『小説読本』(三島由紀夫著、中公文庫)

写真》11月25日

 1970年11月25日のことはよく覚えている。東京はとにかく晴れていた。僕はまだ19歳で、白衣を着て実験室にいた。学友の一人がどこかで小耳に挟んだニュースをささやく。「あのミシマユキオが……」。理系学生の基礎実験と大作家の反乱。その交錯に当惑した。それが三島事件を知った最初の瞬間である。たぶんこの時点ではまだ、三島由紀夫は生きていた。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地への乱入がテレビで伝えられた直後だったのだろう。

 

 当日の報道で印象に残っていることが一つある。ニュース番組で、アナウンサーはみな「ミシマ」と呼び捨てにしていた。文学者は文芸記事にとりあげられるときは敬称略だが、テレビではふつう「さん」がつく。それを、いきなり剥奪されたのである。刑事事件の被疑者を今のように「……容疑者」とは呼ばなかった時代だ。高名な作家の芝居がかった振る舞いを世間の常識が犯罪の範疇に位置づけたのだ。そう実感したことを覚えている。

 

 三島由紀夫のイメージで、いつもつきまとうのは二面性だ。ひと言で言えば、作品群の整然としたたたずまいと現実生活の唐突感のある危うさ。華麗な文学者人生を終えるその日に事件報道の文脈で敬称が外れたという事実は、そのことを象徴している。

 

 当欄は、前身コラムも含めて三島作品を真正面から論じたことがない。右派思想を嫌ってのことではない。作品から思い詰めたような空気感が感じられて怯んでしまうのだ。だが、第三者の目がとらえた三島の横顔は好んでとりあげてきた(当欄2016年1月15日付「ノサカの文体でミシマを知る」、文理悠々2012年2月17日付「ミシマ、平凡パンチ&1960年代」)。そこには、お茶目ではあるがとことん孤独な知識人の姿があった。

 

 作家野坂昭如は『赫奕(かくやく)たる逆光』(文春文庫)で、20代の三島を街で初めて見かけたときの印象を書いている。「ライトブルーの上下に髪はリーゼント風」で「うらなり瓢箪(ひょうたん)」(原文の「箪」は旧字)のような感じだったという。

 

 一方、出版人の椎根和は『平凡パンチの三島由紀夫』(文春文庫)で、三島の意外な一面を切りだしている。帝国ホテルで「ハンバーグライスのおいしい食べ方」を伝授すると言って、挽き肉とご飯をごちゃ混ぜにしてみせたという話。新年会で皿を2枚手にとり、それらを時空の軸に見立てて「阿頼耶識というのはね」と唯識論を熱く語っていたら、同席者から「そりゃアラヤシキではなくて、サラヤシキ(皿屋敷)」と茶々を入れられたという話。

 

 どうやら、三島には文学作品そのものよりも、別角度から迫るほうが当欄の嗜好に合っているように思える。ということで今週は、小説論や創作活動の方法論を集めた『小説読本』(三島由紀夫著、中公文庫)。中央公論新社が2010年、単行本として刊行したものが今年10月、文庫化された。所収の13編は雑誌などのために執筆された。発表時期は1948(昭和23)年〜70(昭和45)年で、彼の文学者人生をほぼ覆い尽くしている。

 

 もっとも生々しいのは、「小説とは何か」という一編だ。著者最晩年の1968〜1970年に雑誌『波』に連載された。初出一覧に最終回が70年11・12月号とあるのをみてギクッとする。70年前半に執筆したと思われる部分にこうある。「つい数日前、私はここ五年ほど継続中の長編『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』を脱稿した」「さらに難物の最終巻を控えているが、一区切がついて、いわば行軍の小休止と謂(い)ったところだ」

 

 このくだりで著者は、小説家には「作品内」と「作品外」の二つの現実があり、「私にとって書くことの根源的衝動は、いつもこの二種の現実の対立と緊張から生れてくる」と打ち明ける。「暁の寺」が終わったことで「一つの作品世界が完結し閉じられる」と同時に「それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になった」。だから、全4巻完成後の世界のことは「想像することがイヤでもあり怖ろしい」とも。暗示に富んだ述懐である。

 

 さらに読み進むと、「心が死んで、肉体が生きているとして、なお心が生きていたころの作品と共存して生きてゆかねばならぬとは、何と醜怪なことであろう」という一文に出会う。このあたりの論理展開に、僕は納得がいかない。作品内外の相互作用が執筆の駆動力になることはよくわかるが、なぜ作品が閉じるとその外の現実が屑となり、心が死滅するのか。むしろ、これまで囚われていた作品世界から切り離されて自由を手にできるのではないか。

 

 三島事件の予感は、1966年に発表された「『われら』からの遁走――私の文学」にもある。「文学はもちろん大切だが、人生は文学ばかりではないということを知りはじめた」「文士が政治的行動の誘惑に足をすくわれるのは、いつもこの瞬間なのだ」「中年の文士の犯す危険は、大てい薄汚れた茶番劇に決っている」。ここにも「作品内」の現実と「作品外」の現実との相克が見てとれる。ただ、「外」に潜む「茶番」の罠を警戒はしていたのだ。

 

 この本が心地よいのは、著者が最初から「作品外」にいて軽快に文学を語っているからだろう。具体論がふんだんに盛り込まれている。たとえば「小説とは…」では、和風建築の「舞良戸(まいらど)」という板戸をどう表現するかで三つの案が提示される。

 

 1)「横桟のいっぱいついた、昔の古い家によくある戸」2)「横桟戸」3)「まいらど、というのか、横桟の沢山ついた戸」――僕は新聞記者としてわかりやすさ本位を強いられてきたから1)をとるが、著者によれば全部×。「すべて『言語表現の最終完結性』についての小説家の覚悟のなさ、責任のなさという罪名に於て弾劾(だんがい)する」。小説では、説明なしの「舞良戸」が正解という。言葉の自律を尊ぶ思想が、そこにはある。

 

 古今東西の書物を論じる箇所も、この本の読みどころだ。「小説とは…」で僕が感心したのは、柳田国男『遠野物語』評。老いた女の幽霊が現れる場面で、囲炉裏端に置かれた炭取という什器が彼女の裾に触れてクルクル回ったという描写に、著者は目をとめる。「炭取の廻転によって、超現実が現実を犯し、幻覚と考える可能性は根絶され、ここに認識世界は逆転して、幽霊のほうが『現実』になってしまった」。なるほどと思われる読み方だ。

 

 著者の作品を僕が敬遠する理由は、そのスクエアさ、生真面目ぶりにあることをこの本は再認識させてくれる。「わが創作方法」では、自分は「方向」「目的」「道筋」を定めてからとりかかる作家だと表明する。添えられた自虐的な逸話が愉快。著者によると、メキシコ旅行を日程通りにこなして帰ってきたら、友人から「お前の見てきたのはメキシコではない」と揶揄された。「行き当りばったり」だからこそ見えるものがあるとの批判である。

 

 「小説の技巧について」では、「散文芸術の技術的条件のあいまいさ」が難解な筆致で論述されているが、末尾には、著者にとって「夢想の形態」である小説の姿がほぼ1ページを費やして示される。理想の作品像と受けとってもよいだろう。それは「汽車のダイヤのように正確」であり、「作品の内部では注意ぶかく偶然性が排除され、どのような偶然の出会いも偶然の動作もなされず、一度たりとも骰子(さいころ)の振られない小説」だ。

 

 これを読んで僕は、物理学者アルバート・アインシュタインが量子力学の確率論風の世界像に反発して漏らしたひと言を思いだした。「神は骰子を振らない」である。その後の物理学の流れを追うと量子力学の圧勝であり、僕たちが生きる世界のしくみのどこかには骰子が隠れているように思われる。そう考えると、著者が体験した「作品内」と「作品外」の「対立と緊張」は、決定論と不確定性の摩擦によってもたらされているのかもしれない。

 

 特記しておきたいことがあと二つ。一つは、著者が文体面で影響を受けたという作家たち。「自己改造の試み――重い文体と鴎外への傾倒」で堀辰雄、レイモン・ラディゲ、スタンダールらとともに挙げられているのは森鴎外。夏目漱石ではない(原文で「鴎」は旧字)。

 

 もう一つは、著者が法科の学生として興味を抱いたのは刑事訴訟法だったということ。「汽車が目的地へ向かって重厚に一路邁進(まいしん)するような、その徹底した論理の進行」に惹かれたという(「法律と文学」)。ミシマは、どこまでもスクエアな人だった。

(執筆撮影・尾関章、通算344回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
■原則として毎週金曜日に更新、通算回数は前身のブログ/コラムを含みます。
■ブック・アサヒ・コム「文理悠々」のバックナンバーはこちらへ

1