NHKスペシャル「かくて“自由”は死せり――ある新聞と戦争への道」

(NHK、2019年8月12日放映)

写真》戦争へ(番組表は朝日新聞2019年8月12日朝刊)

 あまりに蒸し暑いので、今回は読書を休む。本を離れて、映像作品をとりあげよう。と言っても、先日のように映画ではない(当欄2019年7月26日付「新聞記者にはもう怖くて戻れない」)。終戦記念日を前に放映されたテレビドキュメンタリーだ。

 

 NHKスペシャル「かくて“自由”は死せり――ある新聞と戦争への道」(NHK、2019年8月12日初回放映)。午後10時から50分、ふだんなら眠気を催す時間帯なのにしっかりと観た。数日前のニュースで、その「ある新聞」のことを知ったからだ。

 

 NHKの公式サイトに入ると、そのニュースを読める。2019年8月9日付の記事「戦前最大の右派新聞/約10年分見つかる」。冒頭の一文を引用しよう。「昭和初期に発行され、戦前、最大の右派メディアとも呼ばれた日刊紙、『日本新聞』の紙面、およそ10年間分がほぼ完全な形で残されていたことが分かりました」。厳密に言えば、その発行期間は1925(大正14)年から35(昭和10)年にかけてだという。

 

 ニュースを聴いて「えっ、そんな新聞があったかな?」と僕は思った。大昔に「日本」を名乗る新聞があったようには思う。だが、昭和ヒトケタのきな臭い時代に「日本」を冠した「戦前最大の右派新聞」があったという知識は、もち合わせていなかった。

 

 そこでウィキペディアを開くと、放映翌日8月13日には「日本(新聞)」と題する項の冒頭に「『日本』(にっぽん)は、1889年(明治22年)2月11日から、1914年(大正3年)12月31日まであった日刊新聞」とあった。ところが今は「その後、1925年に小川平吉の手により『日本新聞』として再創刊」と補足されている。NHK報道の影響か。(13日時点でも、後段では小川たちの「日本新聞」存続活動に言及していた)

 

 NHKの記事を読み進むと、再創刊後の「日本新聞」の知名度がいま一つの理由がわかってくる。部数は約1万6000。これは、当時としても多くない。ただ、「政官財に幅広い読者を持ち、戦前最大の右派メディアとして右派思想を広めたとされていました」とある。ちなみに朝日新聞社公式サイトの「沿革」欄には、朝日新聞の部数が1924年、創業地の大阪本社発行分だけで100万を超えたことが記録されている。

 

 実際、このNHKスペシャルを観てみると、日本新聞がマスメディアとして世論を動かしたようには思えない。むしろ少部数で先鋭な新聞の発行元が、大正デモクラシーや日本版リベラリズムの一掃で陰の仕掛け人のような役割を果たしていたことがわかる。

 

 このドキュメンタリーは、日本新聞の論調を跡づけている。そこには、右派論客の声が集約されていた。前述ウィキペディアにある「小川平吉」は、その牽引車となった政治家だ。意外なことに、リベラル派で知られる宮沢喜一元首相の祖父である。小川たちの言説は、1930年のロンドン海軍軍縮条約に対する反発、31年の満州事変や32年の五・一五事件に対する共感、35年に極まった天皇機関説に対する指弾を強める効果があった。

 

 だが、そのことよりも「怖いな」と思うのは、この新聞の周辺部にいた一人の人物の軌跡だ。NHKは今回、彼の名前や写真を開示したが、ここではあえて名を伏せよう。おそらく、彼と似たような体験をした人は全国津々浦々にいただろうと思うからだ。

 

 その青年は、長野県南部で小学校の音楽教師をしていた。大正デモクラシーの盛りあがりは、山あいの学び舎にもリベラリズムの風を届ける。彼は、音楽を通して自由な精神を教え子と分かちあおうとした。自腹を切ってピアノを買い、それを教室に置いて子どもたちにも弾かせていたらしい。このドキュメンタリーでは、芸術教育にかける思いがどれほど熱かったかが本人の肉声によって語られる。戦後になってから録音されたものらしい。

 

 ところが昭和に入ってまもなく、その前途にかげりが見えてくる。1929年に米国を襲った恐慌は日本にも及ぶ。長野県では、養蚕が打撃を受けた。芸術教育などしている場合ではない、という空気が強まる。こうして、彼は32年に小学校教師を辞めるのだ。

 

 皮肉なのは、ピアノの調べと入れ代わりに彼の心に棲みついたのが国粋主義だったことだ。日本新聞の幹部が全国を歩いて地域社会を担う若者たちに声をかけ、世に広まるリベラリズムを追い払っていたらしい。彼も、日本新聞の論調に感化されていく。このドキュメンタリーでは、かつて小学校の記念写真で子どもたちに囲まれていた青年がいつのまにか右派活動家の集合写真に収まっている現実を見せつけられる。その落差が怖い。

 

 昭和ヒトケタの変転は、僕のような戦後生まれ世代にはこの50年の移ろいと重なって見える。50年前は保守本流に宮沢元首相のようなリベラル派がいた。だが今は、ごくふつうに「リベラル=左」と言われる。座標のゼロ点が右に振れたのは戦前と同じだ。

 

 ただ、戦前と今とでは、どこかが違う。戦前の右派思想は、デモクラシーやリベラリズムを排除した後の目標を明確に思い描いていた。天皇制の国家秩序が整った社会が、それだ。そこでは自由が大きく規制される。目標実現のためならば、テロも容認した。自国民や近隣民族の諸権利を軽んじ、議会制民主主義を敵視した。人間観や世界観が一つに凝り固まっていたように見える。とても怖いが、わかりやすい運動体ではあった。

 

 その思想に対して日本新聞が担った役割は、部数1.6万の範囲内に限られていた。NHKの記事から推察すると、影響を与えたのは主に政界、官界、財界の指導層だったのだろう。裏を返せば、この新聞の存在意義は、右派論調を整理して指導層の内部で共有することにあったのではないか。その結果、指導層が右へ傾き、マスメディアがそれに靡いて、政権は軍国主義へ突き進んだのだろう。そこには、トップダウンの構図が見てとれる。

 

 では、今はどうか。右派論壇はとらえどころがない。トップダウンの統制が感じられないのだ。政権与党は右派主導だが、個々の政治家が思想本位で行動しているようには見えない。右寄りとされる新聞や雑誌も左派批判ばかりが目立ち、思想の発信母体としての存在感は乏しい。ネット右翼、即ちネトウヨには勢いがあるが、これも左派を標的とした炎上の連発にとどまっているように思う。右派の大勢は「反左派」の域を出ていないのではないか。

 

 思想の混乱もある。昨今、右派の論調は市場経済重視の新自由主義を後ろ盾に自己責任論を展開することが多い。リベラル派の弱者擁護論に与しないからだろう。ここで見落とされているのは、新自由主義は自己決定権の尊重という一点で左派のリベラリズムにも通じていることだ(当欄2018年11月23日付「朝日を嫌うリベラル新潮流」参照)。右派思想が今も「自由」を嫌うのなら、新自由主義とは手を切らなくてはならない。

 

 今回のNHKスペシャルは、戦前の先行世代が体験した「自由」の死を見せつけた。だが、「自由」の死に方はそれ一つではない。「自由」なネット発信が感情過多の炎上現象を呼び起こし、確かな思想もなしに他者の「自由」を封殺する。そんな怖さが今はある。

(執筆撮影・尾関章、通算485回、2019年8月16日公開、同月19日画像更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

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『9・11――アメリカに報復する資格はない!』

(ノーム・チョムスキー著、山崎淳訳、文春文庫)

写真》グラウンド・ゼロ探訪

 「・11」という字面で僕たちがまず思い浮かべるのは、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故だ。2011年春のことである。あの日、世界観が変わったのは間違いない。自然界には1000年に1度しか起こらない災厄があること、自分たちの世代がたまたまその瞬間に居合わせたこと、よりにもよって直撃を受けたその場所に人類が手にしてまもない巨大技術の拠点があったこと――これは間違いなく、史的事件と言ってよいだろう。

 

 ただ、目を海外に転じれば、もう一つ忘れてはならない「・11」がある。2001年9月11日、米国で起こって世界を震撼させた同時多発テロだ。こちらは自然現象に起因しない。科学技術と直接関係があるわけでもない。理系色は皆無で、国際政治の文脈に位置づけられる。だが、史上例を見ない惨事だったのは3・11と同じだ。ちょうど10年を隔て、ぴったり半年ずれた月日に史的事件が相次ぐとは……。不気味な符合ではある。

 

 で今週は、世紀初頭の衝撃9・11について。このテロは、航空機の突入で瓦解した世界貿易センタービルに少なからぬ邦人がいたのだから、日本社会と無縁ではない。ただ、背景に目を向けると、遠い世界の出来事にも感じられる。米ソ対立の構造が崩れたこと、それにともなって地域紛争の火があちこちで噴きだしたこと、とりわけ中東は火種に事欠かず、そこに反米感情を生む培地があったこと。そんな国際情勢の辺縁に僕たちはいた。

 

 日本では戦後、外交・安全保障問題がもっぱら冷戦の図式で論じられてきた。理由は、敗戦国として戦勝超大国の傘に入り、東西対立の見本のような朝鮮戦争やベトナム戦争を間近に見てきたからなのだろう。その結果、国際社会の読み解き方がやせ細ってしまったとは言えないか。だから、9・11が対岸の火事のように見えてしまった。そして、米国政府が世論を味方につけてとった過剰な対応も、批判意識なく見過ごしてしまった。

 

 後になって気づかされたことはある。新聞読書面の書評委員をしていて『マドンナ――永遠の偶像(アイコン)』という本をとりあげたときのことだ。米国の人気歌手マドンナは、ツアーの舞台で「『暴力は暴力を生むだけよ』と訴え、『U―S―A!』と叫ぶ聴衆を『もちろん、USAは大事よ――でも、全世界に目を向けてみて』とたしなめた」(朝日新聞2008年7月27日朝刊拙稿)という。米国内にも冷静な人はいたのである。

 

 マドンナの言葉から汲みとるべきは、二つのことだ。一つは、暴力に対して暴力で報復すればまた暴力が返ってくるかもしれない、だからその連鎖を断つべきだ、ということ。もう一つは、反暴力の訴えを安易にナショナリズムに結びつけるな、ということだ。

 

 手にとった1冊は『9・11――アメリカに報復する資格はない!』(ノーム・チョムスキー著、山崎淳訳、文春文庫)。著者は1928年、米国生まれの言語学者。さまざまな言語には普遍の文法があって、それは人間が生まれながらに具えているものとする生得説を唱えた。ただ、この人を1分野の専門家とみてはいけない。米国きっての反体制思想家として論陣を張ってきた。本書は、原著も邦訳も2001年刊、この文庫版は02年刊。

 

 発刊年からもわかるように、刊行は文字通り9・11同時多発テロを受けての緊急出版だった。グレッグ・ルジェロという人が書いた巻頭の「編者ノート」によると、この本はテロ直後、世界各地のメディア、ジャーナリストが著者から聞いた話をまとめあげたインタビュー集。インタビューとはいえ「おおむねEメールを通じて行われた」とあるので今日的。編集期限が10月5日だったというから、地球規模で超早業を成し遂げたことになる。

 

 そんな事情があるから、本としては読みにくいことこのうえない。話題が次々に飛んでいく。同じような話が繰り返し出てくる。こうした難点は、著者の主張を一刻も早く伝えるために整理・構成の工程を節減したのだろうと斟酌すれば納得できる。さらに言えば、読みにくさの一因はこちらの予備知識が足りないことにもある。僕たちは、米国について知らなすぎる。そのことに気づかされただけでも、この本には一読の価値があった。

 

 以下、本文に入って読みどころを切りだすつもりだが、当該の発言がどのメディア、どの聞き手に対してなされたかは表記しない。一つには、複数のインタビューをまとめた章があること、もう一つは、複数のインタビューで同じ趣旨のことが語られているからだ。

 

 えっと思わされるのは、著者が米国は「テロ国家の親玉」と言って憚らないことだ。僕たちは、米政権が国際社会の脅威とみなす国々を「ならずもの国家」と呼ぶのをしばしば耳にしてきた。その「ならずもの」を封じるために度を越えた手段をとっていると批判するのなら、うなずける。だが、まったく逆に米国を「テロ国家」と決めつけるのはどうだろうか。僕のように「米帝国主義」というレッテルになじんだ世代にも、ピンとは来ない。

 

 著者が「最も明白」な例として挙げるのは、米政権がかつて中米ニカラグアでとった行動だ。「一九八〇年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され、回復することはもうないかもしれない」と述べている。あのころの中南米では、冷戦構造を背景に反米、親米両勢力のごたごたが相次いだ。だが、この一件の詳細な報道は、日本のメディアではほとんど見かけなかったように思う。

 

 当時、ニカラグア政府が反米色を強めたため、米政権は反政府勢力に肩入れしたのである。反政府勢力は「軟らかな標的」、すなわち非軍事施設を攻撃したが、それを遂行できたのは「完全な制空権」や「高性能通信機器」など米国の寄与があったからこそだという。

 

 このとき、ニカラグア政府がとった対抗手段は「ワシントンで爆弾を破裂させること」ではなかった。代わりに選択したのは、国際司法裁判所への提訴。司法裁は「米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うよう命じた」が、米国は応じなかった。国連安全保障理事会にももちこまれて国際法遵守の決議が議論されたが、米国は拒否権を行使した。これで「テロ国家」と呼べるかどうかは微妙だが、国際社会のしくみを軽んじているのは間違いない。

 

 著者は、9・11直後盛んに言われた「文明の衝突」論にも異議を唱える。このテロを欧米の価値観対イスラム文明の対立構図でとらえる見方へのノーである。引きあいに出されるのは、米国がイスラム国家群と手を結んできたこと。インドネシアでは1960年代半ば、軍部が貧農層に暴虐を加えるのを手助けしたと指摘する。サウジアラビアも「イスラム原理主義国家」とみなされているが、「米国の顧客国家(クライアント)」でもあるという。

 

 実は9・11の根っこも米国とイスラム国家との連携にある、と著者はみている。米国は1980年代、「アフガニスタンにいたソ連に最大限の被害を与える」ねらいで「見つけられる限りの最も過激なイスラム原理主義者を募り、武器を与え、訓練を施した」。このときに協力したのがパキスタンの情報機関であり、力を貸してくれた国のなかにはサウジアラビアが含まれるという。ここに、イスラム対欧米あるいは西側陣営の構図はない。

 

 米国には、一つの宗教を応援して別の宗教と敵対するという節操があるわけではないようだ。1980年代に「米国の主要な敵はカトリック教会だった」と著者が指摘していることは興味深い。中南米の教会で「貧者の優遇権」を主張する動きが強まっていたためらしい。「西側は敵の選び方において極めて普遍的、世界的」「判定基準は、服従しているか否かであり、権力へ奉仕しているか否かであって、宗教の如何ではない」。なるほど。

 

 この本を読んでも、テロに対する特効薬は得られない。ただ9・11直後、米国内に沸きあがった「『U・S・A』の大合唱」(訳者「文庫版のためのあとがき」の引用)は的外れだったと気づかされる。テロの犠牲となってきたのは、第三世界の人々も同様だからだ。

 

 チョムスキーは、一つの言語に囚われない言語学者だ。そして、一つの視点に囚われない思想家でもある。座標を換えて物事を見直す賢明さがあれば、大合唱の愚は犯さない。

(執筆撮影・尾関章、通算437回、2018年9月7日公開)

 

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『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳、東京創元社)

写真》反戦、市民の人(朝日新聞2018年6月8日朝刊)

 変換まちがいの笑い話にはもう飽き飽きかもしれないが、今度ばかりはちょっとあきれた。パソコンで知人にメールを書いていて、キーボードに「べへいれん」と打ち込んだら「べ兵連」と出たのだ。うっかり見過ごすところだった。送信ボタンのクリック直前に気づいて恥をかかずに済んだのだが、そのことを先方に打ち明けると、自分が試みても同様だったという返信が届いた。「ベトナムに兵士を市民連合ですか」。そんな皮肉も添えてあった。

 

 「ベ兵連」世代のためにあえて補足すれば、僕が「べへいれん」と打って出したかった文字は「ベ平連」である。正式名称を「ベトナムに平和を!市民連合」という。1960年代の日本社会に草の根の反戦運動を巻き起こした市民グループだ。当時の学生運動は、マルクス主義を掲げる新左翼諸派を中心に過激化の傾向にあった。そんななかでイデオロギーに縛られず、静かな抗議デモを繰り広げた運動体――それがベ平連だ。

 

 あのころ、ベ平連は反抗する若者世代の中心にはいなかった。「所詮、小市民(プチブル)」と、冷ややかに見られたりもした。だが、その後の政治運動史をたどると、むしろ先を見通していたことがわかる。一つには、ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊してマルクス主義が色褪せたことだ。もう一つ、地球環境保護や難民支援などの活動領域で国際NGO(非政府組織)の発言力が強まったことがある。後者の行動様式は、ベ平連のそれと響きあう。

 

 ベ平連も国際NGOも、個人と組織を秤にかけたときに前者を重んじる。勝手に入って勝手に出ていける集団、中にいて自由にものが言える集団……。実はこれこそが、僕が前述メールで「ベ平連」をもちだした理由だった。とある趣味の会について、主義主張をひと色に染めようとする傾向はなく、ひとときの楽しみを分かちあう集まりに過ぎないという性格のたとえに用いたのである。相手が同世代だからこそ通じる比喩だった。

 

 驚いたことに、このメールのやりとりの数日後、「ベ平連」の3文字を新聞で見かけることになった。社会学者日高六郎さんの訃報だ。101歳。死去翌日の紙面では「ベトナム反戦運動や水俣病問題など幅広い分野に取り組み、戦後の市民運動をリードしてきた」と、足どりが素描されている(朝日新聞2018年6月8日朝刊)。ベ平連の活動として「脱走米兵を自宅にかくまった」とも。そう言えばそんなニュースもあったな、と思いだす。

 

 ベ平連を代表する人物と言えば、評論家の小田実さんがまず思い浮かぶ。参加者にはテレビで馴染みの文化人たちもいて、日高さんは地味な存在だった。だが実は、反戦の志を貫く青年のために自らの住まいまで提供していたのだ。筋金入りの運動家だったと言えよう。

 

 で、今週の1冊は『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳、現代社会科学叢書、東京創元社)。著者(1900〜1980)はドイツ生まれ、後年、ナチスの台頭から逃れるように米国へ渡った社会科学者。大学では社会学、心理学を学んだが、その後、精神分析学に踏み込んだ。カバー袖の著者紹介によると「精神分析的方法を社会現象に適用する新フロイト主義の立場」を貫いて「社会心理学界に重要な位置を占めた」とある。

 

 この本の原著は、1941年に米国で出た。欧州史をさかのぼって「自由」について考察しているが、圧巻は後段で展開されるナチズム批判だ。著者は、母国のナチス支配を事後ではなく現在進行形で受けとめながら、それを大西洋の対岸で分析したことになる。この邦訳の初版は1951年。日高さんは戦後いちはやく、フロム論考の意義に気づいたということだ。マルクス主義に大きく傾いた戦後論壇に距離を置く着眼だったと言えよう。

 

 僕が学生生活を送っていた1970年ごろ、この本は文系の講義で必読書と言われたりしたが、それを薦めた教師も左翼系ではなかったように思う。不思議に感じたのは、書名がなぜ「自由への闘争」でないのかということだった。闘うのではなく、逃げる? あの時代にこのトウソウ違いは大きかった。どうせ中身は微温的なのだろう。そう思い込んで、この本を完読しなかったことを白状する。その反省から、今回はきちんと読んでみた。

 

 この本の前段で興味を惹くのは、「宗教改革時代の自由」と題する章だ。僕たちは欧州の中世に教会の重圧を見るあまり、それと真逆なものとして宗教改革をとらえる。だが、著者は「ルッターはひとびとを教会の権威から解放したが、一方では、ひとびとをさらに専制的な権威に服従させた。すなわち神にである」と書く。ここで、ルッターはマルティン・ルター。信仰の主舞台から教会が退いた分、個人はいっそう自由を奪われたというのだ。

 

 宗教改革のもう一人の立役者、ジャン・カルヴァンも批判される。著者が引きあいにだすのは、その「予定説」だ。人間はあらかじめ2種類に分けられるという考え方。「カルヴィニストはまったく素朴に、自分たちは選ばれたものであり、他のものはすべて神によって罰に決定された人間であると考えた」。選民意識と言ってよい。このくだりには「予定説はもっともいきいきとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活した」との指摘がある。

 

 そして同じ章に、こんな記述も。「ルッターの神学は、教会の権威に反抗し、新しい有産階級に憤りを感じ、資本主義の勃興によって脅威にさらされ、無力感と個人の無意味感とに打ちひしがれた、中産階級の感情をあらわしていた」。同じ脱中世の潮流でも、ルネサンスが「自己の経済的地位によって、力と独立の感情をもつようになった社会層」を代弁していたのとは異なる。宗教改革は、それよりも下の階層の鬱憤が原動力となったのだ。

 

 本の後段では、この視点から宗教改革とナチス台頭の相似が論じられる。著者は、前者で中産階級の富裕層に対する「羨望」が「道徳的公憤」を装って現れ、それが「破壊性」を帯びた「敵意」を生みだしたのを改めて強調したあと、同様の構図を後者にもみてとる。「下層中産階級の破壊性が、ナチズムを勃興させる重要な要因となった。ナチズムはこれらの破壊的追求に訴えて、それを敵にたいする戦いに利用した」と断ずるのである。

 

 では、この社会心理を育んだ背景は何か。この本には、フロイトに強く影響された心理学者の著作らしく、サディズムやマゾヒズムに対する深い考察がある。要約すれば、サドの「支配し苦しめようとする願望」も、マゾの「依存し苦しもうとする願望」も「孤独にたえられない」状況から逃れて他者との「一体化」を求める心理の表れであり、それは権威による支配と服従の関係に通じるという。ナチズムはここにつけ入った、と著者はみる。

 

 ここで、近代の自由が曲者となる。目を見開かされるのは次の一文。「プロテスタンティズムからカント哲学までの近代思想の発展は、外的権威のかわりに内的権威をおきかえる過程として特徴づけることもできよう」。ここで真っ先に挙がる「内的権威」が「良心」である。ただ、良心がもたらす秩序は「倫理的規範の威厳をよそおった社会的要求によって左右されやすい」と釘を刺す。自由になったように見えて実は自由でないという逆説。

 

 そして著者は、さらなる権威の置き換わりにも言及する。最近は「あらわな権威のかわりに、匿名の権威が支配する」というのだ。例示されたなかに「科学」や「世論」がある。科学と聞くと無批判に信じ、世論の流れにたやすく靡く――僕たちにありがちなことだ。

 

 「個人が自動機械となった」のひと言も衝撃的。近代は個人主義を育んだはずなのに、そこにある自己は「他人の期待の反映」に過ぎず、同一性(アイデンティティー)が失われている。「かれは順応することを強いられ、他人によってたえず認められ、承認されることによって、自己の同一性を求めようとする」「安定をあたえ、疑いから救ってくれるような新しい権威に、たやすく従属しようとしている」。これこそが、ナチズムの温床だった。

 

 この本は、ナチズムの本質を突いた本なのに、僕はいつのまにかポピュリズム批判の書ではないかという錯覚に陥った。自由な社会を生きていけるはずなのに、それをみすみす手放し、ネット世論に縛られようとしている同時代人の姿が、そこここで重なって見える。

 

 フロムは、そして日高さんは、1970年前後より2010年代にこそ必読の人だ。

(執筆撮影・尾関章、通算430回、2018720日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『原発ホワイトアウト』(若杉冽著、講談社文庫)

写真》官界激震

 正直に打ち明けると、僕は官僚が嫌いだ。官僚の人が嫌いなのではない。良い人はたくさんいる。ただ、官僚が官僚として官僚らしく振る舞うさまが好きになれないということだ。新聞記者時代、幸いなことに官公庁担当をほとんど経験しなかった。だから、食わず嫌いで言っているのかもしれない。ただ、それでもたまには官公庁を取材したことがあるので、その記憶を呼び返すと、ああ、ああいうところがイヤだったのだな、と改めて気づく。

 

 唐突かもしれないが、まず思いあたるのが庁舎内の売店だ。30年ほど前、僕がときどき訪れる中央官庁は古いビルにあり、薄暗い一角――地階だったと思う――では職員向けに雑貨品が売られていた。それが、なんともみすぼらしかったのだ。中学生時代、校内にあった購買部そっくり。質素なのは悪いことではない。贅沢よりはよっぽどマシだ。だが、役所全体が放つエリート臭と引き比べると、どこか嘘っぽく感じられたのである。

 

 霞が関の官庁街も建て替えが進んだので、こんな一角はもうないだろう。それに代わってコンビニが出店しているかもしれない。ただ官界には、あの地階の売店と同じ違和感が今もある。官僚たちの見かけだけの低姿勢にも、同様の嘘っぽさが拭えない。

 

 公的な場で見せる腰の低さ。口を開けば、へりくだって「……してございます」を連発する。働きぶりを見ても、正規の勤務時間をとうに過ぎて深夜まで職場の蛍光灯が消えないのだから、文字通り、公の僕だ。それなのに世間はエリートと呼ぶ。本人たちも、それを強くは否定していないように見える。ただ、エリートには「選ばれし者」の意がある。官僚は選挙で地位を得たわけではないのだから、そもそもこの呼ばれ方が嘘っぽい。

 

 ではなぜ、エリート視されるのか。それはなによりも、官僚集団の上層部が国家公務員擬錙文宗α躪膺Α忙邯海旅膤兵圓任△蝓△修梁燭が最高学府を卒業しているからだろう。狭き門をくぐり抜けてきたという意味では、たしかに「選ばれし者」に違いない。

 

 かつては、そういう学業競争の勝ち残りがその力を存分に発揮した。自負心をもって、国のかたちをデザインしていたのだ。戦前の革新官僚がそう。高度成長期の日本列島改造論も、官僚が絵を描いた。その誇りが今や風前の灯火だ。最近、霞が関を揺るがす不祥事の多くは、政官の力関係で官の立場が著しく弱められたことを物語っている。エリートがエリートの面目を潰された。それ自体は悪いことではないが、歪みばかりが際だって見える。

 

 で、今週の1冊は『原発ホワイトアウト』(若杉冽著、講談社文庫)。2013年に講談社から単行本が出て、15年に文庫化された。刊行年からみて、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故を受けたものだとわかる。ただ、この本はあくまでも小説だ。

 

 文庫カバーに「総括原価方式が生み続ける超過利潤(レント)で、多くの政治家を抱き込み、財界を手懐(てなず)け、マスコミを操作し、意にそわない知事を陥(おとしい)れるほどの強権を持つ関東電力」とある。電力会社の社名はもちろん、微妙なところに立ち入る記述では県名や原発名、政党名などの固有名詞を架空のものにして虚実をだぶらせた作品。国内原発の再稼働に向けてうごめく政界、官界、電力業界の動きを描いている。

 

 近所の書店でこの本を見つけたとき、僕は原発を取り巻く状況をもっと知りたい、という思いから手にとった。元同僚の原子力記者は、原発問題の根っこには電力事業のからくりがある、といつも言っていた。その中心にあるのが「総括原価方式」。経費を積みあげて、報酬も上乗せして料金を決める。地域独占体制だからこそ、それが通用する。利潤が「超過」するのも自然の流れだ。では、その儲けの行き場はどこか。これが関心事ではあった。

 

 だが読みはじめて気づいたのは、この本が官僚を知る一助にもなるということだった。それも当然。著者が高級官僚だからだ。略歴欄には「東京大学法学部卒業。国家公務員擬鏤邯街膤福8什漾霞が関の省庁に勤務」とある。霞が関のど真ん中にいること以外は伏せた覆面作家。あっけにとられるのは、省庁名は隠しても東大法学部卒だけは明示していることだ。官界は、それほどまでに学歴、というよりも東大歴がものを言う世界なのだろう。

 

 中にいる人でなければわからないなあ、という描写はそこここに出てくる。たとえば「中央官庁の勤務は激務」「課長補佐以下の若手は、繁忙期は、徹夜で職場に泊まり込むのも恒例行事」と書いて、こう続ける。「このとき、審議官の部屋も活用される。審議官が退庁したあと、若手が打ち合わせで利用したり、泊まり込みのときはソファで寝たり、そんな使われ方が当たり前のようになっている」。こんな実態は、ニュースには出てこない。

 

 だから当欄では小説の筋は追わず、官僚の生態に焦点をあてて読んでいこう。

 

 東大については本文でこんな記述に出あう。「最高学府とは東京大学のことをいうのではない。東京大学法学部のことをいうのだ」。東大法学部卒の経済産業省官僚が、電力業界にいる東大経済学部出身の知人を内心どう見下しているかを述べたくだりだ。その男が反原発議員の学歴を云々するのを聞いて「わかっていない」と感じる。「東大法学部と経済学部との偏差値の差も、経産省のキャリア官僚と電力会社社員との社会的立場の差も」

 

 これは、苦笑と微笑を禁じ得ないくだりだ。最高学府に対する高ビーな定義は、あくまで作中人物の思念として書かれている。これをもって、著者の認識とみてはいけない。実際、この作品はフクシマ――架空性をもたせるためか片仮名表記となっている――事故後の原発再稼働をめざす政官産体制を批判的にとらえているので、ここでは官界の学歴依存体質を皮肉ったのだろう。ただ著者の経歴に照らすと、自虐ネタなのかなとも思えてくる。

 

 一つ言えるのは、我こそは正真正銘の最高学府出身者と自任しかねない官僚の危うさを著者が自覚していることだろう。官僚たちは頭がよい。だから、こうして自分を突き放して見つめられる。官界再生のカギがあるとすれば、この自己客体化をおいてほかにない。

 

 この作品を官僚批判の視点でみると、ルールとの向きあい方に目がいく。官僚は、やたらにルールを整えたがる。法令の条文を練り、指針や内規の類いを文章化することに長けている。だが、その一方で「ルールというのは、いくらでも穴がある」と見抜いてもいる。

 

 たとえば、原子力規制委員会の委員や原子力規制庁の職員には「『被規制者等との面談』は公開される」という決まりがある。ところがこの作品では、資源エネルギー庁高官が経済産業省同期の規制庁幹部に電話をかけて、再稼働の見通しについて探りを入れる。「被規制者でもないし、電話は面談でもない」という理屈だ。たしかにエネ庁は原子力の事業者ではない。だが、「推進官庁」だ。非公式情報が被規制者に暗に伝わらないとも限らない。

 

 穴頼みはルールに対してだけではない。政策づくりでも同様だ。このエネ庁高官は、政府が電力事業の「改革」を進めたように見せながら、「細かい穴がいくつもあって、実際には競争は進展しない状態」をめざそうと思案する。官僚が競争の枠組みを「さじ加減」して電気料金の下げ幅を1割ほどに抑えられれば、外国との価格差が残っても「『日本は島国だから』とか何とか言って理由は付けられる」。賢さが、ずる賢さと同義に見える。

 

 この小説では、原子力規制庁の中堅官僚が官産癒着の証拠を再生可能エネルギー関連の財団研究員にリークするという筋書きがある。これが新聞記事になった。だが、この官僚も高邁な志から内部告発したとは言えない。彼は経産省から原子力規制庁への出向組で、省内の出世競争で「大臣官房、内局や外局に続く、第三集団に位置づけられた」と感じていた。一発逆転には「大人しくしているだけ」ではダメ。そんな思惑が引きがねを引いたのだ。

 

 読み終えると、僕の官僚嫌いはますます強まった。同時に、今の日本社会では官僚でない人まで官僚らしくなっていることに気づく。なにごとも思惑ばかりが先行する。やたらに決まりをつくっては穴を探す。僕たちも、そんな落とし穴に陥っていないだろうか。

(執筆撮影・尾関章、通算425回、2018年6月15日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎著、朝日新書)

写真》草の根

 こうして週に1度、折々の話題を取り込んでブログを書いていると、ジャーナリズムの弱みを改めて感じることがままある。たとえば、今春の当欄ではオーストリアの大統領選でリベラル系候補が勝利した話を書いた(2017年3月17日付「欧州揺らぐときのハプスブルク考」)。ところが10月の国民議会選挙では一転、移民難民に厳しい政策をとる中道右派が第1党になった。ジャーナリズムはどうしても一瞬の風景にとらわれてしまう。

 

 だから、記者にとって自分の過去記事を読むのはつらい。記述に間違いがなくても、今となってはピンと来ないことがある。先が読めていなかったのだと言われれば、反論のしようがない。ただ、だからといって切り抜きをポイ捨てできないのもまた事実だ。人はあるとき、あるところでしか生きられない。そもそもジャーナリズムの語源は「日々の」というラテン語にあるのだから、「あるとき、あるところ」の視点は宿命と言ってもよいだろう。

 

 こう考えてみると、過去記事にはそれなりの存在理由がある。僕たちは、過去を現在の視点から振り返り、今の自分に都合よく改変しがちだ。だが、記事をたよりにその時点に立ち戻れば、ウソがつけなくなる。ジャーナリスティックな文章の意義は、そこにある。

 

 近過去で言えば、人々の心にとりわけ強く印象に残るのは2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発の大事故だ。3・11からしばらく、日本社会では旧来の価値観が大きく揺らいだ。それは、科学技術の分野で原子力の安全神話が崩れたということにとどまらない。世の中のありようそのものに疑問符がついて、心ある同時代人は「自分たちはこれまで、いったい何をしてきたのか」と自問したのである。

 

 あのとき、僕の心をよぎった思いを呼び返してみよう。大都市では大量消費が口を開けている。田舎町には巨大施設が並び、都市圏の消費生活を支える電力を生みだしてきた。それは、原子核という自然界の安定基盤をたたき割る作業で得られるものだった。この電力需給システムが脆くも崩壊して、災厄を招いた。しかも、それによって平穏な生活を奪われたのは、もっぱら田舎町の側だった――この大都市優先の構図に疑念が生じたのである。

 

 あれほど強烈な過去が、たった6年でもうすでに風化してはいないだろうか。原発の再稼働に反対していても、自分の暮らしを見直そうという気持ちをもち続けている人はそんなに多くない。2020年東京五輪パラリンピックで一極集中がさらに進みそうだと辛口の批評をすると、空気の読めないやつだと冷笑されかねない。あのときの自問は、どこへ消えたのか。過去をその時点に立ち返ってとらえることが今こそ必要だと思えてくる。

 

 で今週は、『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎著、朝日新書)。著者が朝日新聞「論壇時評」欄に執筆した連載にもとづく。収録されたのは、2011年4月から2015年3月までの掲載分。加筆したとあるが、1回読み切りのスタイルはそのままだ。

 

 著者は、もちろん今をときめく人気作家。略歴欄に「1951年生まれ」とあるのをみて、そうか、僕と同年生まれだったのかと驚いた。この本では「学生の頃、まったく授業に出なかった」「20歳だった頃、ぼくは、ある大手自動車工場の季節労働者として働いていた」といった昔話が出てきて、さらにデモ現場での逮捕歴に触れた箇所もある。1970年代初頭、時代の空気を思いきり吸って突っ張っていたカッコいい同世代の姿がそこにはある。

 

 僕が励まされたのは、「あとがき」で著者が時評執筆を引き受けるまでの内心の軌跡を披歴しているのを読んだときだ。「読者のことを考えるとき、目の前の読者、いま読んでくれている読者だけではなく、いつか読んでくれるかもしれない読者のことを考えるようになった」「未来の読者から、『あなたが生きていたその世界ではなにがあったのですか?』と訊(たず)ねられたら、『こんなことがあったんだよ』と答えたいと思った」とある。

 

 これこそが、ジャーナリズムにとって宿命の「あるとき、あるところ」という限定された視点がむしろ強みとなって現れる回路ではないか。当欄が読書ブログにもかかわらず、週ごとに直近の世情をなるべく切りとろうとしているのも、まったく同じ思いからだ。

 

 中身に入ろう。冒頭の1編は2011年4月28日付なので、東日本大震災と福島第一原発事故の混乱のさなかに掲載された。「3月11日以降、この国のあらゆる場所が『論壇』になった」として、いわゆる論壇の外部から「目が醒(さ)める」ような発信を拾いあげる。それが、「城南信用金庫の『脱原発宣言』」だ。ユーチューブにある理事長の言葉を紹介しながら、「そこに、わたしは『新しい公共性』への道を見たいと思った」と書く。

 

 実は僕もあのころ、論壇外の「論壇」に目を見開かされた。城南信金は地域の金融機関だが、もっとローカルな商店街でも同様なことが起こっていたのだ。僕お気に入りの昔ながらの理髪店。そのホームページをのぞいたら、店主が反原発を呼びかけていた。著者の言葉を借りれば「『原発』のような『政治』的問題は、遠くで、誰かが決定するもの」という「思いこみ」を破る言論が3・11からしばらく、列島のあちこちに花開いていたのである。

 

 2011年5月26日付も原発が主テーマ。ここでは、関曠野(「現代思想」2011年5月号)と中沢新一(「すばる」2011年6月号)の論考を読み解いている。著者によれば、前者は原子力が「ニュートン物理学の枠外」にあって「日常の感覚では理解できない」ことが人々を不安にさせる、とみていた。一方、後者には「原子力発電は、他のエネルギー利用とは本質的に異なり、我々の生態系の安定を破壊する」との見立てがあったという。

 

 両論考は、僕が日ごろ物理学史を踏まえて論じていることと響きあう。――水力発電は重力のおかげだ。火力発電はどうか。燃焼は化学反応であり、電子がかかわっているので結局は電磁力に帰する。重力も電磁力も、人間が馴染んだものだ。ところが、原発はこれらと別の力で束ねられた原子核を壊してエネルギーを得る。その力は人類にとって長く未知の存在であり、20世紀も1934年になって湯川秀樹が理論によって導いたものだった。

 

 この2回の時評からわかるのは、3・11直後には真の意味での論壇が広く、深く展開されたことである。一方では、メディアとは縁遠いところにいた人々が壇上にあがって発言した。もう一方では、文系の論客がふだんなら理系マターとして片づけられがちなテーマに分け入って文明論の視点から批判を加えた。これこそが、「ぼくらの民主主義」だったと言えないだろうか。2017年の今、その熱気が残っているようには思えない。

 

 ただ著者は、3・11直後の気分にのみ込まれていたわけではない。当時の閣僚が、原発事故で住民がいなくなった地域を「死の町」にたとえて責められた一件では、自身も同じ言葉を口にしたことを告白して「あんな程度で辞任させられるわけ?」と問う。ここでは、東京新聞が2011年9月20日付の社説で「言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうようでは自殺行為ではないか」と自戒したことを引いている。

 

 ちょっと気になったのは、僕たちの世代特有の記憶が著者にも染みついているように見える箇所だ。それは、大震災を「増幅」したものは国の構造に潜む欠陥だったと論じた後、「『お上』には、この問題を解決する能力がないのではないかと疑ってもいる」と述べたくだり。この「お上」という2文字に僕は引っかかった。1970年前後、反体制の文化人がよく用いた表現だ。懐かしくはあるが、国イコール「お上」の誤解を招きかねない。

 

 「お上」ではない政権を設計して、それを樹立するのが民主主義ではないだろうか。

 

 著者は、若手論客の古市憲寿が著した『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)という本をとりあげて、そこにある「『戦争を知らなくていい』という結論」に共感を示す。僕も、まったく同感だ。民主主義は、1945年直後の厭戦感情や1970年前後の反体制運動だけに存するわけではない。そのことに気づいたとき、それは「ぼくら」のものになる。3・11で草の根に広がった「論壇」を、僕たちはもう置き忘れてはいないだろうか。

(執筆撮影・尾関章、通算393回)

 

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『スノーデン 日本への警告』

(エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘著、集英社新書)

写真》「内心」に鍵

 まずは、表題の話から。「監られる」とキーボードを叩いたら、文字列に下線が引かれてしまった。赤の波線。「入力ミス」を心配するワープロソフトの忠告だ。たしかに「みる」の「み」を漢字にするとき、ふつうは「見」「観」「診」「看」で「監」は稀だ。だが、今回はどうしてもそうしたい。僕たちは世間でいつも見られ、観られている。診られたり看られたりする機会もあるだろう。ところが今の時代は、それだけではない。

 

 町を歩いているとき、どこかで防犯カメラが回っているのを無意識に感じている自分がいる。だれかがスマートフォンのアプリで会話の声を拾っているのではないか、と気になったりもする。視覚に限った話ではないので、やはりここは「監られる」だろう。

 

 これは、家にいても同様だ。パソコンに向かってメールを認めるとき、なんども読み返す。なにげないひと言が礼を失しているのではないか、という気づかいからだけではない。文面が公の目に曝されるかもしれないから慎重になるのだ。故意でなくとも、そういう事態は起こる。受信人が別件のメッセージを不特定の人に同送するとき、そのうちの一人である僕宛ての返信メールを不用意に転用すれば、過去のやりとりが他人にも伝わってしまう。

 

 当欄は先日、英国の哲学者ジェレミー・ベンサムが提示した「パノプティコン」について触れた(2017年4月21日付「バウマンで、やっぱり社会科が好き」)。少数が多数を一望できる監視施設だ。これに対して『社会学の考え方〔第2版〕』(ジグムント・バウマン、ティム・メイ著、奥井智之訳、ちくま学芸文庫)は、現代の情報社会には多数が少数を監視する構図があるという。有名人に世間の視線が集中する現象が、これに当たる。

 

 ここであえて付け加えたいのは、昨今は僕のような無名人でも監られている気がすることだ。だれが防犯カメラで覗いているか、録音アプリをオンにしているかはわからない。メールが偶発ミスで流れるとき、どこへ届くかもわからない。パノプティコンでは監られる人が監る人の存在を確かめられないが、その怖さがそっくり現実化している。僕たちは、不特定多数から監視されているらしいと薄々感じるパノプティコンの変種に暮らしている。

 

 これは「共謀罪」法(改正組織的犯罪処罰法)が成立した今、いっそうリアルなことだ。戦前戦中は特高警察がにらみを利かせていたが、これからは世の中がこぞって同じような任務に加担させられそうな気がする。監られると同時に監る社会の到来である。

 

 で、今週の1冊は『スノーデン 日本への警告』(エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘著、集英社新書)。筆頭著者スノーデン氏は1983年生まれの米国人。米政府の中央情報局(CIA)や国家安全保障局(NSA)で情報収集活動に携わった後、2013年、政府内の機密資料を米英の有力紙に渡した。「スノーデン・リーク」である。今は難を逃れてロシアに長期滞在している。

 

 ほかの著者は、青木氏がジャーナリスト、井桁、金、ワイズナー、ヒロセ各氏が弁護士、宮下氏が憲法学者。この本は今年4月に刊行された。去年6月、東京で開かれたシンポジウム「監視の“今”を考える」(自由人権協会など主催)をもとにしている。前半ではスノーデン氏がロシアからインターネット回線のテレビ電話を通じて参加、金氏が聞き手を務めるインタビューに応じた。後半は、残る5人が登壇したパネル討論を収めている。

 

 今回は書名を尊重して、インタビューを中心にその「警告」の核心を紡ぐことにする。

 

 スノーデン氏はインタビューの冒頭で自らの職歴に触れ、CIAでは「イラクに対するスパイ活動」をして、NSAでは「インターネットの電子通信や電話を盗聴する活動など」に携わった、と打ち明けている。監る側の事情に通じた人である。その視点から力説するのは、情報技術(IT)がもたらした監視手法の変質だ。それは、特定の人物に的を絞って情報を得ようとする旧来型の「ターゲット・サーベイランス」とは様相を異にしている。

 

 ここで出てくる言葉が「マス・サーベイランス」だ。別のところでは日本語で「大量監視」という表現も出てくるが、これも同義らしい。「無差別・網羅的な監視」のことである。スノーデン氏によれば、2001年の9・11同時多発テロ後、米国では「監視政策の大転換」があり、「疑いがある人だけではなく、あらゆる場所であらゆる人を監視対象とするようになった」。それが「安く、簡単にできる」のは「テクノロジーの進化」によるという。

 

 スノーデン氏は、米政府は法律を盾に通信事業者の設備を通る「すべての通信情報」にアクセスできるようになった、と解説する。世の中の大部分(バルク)に網をかけて、そこから必要な情報を選りだす「バルク傍受」が可能というわけだ。この方式だと、当局はたとえ情報の中身に立ち入らなくとも、「メタデータ」を「安く、簡単に」手に入れられる。メタデータとは、誰がいつどこで誰とどのくらい長く交信したか、といった情報である。

 

 メタデータ収集の例として、携帯電話の位置情報がどう監られるかが詳述されている。それによると、携帯端末は「私はここにいます」という信号を発していて、その「叫び」を町のあちこちの基地局が聞いている。直近の局がどこかは「叫び」の強さでわかる。所持する人が「別の場所に動く都度、電話会社は最も近い基地局を更新し続けます」。この情報が、当局の手に渡るかもしれないのだという。その結果、当人の足どりがわかってしまう。

 

 パネル討論でもヒロセ氏が、携帯電話のメタデータ収集をさらにたやすくする新技術が現れたことを報告している。基地局に見せかける電波を放って携帯電話を惑わせ、情報をそっくりいただくという方法だ。ただ、これは大っぴらには使われていないらしい。

 

 ここで注意しなくてはならないのは、米国社会の監視度はスノーデン氏が母国を離れた後に変わり、彼が語る9・11後ほど酷くはないらしいということだ。討論の採録によると、電話のメタデータ収集は今では制限されるようになった。それを定めたのは、2015年に成立した「アメリカ自由法」。スノーデン・リークが、当局の監視活動そのものを監視する必要を人々に感じさせて、9・11で振れた針を揺り戻したのだ、ともいえる。

 

 メタデータは電話には限らない。スノーデン氏は在日経験があるので日本の生活事情にも通じていて、「Suica」や「PASMO」も例に挙げている。詳しい説明はされていないが、カードに内蔵されたメモリーが利用者の移動記録となることは僕たちにもわかる。これは、ふつうなら監られることがない。ただ、なにかの理由で当局に押収されれば、どこへ行ったかが把握されて、どんな会合に出たかの推測にもつながってしまう。

 

 もっと気がかりなのは、ネットに打ち込む語句やURL。スノーデン氏によれば「アドレスバーに入力したすべての事項はメタデータ」だ。それらは、一部の通信事業者のもとには集積されているという。「あなたがどういうニュースを読んだのかということも記録が残ります」と書かれているのを読むと、心の位置情報まで監られている気がしてくる。「共謀罪」をめぐってよく耳にする内心の自由は、このようにして危機に瀕しているのである。

 

 マイナンバー制度が動きだそうとしていたころ、それが人々の逃げ場を奪いはしないか、と僕は心配した(当欄2015年7月17日付「モディアノで憂うマイナンバー時代」)。小説『失われた時のカフェで』(パトリック・モディアノ著、平中悠一訳、作品社)の主人公が実名ではなくあだ名で生きる姿から、そう感じたのだ。識別番号と監視が結びつけば、僕たちは本当にがんじがらめになる。人はそんなには「監られる」ことに耐えられない。

 

 今の監視社会は、過去の悪夢の再来とみるべきではない。IT社会ならではの怖さがあるからだ。だが、それと闘うときに味方となるのも、またITとは言えないか。スノーデン氏がひそかに身を寄せた異国からインターネット回線で発信する姿が、そのことを物語る。

(執筆撮影・尾関章、通算373回)

 

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『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント』

(太田省一著、光文社新書)

写真》SMAPは何の略?

 暮れのあの騒動はなんだったのだろう。SMAP解散をめぐる報道ラッシュである。紅白歌合戦に出るのか出ないのか。そんな芸能ネタにとどまらなかった。ファンたちが朝日新聞の広告面8ページに“We Love SMAP Forever”などのメッセージを載せ、それがまた話題のタネとなった。年明けに別の音楽ユニット、いきものがかりの活動中止がさらっと報じられたが、あのくらいが適量ではなかったか。僕などはつい、そう思ってしまう。

 

 実際のところ僕たち60歳超世代にとって、SMAPはさほど身近な存在でなかったとも言えよう。ジャーナリストを名乗る者としては自慢にならないが、僕はグループの活動拠点となったテレビ番組「SMAP×SMAP」(フジ系列)を一度もまともに観ていない。調理場のセットが出てくる場面をちらっと見たくらいだ。彼らが世に出た1990年代は、僕たちがちょうど働き盛りのころだった。そのことも影響しているのだろう。

 

 気になる存在ではあった。たとえば、あの名前はなんだろう、と思っていた。芸能界のグループ名はふつう意味をもつ。ダークダックスがそう、ザ・ピーナッツもそう、嵐もそう、AKB48だって秋葉原が透けて見える。命名はイメージ戦略の一つだ。では、SMAPは? “Sports Music Assemble People”の頭文字からとったというのは、今回初めて知った。気にはなるがネット検索もかけないでいる。そんな距離感が僕にはあった。

 

 ではなぜ、気になったのか。それは、数少ないSMAP体験のなかに印象深いことがあるからだ。たとえば、メンバーの木村拓哉がテレビドラマに出たとき、台詞の語尾に「……でしょ」が多かったのは新鮮だった。あれは、2000年放映の「Beautiful Life――ふたりでいた日々」(TBS系列、北川悦吏子脚本)だったと思う。相手役は常盤貴子。「だろ」ではなく「でしょ」。それが、男女の立ち位置を水平に感じさせたのである。

 

 この言葉づかいは、たぶん脚本通りなのだろう。あるいは、制作陣の意向だったのかもしれない。ただどちらにしても、脚本家や制作陣は「だろ」よりも「でしょ」のほうがキムタクに似合うと感じたに違いない、と僕には思われた。ここにこそ、SMAP解散があれほどの衝撃をもたらしたことの理由が潜んでいるのではないか。フェミニズムのような時代精神を自然に体現する青年群像――その退場を彼らの同世代は惜しんだのである。

 

 で、今週の1冊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント』(太田省一著、光文社新書)。著者は1960年生まれ、社会学が専門で、戦後日本のテレビ文化に焦点を当て著述活動をしている。当欄の前身で『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)という著書を紹介したこともある(文理悠々2013年12月24日付「『紅白』改造計画を練ろう」)。今回のSMAP本は、きわめてタイムリーに2016年12月に出た。

 

 ここで、書名に「平成ニッポン」、帯の惹句に「平成史は、SMAP史である」とあることにも目をとめておこう。結成が昭和末期の1988年だったこと、解散の2016年末には天皇の退位や改元が取りざたされるようになっていたことを思うと、彼らは平成の申し子のように見える。現に、ほかにもSMAPをこの元号と結びつけた新刊書が出ている。彼らが発信した時代精神は、平成の空気と言い換えてもよいかもしれない。

 

 興味深いのは、昭和の終わり、平成の始まりという区切りがテレビ文化の転換期と同期していることだ。1989〜90年に「ザ・ベストテン」(TBS系列)、「歌のトップテン」(日本テレビ系列)、「夜のヒットスタジオSUPER」(フジ系列)といった歌番組が次々に看板を下ろした。歌謡曲の時代の終焉である。それに代わって台頭したのが、バラエティ番組だ。SMAPはそこに活路を見いだし、見事に成功したと言えるだろう。

 

 著者によれば、SMAPの楽曲群で平成色がにじむのは、1994年の「がんばりましょう」(小倉めぐみ作詞)からだ。そのころ僕は海外にいたので思いだせないのだが、「かっこいいゴール」のひと言があるという。前年のJリーグ発足に呼応しているようで同時代的だ。そのあとゴールの陶酔は一瞬に過ぎないと達観する歌詞がつづき、「血圧」「寝グセ」といった「かっこいい」とは無縁の言葉が出てくる。昭和の青春とはどこか違う。

 

 たしかにこの歌には「醒(さ)めた視線」がある。だがそれでも、喪失感のどん底にいる人々を励ます「応援ソング」となった。SMAPは1995年の阪神・淡路大震災のときも2011年の東日本大震災のときも、直後のテレビ番組でこれを選んで歌ったという。

 

 ここでも気づくのは、楽曲名の語尾「ましょう」だ。歌詞をみても、いつかもう一度幸せになろうと呼びかけるところが「なりましょう」となっている。これは、キムタクドラマの「でしょ」と同じではないか。あの台詞が喚起したのは男女の水平感だった。こちらは歌う人と聴く人の間の水平感だ。昭和の青春ドラマで「がんばろう」「幸せはつかみとるものだ」と檄を飛ばす熱血先生とはまったく違って、この歌から上から目線は感じとれない。

 

 SMAPの5人は団塊ジュニア世代とほぼ重なる。同年代人口が膨らんで競争が激しいのに、就職期にバブル崩壊の直撃を受けた。正社員雇用は狭き門で、非正規に甘んじても職を探すしかない。この社会状況は奇しくも芸能界事情と重なる。アイドルは新曲を出しつづけていれば安泰、とはいかなくなったのである。彼らも、新しい職場を見つけなくてはならなかった。だからこそ同世代の若者と同じ地平に立てたのではないだろうか。

 

 その職場となった番組「SMAP×SMAP」についての分析もある。歌とコントを織り交ぜた組み立てで、「夢であいましょう」(NHK)、「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系列)以来の「バラエティの王道」を踏襲しているが、同時にSMAPメンバーが「素」の姿を露わにする「ドキュメンタリー性」も具えていた、という。例に挙がるのは、メンバーが不祥事を起こして活動を自粛したとき、謝罪して復帰する場に使われたことだ。

 

 そう言えば、SMAPにも幾度か不祥事があった。たとえば、2009年にメンバーの一人が起こした泥酔全裸事件。この本は事件に触れつつも読み解きはしていないが、僕はあの顛末にSMAPと時代との共鳴をみる。夜中の公園で裸になる行為はほめられることではないが、このときは人に大きな危害や損害を与えていない。起訴猶予となったのも納得がいく。だから、世間は復帰を温かく受け入れた。そのこと自体が平成のおとぎ話だった。

 

 平成は、法令順守に突き進んだ時代である。バブルのころなら見えてこなかった不正や怠慢が厳しい経済環境と嘘のつけない電子管理によって露わになり、至るところで責任追及の嵐が吹き荒れている。そんななかで世間が珍しく見せた寛容。それを、僕はあの一件にみる。SMAPは、「しかたないね、これからはちゃんとしろよ」の叱責で済む逸脱の許容幅を身をもって示した。彼らが優等生ではなかったからこそできたことだろう。

 

 この本は、SMAPの「バラバラの個性」についても語っている。メンバーが別々の芸能活動をするだけではない。一緒に歌うときも「それぞれ異なる方向を見つめ歌い上げる構図」をとったりする。これは、僕も感じていたことだ。著者は、そこに「個人と集団の両立」をみる。「『昭和』の日本社会を支えてきた既存の集団の崩壊現象」を目の当たりにした人々には、バラバラと一緒を両立させる姿が「理想のコミュニティ」に見えただろうという。

 

 この本は、「公共」の一語も木村拓哉のエッセイ集『開放区』(集英社)から引いている。「“キムタク”って、どうやら公共物らしい」。それは「誰でも入れるし、誰でも出ていける、これといった建造物のない、がらんとした公園」のイメージだという。至言ではないか。「既存の集団」がもはや頼りにならず、一人ひとりがばらけて生きることを強いられた世代が、ようやく見いだした公共の空間。それが、SMAPのいる世界だった。

 

 最後に、SMAP騒動に冷淡だったことに対する自省。こんなにも同時代性を具えた偶像の存在にそれが退場してから気づく。年をとり隠居するとは、こういうことかもしれない。

(執筆撮影・尾関章、通算353回)

 

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『松本清張ジャンル別作品集5――犯罪小説』(松本清張著、双葉文庫)

写真》古紙結わく

 2週続きで拙句から入る、というのは大いに気が引ける。だが、今の心境をそのまま言い表すなら、これしかないと思って暮れの句会に出した句をあえて載せる。

 年惜しむ気にもなれずに古紙結わく(寛太無)

 

 今回の句会では、一つの句に季語「年惜しむ」を用いよ、という縛りがあった。だが、惜しむ気にはどうしてもなれない。それがこんな苦肉の句となった。読み返したくもないニュースが詰まった古新聞を年の終わりに紐で束ねる。そんなイメージだ。

 

 そう言えば、と思いだすのは、英国のエリザベス女王が1992年11月の即位40年式典で口にしたひと言だ。「アヌス・ホリビリス」――1年を振り返り、ラテン語で「ひどい年」「怖い年」と嘆いたのである。英王室はゴタゴタ続きで、チャールズ皇太子とダイアナ妃の不仲は深刻になっていた。追い討ちをかけたのが、式典直前にあったウィンザー城の火事。気持ちは痛いほどわかる。僕はロンドンに赴任したその月に、この言葉に触れた。

 

 ことし2016年にアヌス・ホリビリスを感じている人は、きっと大勢いることと思う。僕も、その一人だ。だが、「ひどい」「怖い」をいちいち拾いあげるのはやめよう。それこそ、古紙を結わいて葬ったつもりになったことばかりだ。ただ、特記したい出来事が二つだけある。一つは、英国が欧州連合(EU)からの離脱を決めたという話。もう一つは、米国で「暴言王」とも言われたドナルド・トランプ氏が次期大統領に選ばれたことだ。

 

 どちらも、よその国の有権者の選択だ。結果は尊重しなくてはなるまい。しかも、これらには経済のグローバル化に抵抗するという共通項があって、ローカルな経済や文化を守る視点からみれば悪いことばかりではない。では、どうして「ひどい」「怖い」なのか。あえて言えば、人々が第2次大戦後、これこそが人間社会の進化だと考えてきた方向性をいともあっさり一蹴してしまったことか。戦後の価値が幻に見えるという怖さ。

 

 日本社会では、戦後民主主義の風化ということが言われて久しい。だが、今年を振り返ると、それよりもずっと大きな変化がずっと広い範囲で起こっているように思われる。日本ローカルではなく、万国グローバルの現象。そこには、異質なものを嫌う不寛容の方向性がある。あるいは、論理と議論を忘れた行動様式もある。それが国境なしに広がった背景には、20世紀末から21世紀にかけて人類が体験したなにものかが潜んでいるように思う。

 

 で、今週の一冊は『松本清張ジャンル別作品集5――犯罪小説』(松本清張著、双葉文庫)。なぜ清張かと言えば、戦後社会を生活の次元で切りだした断面が彼の作品から見えてくるからだ。当欄でかつてとりあげた『死の発送』という長編では、鉄道が融通の利くダイヤで運行されていた時代を垣間見るができた(2015年12月25日付「清張の鉄路、緩すぎるダイヤの妙」)。そこには、コンピューター以前ののどかさが確実に存在していた。

 

 今回の本には、小説6編が収められている。初出誌の号でみれば1958〜67年に発表された作品群だ。戦後とはいっても高度成長期に入ってからの日本社会が舞台となっている。とりあえず世は太平であり、人々の暮らしぶりもそこそこに豊かになっているから、現在につながる連続感があってもよさそうだ。だが、読み進むと断絶感のほうが強まってくる。ああ、そんな時代もあったなあ。2016年には通用しない物事に出会ってそう思う。

 

 所収作品は書名の通り、犯罪もしくはそれに準ずるものを描いている。それらの筋立てには今、成立しないものが少なくない。そこに断絶感がある。これは、公序良俗にとっては大変喜ばしいことだ。ただ、ここで書名を「善行小説」に改め、登場人物の振る舞いを悪行から善行へ逆転させたときのことを考えてみる。そうすると、善行もまた昔と比べてやりにくくなっているのではないか、と思えてくる。善すらも管理社会のもとに置かれている。

 

 どっちを向いても閉塞感がある。だから逃げ道が見つかると、みんなが一斉にそちらへ雪崩れ込む。「ひどい」「怖い」の根っこには、そんな社会心理があるのではないか。

 

 その閉塞感の裏返しで成り立っているのが、冒頭の「断線」。1964年に週刊誌に連載された中編だ。当欄は、この一編を中心に書く。都内の証券会社に勤める光夫が銀行の窓口で働く英子と結婚するが、クラブホステスの乃理子とも関係を絶てずに出奔する。彼女との同棲中に、こんどは自称貿易商の妻という関西在住の左恵子とも愛人関係になる――というとんでもない男の話。殺人含みではあるが、それよりも光夫の逃避行が読みどころだ。

 

 今では考えられないのは出奔の経緯。光夫は九州へ出張に行くと言い残し、トランク二つを提げて家を出る。1週間くらいとのことだったが、旅先からは「葉書一枚こなかった」。10日ほどたって勤め先に電話で問い合わせると、返ってきた答えは「一週間前に辞めましたよ」。妻は、新婚なのに10日間の音信不通でやっと夫の異変を悟ったのだ。今ならば、メールやラインの交信が途絶えればすぐ怪しむ。九州出張も日帰りが多いことだろう。

 

 光夫は本名と偽名を使い分ける。旧姓は「田島」だったが、結婚後は戸籍名を英子の姓の「滝村」に改める。だが乃理子の前では「友永」を名乗った。ところが左恵子に誘われて関西生活を始めてからは、「滝村」で通したのである。これが逃避行を続けるうえで大きな助けとなるのだが、今日ではこんな工作も難しい。名前の嘘は「運転免許証かパスポートを」「なければ保険証などの文書2点を」と本人確認を求められたとたんにばれるだろう。

 

 実際に光夫は、出奔後に幾度か就職で履歴書を出すことがあるのだが、いずれも本人確認は緩かった。乃理子と同棲していたころ、クラブのボーイの職を得たときは戸籍謄本が不要だったので、友永のままでいられた。大阪で中小の広告会社に本名で入ったときも、やはり謄本なしで済んだ。このあと在阪大手の製薬会社に転職したときは戸籍の写しが必要となったが、興信所員を巧妙に篭絡して身元調査による過去の詮索を避けることができた。

 

 身元のあいまいさは、光夫に何をもたらしたのか。大阪に移り住んでから、新聞記事で自らが犯した事件で警察が「友永」という男を指名手配したことに気づくが、自分は「滝村」なので別人のように思えた。一方、「滝村」を名乗っても身元確認が緩かったために、捨て去った家庭へ引き戻されることもなかった。これらのことそのものは法治や倫理に反していて許しがたい。だがそれを、当時の社会にあった開放感の副作用とみることもできる。

 

 犯罪や蒸発と直接にはかかわらないところでも、時代の緩さがのぞいて見える。乃理子の留守宅に預金先の銀行から電話がかかってくる場面。光夫が電話口で彼女の通帳の中身を尋ねると、先方はためらうことなく金額を教えてくれる。このとき銀行員が身元を質すために口にしたのは「失礼ですが、同居人の方ですか?」のひと言だけ。「そうです、同居人です」と答えると「内縁の関係と察した」ようで無警戒になった。今は、こうもいくまい。

 

 あのころは、身元のあいまいさが死者にもあった。この本に収められた「小さな旅館」という作品では、犯人が一組の男女を殺した後、死体を床下に埋めてこう述懐する。「初め大へんな仕事だと思っていたが、いざ終ってみると、嘘のように楽だった」。楽観の背後には「あと一年もすれば」「完全に白骨になってしまう」という見通しがあり、それで誰の骨だか突きとめられまいと高を括ったのだ。ここでも今ならば、DNA型鑑定がある。

 

 当欄で僕は、ノーベル賞作家パトリック・モディアノの『失われた時のカフェで』(平中悠一訳、作品社)をとりあげ、「モディアノで憂うマイナンバー時代」という一文を書いた(2015年7月17日付)。この小説には、パリのカフェにあだ名で通う女性が登場する。人はだれも、番号を付されるような特定から逃れたいと思うものだ。あのときに書いたように「ふつうに市井に生きるふつうの人々にも逃げ場は欠かせない」のである。

 

 ふと思うのは、「ひどい」「怖い」の元凶は科学技術かもしれないということだ。それは悪を封じる一方で人々の逃げ場を奪っている。今こそ緩やかさを尊ぶ知性がほしいと思う。

(執筆撮影・尾関章、通算347回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『草食男子世代――平成男子図鑑』(深澤真紀著、光文社知恵の森公文庫)
写真》「とくダネ!」(フジ、7月8日)の深澤さん
 
 朝の情報番組はどれが好き? などと尋ねたら、勤め人の諸姉諸兄からは顰蹙を買うだろう。午前6時台7時台ならまだしも、8時台9時台はもう満員電車の車内という人が多いに違いない。いや、その時間帯はすでに職場にいて、慌ただしくビジネスメールをチェックしている人も大勢いる。そんな勤労者がランチタイムやアフターファイブに交わす会話に、午前中の時間帯のテレビ談議はそもそもありえない。
 
 僕もそうだった。新聞記者は、深夜未明まで仕事が続く変則勤務なので、ほかの職種と比べると朝は遅い。だから、勤め人としては朝番組を見ていたほうだが、現役時代、そのことはあまり口にしなかった。サボっているように思われるからだ。
 
 だが、いまは大手を振って言える。僕は「とくダネ!」党です、と。団塊世代ど真ん中の小倉智昭が司会を務め、フジテレビ系が月〜金の午前8時から2時間近く流す生放送。どうしてこの番組がよいかと言えば、毎朝、ふつうに目覚めたふつうの人のふつうの感性になじむように情報を発信しているからだ。事件系もある。芸能系もある。だが、それらはワイドショーネタの泥沼に陥る寸前で踏みとどまっている。
 
 それだけではない。僕たちがふつうの生活で直面する問題をきちんと切りとってもいる。最近の話題で言えば、「パスワードの決め方」か。一例として、サーファーは文字数字列に「73(ナミ)」を織り込みがちだという話を拾っていた。さもありなん。そして、思わずヒヤリとする。数字を自分の趣味嗜好で決めると見抜かれるかもしれない、と。やたらにパスワードや暗証番号を求められる昨今、視聴者の心に響く絶妙な企画だった。
 
 もう一つ、この番組はリベラルでもある。フジテレビは右寄りと言われるメディアグループに属しているので、意外に思う人もいるだろう。もちろん、安全保障法制反対の論調を鮮明に打ちだしたりはしない。だが、世事全般に対して、司会者や曜日替わりのコメンテーターが発するバランス感覚のある意見を聴いていると、この人たちがいる世界はそう危うくはならないな、と思う。その一点でリベラルなのである。
 
 で、今週は、そのコメンテーターの一人の代表作。『草食男子世代――平成男子図鑑』(深澤真紀著、光文社知恵の森文庫)。著者は1967年生まれ。出版社出身の編集者であり、コラムニストだ。2006年、『日経ビジネス』ウェブサイトのコラムで「草食男子」という新語を世に広めた。そのコラムが翌年、『平成男子図鑑』(日経BP社)となり、さらに2年後に書名を改めて文庫化されたのが、この本だ。
 
 冒頭に、まず定義がある。「男子」は、男性のうち「おもに1970年代生まれの団塊ジュニア世代」とされる。これに対して「おもに団塊の世代(1940年代後半生まれ)からバブル世代(1960年代後半生まれ)まで」は「おやじ」だ。この本は、おやじ世代ではあまり見かけなかった男子像を見いだしては「○○男子」と命名、それぞれの行動様式を愛をもって論評している。
 
 第1章を読みだして、いきなりなるほどと納得してしまうのが「リスペクト男子」だ。別の言い方をすれば肯定男子か。「自分と自分のまわりを全肯定」して、「全ほめ」「全リスペクト」で「僕の友達でいてくれてアリガトウ」と信じて疑わない。
 
 著者の見立てが見事なのは、これを「地元愛」と結びつけていることである。おやじ世代は若いころ、郷里のことを「あんな田舎、何にもありませんよ」と自嘲気味に語ったものだが、リスペクト男子は「しぶしぶ地元で生活している」のではなく「地元を愛するからこそ、地元に残って生活している」。それが、おやじたちの「なんでも批判する、けなす、いばる」を称揚する性向と比べて「よいところ」という。
 
 一方で著者は、こうした男子が「おらが村」の人物に「スゲー!」を連発しがちな点を「地元に、そんなにも『すごいやつら』がたくさんいるのでしょうか?」と皮肉り、「見聞の狭さを、誰かをリスペクトすることでごまかし、思考停止に陥っていく」ことを懸念する。
 
 ○○男子は、突然変異のように現れた新種ぞろいだが、その変異原の一部は親の世代にあるように僕は思う。団塊ジュニアをつくったのは団塊、ということだ。すぐ思いあたるのは、性をめぐる意識。団塊世代は1970年前後、戦前戦中育ちの親が引きずる旧道徳のくびきを解き放って一定程度の自由を手にした。ところが団塊ジュニアは、親自身がすでに旧道徳から逃れているので、最初からあっけらかんとしている。
 
 その結果、母親と大の仲良しの「オカン男子」では「自宅同棲が増えています」。すなわち、「男子の自宅に彼女が自然に居ついて、オカンにごはんをつくってもらい、掃除洗濯もしてもらいながら、一緒に暮らす」という生活様式が出てきた。
 
 これは、「草食男子」登場の背景でもある。「かつては、なかなかセックスさせてくれない女性に対して、男性は積極的に動かないと恋愛もセックスも手に入れられませんでした」「今は女性にとってもセックスはそんなに特別なものではなくなり、それに伴って男性にとっても恋愛やセックスをすることは特別なことではなくなってきました」。肉食獣のようなガツガツ男の居場所はなくなったというのだ。
 
 親世代に内在しない変異原は、IT(情報技術)だろう。それで出現したのは「チェック男子」。映画であれ、マンガであれ、「おもしろかったよ」と薦められたら「じゃあチェックするよ」のひと言で応じる習性がある。
 
 「チェック」の仕方はさまざまだ。ただ、その語感にもっともぴったりくるのは、インターネットをのぞくことだろう。チェック男子に、□□を見たか、△△を知っているか、と尋ねたとき、「『それはウェブ(ネット)でチェックできますか?』と聞き返されることがとても多い」という著者の感慨には実感がこもっている。「ウェブにないものは、ぼくにとっては『この世にない』ことと同じ」と言ってのける男子もいるという。
 
 著者によれば、チェック男子には「こだわりのなさ」がある。映画をおもしろいと感じても、原作にあたったりはしない。マニアやオタクとは異なる新種の情報人間だ。これは男子に限らず、「チェック女子」も同様に多いとみてよいだろう。
 
 「チェック男子が生まれた背景は、そもそも情報やソースに飢えていないということに尽きるでしょう。情報の細分化が進み、物理的に追いかけきれなくなったことに対し、送り手側が『後からいつでも触れられる』環境をつくった。その結果、彼らの意識が『追い求める』から『チェックする』に移行したのです」――見事な洞察だ。彼らの軽やかな情報アクセスは、著者が言うように、おやじ世代にとって「ひとつの参考になる」と僕も思う。
 
 酒席を好まぬ「しらふ男子」やモチベーション本位の「ベンチャー男子」を論じたくだりには、おやじが彼らとつきあう術として「間違っても飲み屋で語ってはいけません。会議中にきちんと話すことが大事です」とある。日本企業の旧弊、「会議室では建前を語り、本音は飲み屋で補完するというスタイル」が廃れたのも、社内同送メールがすべてをオープンリーチ状態にしてしまうIT環境のせいかもしれない。と、これは僕の読み解きだ。
 
 著者はなぜ、「平成男子」に興味を抱いたのか。答えは、巻末に収められた倉田真由美との対談のなかにある。著者と倉田、それに中村うさぎの3人組が全国のホストクラブを回る取材をしたとき、地方都市の店に「マジでうちの代表はカリスマホスト」と言い切るホストが多いことに「感動」したからだという。まさに、リスペクト男子。それで「団塊ジュニア世代には今までにいないタイプの男子が増えてきてるな」と直感したという。
 
 その好奇心、観察力。これが「とくダネ!」コメントのバランス感覚の源泉だろうか。
(執筆撮影・尾関章、通算272回)
 
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『現代の批判』
(キルケゴール著、桝田啓三郎訳、岩波文庫『現代の批判 他一篇』所収)

 それにしても今年は、どうしてここまで固有名詞付きの非難がつづくのだろう。音楽界でもあった。科学界でもあった。地方政界でもあった。お隣の国でもあった。責められる側にも責められてしかたのない事情があったようには思う。責められている人に反論する機会が与えられることも多かった。ただ、世の中はいったん責めのモードに入ると、とどまることを知らない。責められる人はさぞ辛いことだろう。
 
 「新聞に叩かれる」という言い方がある。僕が嫌いな言葉の一つだ。新聞記者時代、取材相手から「あのときは新聞にさんざん叩かれてね」と、軽口交じりに言われることがあった。たいていは昔の記事で、自分が書いたものではない。それでも心の痛みを感じつつ、一方でちょっとムッとした。理を尽くした批判であっても「叩く」「叩かれる」の構図でみてしまう。このとらえ方から脱することができないかと、ずっと考えてきた。
 
 そんな僕でも、今年の日本社会をみていると「叩く」「叩かれる」はやっぱりあるのかな、と思ってしまう。昔と違うのは、主語が「新聞」ではないことだ。もちろん、新聞は含まれる。だが、その比重はメディア界の勢力図を映して小さくなっている。テレビもある。ネットもある。そこには、既存メディアの外にいる人々の発信もあふれている。文字通り、メディアミックスで「叩く」「叩かれる」現象が繰り広げられているのである。
 
 これは、日本だけの現象なのだろうか――。たまたま、いま僕は米国にいる。仕事ではなく観光旅行だが、名所めぐりもほどほどに1週間余り、東海岸の大学町に滞在している。現役のころは出張となれば取材のことで頭がいっぱいだったが、今はそうではない。そこで自らに課したのは、空気を吸ってこよう、ということだった。米国社会は、日本社会と比べてどこがどう違うのだろう。
 
 いま米国メディアでも、殺伐とした話、不愉快な話が日々とりあげられている。中東で米国人ジャーナリストが「処刑」されて緊迫する政界の動き、ミズーリ州で黒人青年が警察官に銃で撃たれ死んだ事件の続報、プロバスケットのチームオーナーが送信した人種差別的なメール。イスラム過激派組織、警察当局、オーナーというように非難の矢面に立つ人々がいるニュースではある。ここまでは、日本社会と同じだ。
 
 違いは、どこか寛容な空気が残されていることだ。否定すべきは人道に反する行為であり、差別意識であり、人ではないという感じがある。だから、非難される人物も自らの行為について淡々と語ることができる。これは、僕たちも学ぶべきことだろう。
 
 で、今週は『現代の批判』(キルケゴール著、桝田啓三郎訳、岩波文庫『現代の批判 他一篇』所収)。著者は19世紀デンマークの哲学者で、実存主義を切り拓いた一人である。ただ、この著作は哲学論考というよりは社会批評の色彩が強い。しかも、メディア批判も含まれている。理由は巻末の訳者解説を読むとわかる。これが発表された1846年初め、著者は新聞にこてんぱんに叩かれていたのである。
 
 著者を叩いたのは、『コルサル』という名の風刺紙。「編集上の秘密を他紙に密告した」として「卑劣漢」扱いする記事を漫画付きで載せた。彼が別の新聞で反転攻勢に出ると、執拗に二の矢三の矢を放ってくる。「それ以来、コペンハーゲン市民は、生まれた子に『セーレン』の名をつけるのを忌(い)み嫌ったとさえ伝えられている」。セーレンは、著者の名である。報道がどれほど苛烈だったかが推察される。
 
 『現代の……』は、匿名作家の『二つの時代』という小説をとりあげた書評本の第三章である。この論考では、フランスで続いた革命の時代と、執筆時すなわち「現代」とが対比されている。ただ、フランスでは刊行2年後の1848年にも革命が起こっているので、欧州の「現代」はなお革命期にあった。だから、読みどころは比較にはない。「現代」批判そのものにあると言えよう。そこに、著者の鬱憤まで注ぎ込まれているわけだ。
 
 著者は「現代」の様相に「水平化」をみる。「情熱的な時代が〈励ましたり〉、〈引き上げたり突き落としたり〉、〈高めたり低めたりする〉のに反し、情熱のない反省的な時代はそれと逆のことをする。それは〈首を絞めたり足をひっぱったりする〉、それは〈水平化する〉。水平化は、すべて人目につくことを忌避する、ひそかな、数学的な、抽象的ないとなみである」(〈〉で挟んだ箇所には傍点がつく、以下も同様)
 
 「古代においては、集団のひとりひとりはなんの意味ももっていなかった。傑出した人が集団全体を意味した。現代は数学的な平等性へ向かう傾向があって、すべての階級を通じて、これこれの人数がそろえば一個人とほぼ同等になるのである」「一人以上いては矛盾であるような事柄の場合にも、彼らは十人そろわずにはいられないだろう」。個を重んじたはずの近代市民社会が個を見失うという逆説が、ここにはある。
 
 著者が「水平化」の条件として挙げるのが、「公衆」という幻影だ。それは「巨大な抽象物」だという。「現代」では「それ自体が一個の抽象物となる新聞に助成されて、この幻影が出現しうるのである」。新聞イコール世論という短絡思考の罠を見抜いた一言だ。
 
 おもしろいのは、「おしゃべり」も槍玉にあがっていることだ。「おしゃべりはありとあらゆるものをおしゃべりの話題にし、そしてひっきりなしにしゃべりつづける」。人は黙っている間にも「思い出すべきこと、考えるべきことが何かはあるはず」なのに「おしゃべりは沈黙の瞬間を恐れる、沈黙の瞬間は空虚さを暴露するだろうからである」。著者は新聞のみならず、ツイッター文化まで見通してメディアを論評しているようにも思えてくる。
 
 この論考では、「現代」の「情熱のない人」が内的な行動原理を失い、外的原理に踊らされていることも俎上にあがる。一人の男が上着の胸ポケットをボタン付きにすると、それがもとで一つの会社が興されるかもしれないという話は、今日のファッションビジネスの予感とも読める。「手引き」が広まって人々が「きれぎれの知識を拾い出す」ようになる傾向を指摘するくだりも、マニュアル万能主義に対する警告になっている。
 
 注意すべきは、この論考での「反省」という言葉の使われ方だ。それは、良心の為せる謙虚な内省を指してはいない。「集団全体が反省のつながりによって水平化に仕えている」という一文があるように、あれやこれや慮って個を弱める心理作用のことを言っている。
 
 「現代は本質的に分別の時代である。現代は平均しておそらく過去のどの世代よりも物知りだといえるだろう」「どの道を行くべきか、行ける道がどれだけあるか、われわれはみんな知っている。だが、だれひとり行こうとはしない」「自分自身のなかにある反省に打ちかって行動に出る人があったとしたら、その瞬間に、無数の反省が外部からその人間に向かって抵抗することだろう」
 
 「水平化」意識を背景にメディアに沸きおこる非難の大合唱。実存の哲学者が前々世紀にいち早く気づいた「現代」の病は科学技術が生みだしたITによって増幅され、21世紀社会を苛む。僕たちはそろそろ、その病から抜け出る道を探らねばなるまい。
 
写真》米国メディアのほうが寛容の空気があると感じるのは僕だけか=尾関章撮影
(通算229回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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