『とびきり哀しいスコットランド史』
(フランク・レンウィック著、小林章夫訳、ちくま文庫)

 それにしても、英国はなんという国だろう。あきれているわけではない。その見事さに圧倒されただけだ。スコットランド独立をめぐる住民投票の開票速報をBBCのネット中継で見ていて、僕はそう感じた。
 
 一つの国が分裂するかどうか。それがどれほど深刻な問題であるかは、世界史を振り返ればよくわかる。同時代史を見ても、旧ユーゴスラビアの解体がそうだった。最近のクリミア問題も同様だ。旧ソ連がトップダウンの決定で独立国家群になったり、旧チェコスロバキアがチェコとスロバキアに平和裏に分かれたりした例がないわけではないが、血で血を洗うような争いを招くのがふつうだった。
 
 ところがBBCのスタジオでは、スコットランド独立に対する賛成派と反対派がキャスターの横に座り、笑いを交えながら丁々発止の議論をしている。開票の途中経過が自治体ごとに発表されていくと、それぞれの会場で歓声が沸き起こるが、それは五輪開催地決定の瞬間とほとんど変わらない。国を分けるかどうかが、多数決によって粛々と決まる案件の一つになっている――僕が圧倒された理由は、そこにあった。
 
 スコットランドのありようがどうなるかは、僕たちがとやかく言うべきことではない。ただ内心では、独立はちょっと困るなあ、と思っていた。主義や思想があってのことではない。スコットランドが別の国になれば記者泣かせの事態が予想されるからである。
 
 たとえば、こんなことがある。科学記者は、古典力学のアイザック・ニュートンも電磁気学のジェームズ・クラーク・マックスウェルも同じ「英国人」と書いてきた。だが、投票の結果しだいで、これからマックスウェルはスコットランド人と表記しなくてはならないかもしれない。当時はスコットランドも英国だったのだから英国人のままでよい、という考え方はある。だがその理屈は、現存の人物にはあてはまらない。
 
 ユニオンジャックのことも気がかりだった。縦横と対角のくっきりとした線、赤と青の深みのある色調は美しい。英国では代案が取り沙汰され、青の代わりにウェールズの旗にある緑を組み込んだ絵柄も提案されたようだが、とってつけたようでピンとこない。それに、オーストラリアやニュージーランドの人々は自分たちの国旗をどうすればよいと言うのか。現にニュージーランドでは新しい国旗を定めようという機運も高まっているらしい。
 
 いずれにしても、これは英国人にとって自らのアイデンティティーの土台が揺らぐ大問題のはずだが、そんな気配がない。BBCでは投票前にスコットランドが去った後の国名をどうするかまで話題にしていて、「旧英国(former UK)、略してfUK、これはちょっとまずいよね」というような楽しみ方までしている。きっと今夏、英国のパブはこの手の話で盛りあがったに違いない。
 
 英国人は、なぜこうまで懐が深いのだろう。そう感心してから気づくのだが、かつてはそうではなかった。18世紀、米大陸の植民地が独立したときは戦争になった。北アイルランド紛争が一応の和平に達したのは、つい最近のことだ。それが今、なぜ? 
 
 もしかしたら、これは欧州で「国」の概念が変容しているからではないか。そこにはもちろん、欧州連合(EU)の存在がある。英国はいまもなおポンドを死守しているが、大陸では自分たちの通貨をやめて「ユーロ」に乗り換えた国が多い。今年5月の欧州議会選挙ではEUを懐疑する勢力が議席数を伸ばしたが、裏を返せば、そんな反発が出るほどに人々の「国」をめぐる意識が変わりつつあるということだろう。
 
  で、今週は急遽選んだ一冊、『とびきり哀しいスコットランド史』(フランク・レンウィック著、小林章夫訳、ちくま文庫)。原著は1986年に出た。著者は1937年にエディンバラに生まれ、オックスフォード大学で学んだ男爵。執筆時にはスコットランドで学校の校長を務めながら文筆活動をしていたらしい。ときに自虐的と思われるほどスコットランド人を辛口に評しながらも郷土愛を感じさせる本だ。
 
 冒頭の一文にこうある。「時は一七〇七年、かつてヨーロッパ諸国の一員として立派に独立を保っていたスコットランドは、三九八、〇八五ポンド一〇シリングで売却された」。今のレートなら約7000万円。連合法でイングランドに併合されたときのことだ。いきさつは終盤の章で読める。スコットランドは「商業上の平等」と引き換えに自前の議会を閉じ、ロンドンの議会に45議席を得た。併せて、この金額が譲渡されたという。
 
 著者は「スコットランド人は本書で述べられている様々な理由から、独立した国家の一員であることを放棄した国民」と書く。たしかに読み進んでいくと、スコットランド人の複雑な思いが推察できる。住民投票の結果が二分される背景も見えてくる感じがした。
 
 一つには、その多民族性。「現代のスコットランド人を調合するための基本的な材料」が「すべて揃った」のは13世紀末、日本で言えば鎌倉時代のことだという。「ピクト人、アイルランド人、ブリトン人、アングル人、ヴァイキング、ノルマン人、そしてフラマン人とオランダ人を少々。これを発酵させれば、現在のスコットランド人が出来上がるわけだが、なかでもノルマン人はイースト菌の役割を果たしていた」
 
 フランス・ノルマンディー地方のノルマン人は11世紀にイングランドを征服して、島国に大陸の洗練された文物をもたらす。著者によれば、大昔のピクト人の石造建築を例外に「ノルマン人が加わるまでのスコットランドには文化といえるものは存在しなかった」。
 
 いわば民族のるつぼ。ここで権力闘争が繰り返された。著者の皮肉を引用すれば「真の国王は、むごたらしい最期を遂げたかどうかで基本的には決められる」「この簡単かつ明瞭な法則がまかり通り、スコットランドが独立した国家として存在しなくなるまで、これが基本的な法として効力を発揮し続けた」。そして忘れてならないのは、民衆は蚊帳の外にいて、混乱に巻き込まれるだけだったことだ。権力者の関心もまた、外に向かっていた。
 
 たとえば、著者が「スコットランド国王としては珍しく、長生きをするという快挙までなし遂げてしまった」と言うジェームズ6世。17世紀初めにイングランドの国王も兼務することになった。血縁があったからだ。「知らせを受けたジェームズは、当然のことながら、待ってましたとばかりに祖国を後にした。そして一六一七年にほんのしばらくの間、帰国したことを除けば、二度とスコットランドの土を踏まなかった」
 
 興味深いのは、スコットランドはイングランドとの関係だけでなく、フランスを交えた三角関係のなかに置かれていたということだ。13世紀末、「イングランドの操り人形」と揶揄される王が現われると、国内諸侯は会議で「フランスと同盟を結ぶ」と決議した。一方、イングランドは14世紀、フランスとの戦争に忙しく、北の国境周辺はそっとしておきたいと思ってか、対スコットランド政策を「懐柔路線」へ転換したこともあったという。
 
 ここで、フランスを現在のEUに置き換えたらどうだろう。もちろん、中世と現代がぴったり重なるわけではないが、スコットランドの未来が自らとイングランドのx、yだけでなく、大陸のzも含む三元連立方程式の解であることは変わらないように思う。
 
 中世の王族や諸侯がなにをしようと、あるいは現代の国家がどうなろうと、それと別のところで民衆が自分の文化を守ってきたのがスコットランドだ。1990年代、ロンドンに駐在していて取材に赴いたときのことを思い返しても、それはわかる。流通するお札にスコットランド銀行の紙幣が交ざり、ホテルでテレビをつければゲール語のドラマが流れていた。住民投票の結果がどうあれ、スコットランドは今も昔もスコットランドなのである。
 
写真》僕のなかのスコットランドは、とりあえずはシングルモルト=尾関章撮影
(通算231回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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