『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島――現代語訳付き』
(近松門左衛門著、諏訪春雄訳注、角川ソフィア文庫)
写真》夏には天神祭
 
 テレビが僕の世界に入り込んできたのは、小学校2年生のときだった。それまでも隣家が楽しむ相撲中継を窓越しにのぞき見るといったスリリングな体験はあったが、いよいよ自宅茶の間にも受像機が置かれたのだ。それによって、僕は二つの異文化に曝されることになった。一つはアメリカ。白物家電満載のホームドラマや白人支配肯定の西部劇がブラウン管に映しだされた。そしてもう一つは、関西だ。
 
 「とんま天狗」「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」……。宵の口、コテコテの関西弁がなだれ込んできて、関東の子の笑いの神経をくすぐる。言葉は通じるのだが、まったく異質な感性の人々がいることを、僕は7歳にして知ったのである。
 
 関西が異文化圏だということを大人びた感性で嗅ぎとったのは10代後半だ。そのころのテレビでは、民放在京キー局が自前の番組の合間に在阪局制作の番組を流すということがしばしばあって、その一つだったように思う。チャンネルも番組名も放映年も思いだせないが、男たち数人がスタジオで語りあっていたことはしっかり覚えている。討論というよりサロン中継。「朝まで生テレビ」風の激論感はまったくない。
 
 記憶をたどれば、出演者には京都大学教授の歴史学者会田雄次、SF作家の小松左京といった関西知識人が顔をそろえていた。そのなかに一人、和服姿の人がいる。壮年噺家の桂米朝だった。彼の話を聞くともなく聞いていて、僕が新鮮に感じたのは、その発言ではない。むしろ口にしない言葉だった。しゃべりだすときの前置きに「あたしらには難しいことはわかりまへんが……」などとは言わなかったのである。
 
 当時、テレビに出てくる東京の噺家には、髪が五分刈りで口ぐせは「あっしらには難しいことはわかりませんが……」というタイプの人が多かった。お侍から一歩退いたところにいる町人という立ち位置だったのだろう。だが、米朝は違った。学者や作家が武家風なのに対して噺家は町人風であるにしても、それは役割の違いに過ぎない。互角に談論を楽しめばよいではないか。そんな堂々とした対等感が見てとれた。
 
 で、今週の一冊は『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島――現代語訳付き』(近松門左衛門著、諏訪春雄訳注、角川ソフィア文庫)。江戸幕府の統治が安定軌道に乗った18世紀初め、大坂すなわち今の大阪の町人社会で繰り広げられた恋愛悲劇を描いた人形浄瑠璃の作品集だ。「曾根崎…」「冥途の…」「心中天の…」とも、現実にあった色恋がらみの事件を題材にしているらしい。江戸期前半の世情を知るには、もってこいの証拠書類である。
 
 当欄では、これを現代語に訳したものを読むことにした。文学の鑑賞としては原文にあたるのが正攻法だが、当時の世の中のしくみを現代のそれと比較検証してみるには訳文のほうが適しているように思う。したがって引用するのも諏訪訳である。
 
 3作品の主舞台は「恋慕の情が身に染みる蜆川新地」。そこは「新しい開発の色里」で、「蜆川(しじみがわ)の流れにさらされて身のない貝殻のようになり、恋のために分別を失って人々がうろつく暗い道」だった。今の地図に重ねると、曽根崎を中心とした北新地界隈。当時はそこに、堂島川から分かれた蜆川(曽根崎川)が流れていた。遊里はまず南岸の堂島側に設けられ、やがて北岸曽根崎側に移った(引用は「曾根崎…」)。
 
 これらの作品群は、大店で働く男が新地の遊女に入れあげた挙句、心中に至ったり、身の破滅を招いたりするという物語。男の地位は、今の言葉で言えば企業の経営トップや中間管理職だ。ただ、それらはボンボンの放蕩バナシやホワイトカラーのスキャンダルに終わらない。男女双方に痛切な恋心がある。そのことを巧妙な筋立てや含蓄ある台詞によって裏打ちするところに、近松の力量が見てとれる。
 
 まず驚かされるのは、すでにこのころ、商都大坂に多業種の商いがあったことだ。男性主人公をみると、「曾根崎…」の徳兵衛は醬油屋手代、「心中天の…」の治兵衛は紙屋主人。そして、なによりも「冥途の…」の忠兵衛が営む飛脚問屋の業態がおもしろい。江戸大坂間の運送業も担っていた。これには現金の運搬も含まれる。冒頭では武士や商人が店に押しかけて、書状によればとうに届いているはずのものが届いていない、と苦情を言う。
 
 ここで、武士が遅配を責めたときの店の応対は洗練されている。「ごもっともごもっとも」となだめ、「最近の雨続き、川に水が出ましたので道中に日数がかかり」と弁明して、こう付けくわえる。「もし途中で盗賊がうばったり飛脚が道中で出来心を起こして、万一、数万貫目取られても、十八軒の飛脚問屋から弁償し、芥子(けし)ほどもご迷惑はかけません」。これは、業界の危機管理として盗難保険のしくみが整っていたことをうかがわせる。
 
 「冥途の…」では、大坂が後背の農業地帯に支えられていた様子もわかる。忠兵衛は、もとは大和新口村(にのくちむら)の豪農の息子であり、持参金付きで商家の養子になったという設定。恋する遊女梅川の身請けに用意した大金が使い込みによるものではないと言い繕う場面では「この銀(かね)は心配ない」「養子にくるとき、大和から持参金を持ってきてよそへ預けておいた銀(かね)」と苦し紛れに言ったりする。
 
 「曾根崎…」にも後背地が出てくる。醤油屋の主人は、甥でもある徳兵衛の縁談を画策、「田舎」に住む彼の継母に金銭を握らせて味方に引き込んだ。だが本人は、お初への恋心から話を潰しにかかり、主人に返金するため、「田舎へゆき」「母から銀(かね)を受け取った」とある。「心中天の…」の治兵衛も、愛人小春を「請け出す」のは恋敵の太兵衛とみて、こんな言葉を口走る。「あいつは妻子も親族も持たぬ奴。金は郷里の伊丹から取り寄せる」
 
 3編を通じて言えるのは、大都市の通貨経済が近郷近在に浸透していたということだ。さらに、商都の「商」を担う人材が、農村の「農」から輩出されていたという人の流れもみてとれる。「商」と「農」は交換可能な役割として並立している。
 
 作中の「商」「士」関係も、封建制度の綻びを感じさせる。「心中天の…」の敵役太兵衛が遊里で小春を指名して、茶屋の内儀から「今夜のお客はお侍様」「どこかよそで遊んでくださいな」と厄介払いされたときに口をついて出る啖呵。「ハテ、刀を差そうが差すまいが、侍も町人も客は客。いくら刀を差しても五本、六本は差すまいし、せいぜい差して刀と脇差のたった二本。いっそ侍客ともに小春殿を貰った」
 
 遊女を買うという行為を外してとらえれば、公民権運動を連想させるような言葉だ。実はここに登場する武士の正体にも曰くがあるのだが、それは伏せておく。近松が武家の血を引くことを思うと、著者が自身の半生を踏まえて巧妙に組み込んだ一節のように思える。
 
 男女の関係にも、近代の芽生えがみてとれる。「心中天の…」で治兵衛の妻おさんは、小春への手紙に「弱い女どうし互いに助けあうものといいますから」と書き、小春も心を動かされる。彼女らは異性愛だけでなく同性の「義理」、すなわち友愛(フラタニティ)も貫こうとした。これは、男性の手前勝手な幻想かもしれない。だが、その筋書きがまったくの絵空事と思えないほどには、市井に性を超越した自我意識が育っていたのだろう。
 
 もう一つ興味を覚えるのは、当時の死生観だ。治兵衛は心中を前に「この体は、地水火風からなり、死ねば空に帰る」と言いながら、「幾度生まれ変わっても」「魂が離れぬ証拠が欲しい」という願望を吐露する。仏教思想に根ざした言葉に違いないが、デカルト的な心身二元論にも近いようにみえる。日本社会に「地水火風からなり」のほうに関心を寄せ、それを突き詰めて考える人がいたならば、鎖国下に独自の科学を生みだしたかもしれない。
 
 ともあれ、米朝の対等感には近松の近代という根っこがあったのだ。関西、恐るべし。
(執筆撮影・尾関章、通算305回)
 
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