『事件の年輪』(佐野洋著、文春文庫)

写真》65〜74歳(朝日新聞朝刊2017年1月6日)

 年明けにいきなり、「10年早いよ」と言われた。65〜74歳は高齢者ではなく准高齢者と呼ぼう、という日本老年学会と日本老年医学会の提言だ。新聞では1月6日に大きく報じられた。僕は去年、65歳になったばかりなので複雑な思いがある。この件で世に訴えたいことはWEBRONZAに書いた(2017年1月26日付「『准高齢者』が思う人生のワークライフバランス」、後段有料)。ここでは一歩退いて、老いの時間を考えてみたい。

 

 年をとると、時の進みが速くなる。これは、よく耳にする経験知だ。必ずしも年寄りの言いぐさとは言い切れない。若くても同じ感覚に囚われる人は少なくないだろう。僕自身も勤め人として数年単位の異動を繰り返していたころ、去りゆく職場を振り返って「あっという間だったなあ。小学生のころは1年があんなに長かったのに」という感慨に耽ったものだ。ただ、速くなったと感じる度合いが年齢を重ねるごとに強まっているようには思う。

 

 直近で言えば、その速さを暮れの年賀状書きで感じた。これは、その年の1月に届いた賀状の束をほどいて1枚1枚読み返しながら進めることになるので、そもそも心理面でタイムスリップしている。だから、添え書きや宛て名書きでペンを走らせていると「ついこのあいだも、こんなことをしていたなあ」と、前年同期の同一作業を思いだす。このとき、意識は春夏秋冬を飛び越えている。あたかも1年間、なにごともなかったかのように。

 

 ここで、準高齢の実感から一つの仮説が導かれる。人の記憶容量はパソコンのメモリーと同様に限られている。だから、記憶は忘却という削除や要約という圧縮によって整理される。その結果、生きてきた実時間が長くなるほど脳内時間は縮まっているのではないか。

 

 この仮説に立てば、高齢者の昔話好きも納得がいく。おじいさんやおばあさんの脳には長い時間幅の年表ができあがっていて、60〜70年前の記述も10〜20年前や1〜2カ月前のそれと同列に並んでいる。しかも、人は思いだしたいことを好んで思いだすので、いい思い出は想起の繰り返しで強まり、記憶の整理過程でも残存しやすい。だから、雑談となれば自慢話がこぼれ出る。この一点で老後の幸福は保証されているようにも見える。

 

 ところが、現実はそんなに甘くない。人は、ふつうにいやなことはどんどん忘れても、度外れていやなことは決して忘却できないということだ。だから、記憶の地層の底には、引っぱり出したくない出来事が眠っている。トラウマ――心的外傷の原因となる類いのものである。それらのあるものは、掘り起こされることなく墓場に持ち去られるかもしれない。だがときに何十年もたって突然頭をもたげ、意識の表面に這いだしてくるものもある。

 

 で、今週は『事件の年輪』(佐野洋著、文春文庫)という短編集。2001〜04年に雑誌に出たミステリー10編から成る。著者(1928〜2013)は心の綾を描くのが巧い。その一方で、新聞記者出身らしく社会性が漂う作品も多い。僕が好きな作家だ。当欄は2年前にも、短編集『墓苑とノーベル賞 岩中女史の生活記録』(佐野洋著、光文社文庫)を話題にした(2015年3月20日付「佐野洋アラウンド80のコージー感覚」)。

 

 二つの本には共通点がある。どちらもおもに、仕事や家事の繁忙期を過ぎた高年齢世代の話を扱っていることだ。『墓苑…』の短編群は主人公が同一人物の連作で、年配夫婦が暮らす住宅街の物語だ。殺人事件も例外的に出てくるが、なべて言えば、彼らが歳を重ねて手に入れた快い空間が舞台だった。これに対して『事件の…』には、封印された過去が老境の心理に顔をのぞかせる短編が収められている。そこには時間軸の苦さがある。

 

 僕が惹かれたのは「忘れ得ぬ人」。表題そのものに時間軸がある。D県でタクシー、ホテル、ゴルフ場などの事業を手広く展開する地場企業の会長内藤忠一に、フリーライターの「私」が地元雑誌の発注で取材する話だ。著名人に「忘れ得ぬ人」を語ってもらおうという企画。広報課は当初、難色を示した。「経済人としての抱負、展望」ならいいが「プライベートな問題」では、というわけだ。いかにもありそう。作者の記者経験が生きている。

 

 「とにかく会長に聞いて下さいよ」と粘ると翌日、承諾の返事が戻ってくる。取材の当日に「広報課長に従い、会長室におずおずと入った私」を、内藤は「人懐っこい笑顔で迎えてくれた」。トップに立つ者の高貴さ、ノブレス・オブリージュか。いやそうとばかりは言えない。「年寄りなので、話がくどくなるかもしれませんが」とことわって少年時代のことから切りだした。この人には自叙の物語ができあがっているんだな、と思わせる導入部だ。

 

 内藤の話が本題に近づいたのは戦後、旧制のD高商に入ったあたりからだ。下宿には自分のほかにも間借り人がいて、うち一人は「オンリーさん」だった。進駐軍の軍人に「囲われていた女性」である。「何とかという当時の有名女優のような感じ」だったという。その米軍将校は毎日のようにやって来る。下宿屋は、日本家屋の部屋を襖1枚で仕切るというようなつくりだったのだろう。彼らの情事の間は「外出して時間を潰していました」。

 

 ここまでくれば、忘れ難いのはそのオンリーさんかと思うだろう。だが、内藤はそれを否定する。続けて「これがまあ、ヤンキーゴーホーム事件の背景でして……」と、自身が若気の至りで起こした小事件に話題を転じる。ある日、D市の繁華街で酔って、米軍憲兵(MP)二人に「ヤンキーゴーホーム」のひと言を浴びせた。すると、その二人に取り押さえられて交番へ突きだされたという。「占領目的阻害行為処罰令」が適用されかねなかった。

 

 なぜ、反米の言辞を吐いたのか。内藤は、MPを見てオンリーさんを思いだしたからだと自己分析する。MPは体格がいい。あの将校も同様だ。「あんな大男に組み敷かれるのでは、彼女は大変だな……」。青春期の正義感と性的好奇心が入り交じった思いと言えようか。

 

 と、ここまで引っぱってようやく、内藤の回顧に「忘れ得ぬ人」が登場する。交番に現れた旧制高校生だ。英語が達者で、調停を買って出る。この青年は「ヤキゴメ」という名の友人を見かけて呼びとめただけ、それが「ヤンキーゴーホーム」に聞こえたのだ――そんな理屈でMPを言いくるめてくれた。その結果、この一件は大ごとにならずに済んだ。今の自分があるのもあの人のおかげと言って、彼を見つけてほしいと「私」に頼むのである。

 

 この先は詳述しない。ただ、「私」の調査は過去の断片を次々に掘りだしていく。それらをつなぎ合わせると、内藤にとっては都合の悪い筋書きも推察されてくる。忘れていたほうが無難なのに「忘れ得ぬ」――准高齢者や高齢者にはそんな昔もあるのかもしれない。

 

 この短編集には、科学報道に携わってきた者には見逃せない1編もある。「原爆を止めた男」。書きだしの話題は、まさに老いの心理。主人公の堀田75歳は電車に乗ったとき、席を譲られまいとする。そこで身につけた習慣は、本に読み耽っている人の前に立つことだ。この日も、それにぴったりの中年男を見つけて移動する。すると、その男が声をかけてくる。堀田が高校教師だったときの教え子だった。降車駅の駅ナカ喫茶店で旧交を温める。

 

 教え子は今、出版社勤め。学者からの頼まれごとで、古書店で古雑誌を買い入れた帰りだという。戦争直後に出た『真相』という「暴露雑誌」。堀田はそれを見せてもらって、目次に「原爆研究」「爆死の真相」の文言を見つける。「気のせいか、堀田の脈拍が早くなったようだ。そして、ある人物の顔が、はっきりと浮かんでいた」。記憶の底からなにかが立ち現れる瞬間は偶然に訪れる。そのことを電車、再会、古雑誌という流れで切りだしている。

 

 堀田の心の中では、戦後に聞いたある人物の告白をどう受けとめるべきかがずっと未解決だった。その霧を、たまたま手にした古雑誌の記事が払うという醍醐味。戦時の不確かな軍事情報にくっついた「尾ひれ」が思わぬ副産物をもたらしていた現実が見えてくる。

 

 佐野洋は戦後の混乱期、20歳前後の青年だった。もしかしたら自身にも痛みを伴う体験があって、その苦さを作中人物の記憶に投影させたのかもしれない。老境の圧縮された時間軸をトラウマ覚悟で掘り起こすのも、歴史からなにかを学ぶ一助にはなるだろう。

(執筆撮影・尾関章、通算355回)

 

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