「月刊寅さん8月号」(朝日新聞2019年8月27日朝刊)

写真》団子と寅さん(朝日新聞2019年8月27日朝刊)

 当欄の書名欄に「月刊寅さん…」とあるのを見て、えっ、そんな雑誌が出たの? と思う方がいるかもしれない。ええ、たしかにこれは創刊号。でも、雑誌ではない。朝日新聞がかつて一世を風靡した「男はつらいよ」シリーズ(松竹)を題材に月1回の連載を始めたのである(朝日新聞2019年8月27日朝刊)。シリーズ第1作(山田洋次監督)の公開から満50年の機会をとらえて、ということらしい。8月27日はその封切り記念日だった。

 

 この企画、いかにも、なあ、という感じがしないでもない。新聞は今、読者層がどんどん高齢化している。若い世代には、日常は読まない、開かない、手にしない、という人が多いようだ。新聞社がもし、若者の読み手をふやそうとすればデジタルメディアで勝負せざるを得ない。では、紙の新聞を生き延びさせるにはどうするか。ここは、高齢層の心をわしづかみにするしかない。さあ、寅さんの出番である――。というわけだ。

 

 では、僕自身の寅さん体験はどうだったか。子どものころ、NHK「夢であいましょう」で渥美清という人を知った。浅草の匂いのする喜劇人だった(当欄2016年7月15日付「選挙翌日、夢とシャボン玉しぼんだ」)。高校時代、その渥美が主演する「男はつらいよ」(フジテレビ系列)というドラマの虜になった。主人公の寅さんが亡くなって完結したので残念に思ったが、まもなく映画で復活した。でもすぐ映画館に駆け込んだわけではない。

 

 そもそも、これまで僕は映画館で「男はつらいよ」を観たことがあるだろうか。あるような気もするし、ないような気もする。あったとすれば、学生のころに時間つぶしで入った名画座のシリーズ連続上映ではなかったか。映画広告を見て切符を買い、わざわざ封切り館に出向くということはなかった。それなのに、かなりの本数を観ている。これが不思議だ。テレビで放映されると、なんとなくチャンネルを合わせ、寅さんの世界に浸っていたのだ。

 

 いったい、僕は寅さん、即ち「男はつらいよ」の世界が好きなのか嫌いなのか。この問いには、自分でも答えるのが難しい。観ていて心地よいのだが、退いてしまうところもある。そんな感じか。退いてしまう因子を言えば、それはあのシリーズのインテリ色にある。

 

 寅さんがインテリ? 渥美清はそうでも寅さんは……という反論はあろう。たしかに、あのキャラはインテリとは言えない。だが、「男はつらいよ」の作品世界は、戦後知識人が民主主義の理想を背負ってつくりあげたユートピアのように思われる。そこでは、町の印刷工場の社長や工員が隣の団子屋一家を交え、ときに悪口雑言を投げあいながらも心の底で慈しみあっている。社長も工員も働く仲間なのだ――そんなメッセージがある。

 

 僕自身は、「男はつらいよ」的なユートピアが心地よい。だから、その作品世界に惹かれるのだ。だが残念なことに、日本社会はそれと乖離する方向に進んだ。シリーズ第1作公開の1969年以後もしばらくは高度成長を追い求め、次いでバブル経済を膨ませ、それが潰れると格差という亀裂を引き起こした。日本社会はついに「社長も働く仲間」という意識を身につけられなかった。そう思うと、あのユートピアが机上の夢想に見えてくる。

 

 だから僕は、「男はつらいよ」シリーズに距離を感じるようになっていたのだけれども、最近は別の角度から心を動かされている。その思いをすくいとってくれたのが、「月刊寅さん」だ。その前書きに「不寛容、貧困、格差、孤独死……いま、日本の社会はさまざまな問題に直面しています」「寅さん(車寅次郎)だったら、どんな言葉をかけるだろう――」とあることに、僕も共感する。で、今週は、その創刊号を話題にしよう。

 

 この8月号本文の筆者は、小泉信一編集委員。この人を朝日新聞随一の「寅さん記者」と呼んでも、おそらく叱られまい。去年、全国のスナックをぶらりと訪ね歩く連載を取材執筆していたが、それも、記者自身が寅さんになり切って旅している記事のように読めた。

 

 さて、今回の本文。導入部は、寅さんが全国津々浦々の神社仏閣を回り、境内の一角で露店を開いて「トントントンと畳みかけるような七五調の口上」で客を呼び集めている、というおなじみの場面。「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水……」「白く咲いたはユリの花、四角四面は豆腐屋の娘……」という感じだ。春は桜前線のように北へ、秋は紅葉前線のように南へ足を向け、「トランク片手に旅をしていた」と書く。

 

 次いで登場するのが、実在の露天商。北海道根室市内の神社の夏祭りで屋台を構えていたベテランのあめ細工師、72歳の男性だ。あめを温め、「練り、延ばし、ハサミを入れ」て犬や猫、竜などを仕上げていく。道内各地を巡る日々。屋台も、商品も、生活用具一式も、なにもかも2トン車に詰め込んで町から町へ移動する。「のたれ死ぬのかなと思うこともある」というから、「トランク片手」にさすらう寅さんほど軽快ではない。

 

 だが、そのあめ細工師は言う。「日常から逸脱した世界がテキヤ稼業の魅力。窮屈な管理社会とは対極だよ」。ここで、テキヤとは露天商の俗称だ。えっ、この人は「窮屈な管理社会」のことも知っているのかと一瞬訝るが、経歴の記述を見て納得する。芸大を中途退学して転職を繰り返し、たどり着いたのがこの仕事だという。大学で、職場で、いつも「管理」の息苦しさを感じてきたのだ。僕はほぼ同世代だから、その気持ちがよくわかる。

 

 彼が20歳前後だった1960年代後半、日本には大学紛争があった。米国ではベトナム反戦運動が高まっていた。そして欧州ではパリ五月革命、プラハの春。これら若者の反抗に共通するのは、五月革命のときに叫ばれたという反「管理」の精神だったように思う(当欄2016年5月13日付「五月革命、禁止が禁止された日々」)。ところが、その反抗の頂点1968年を境に、世の中は「管理」のベクトルを強めたのではないか。

 

 そして今、「管理」の波は寅さんの世界にまで押し寄せている。この記事によれば、1992年施行の暴力団対策法が大波だった。露天商も、取り締まり強化の影響を受ける。「出店計画を街商組合を通じて地元警察にかなり前に届けないといけない」と記事にはある。露天ビジネスを暴力団から切り離し、暴力団の資金源を断つ効果はあるのだろう。ただ、もし寅さんが今も仕事を続けているのなら、もはや気の向くままの旅はできないはずだ。

 

 ここで言い添えなくてはならないのは、「管理」は警察権力の上意下達でもたらされるものばかりでないことだ。この記事で例に挙がるのは、東京・新宿の花園神社で催される「酉(とり)の市」。出し物に規制があるが、それを促したのは人権や動物の権利を重んじる「市民団体の批判」だという。見世物小屋にはかつて容認しがたいものがあったから、これは正当な主張である。それによって主催者側が「管理」を迫られているのだ。

 

 この記事は「何かあれば苦情が寄せられ、ネット上でバッシングされる世の中」を反映して、露天ビジネスが無難な領域に限られてきた現状を指摘する。商品の定番は「お好み焼き、クレープ、フランクフルト……」。これでは、買い物街のフードコートと変わらない。根室の神社の氏子総代(73歳)も、昔の祭りをこう懐かしむ。「ちょっと怖いお兄さんがいたりしてね。口八丁手八丁でインチキ臭そうな品物を売りさばく人もいて楽しかった」

 

 僕が今、「男はつらいよ」に見いだすのは、「管理」の呪縛とは無縁な人々だ。だが映画のつくり手は、ことさらその様子を描こうとはしていなかったように思う。なぜなら、あのころは現実社会の「管理」がそんなには強くなかったからだ。つくり手の思いはむしろ、「社長も働く仲間」的なユートピアにあったのではないか。そのために生みだされた風来坊の主人公が半世紀後、僕たちが今どれほど「管理」されているかを痛感させてくれる。

(執筆撮影・尾関章、通算488回、2019年9月6日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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映画「新聞記者」(原案・望月衣塑子、河村光庸、監督・藤井道人、制作・スターサンズ)

写真》選挙翌日(朝日新聞2019年7月22日朝刊)

 参院選前日の土曜日、映画館に出かけた。話題作「新聞記者」(原案・望月衣塑子『新聞記者』〈角川新書〉、河村光庸、監督・藤井道人)を観るためだ。今度の選挙でも何も変わらないだろう――そんな予感に風穴を穿ちたかったからである。いい映画だった。励まされもした。今回もまた、涙が込みあげた。だが、展望が開けたわけではない。新聞記者が真実に行き着いてもその真実がぼやけてしまう。そんな現実を、まざまざと見せつけられた。

 

 で、今週は思い切って本を離れ、この映画1本に絞って感想を書く。

 

 この作品が成功した最大の要因は、配役が的確で、それぞれの役づくりが巧かったことにある。なかでも主役の東都新聞社会部記者、吉岡エリカを演じるシム・ウンギョンの実在感は際立っていた。短めの髪型、ほとんど化粧っ気なし、いつも地味な服を着ている。メディア人というとニュースキャスターのような派手なイメージを思い浮かべがちだが、実際は違う。彼女ひとりの装いや振る舞いがメディアの実像を印象づけたと言えよう。

 

 シムは、ソウル生まれの女優。日本語の台詞を覚えるのは、さぞ大変だっただろう。台詞がやや硬い面はある。ただ役の吉岡も米国暮らしが長く、母が韓国人という設定なので、それは不自然ではない。むしろ、若手記者の一途さを表現する効果をもたらしている。

 

 もちろん、元新聞記者として「これは違うな」と苦笑することはあった。たとえば、記者が朝、出社してきて「おはよう」を言いあう場面。僕がいたのは、こんな礼儀正しい集団ではなかった。あるいは記者が特ダネを書いた夜、試し刷りを上司のデスクとともにしみじみと見入る場面。ふつうは、刷りを手にすれば点検作業に入る。新聞社の編集局は最終版の版を降ろすまで喧騒のさなかにある――。だが、そんな違いは些末なことだろう。

 

 ということで新聞記者の描き方としては、おおむねリアルだった。原案者の一人が東京新聞の現役記者であり、映画制作には朝日新聞も協力しているようなので、これは当然だ。

 

 では、映画の筋そのもののリアリティーはどうか。館内で買った小冊子には「『リアル』を撃ち抜く衝撃の『フィクション』」とある。作中には、こんなことがあるのかなと首をかしげる話がある。そんなことはまさかあるまい、という筋立てもある。だから、「フィクション」には違いない。ただ、似たようなことがあっても全然おかしくないとは思われる。現実ではないが真に迫る。これが「『リアル』を撃ち抜く」ということなのだろう。

 

 まさかこんな不気味な部屋はないだろうと思われるのは、内閣情報調査室(内調)のオペレーションルームだ。暗い密室にコンピューター端末が何列も並んでいる。画面に向きあってキーを叩く人々は、ただのオペレーターではなさそうだ。中央官庁からの出向組を含むエリート官僚たちと推察される。ではいったい、彼らは何にいそしんでいるのか。映画のカメラを通して端末画面をちらっとのぞき見たとき、小さな驚きに襲われる。

 

 どうやら、ソーシャルメディアの発信をリアルタイムで追いかけているらしい。一瞬戸惑うが、これは現実にあっても不思議ではない。今、「世論」をあるがままにとらえようとすれば、どうしてもソーシャルメディアに行き着く。新聞を読めば事足りる時代はとうの昔に終わったのだ。もちろん、ネット愛用者には年齢層などで偏りがあるから、その総和を見ても世論とは言えない。それでも適切な補正を施せば、正解に近づくはずだ。

 

 このネット閲覧は不当とは言いにくい。井戸端会議や床屋政談の類いがいきなり官憲の耳に届くことになぞらえれば恐ろしいが、これは盗聴ではないのだ。書き込む側は全世界に向けて発信しているのだから、読み手のなかに政権中枢の人がいても拒めない。

 

 問題は、ここから先の話だ。この映画では、内調の部内で「拡散」という言葉が飛び交う。ここから読みとれるのは、エリート官僚たちはオペレーションルームの画面で「つぶやき」に目を通すだけでなく、自身もそれを広めることに関与しているらしいということだ。世論監視という受動域にとどまらず、世論操作という能動域に踏み込んでいるのではないか。自嘲気味のせりふもあるから、上からの指示でやらされているのだろう。

 

 この情景を見て、日本の現実はまだここまでは来ていないだろうと僕は思った。ただ映画冒頭に、男性の元高級官僚と女性の野党議員の不倫話が各紙一斉に報道され、政権中枢の「リーク」が疑われる場面がある。これと同じではないが、似たような出来事は実際にもあった。ソーシャルメディア、週刊誌、テレビの情報番組……。これらに醜聞の種を撒き、それを炎上させるという組織的な操作はそんなには難しくないだろう。

 

 いや、政権中枢が露骨な「拡散」や「リーク」に手を染めなくとも、ソーシャルメディアの「つぶやき」の流れをつぶさに分析すれば、そのクセもわかってくる。政権が報道発表の日程を、スポーツ界や芸能界の動向、あるいは動物園の話題などを考慮に入れながら決めていけば、好都合な炎上にアクセルを入れ、不都合な炎上にブレーキをかけることも可能だ。この映画は、現代社会が情報操作のリスクに満ちていることに気づかせてくれる。

 

 この映画では、もう一人の主役、外務省出身の内調官僚杉原拓海(松坂桃李)と、上司の内閣参事官多田智也(田中哲司)のやりとりからも目が離せない。多田は、政権にとって好ましくないことを言う人物が裏で野党と通じているように見える人脈図をつくれ、などと無理難題を吹っ掛ける。杉原は内心で抗いながらも、とりあえずは唯々諾々と従う。堪忍袋の緒は切れるのか、切れるとしたらいつどのようにしてか。それが見どころだ。

 

 杉原対多田の対峙でもっとも印象的なのは、多田が杉原に第一子出産祝いの祝儀袋を押しつける場面。汚い仕事をさせておいて現金を渡すのだから、もらう側の気持ちは複雑だろう。外部の人間からならば贈収賄の構図になる。だが、相手は直属の上司だ。受けとらなければ礼を失することにもなろう。妻も、そして生まれたばかりの子どもも、家族の未来はすべて自分の手中にあると言わんばかりの威圧感が、多田の態度には表れている。

 

 さて、この映画でもっとも怖いと感じたのは、冒頭の段落に書いたように「真実がぼやけてしまう」現実だ。映画でも、それを示唆するひとことを多田が杉原に言い放っている。「嘘か本当かを決めるのはお前じゃない、国民だ」。事の真偽は問わない、人々がどう思うかが問題だ、ということか。米国でドナルド・トランプ政権が誕生したときの「代替の事実」を思いだす(当欄2017年2月24日付「恩田陸Q&Aで考える代替の事実」)。

 

 映画の筋を後半までたどるのは、ネタばらしになるのでできない。ただ、これだけは言っておこう。吉岡記者が特ダネにつながる書きものの物証――新聞記者はこれを「紙(かみ)」と呼ぶ――を手にしたときのことだ。ひと昔前の映画なら、この瞬間に観客は内心で拍手を送ったことだろう。だが、今回は違った。ここまできても、どんでん返しの不安が僕の頭から離れなかったのだ。新聞記者は「紙」を絶対視してきたが、今はそれも通じない。

 

 それはそうだろう。今、日本の官僚社会では「紙」はかんたんに書きかえられる。捨てられることもある。無効化されることだってある。真実はどうとでもなるのだ。もはやもう、新聞記者には怖くて戻れないな。心配性の僕は、つくづくそう思うのだった。

(執筆撮影・尾関章、通算482回、2019年7月26日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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映画「グリーンブック」の小冊子(東宝ステラ編集)

写真》小冊子も緑色

 また、映画で泣いてしまった。涙は眼鏡の内側にとどまったが、強い共感がこみあげた。これは情緒反応の一種だから、他人にひけらかすような話ではない。だが、もしその感情が公憤を伴うものであれば、それを書きとめ、人々の目に曝してもよいだろう。

 

 僕を泣かせたのは、アメリカ映画「グリーンブック」(ピーター・ファレリー監督)。今年のアカデミー賞では作品賞、助演男優賞、脚本賞の三つをとった。日本では、この3月から公開されている。僕は連れあいと5月半ばの平日昼間、都心のシネプレックスに座席予約なしで入ったのだが、予想に反してほぼ満席だった。派手なアクションや特撮はない。恋愛も不倫もない。それなのにこんなに込んでいるとは……それは、うれしい誤算だった。

 

 題名は、米国で1930年代から60年代半ばにかけて刊行された『黒人ドライバーのグリーンブック』からとっている。自らも黒人であるヴィクター・H・グリーンという人物が創刊した。当時、南部諸州では黒人を受け入れない宿泊施設や飲食店が少なくなかったので、この本では、泊れる宿や入れる店を列挙した。今の視点でみれば差別を容認しているようにも見えるが、無用ないざこざを避ける実用書だったのだろう。

 

 この映画は1962年の話。ニューヨーク・ブルックリン在住の白人トニー・“リップ(口八丁)”・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)が黒人ピアニストのドクター・ドナルド(ドン)・シャーリー(マハーシャラ・アリ)に運転手として雇われ、南部巡りの演奏旅行に付き添う。トニーはイタリア系、ナイトクラブに勤め、厄介事の処理をこなしていた。ドンはクラシック音楽の英才教育を受けた教養人。この二人の反発と友情の物語である。

 

 ちなみに、ここで「黒人」は「アフリカ系アメリカ人」と言い直したいところだ。ただ僕の記憶では、1960年代には差別反対の人々も「黒人」という言葉をふつうに使っていたように思う。そんな歴史的事情を映すために、あえて言い換えはしないことにする。

 

 さて、話のマクラをここまで引っぱってきたが、そろそろ本の紹介に入る頃合いだ。だが残念なことに、この映画には原作がない。映画を小説で再吟味することができないのだ。そこで頭に浮かんだのが、館内で買い求めた小冊子(東宝ステラ編集)。インタビューがあり、作品評もあるが、なによりも作中の場面を切りとったスティル写真が満載だ。それをよりどころに、僕がスクリーンを前に抑えきれなかった涙の意味を考えてみよう。

 

 小冊子の記述によると、この映画には実在のモデルがいる。トニー・バレロンガ(1930〜2013)とドナルド・ウォルブリッジ・シャーリー(1927〜2013)。スタッフ欄で目を引くのは、「ニック・バレロンガ/製作・共同脚本」とあることだ。ニックはトニーの息子。もともと映画人で、多くの作品の製作、監督、脚本などを手掛けてきたが、今回は、実の父の実生活をもとに小粋だが風刺の効いた人間物語をつくりあげた。

 

 スティル写真には、一見ありふれた場面もある。トニーが旅に出る前のことだ。自宅で屋内工事があった。黒人の作業員たちの仕事が一段落して、妻のドロレス(リンダ・カーデリーニ)が笑顔で冷たい飲みものを差しだしている。どこの家庭でも見かける光景だ。ところが彼らが引きあげた後、トニーは飲み干されたグラスを見つけ、汚いもののようにゴミ入れに投げ捨てる。当時は北部にもそんな差別感情があり、トニーもそれに囚われていた。

 

 スティル写真を1枚1枚眺めていると、ドンが南部で遭遇した差別の数々が次々に思いだされてくる。その一つは、演奏会の会場でトイレに入ろうとして、戸外の小屋で用を足すように給仕から促される場面。トイレも白人用、黒人用に分かれていたのだ。給仕の言葉づかいがバカ丁寧なことで差別のいやらしさがいっそう際立つ。演奏家としては丁重に遇しましょう、でもあなたはここに集う人々と一緒ではないのですよ、という拒絶。

 

 あるいは、町の紳士服店前でトニーがドンに陳列窓のスーツを買うよう勧める場面。そのころは二人の間に友情が芽生えていて、これは似合うよ、と助言したのだ。ところが、ドンがその気になって試着しようとすると店側に拒まれる。二人は、こんな目にばかり遭う。

 

 映画の主題が言語化されるのは、トニーが土砂降りのなかを運転しながら後部座席のドンと口喧嘩したときだ。いつもは冷静なドンが、このときばかりは激情を露わにする。ここには台本がないので、記憶をもとに要約するしかないが、トニーは、俺たちこそ現実には貧しく虐げられており、あんたは白人上流階層の仲間だ、と言い張った。これは今、トランプ大統領支持の白人低所得者層がオバマ前大統領に抱く思いに近いのかもしれない。

 

 これを聞いたドンは、車を止めさせて外へ出る。ずぶ濡れになって発した言葉にはこんな表現があった。not black enough”“not white enough……「じゃあ、教えてくれ。黒とも言えず、白とも言えないというのなら、僕はいったい何者なのだ?」

 

 そういえば、この映画は米国の人種差別がその多民族性によって増幅される現実も見せつけている。たとえば、イタリア系の男たちが仲間うちで黒人蔑視の会話を交わすとき、いつのまにか言葉はイタリア語に代わっていた。民族の坩堝は分断の芽に事欠かないのだ。

 

 この映画で心にとめておいたほうがよいのは、ドンの窮地を救うトニーの振る舞いがほめられたものばかりではないことだ。ドンがある町で警察官に身柄を確保されたときは札びらをちらつかせて彼らを懐柔する。君たちはしっかり仕事をしている、これはそういう立派な警察官への寄付だ……そんなことを言い連ねて金を渡し、ドンを取り戻す。買収だ。贈賄と言ってもよい。その話のもっていきようは、さすが“リップ”らしくもある。

 

 夜道を走っていて、パトカーに停められたときはトニーの拳が警察官を打ちのめした。黒人は夜間に外出できないという決まりに反するとして、ドンが摘発されそうになったからだ。結局、二人は留置所入りとなるが、ドンがロバート・ケネディ司法長官に電話した結果、州知事経由で警察署に釈放の指示が下る。この出来事がどこまで実話かはわからないが、ドンには東部知識人層の人脈があったから、ありそうなことではある。

 

 もう一つ強調したいのは、この映画で遵法精神をふりかざしていたのが黒人を差別する側だったということだ。その極みはアラバマ州でのひと悶着。ドンが演奏前に晩餐会会場へ入ろうとすると断られる。自らの尊厳をかけて、ここで食事できなければ演奏しないと突っ張るドン。このとき支配人らしき人物が、トニーの抗議にほうほうの体となりながら慇懃な言葉づかいで口にしたのが、これは決まり事なので、という趣旨の弁解だった。

 

 米国では1964年に公民権法が定められるまで、南部諸州ではジム・クロウ法と呼ばれる一群の黒人差別法が幅を利かせていた。悪を正当化する法律が善の前に立ちはだかっていたのである。こういうとき、その悪を打ち負かすために法を逸脱するのを見せつけられても嫌悪感はそんなに起こらない。カタルシスを体験することさえある。映画を観て僕のなかにこみあげてくるものがあったのは、そうした事情なしには説明しがたい。

 

 翻って、今の日本社会はどうか。悪法らしき法律はあるが、黒人差別法ほどには歴然としていない。勢いを増すのは、遵法精神(コンプライアンス)尊重の論調ばかり。人々は、法令の字面にばかり神経をとがらせている。僕はここで、トニーのように警官をまるめ込んだり殴ったりする行為をよいとは言わない。ドンのように有力者のコネにすがるのも潔くはない。ただ、自らの良心に照らして悪法を悪法という権利があることは忘れたくない。

 

 さて、涙が僕の目にあふれたのは、アラバマの一件で会場を出た二人が地元の酒場に飛び込んだときのことだ。店には1台のピアノがあった。ドンは、トニーにそそのかされてショパンを弾く。名曲「木枯らしのエチュード」が場違いなほど静かに始まるが、次第に熱を帯びてジャズのようになる。そして店専属のジャズコンボが加わり、即興演奏で盛りあがった。クラシックからジャズへの自然な移ろい。そこに多民族の心の通いあいを見たのだ。

(執筆撮影・尾関章、通算473回、2019年5月24日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『昭和怪優伝――帰ってきた昭和脇役名画館』(鹿島茂著、中公文庫)
写真》サングラス、だれが似合う?
 
 生まれて初めて観た映画は何だったか。そんなことに思いを巡らせていて、はっとさせられたことがある。何をではなくどこで、についてだ。もしかして、それは映画館でなかったのではないか。幼稚園の園庭? 小学校の校庭? あるいは児童公園? いや縁あって訪ねた豪邸の主が芝生の庭で開いた上映会だったかもしれない。真夏だったのだろう。戸外に張られた映写幕が祭りの夜のような気分を醸していた。
 
 映しだされたのは「ノンちゃん雲に乗る」(倉田文人監督、新東宝)。1955年の作品。石井桃子のベストセラーを映画化したもので、鰐淵晴子が子役で主演した。白布に浮かぶモノクロ映像が遠い思い出のなかにある。
 
 都心の映画館に出かけることもあった。作品を一つ挙げれば、「野ばら」(マックス・ノイフェルト監督、1957年)。ウィーン少年合唱団の物語だった。いま調べてみると、筋立てには56年のハンガリー動乱が織り込まれ、時代性に富んでいたらしい。
 
 こう書いてくると、幼少のころは文部省推薦もしくはそれに準ずる映画ばかりを観させられていたような気もする。だが、そうとばかりは言えない。僕が住んでいた町には映画館が二つもあったからだ。一つは、駅を降りてすぐの裏道に面した「東洋映画劇場」。もう一つは、寺の山門前にあった「南風座」。僕の家に下宿していた大学生に連れられて、芝居小屋然とした館の暗がりに入り、その淀んだ空気を吸ったのだった。
 
 この2館にどんな映画がかかっていたか、定かには覚えていない。脳裏に焼きついているのは、新選組の防具の胴に大書された「誠」の文字。波しぶきが飛び散る岩場を背景にした「東映」の文字。僕の町の映画館はハレではなくケ、定番娯楽作品の上映館だった。
 
 で、今週の一冊は『昭和怪優伝――帰ってきた昭和脇役名画館』(鹿島茂著、中公文庫)。著者は1949年横浜生まれで、仏文学が専門。近現代フランスの文化、思想、生活、風俗の語り部でもある。当欄で訳書『ジャーナリストの生理学』(オノレ・ド・バルザック著、講談社学術文庫)をとりあげたときも、巻末の訳者解説に教えられることが多かった(「バルザック、ジャーナリズムへの愛憎」2015年1月9日付)。
 
 だから、この本を手にしたとき、そこに出てくるのは、「昭和」とあるので邦画だとしても松竹ヌーベルバーグ風の名作ばかりだろうと思った。だが、それはうれしいほどに裏切られた。定番作品、いわゆるプログラムピクチャーが満載だったからだ。
 
 ここにもやはり、「町の映画館」が出てくる。著者は、少年時代を振り返ってこう言う。「小学生(一九五六年から六一年まで)時代、とりわけ高学年になってから、隣町の駅前にある杉田東洋という新東宝の三番館に毎週のように通っていた」。実家が酒屋を営んでいて、映画のポスターを張る見返りに無料招待券が手に入ったからだという。商店街の店先の煽情的な張り紙。そういえばあのころ、そんな風景がどこの町にもあった。
 
 新東宝は戦後、東宝の労働争議から生まれた映画会社。「ノンちゃん……」もつくったが、主力は別路線だった。著者も「私は小学生だったにもかかわらず、東映の時代劇よりも、新東宝のエロ・グロ・ナンセンス映画を好んでいた」と打ち明ける。「海女」シリーズ、「十代」シリーズ、「肉体」シリーズ……それが「はっきりしたエロもの」で18歳未満入場禁止になるときは前の週に足を運んだという。「予告編なら見ることは許されるから」である。
 
 新東宝映画にはセミヌードの踊りがよく出てきたとも著者は指摘する。「裸体でのラブ・シーンに厳しかった映倫規定」のせいか、「ほとんど脈絡がないのに、いきなりキャバレー・シーンになるなんてことは日常茶飯事で、それがお色気の『文法』にさえなっていた」。
 
 この映画会社は1961年につぶれた。だがまもなく、作品群がテレビでよみがえる。著者は中学生時代、「マルマン深夜劇場」という番組にかじりついて「放映される限りの新東宝映画を全部見た」と豪語する。
 
 新東宝作品は悪役や敵役に凄味があった、というのが著者の分析だ。そのツー・トップは丹波哲郎と天知茂。丹波が「実悪(じつあく)」を演じたのに対し、天知は「二枚目の悪党」である「色悪(いろあく)」を得意としたという。この本は副題に「脇役名画館」とあるが、著者はそれから逸脱していることを認めつつ、天知主演の『憲兵と幽霊』(中川信夫監督、1958年)について語る。
 
 天知の憲兵少尉が、下士官の結婚式に出る場面。花嫁は久保菜穂子。その美しさに同席者が小声で「さすがの少尉殿も、今回は負けですな」と軽口をたたくと、少尉は「不気味に『そうかな』とだけ答える」。しかも宴のさなか、「一人で杯を重ねる天知茂の『横目』が怪しく光り、ジロリと新妻の久保菜穂子を見つめる」のである。怖い。思い浮かべただけでも背筋が凍る。その後の筋書きの深淵が垣間見えるような一瞬だ。
 
 「そう、天知茂の色悪としてのキャラクターのすべては、顔は正面を向きながら、目だけはヒーローやヒロインのほうに向けてスキをうかがうこの『横目』にあるといって差し支えない」。この一文は、役者の真価を的確に見抜いている。
 
 どの章にも、そんな見事な鑑定眼がある。俎上にあがるのは、文字通りの怪優伊藤雄之助、黒幕をやらせたら右に出るものがない佐々木孝丸、鋭利なイケメンだったが夭折した岸田森、「性が禁圧されていた時代」に「『エロ』を体全体で表現してみせた」とされる三原葉子、日活ロマンポルノで「純情さが図太さであり、繊細さが大胆さであり、可憐さが猥褻さ」という「両面可逆性」を見せつけた芹明香……個性の強い男優女優が並ぶ。
 
 ここでは、当時の青年二人をとりあげる。まずは、ヒット曲「空に星があるように」で知られる荒木一郎。彼は「893(やくざ)愚連隊」(中島貞夫監督、東映、1966年)などの映画に出ていた。著者は、彼を日本にまれな「サングラスの似合う俳優」と位置づける。
 
 日本の俳優は、石原裕次郎であれ高倉健であれ、「あまりに多くの『言うべきもの』を抱えこんでいた」ので、サングラスが「言うべきもの」を隠す「黒メガネ」にしかならなかった。ところが「無表情を貫く荒木一郎には『言うべきもの』も、逆に『隠すべきもの』もない」。だから、「日本映画は荒木一郎を待って初めて、サングラスのよく似合う『実存的』なヒーローが誕生したことになる」――こう読み解くのである。
 
 もう一人は、川地民夫。「狂熱の季節」(蔵原惟繕監督、日活、1960年)では、鑑別所を出てすぐ万引きして外車を盗み、遊びまわる若者を演じた。ここでも、石原裕次郎との比較論がある。この本によれば、裕次郎には「童顔とは不釣り合いの身体の大きさからくる『持て余し感』」があり、それが「戦後のアッパー・ミドルの青年の肥大した自我(オレはいまここにいるオレではない)の隠喩」となっている。対する川地は「余りなし感」だ。
 
 著者は、そこに「自己実現の可能性を決して超えることのないローアー・ミドル」の「自我の表現」をみてとる。そのイメージが、60年安保が終わって「オレの居場所はここではないといつまでも言い続けていることができなくなった」状況にぴったりきたのだという。
 
 ちなみに著者には、少年のころ、川地出演の青春映画を野外鑑賞した経験もあるという。秋祭りの神社境内。シーツのような映写幕の前に敷いたゴザに空きがないので「裏側に回り、柿の木の大枝によじ登って、そこから左右反転画面を眺めた」とある。
 
 いま映画の多くは、シネコンの清潔な映写空間やテレビ、IT端末の画面のなかにある。風も吹かなければ、かび臭い匂いも漂ってこない。むかし戸外や小屋の銀幕には、それにふさわしく、アクが強く、クセのある俳優たちがいっぱいいた。そのことは忘れないでいたい。
(執筆撮影・尾関章、通算271回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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