専念するようになった。小説のみならず、ミュージカルの作詞も。大西洋を股にかけ、米国でもハリウッドの仕事を請け負ったという。1975年に亡くなった。

 

 一連のジーヴズものが始まったのは1910年代。本書は10〜20年代の7編を収めている。この邦訳は2005年に単行本として文藝春秋社から出た。文庫化は11年。

 

 この本を開いて見えてくるのは、英国社会では20世紀初頭、上流階級の優雅な暮らしが保証されていたということだ。第1次世界大戦のころは、そんな世相が続いていた。所収作品のうち最後の1編を除く6編はバーティ・ウースターという青年が「僕」の一人称で叙述する形式をとっているが、彼も明らかにその階級に属する。それは、巻頭の「ジーヴズの初仕事」で「当時僕は財政的にウィロビー叔父が頼り」と書いていることからもわかる。

 

 ウィロビー叔父は、イングランド西部の田園地帯に屋敷を構えている。オックスフォード大学出身。爵位などは書かれていないが、貴族もしくはそれに準ずる階級にあるようだ。バーティ自身もパブリックスクールからオックスフォードという進路をたどったらしい。では、真の主役「ジーヴズ」とは誰か。これは「…初仕事」の書きだしに答えがある。「で、ジーヴズのことなんだが――うちの従僕(じゅうぼく)のジーヴズさ」

 

 「従僕」とはあるが、召し使いという感じではない。執事という呼び名がぴったりくる。それは、バーティが自分とジーヴズの関係を素描するくだりを読めばわかる。

 

 「僕がやつに頼りすぎだと思っている人間は多い。それどころかアガサ叔母なんぞは、ジーヴズのことを僕の飼い主とまで言った」。だが、そのどこが悪いのかと開き直る。「あの男は天才」なのだ、「首から上の働きにかけては、誰一人かなうものはない」のだ――。所収作品群の大半は、上流階級の「僕」が庶民層に属する「従僕」の知恵と機転に助けられるという構図になっている。それが、読み手には小気味よく感じられるのだ。

 

 これは、著者の個人史をダブらせると納得できる。少年期、パブリックスクールまでは上流社会に馴染んだが、その後、勤め人暮らしを経験して中間層の目をもった。そのことが、上流の面々を人間としてとらえ、皮肉交じりに描くことにつながったのではないか。

 

 「ジーヴズの春」という一編は、その階級意識に焦点をあてる。バーティの友人ビンゴ・リトルが軽食堂のウェイトレスに恋する。彼もまた「伯父にべったり頼ってる」身なので恋の成就に伯父の承認が欠かせないが、難しそうだ。そこで、ジーヴズの出番となった。

 

 ジーヴズが勧めたのは、広告業界が用いる「直接示唆(しさ)法」。消費者は、ある商品が良いと言われつづけるとそれに手を出すというのだ。「ある方の階級差別意識を矯正(きょうせい)するためにこの手段を採用してならない理由は見当たりません」。20世紀の資本主義経済では消費者大衆の心をつかむ攻略法が関心事となったが、その手法を上流向けに転用する痛快さ。ビンゴは伯父に『一介の女工』といった小説を読んで聞かせる。

 

 この作品集の隠し味は、上流階級の家庭に仕える使用人の間にネットワークがかたちづくられているらしいことだ。「ジーヴズの春」でも、ジーヴズはビンゴの伯父邸で働く人々、たとえば料理人のミス・ワトソンとつきあいがある。「わたくし、老リトル様の料理婦とはいささか親密な仲でして」というわけだ。だから、バーティの説明を受けるまでもなくリトル邸の家庭事情をよく知っている。ここでも上流は大衆に包囲されている。

 

 「同志ビンゴ」では、革命家気取りのビンゴが登場、バーティ宅に仲間を連れて押しかけてくる。バーティが紅茶のおかわりのために湯の追加を命じると、ジーヴズは「かしこまりました」。仲間の頭目が、その従順ぶりをとがめてジーヴズと交わす会話――「隷属(れいぞく)はいかんぞ、きみ。隷属はやめろ!」「何でございます?」「わしに『ございます』などと言うな。同志と呼べ」。居丈高な「革命」家の嘘っぽさが見えてくる。

 

 著者はジーヴズを通じて、封建主義の衰退から資本主義の変質、社会主義の台頭まで、すべてを笑いの種にする。人は人、階級なんてどうでもいいことさ、と言わんばかりに。

 

 さて、2018年がまもなく暮れる。ジーヴズ登場から100年、階級の境目は薄らいだが格差は広がっている。ネットの世界では誹謗中傷の言葉が飛び交い、寛容の精神は弱まっている。今こそ、人を人として見るジーヴズの目がほしいと切に思う。

(執筆撮影・尾関章、通算452回、2018年12月28日公開、2019年1月5日最終更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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