『自分ひとりの部屋』(ヴァージニア・ウルフ著、片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)

写真》扉の向こう

 とりあえずはよい選択だが、それが根本的な解決になるかはわからない。世の中には、そんな対処法がままある。国内の女子大学に「出生時の性別が男性で、心の性別が女性」の学生を受け入れる動きがある、というニュースもその一つではないだろうか。

 

 朝日新聞が全国の女子大にアンケート調査をした結果だ。64校から寄せられた回答の集計は、こうだった。「心の性別が女性」のトランスジェンダーに入学の門戸を開くことを「検討している」が5校、「検討を始める予定だ」は3校、ほかに41校が「検討するべき課題」とみている、という(朝日新聞2017年6月19日朝刊)。性の多様性を認めあい、性的少数者の権利を尊重する流れに沿った前向きの方策とみてよいと思う。

 

 だが、ここで頭に浮かぶのは、そもそも女子大とは何か、という問いだ。大学は教育と学術の拠点として、すべての性に開かれているのが望ましい姿だろう。ここで「すべて」は、男女両性を意味しない。さまざまな少数者を含んでの話だ。前述の動きも、そうした理想に近づく一歩に違いない。ただそうならば、枠を広げていった先の究極のありようは性の限定を外すことではないか――そんな理屈からどうしても逃げられない。

 

 とはいえ、これをいきなり女子大不要論に結びつけるのは短絡に過ぎるだろう。ここで怠ってならないのは、女子大の来歴に立ちかえる考察だ。かつて日本社会では、大学が女子にとってあまりに狭き門だったからこそ、男子抜きの高等教育機関が別枠で設けられた。これが、今の女子大の源流だ。だからそこには、教育学術の両面にあった性の不公平をはねのけようとした闘いの歴史が染みついている。それを簡単に捨て去るべきではない。

 

 ジェンダー問題は難しい。男女対等をめざしていても、それがときに壁にぶち当たるからだ。たとえば、両性を並べて書くときには、必ずどちらか片方を先にしなくてはならない。今回、当欄のカテゴリーは「女と男」。筆者として、自分の性を後回しにした。だがその謙譲精神も、この段落にある「男女対等」の熟語でわかるように貫徹できない。慣用語に「男女」はあっても「女男」はないからだ。言葉は歴史を背負っているのである。

 

 先日の当欄「高橋和巳で知る体制エリートの綻び」(2017年6月23日付)のときも悩んだことがあった。高橋和巳『悲の器』のTVドラマ版に野際陽子さんが出ていたことに触れた箇所だ。「俳優」と呼ぶか「女優」とするかで迷った。男性俳優だったらこんなときに男優とは書かないと思って、「俳優」を選んだ。だが、「知性派女優」という呼ばれ方で一世を風靡した彼女の履歴を思うと「女優」のほうが素直だったかもしれない。

 

 で、今週は『自分ひとりの部屋』(ヴァージニア・ウルフ著、片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)というエッセイ。著者(1882〜1941)は、小説『ダロウェイ夫人』などで知られる英国の作家だ(文理悠々2010年6月10日付「6月なんかこわくない?」)。今回の本は、1928年にケンブリッジ大学の二つの女子学寮(カレッジ)であった講演をもとにしている。学寮名はニューナムとガートン。ともに19世紀後半に開設された。

 

 書きだしでは、講演依頼の趣旨が「〈女性と小説(フィクション)〉について話してください」だったことが明かされる。それに応えて著者がもちだした表題が「自分ひとりの部屋」だった。唐突感がある。なぜ、こんな題にしたのか。自分にできるのは「〈女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない〉という意見を述べることだけ」と感じたからだという。文学を、その下部構造からみようという姿勢である。

 

 だが、彼女はさすが小説家だ。そのことを論文形式で論じようとはしない。一人称の「わたし」という主人公を登場させて、架空の大学町「オックスブリッジ」で架空の女子学寮を訪ね、次いでロンドンの大英博物館で書物の世界に浸る、という物語仕立てになっている。書きぶりから感じられるのは、著者が得意とする「意識の流れ」の手法。読み手は、彼女の関心の移ろいや思考の組み立てを追体験するようにページを繰っていくことになる。

 

 女子学寮の場面で強調されるのは、つましい食生活。大食堂の夕食では、メインディッシュに「牛肉と青野菜とジャガイモの付け合わせ」が出る。「その質素な三位一体は、泥でぬかるんだ市場にたたずむ牛の尻とか、縮れて端が黄色くなった芽キャベツとか、値引き交渉とか、月曜の朝に女たちが手提げを片手に歩いている光景」を思い起こさせた。それは同じ日、大学の昼食会で賞味した「舌平目」や「ヤマウズラ」の料理の対極にある。

 

 取りすました名門大学と不釣り合いの粗末さ。そこには、女子学寮が女子高等教育の拠点づくりをめざす女性たちの寄付で生まれた事情がある。英国では19世紀後半に「既婚女性財産法」の法制が整うまで、妻は「お金を稼いだところで、すべては取り上げられて夫の意向で処理される」という境遇に置かれていたという。裕福な家庭でも女性は「貧困」を強いられた。彼女たちの寄付集めはそのころのことで、それが難航したのは想像に難くない。

 

 「部屋」の話も、同じ男性優位の父権主義を映している。未婚女性は「十九世紀の初めまで、両親がきわめて裕福か、貴族階級に属しているのでないのなら、自分ひとりの部屋を持つことじたいが問題外」だった。親からの小遣いは衣服に費やすくらい。旅に出て家族の干渉から距離を置くこともできない。自分ひとりの小宇宙をもつなんて、夢のまた夢だった。男性中心の家庭は、女性の知的活動の培地を奪っていたのである。

 

 ところが19世紀初頭、中流階級の女性たちがこうした苦難を切り抜けて作家活動を大展開するようになる。代表格の一人が『高慢と偏見』のジェイン・オースティンだ。どんな執筆ぶりだったのだろうか。甥の回想録が引用されているので、それを孫引きしよう。ジェインは「こもっていられるような自分だけの書斎を持っていたわけではなく、作品のほとんどをみんなの居室で、あらゆる種類のちょっとした中断を受けながら書いた」という。

 

 目から鱗なのは、こうした家庭事情を小説という文学形式に結びつけていることだ。著者は「女性の感受性は、何世紀ものあいだ、共通の居室の影響下で培われてきた」とみる。「人びとの感情」や「人間関係」を間近に見て「性格観察とか感情分析の訓練」を重ねてきたのである。だからこそ、彼女たちは著述活動を始めたとき、小説という形式を選ぶことになったという。人物の心模様を会話やしぐさで散文風に描きだすことに長けていたのだろう。

 

 とはいえ著者は、「共通の居室」肯定論に立たない。1世紀後の未来に思いを馳せるくだりをみてみよう。「もし各々が年収五百ポンドと自分ひとりの部屋を持ったなら――」「もし共通の居室からしばし逃げ出して、人間をつねに他人との関係においてではなく〈現実〉との関連において眺め、空や木々それじたいをも眺めることができたなら――」と畳みかける。ひとりにならなければ見えない現実を知ることなしに文学はありえないということか。

 

 ただ僕が思うのは、この議論はそのまま日本社会に当てはまらない、ということだ。昭和戦前まで、日本の父権主義は西欧のそれに勝るほど強かった。だが、住まいは手狭なうえに風通しが良くて、「こもっていられるような自分だけの書斎」がある人はそんなに多くなかっただろう。たとえ書斎があっても、生活雑音にいつもさらされていたのではないか。そう考えると、著者が文学の必要条件とする下部構造は地域限定のように思えてくる。

 

 時代限定の側面もある。今ならば、もの書きは男女を問わず、ざわついたなかでの執筆になるだろう。とくに自分が在宅で配偶者が勤めに出ているなら、子の世話や親の介護、近所づきあいなどで仕事は中断される。だれもがジェイン・オースティンのような環境下でキーを叩いているのである。一方、文学はネット社会の騒々しい人間関係を扱うようになった。それを描く場所としては「共通の居室」のほうが似合っているのかもしれない。

 

 ウルフが言う「自分ひとりの部屋」を広義にとらえれば、自身で自由にものを考える機会、といった意味だろう。それは、地域と時代の違いを超えて人の知的活動に欠かせない。忙しくとも騒がしくとも、脳と心の片隅には必ず個室を確保しておこう。

(執筆撮影・尾関章、通算379回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『パンドラの匣』(太宰治著、文春文庫『斜陽・パンドラの匣』所収)

 本降りの一歩手前か桜桃忌(寛太無)
 先日の句会で、わりといい点をもらった拙句である。僕が入っている会では、投句3句のうち1句には兼題の季語を、もう1句には兼題の文字を入れこまなくてはいけない決まりになっている。その文字が、今回は「本」だった。蛇足だが、寛太無は僕の俳号でquantumの意。量子力学の量子である。
 
 6月19日は、太宰治の桜桃忌。この日、東京西郊三鷹の禅林寺の墓前に集まる人々の映像は僕の脳裏にしっかり焼きついている。1960年代には東京ローカルニュースの定番アイテムだった。おおむね梅雨のど真ん中。たいてい人々の手には傘があった。辛うじて墓参はできる。だが、いつ本降りに変わるかもしれない。そんな不安定な空模様は、太宰作品を読んでいて胸をよぎる心のざわつきにも似ている。
 
 俳句の世界では、著名人の命日が季語になる。正岡子規は9月19日に没したので、その忌日「糸瓜(へちま)忌」は秋、という具合だ。ふつう、人は死ぬ日を選べない。だから、忌日による季節が、本人のイメージに照らしてピンとこないことはありうる。とはいえ、墨東界隈を歩く粋人永井荷風が4月30日で荷風忌は春、地球の物理を究める理系寺田寅彦がジャスト大みそかで寅彦忌は冬、と並べてみると妙に納得してしまう。
 
 太宰の桜桃忌も、同様にぴったりの季語となっている。心中だから日を選べたのではないかというのは、いくらなんでも暴論だ。だれも、忌日の催しやその俳句にまで思いをめぐらせて自ら命を絶ったりはしないだろう。これは、偶然としか言いようがない。ちなみに1948年6月19日は厳密には死亡当日ではない。入水した玉川上水で遺体が発見された日であり、奇しくも彼の誕生日である。
 
 では、太宰にふさわしいのが6月の雨模様だけなのかというと、そうとは言えない。幾度となく自殺未遂を繰り返したのだから「本降りの一歩手前」の危うさを心に宿していたことは否めない。だが、『走れメロス』や『富嶽百景』からは明朗快活な精神も感じとれる。
 
 で、今週は『パンドラの匣』(太宰治著、文春文庫『斜陽・パンドラの匣』所収)。書名には、「太宰治映画化原作コレクション1」というシリーズの表示が添えられている。この本を、僕は中古本ショップで手に入れ、読んだことのある『斜陽』をスキップして未読の『パンドラ……』に食いついた。これも明るい。見事なほどの青春小説である。2009年に冨永昌敬監督の手で映画化され、作家川上未映子が出演したらしい。
 
 あえて言うなら、この作品は梅雨空に時折のぞく青空か。それには理由がある。1945年秋から翌46年初頭にかけて、東北地方のブロック紙「河北新報」に載った連載小説だからだ。戦争の雨雲が途切れて、ふっと現れた陽だまりのように思える。
 
 「バンドラの匣(はこ)」という言葉はギリシャ神話に由来する。プロメテウスの弟エピメテウスは妻パンドラにねだられて、開けてはいけない匣を開けてしまう。すると、人を絶望へと追いやるありとあらゆる悪しきことが飛び出してくるが、匣の隅っこに「希望」が残っていたという。これは、終戦直後の日本社会に一脈通じる。人々は絶望のどん底に突き落とされながらも、キラリと光る希望を見いだしたような心境にあったのだろう。
 
 主人公は、「『健康道場』と称する或(あ)る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子」(冒頭「作者の言葉」)。道場では「ひばり」というあだ名で呼ばれている。旧制中学を出て肺を病み、8・15の前夜に血を吐いて療養生活に入った。ただ、「六箇月で全快」と言われている。そのせいか、作品は療養所文学でありながら軽快だ。堀辰雄の『風立ちぬ』などとは違う。見えてくるのは、戦争で病んだ日本社会が健康を取り戻す回復過程だ。
 
 小説本文は、ひばりが友人に送った一連の手紙から成る。日記ではないので本心の披歴とは言い切れず、書き手の内心を読みとるおもしろさがある。返信の文面はすべて省かれているが、再返信でひばりが綴る言葉から、友人がどう反応してきたのかも想像できる。そんな仕掛けに乗せられて、僕たちは「道場」という小宇宙にずんずん引き込まれていく。つくづく、太宰は巧い作家だと思う。
 
 ひばりは友人に向けて、こんなことを書いている。「古い気取りはよそうじゃないか」「本当にもうこれからは、やたらに人を非国民あつかいにして責めつけるような気取ったものの言い方などはやめにしましょう」「新造の船は、もう既に海洋にすべり出ているのだ」――そして、手紙に幾度となく出てくるのが「あたらしい男」「新しい男」という言葉である。「戦争の苦悩を通過した新しい『女らしさ』」というフレーズもある。
 
 そう。この作品が焦点を当てるのは男と女のありようだ。だがそれは、恋愛小説のパターンではない。患者と看護師――「道場」用語で言えば「塾生」と「助手」――という職業倫理の壁に隔てられた関係を題材に、それを乗り越える熱愛を紡ぎだすのではなく、むしろ距離感を残したまま描くということを、作者はやってのけた。ここが、今日の男女共同参画の世にしっくりくる新しさを秘めている。
 
 ここで登場する主役級の女性看護師は、竹中静子「竹さん」と三浦正子「マア坊」だ。竹さんは助手のリーダー格で20代半ば。「よく気がきいて、きりきりしゃんと素早く仕事を片づける」「いつも黙って明るく微笑んで愚痴(ぐち)も言わず、つまらぬ世間話など決してしない」。いわばクールビューティー。「ちょっとよそよそしいような、孤独の気品が、塾生たちにとって何よりの魅力になっているのかも知れない」
 
 一方、マア坊は18歳。「なに? なに? と眼をぐんと大きく睜って、どんな話にでも首をつっ込んで来て、たちまち、けたたましく笑い、からだを前こごみにして、おなかをとんとん叩(たた)きながら笑い咽(むせ)んでいる」「美人ではないが、ひどく可愛い」
 
 マア坊がひばりの前で泣いたことがある。本人は理由を明かさないが、騒ぎすぎることを竹さんにたしなめられたらしい。後で竹さんはひばりに言う。関西訛りを交えて「マア坊が泣いたって?」「うち、気がもめる」。職場の摩擦のようでもあり、三角関係のようでもある。
 
 実際、ひばりは二人から好意をもたれているらしい。だが、竹さんがそれをかたちに表して昼のご飯を多めにしてくれると、内心で反発する。「ふだんあんなに利巧そうに涼しく振舞っているだけに、こんな愚行を演じた時には、なおさら目立って、きたならしくなる」
 
 ひばりはマア坊派、友人はまだ見ぬ竹さん派という構図が見えてくるが、ひばりの心情はそれほど単純ではない。塾生の一部から助手の厚化粧を糾弾する声があがり、竹さんが騒ぎを丸く収めると、感動のあまり、「ここには、尊敬するに足る女性がひとりいる」と友人に書く。竹さんは「色気無しに親愛の情を抱かせる」人であり、男女の「信頼と親愛だけの交友」は「あたらしい男だけが味い得るところの天与の美果」だというのだ。
 
 もっとも印象に残るのは、後段で道場を訪ねた友人が土産の英語辞書を竹さんに渡す場面だ。「失礼ですけど、ほうりますよ。これは、ひばりから、たのまれたんです」。赤い表紙の小さな本が宙を舞う。「竹さんは、君の清潔な贈り物を上手(じょうず)に胸に受けとめて」「『おおきに。』と、君に向って、お礼を言ったね。君が何と言ったって、竹さんは、君からの贈り物だという事を知っているのだ」
 
 球技のパス感覚で男女が親愛感情を交わすドライな関係がここにはある。小説の結末はもうちょっとウェットで、それが泣かせどころにもなっているのだが、この作品が旧道徳体制の終焉からわずか数カ月後に書かれたことを思えば致し方ない。翻って2010年代、職場には厳しい職業倫理と人権感覚が広がり、異性が共存する風景は日常のこととなっている。新しい男と新しい女の「信頼と親愛」は今こそ求められているのかもしれない。
 
写真》戦後日本に生まれた僕たちは、パンドラの匣の片隅に残された「希望」だったのか=尾関章撮影
(通算216回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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