「解説」(筑波常治執筆)

=『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著、青樹簗一訳、新潮文庫)所収

写真》コメはイネの一部

 自分が生きてきた70年近くを振り返って、世界にもっとも強い衝撃を与えた本は何かと問われれば、この1冊を外すわけにはいかない。『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著、青樹簗一訳、新潮文庫)。僕自身に対する衝撃度の大きさで言えば、筆頭に掲げるべき書物は別分野から探すことになろう。ただ、世間に新しい思潮を生みだしたということで言えば、この本が断トツの存在感を示している。これによって世界は変わったのだ。

 

 カーソン(1907〜1964)は、米国の連邦政府魚類野生生物局などに勤めた海洋生物学者。『沈黙の…』は晩年の1962年、『ニューヨーカー』誌に連載され、同じ年に単行本として世に出た。北米大陸のあちこちで農薬がまき散らされ、虫が死に鳥の鳴き声も消えつつある現実を伝え、生態系(ecosystem)の破壊が何をもたらすかをあぶり出した。この警告によって、生態系という概念が世界に広まったと言ってもよいだろう。

 

 1960年代、先進工業国では経済成長の副作用が市民社会を蝕んでいた。日本では、水俣病など公害病の実態が次々に明るみに出たころだ。人々は、健康な生活には健全な自然環境が欠かせないことに気づいた。ただ、話はそこにとどまらない。守るべきは、ただきれいな水や空気ではなく、多種多様な生物が共存する生態系にほかならない――カーソンに促されて、そんな環境保護思想(ecology)が芽生えたのである。

 

 環境保護思想は、やがて緑の政治思想も生みだす。1980年代には、欧州を中心に「緑」の党派が無視できない政治勢力となった。論争の座標に新しい価値観が現れ、右派左派の次元とは異なる軸が見えてきたのだ。そこには、成長本位か環境本位かという選択がある。今日では脱温暖化という地球規模の課題が首脳会議の主要議題となり、国際政治の場でも成長か環境かの議論がある。『沈黙の…』の問題提起が世界を動かしていると言ってよい。

 

 ただ、この本は読みものとしては難がある。カーソンは手もちのデータを駆使しながら、生態系破壊の実例をこれでもかこれでもかと書き連ねていく。精緻な書きぶりは、科学者としての誠実さの表れなのだろう。だから、説得力には富んでいる。だが、あまりのデータ主義に読み手は途中で疲れ、追いつけなくなる――学生時代に読んだときにそう感じたものだが、今回改めてページをめくってみても同様の印象を受けた。

 

 で、引きこまれたのは、巻末の解説だ。筆者は評論家の筑波常治。『沈黙の…』のデータが訴えかけてくるものをすくい取り、簡潔な読みものに仕立てあげている。出色の論考と言ってよいだろう。ということで今週は、この解説だけを熟読してみたい。

 

 『文藝年鑑2017』(日本文藝家協会編、新潮社)によると、筑波さんは1930年の生まれで2012年に死去した。農学、生物学に通じた人で、文明論的な科学評論で知られる。僕は科学記者としてお会いする機会があったはずだが、それを逸してしまった。

 

 『沈黙の春』邦訳は1964年、『生と死の妙薬』の邦題で新潮社から単行本として刊行された。74年、文庫化にあたって原題Silent Springに忠実な書名に改められる。筑波解説の執筆は文庫版のために書かれた。僕が今回手にしているのは、2006年に出た第66刷。それまでに改版があったようだが、この解説は生き残った。これはよいことだ。1970年代に支配的だった自然観、科学観を後続世代が推し量れるからだ。

 

 『沈黙の…』本文が焦点を当てるのは、農薬として散布される化学薬品。カーソンは、それが生態系を台無しにすることを早くから見抜いていた。では日本はどうか。筑波解説は「いわゆる農薬禍がさわがれだしたのは、数年前から」と書く。僕は小学生のころ、近隣の畑には入らないよう学校から言われた。世間は1960年代初めには農薬による健康被害を知っていたわけだが、それが環境破壊でもあると気づいたのはずっと後だった。

 

 ここで、筑波解説は「敗戦直後」を回顧する。東京都内では、焼け跡のバラックに発疹チフスを媒介するシラミが大発生した。占領軍の施策は殺虫剤DDTによるシラミ退治。「主要な駅の改札口のちかくに、保健所の係員がまっていて、通勤者や通学生にDDTの白い粉をあびせかけた」という。僕自身は経験がないが、親の世代からさんざん聞かされた。戦後の日本社会は生き延びるのに精一杯で、化学薬品の効能ばかりに目がいったのだ。

 

 筑波さんは「有害な生物たちの息の根をとめる薬剤は、有益な生物にたいしても被害をおよぼすのが当然」という見方を示し、有害な生物種だけを化学薬品によって駆除しようという発想の「思いあがり」を叱る。だが強調するのは、その一点ではない。

 

 筑波解説が大展開するのは、「生態系」と人類との関係だ。自然界は「多種多様な生物たちが食ったり食われたりしながら、それなりに安定した生態系をつくっている」。ところが、ホモ・サピエンスは「あまたの生物群のなかから、少数の特定のものだけを、たんに人間の利用目的にかなうという理由でえらびだし、家畜となし、作物となした」。選ばれた生物種は「有益」、その邪魔をするものは「有害」のレッテルを貼ったのだ。

 

 問題は、この有害指定が「安定した生態系」のバランスを崩してしまうことだ。生物界から「一種ないし数種を撲滅」したとしよう。それは「複雑な形の自然石がつみかさなってできた石垣(いしがき)から、一個ないし数個の石をひきぬいた」のと同じ、と筑波さんはみる。ある作物の畑で一つの害虫種を取り除いたら、その種によって抑圧されていた別種の虫が大繁殖して新顔の害虫になることも少なくない、というのだ。

 

 ここで注目すべきは、化学薬品に頼って特定の生物種を一掃しようとする発想を農耕文明の原点に遡って反省していることだ。大地の一角を「牧場」や「田畑」として囲い込み、その土地を「家畜」や「作物」にのみ与えて、それ以外の生物種を「害獣」「害鳥」「害虫」「雑草」と決めつけることの愚。「いわゆる公害の起源は、工業とともにおきたのではなく、遠く牧畜ないし農耕のはじまりにさかのぼる」という見方には目を見開かされる。

 

 この批判はさらに、農業にとって不可欠とされてきた品種改良にも向けられる。「イネならば種子」「キャベツならば葉」……というように生物体の一部を「人間の利用に有利なように改造する」。その結果、「身体(からだ)の一部の器官だけが、他の器官とくらべて不釣合(ふつりあい)に肥大化させられ」「生活能力において虚弱化する」。イネの穂が「たわわ」に実った姿も生物体の種子部分だけが重くなった「不健康な状態」というのだ。

 

 筑波解説には、農業の化学薬品依存を1970年代初頭の日本社会がどうとらえていたについて興味深い記述もある。前述のように、当時高まっていた公害批判の文脈で「農薬禍」に対する関心は高まっていた。そこで「非難のまと」になったのは「製薬資本の営利主義」が「不必要な薬品を売りまくって乱用をすすめたこと」だった。なにごとも資本家対労働者の構図に当てはめる思考回路は、たしかにあのころの定番ではあったのだ。

 

 これに対して、筑波さんは「これだけで片づけられるほど、事態の本質は単純でない」「一企業の責任に帰するには、悲劇の根はいささか深すぎる」と述べて、人類史に目を向ける。1970年風の「皮相的」な読み解きから距離を置いた視点に僕は敬意を覚える。

 

 僕たちは環境問題を考えるとき、農業は善玉、工業は悪玉という決めつけをしてしまいがちだ。だが、農業の原点に自然環境を歪める側面があったことを筑波さんは強調する。今はエコロジーの立場から、有機農業の機運が高まった。畜産現場に「動物福祉」を求める動きも出てきた(当欄2018年8月31日付愛護でなく権利を守る動物福祉)。農業そのものが変わらなければならないことを、筑波解説はいち早く予見していたのである。

 

 農業をだれよりも愛していただろう人が、農業の宿痾を見逃さない。筑波解説はたった12ページだが、エコロジーが人類の生き方を問い直す思想であることを教えてくれる。

(執筆撮影・尾関章、通算459回、2019年2月15日公開)

 

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『アニマルウェルフェアとは何か――倫理的消費と食の安全』

(枝廣淳子著、岩波ブックレット)

写真》君はどこから来たのか

 日が、だんだん短くなってきた。この季節、たそがれどきに近所の通りを歩いていると、不審な人影が遠くに見えることがある。こちら向きなのに、なかなか近づいてこない。ところどころで立ちどまり、足もとに目をやっては、なにやら語りかけている様子だ。やがて、すれ違うほどになると、そこで交わされているのが人と犬の会話であることがわかってくる。夕闇の犬の散歩はシルエットにしてみると絵になるなあ、とつくづく思う。

 

 ネットを検索すると、ペットフード協会という団体が推計した日本国内の犬猫飼育数が出てくる。それによると、2017年は犬が892万頭、猫は952万6000頭。飼っている世帯を全世帯で割り込んだ率は、それぞれ12.84%、9.71%だという。犬、猫それぞれが10軒に1軒ほどの割で住みついている勘定。もはや社会の一員と言ってよい。これらの犬猫はもちろん、人々から家族のように愛情を注がれるペットである。

 

 この推計からも、日本社会に動物愛護の精神が横溢しているのは間違いない。愛犬愛猫の食事を充実させるためにペットフードを買いあさり、愛犬愛猫が病気になればペットホスピタルに入院させ、愛犬愛猫が亡くなればペットロス状態に陥る。これらは、最近よく耳にする話である。僕自身はペットを世話する余力もその病気や死に耐える気力もないので、大人になってからはなにも飼ったことがないが、愛犬家、愛猫家の気持ちはよくわかる。

 

 ところが、日本社会は動物を虐げているという批判を受けることがままある。2015年には、世界動物園水族館協会(WAZA)が和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を問題視して、この方式で捕らえたイルカを買わないよう日本の水族館などに求めた。その拠りどころは、WAZAが定める「倫理・動物福祉規定」。これについては、あのときほとんど報道されなかったので、いま「動物福祉」という言葉を見て戸惑う人は多いだろう。

 

 「福祉(welfare)」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、年金、医療、介護、障害者支援……といった事柄だ。いずれも、想定されているのは人間社会。僕たちが慣れ親しんできた用語法では、福祉は人間以外の動物のありようにはなかなか結びつかない。

 

 英国での取材体験がなかったら、僕も同様の違和感を覚えたことだろう。1990年代、科学記者としてロンドンに駐在すると、そこでは人々の動物観に劇的な変化が起こっていた。「動物の権利(animal rights)」が、エコロジー思想の一要件として叫ばれるようになっていたのだ。環境保護グループは反捕鯨を訴えるときに、これを掲げていた。医学や製薬の分野でも動物実験の是非をめぐる論議で、これを等閑視できなくなっていた。

 

 動物福祉は、動物の権利という概念としっかり結びついている。ペットを飼うとは、人間が自分と異なる動物を種の垣根を超えて愛護することだが、動物ならなんでもこうした恩恵を受けられるわけではない。ただそれでも、生態系の一員として尊重されるべき固有の権利をもっているとみるのが、動物の権利論だ。この立場を踏まえて、人間という種が別種の仲間の権利をできる限り守っていこうとするのが、動物福祉の考え方である。

 

 で、今週は『アニマルウェルフェアとは何か――倫理的消費と食の安全』(枝廣淳子著、岩波ブックレット)。著者は1962年生まれの環境ジャーナリスト。大学でも教授職に就いてきた。地球温暖化などを扱った訳書も多い。この本は今年8月に出たばかりだ。

 

 「はじめに」には、著者が2年前、米西海岸の消費経済を取材したときの体験談が出てくる。スーパーや飲食店で見かけたのは「人道的に飼育された肉」「成長ホルモンや抗生物質を与えていない肉」「ケージ飼育をしていない鶏の卵」といった表示。アニマルウェルフェア(AW)、即ち動物福祉の意識が流通の末端まで浸透していることの表れだ。そこには、家畜にも「動物本来の行動」と「幸福(well-being)な状態」を保証する思想がある。

 

 これに続けて、商品が動物福祉の基準に適っていることを示す認証制度の話がある。欧米では複数の制度が広まっていて、食品会社への投資の判断材料になりつつあるという。「このようにAWが投資家すら注目する動きになっているのに、日本ではほとんど知られていないのではないか」と著者。まったく、その通りだ。僕たちには、経済活動に損得以外の物差し、たとえば倫理の価値観を組み込もうという発想が乏しすぎるような気がする。

 

 状況打開のきっかけとして期待されるのが、2020年の東京五輪・パラリンピック。食材の大量調達が見込まれるが、それが動物福祉に背馳すれば国際社会の非難は必至だからだ。著者は組織委員会内の専門委員会メンバーとして、畜産物に対する基準を厳しくすることを求めたが、緩めの落としどころでまとまったようだ。ただ、この問題はこんな外圧がなくとも消費者が意識を高めるべき局面に来ている。この本を読むと、そう痛感する。

 

 この本は、鶏、豚、牛の順で飼育の実態を浮かびあがらせていく。まずは採卵鶏。飼い方は大きく分けて4通りあるが、もっとも過酷なのは、鳥かごを上下左右に並べた「バタリーケージ」方式だ。平均して1羽が430平方センチ、B5判ほどの領域に押し込まれる。ケージが傾いているのは卵が転がり出るため。床面が金網なのは排泄物を処理しやすいように。これでは「本来の行動」はありえない。鶏は文字通り、産む機械になっている。

 

 肉用鶏はどうか。代表格のブロイラーは、バタリーケージの採卵鶏とは違って一応、動きまわれる。とはいえ、出荷時点でみて1平米に15羽ほどという過密状態。狭いだけではない。国内に多いのは、「明るい時間が長ければエサをたくさん食べる」と見込んで電灯をつけっ放しにする鶏舎だ。「幸福な状態」から遠いばかりでなく、病気にもなりやすい。その結果、「予防のため」の薬剤投与に拍車がかかる。ストレスと薬漬けの悪循環だ。

 

 鶏の受難を知っただけでもグルメ気分は失せる。だが、これは序の口だ。哺乳類に話が進むと、暗澹たる気持ちはいっそう強まる。その極みは母豚だ。国内では畜産豚の大半が食肉を得るために肥育されているが、1割弱は子豚を産む母豚として飼われている。その多くが「自分の体とほぼ同じ大きさの鉄の檻」に閉じ込められ、体の向きも変えられない。檻の呼び名は「妊娠ストール」。あまりに即物的だ。ここにも、産む機械扱いがある。

 

 母豚は「食事もトイレも就寝も同じ場所で、ひたすら立っているか座っているかしかない」。だから、柵をかじったり、エサがないのに口をもぐもぐしたり、水をがぶがぶ飲んだりという「異常行動」が現れる。人間に置きかえて考えれば、当然のことと思われる。

 

 乳牛も、酪農家が牛舎を区分けして、それぞれに1頭ずつつないでいることが多い。業界の調査では、飼育農家の7割ほどがこの「つなぎ飼い」方式をとっているという。このとき、微弱電流が通る棒状の装置が牛の背中の上方に取りつけられることがある。牛は排泄態勢に入ると背中がもちあがるので、その瞬間、電気を感じて一歩後退する。こうして、排泄が適正な場所でなされるというわけだ。ここでも、飼う側の都合が優先されている。

 

 人間の都合は、家畜の身体そのものにまで手を加える。たとえば子豚は、生後まもなく犬歯やしっぽを切りとられることが多い。犬歯の切除は母豚やきょうだい豚を噛んで傷つけないため、尾の切断は逆に自分が傷つけられないため、という。狭い場所に押し込められているという事情はあるのだろう。ただ著者は専門家の見解をもとに、これらが過剰な処置である可能性をにおわせている。動物福祉にも科学者の関与が求められていると言えよう。

 

 この本は後段で、家畜の福祉が国際社会の主要課題になっている現状を詳述している。僕がかつて欧州で見聞きした動物の権利保護の潮流が確実に強まっているのである。ただここでは、その紹介はしない。まずは飼育実態を知って、自分で考えてみようではないか。

 

 著者は、動物福祉を「エシカル消費」(倫理的消費)の文脈に位置づける。食は、安くて美味ければよいのではない。食べられる側への尊敬が食べる側の僕たちを心地よくする。

(執筆撮影・尾関章、通算回436回、2018年8月31日公開)

 

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『南方熊楠――地球志向の比較学』(鶴見和子著、講談社学術文庫)

写真》森の人

 つい先日、熊野のことを書いた。『熊野からケルトの島へ』(桐村英一郎著、三弥井書店)という本を紹介しつつ、ユーラシアの東端にある懐深い半島に思いを馳せたのだ(2018年5月4日付「熊野とケルト、島の果ての奥深い懐」)。あの本は、熊野ゆかりの知の巨人にも言及していた。南方熊楠(1867〜1941)。南紀田辺に居を構えた文理両道の人だ。そのことを3週前の拙稿に盛り込めなかったのが心残りなので、今回は熊楠の話。

                                                               

 熊楠の活動で特筆すべきは、神社合祀に対する抵抗だ。上記桐村本も、それをとりあげている。神社合祀令は1906(明治39)年に政府が発した。国の宗教管理を強めるねらいで、小さな神社を整理して大きな神社に統合しようとしたのである。これに対して熊楠は、鎮守の森の生態系を守る立場から反対の声をあげる。このとき、民俗学者の柳田国男が共感して助言を書簡に認めるのだが、そこで二人の思考様式の相違が表面化する。

 

 桐村本には、柳田が1911年6月21日付で「東京の雑誌へも追い追い御書き下されたく」と中央の媒体への投稿を促したのに対し、「熊楠は耳を貸さず、地元の牟婁新報やロンドンの雑誌に書き続けた」とある。官僚兼務の知識人が在野の自由人を口説いたのだから、通じないのも無理はない。それにしても、熊楠が東京という帝都をすっ飛ばして地元と海外に目を向けたのはスゴイ。文字通りの“Think globally, act locally”だ。

 

 熊楠と柳田の違いについては、僕もずっと関心を抱いてきた。きっかけは、『南方熊楠――地球志向の比較学』(鶴見和子著、講談社学術文庫)という名著を読んだことだ。著者は、ここで熊楠の合祀反対にみられる斬新な発想を柳田の頑迷さと対比させることで際立たせている。「自然破壊という地球上共通の問題に対して、この国の世論に訴えて阻止できないならば、世界の世論をおこしてこれを押しとどめようとした」というのである。

 

 熊楠が1909年に牟婁新報紙上で合祀反対の口火を切ってから100年後、僕は新聞のコラムに「熊楠のエコ100年」という小文を出稿した。鶴見本から上記箇所を引用したうえで「国際NGOが、地球環境を守るたたかいの最前線に立つ。そんな時代の原点が100年前の紀州にあった」と結んだ(朝日新聞2009年9月25日夕刊「窓・論説委員室から」欄)。エコロジー運動の先駆者を、日本列島の南紀熊野が輩出していたのである。

 

 で今週は、鶴見本『南方熊楠…』を再読する。著者(1918〜2006)は東京生まれの社会学者。米国で学位を得た。この論考は1978年、『日本民俗文化大系』(講談社)第4巻として世に出た。文庫版刊行は81年、国際環境NGO台頭の前夜と言ってよい。

 

 この本は、熊楠の探究と思想を本人の著作など膨大な資料によって読み解きながら、「南方熊楠の生涯」と題する章を設けて伝記の要素も盛り込んでいる。今回は、主に合祀反対にかかわる部分を切りだして、そこから熊楠の先駆性を浮かびあがらせてみよう。

 

 上記「…生涯」の章には、熊楠の反対運動が1909年の意見表明を起点に全展開されたことが記されている。翌10年には県の役人に談判しようとして警察沙汰となり、2週間余も留置される。11年と12年には著名な植物学者2人に反対意見書を送っている。このうち松村任三宛ての2通は、柳田が「南方二書」と名づけて印刷物にして配った、という。この一点をもってしても、熊楠と柳田が合祀反対では一致していたことがわかる。

 

 この本によれば、二人のつきあいは1911年、熊楠が学会誌に寄せた随筆に柳田が心を動かされ、手紙を送ったことに始まる。半年後には「南方二書」で意気投合するまでになるが、相まみえるのは13年の大晦日。柳田が田辺に宿をとると、熊楠はそこに酔っ払って現れた。翌日、今度は柳田が南方邸を訪れると、熊楠は床で布団を被り、掻巻(かいまき)の袖を通して会話を交わしたという。これが最初で最後の面会となった。

 

 なんとも、奇怪な交流だ。「掻巻」の一件は著者が『定本柳田国男集』別巻から引いているので、熊楠には彼なりの事情があったのかもしれない。ただ推察できるのは、二人の波長は合わなかったらしいということだ。著者は、両者のズレを五つに要約している。

 

 まずは、「地域」と向きあう視点。柳田は「農政学者として、農政役人として、そして旅人として地域を見た」が、熊楠は「定住者の立場から、地域を見た」。後者のほうが了見が狭いようにも思われるが、そうではない。問題となるのが視野の大小だ。著者によれば、柳田が「日本国の一部としての地域(政治的単位)」にこだわったのに対して、熊楠は「世界の、そして地球の一部としての地域(エコロジーの単位)を考えた」というのである。

 

 人間のとらえ方も対照的だ。著者は柳田民俗学に出てくる「常民」という言葉を見逃さない。上から目線というべきか、「農政学者」「農政役人」らしい呼び方だと僕も思う。これに対して、熊楠は「集合名詞として人々をとらえなかった」。地元田辺で交遊した人々は、「漁師」「生花の師匠」「石工」「仕立屋」「質屋」「瀬戸物屋」「酒屋」「画家」「眼科医」……と多彩。そこに泳ぎの達人や俳人、歌人もいる。一人ひとりの顔が見えてくるようだ。

 

 合祀反対では、その運動論をめぐって両者の違いが鮮明になる。熊楠は「地方官憲に対して、対決をおそれぬ精神でぶつかっていった」が、柳田はそれを快く思わず、「正面衝突をなるべく回避して隠微にことをはこぶように忠告した」。さらに、国という区分けをどう見るかでも両極に分かれた。熊楠が「外国の学者へも檄をとばして、国外の世論を結集しようとした」のに対して、柳田は「国辱を外にさらすものだと激しく反対した」のである。

 

 その違いは、僕がこの本を初めて読んだときにもっとも驚いたことだった。というのも1990年代、欧州駐在の科学記者として環境問題を取材していたときに国際NGOの実力を肌身で感じたからだ。国際会議でも、参加国とは別枠のオブザーバー資格で議場に入り、国の垣根を越えて「檄をとばして」いた。人の行き来の多い欧米の文化圏が生んだ発想だなと思ったものだが、同じことを考える日本人が20世紀初めにもいたことになる。

 

 僕は、柳田が国際運動を嫌った理由を知りたくなった。そこで前述のコラムを書くときに『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』(飯倉照平編、平凡社)を調べてみると、柳田のこんな一文に出会った。「全体外国の学者など、他国の領土に生存する生物につきて何の要求権ありや」。生物の世界にまで国境線を引こうという思考だ。このときは結局、熊楠が譲歩する。鎮守の森を守る運動を世界に広げられなかったのは残念でならない。

 

 この本――鶴見著『南方熊楠』――は、熊楠の合祀反対を「エコロジーの立場に立つ公害反対」ととらえている。本人も、和歌山県知事宛ての書簡(『南方熊楠全集』〈平凡社〉所収)で「千百年来斧斤(ふきん)を入れざりし神林」では「諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑」しているとして、この「相互の関係」を探る「エコロギー」という学問が生まれたことに触れている。この記述は、生態学(エコロジー)が19世紀後半に興った史実と符合する。

 

 著者は社会学者らしく、エコロジーを人間社会にも拡張する。熊楠が「地域の植物生態系と関連しながら、そこに生活する住民をふくめた、社会生態系という考えを、すでに持っていた」とみるのだ。本文に出てくるのは、地元田辺町と近隣の湊村の合併話。これに反対した熊楠には「田辺町の金持ちやボスや湊村の不在地主が結托して、湊村の住民を圧迫する」との懸念があったようだ。その主張は帝国主義批判にも結びつけられた、という。

 

 熊楠のなかでは、神社合祀と市町村合併が同列に置かれていたらしい。二つは、政府や出先官庁が「地域の自然とその上にきずかれた共同体とを崩壊させ、中央集権化を急速に実現しようとした」施策として括れる。熊楠は、この動きに「植物、社会生態系をよりどころとして」抗った、というのが著者の見方だ。「今日の『地域主義』の日本における先駆的思想家の一人を、わたしたちは南方熊楠において発見することができる」と結論づけている。

 

 3・11後の今、僕たちがもっとも必要とする思想を、熊楠は一足早くあたためていた。

(執筆撮影・尾関章、通算422回、2018年5月25日)

 

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『島とクジラと女をめぐる断片』(アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳、河出文庫)

写真》大西洋の島

 今週はクジラの話。科学記者がかかわる国際問題の一つに捕鯨がある。日本の水産関係者が官民あげて捕鯨に前向きなのに対して、欧米やオセアニアの大勢は反捕鯨という構図があって、その確執をとりあげてきたのだ。論争の舞台は国際捕鯨委員会(IWC)。僕も欧州に駐在していた1995年、アイルランド・ダブリンで開かれたIWC総会を取材した。あのときも日本の調査捕鯨が非難の的となっていたことが思いだされる。

 

 捕鯨問題は、環境保護運動と密接にかかわっている。この分野の国際NGOは反原発を掲げ、脱温暖化を唱え、そして捕鯨反対を訴える。日本国内にも最初の二つに共感する人は多いが、最後の一つには引っかかるという向きがあるだろう。僕もその一人だ。

 

 理由としては、南紀・太地などのクジラ漁文化をないがしろにしたくないという思いもある。だがそれより、反捕鯨の論理そのものに矛盾があるように思えるのだ。環境保護思想、すなわちエコロジーの視点に立てば、エコシステム=生態系こそが守られるべきものであり、そこに組み込まれた食物連鎖は避けて通れない。同じ哺乳類のウシ、ブタ、ヒツジは食用に供しながら、なぜクジラだけを特別視するのか――この理屈がすっきりしない。

 

 クジラは野生、だから家畜とは違うと言う人もいる。だが、この論法には無理がある。飼育されたウシやブタやヒツジも、祖先は野生だった。それがヒトによって囲い込まれ、都合よく育種されたのだ。こちらのほうが生態系への介入度は高いようにも思える。

 

 ところが日本の捕鯨存続派は、この論点を素通りして水産資源保護の土俵で争おうとする。獲り過ぎはいけない、生息数を見極めながら獲ればよいという立場だ。だから、議論はすれ違いになる。欧米の反捕鯨論は、もはや乱獲云々の次元にはなく、エコロジーとそこから派生する動物の権利擁護論に立脚している。ヒトもクジラも生態系の一員であり、それぞれ固有の権利があるというわけだ。論破するなら、その思想と向きあう必要がある。

 

 エコロジーは、1960〜70年代に台頭した。まだ成熟していないから、議論の余地が大いにある。なかでも、食文化と動物の権利擁護論の関係は最大の論点だろう。そこに踏み込んで意見をたたかわせようという論客が現れてもよいのだが、あまり見かけない。

 

 エコロジーのなかでも反捕鯨は歴史が浅い。IWCは戦後まもなく「クジラ資源の適切な保護」と「捕鯨産業の秩序ある発展」を目的に設立された。そのころは、世界の趨勢が捕鯨を資源問題ととらえていたことになる。それで思いだすのは、僕が子どものころに見たニュース映画が「捕鯨オリンピック」をとりあげていたことだ。頭数の総枠を決めておいて各国が捕獲を競いあう方式がこう呼ばれた。今の反捕鯨論との落差はあまりに大きい。

 

 捕鯨は、ハーマン・メルヴィルの名作『白鯨』をもちだすまでもなく、欧米の海洋文化の一つだった。それが20世紀半ばに反転して反捕鯨の文化を生む。僕は、ここにエコロジー思想の衝撃の大きさをみる。と同時に、欧米人とクジラの関係をもっと知りたくなる。

 

 で、今週は『島とクジラと女をめぐる断片』(アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳、河出文庫)。著者(1943〜2012)はイタリアの作家。原著は1983年刊で、原題は「ピム港の女」。著者自身がまえがきで、主題は「主としてクジラ」「隠喩(いんゆ)としてのクジラ」と表明しているので邦題にはうなずける。訳者(1929〜1998)も随筆家として名高い人。この邦訳は95年に青土社から出た。河出文庫版は2018年刊。

 

 まえがきによれば、作品の中身は虚実交々だ。著者は、そこに幻想が含まれるとしながらも「まったくの虚構と称してしまうのも、なにやらうさんくさい」として「基本的には僕自身がアソーレス諸島で過した日々に存在を負っている」と打ち明けている。

 

 アソーレス(アゾレス)諸島は、大西洋の中ほどにあるポルトガル領の九つの火山島。巻末の補注によれば、群がるトビをハイタカ(アソーレス)と見間違えたのが島名の由来。噴火と地震にたびたび襲われてきたが、暖かで雨が多く、植物や鳥や蝶の顔ぶれは多彩という。そして、最高峰ピコ山(2345m)が聳えるピコ島など二つの島で「原始的な捕鯨」が営まれている、と記されている。執筆時点では、捕鯨が続いていたことになる。

 

 作品の構成は変化に富む。冒頭、アソーレス諸島が夢見心地の紀行文風に素描される。次いで、島を舞台とする諸々の話が断章風に綴られる。このあと差し挟まれるのが、島出身の詩人アンテール・デ・ケンタル(1842〜1891)の伝記風小編。そして、クジラの話が前面に出てくる。捕鯨をめぐるポルトガルの法規条文がある。船の同乗記のようにも読めるルポ風の「捕鯨行」もある。最後が「ピム港の女」。捕鯨手が主人公の短編だ。

 

 訳者はあとがきで、この寄せ集め方式を「まるで海面に散らばった難破船の破片をあつめるよう」と形容している。人生には「一見無関係にみえるエピソードのつぎはぎ」という側面があるが、それをまねるように「さまざまなジャンルの散文をつぎはぎにして、深いところで響きあうメタフォリックな作品を編みあげている」という。「こんなふうにも、本を作ることができるのだ」と気づいて「うれしかった」。僕も、まったく同感だ。

 

 当欄では、捕鯨に焦点を当てよう。まずは法規の引用から。海事省は「種の保存および、捕獲の効率を増加するため」に禁漁期間や捕獲枠などを定める責任がある、と明記している。作品が世に出たころは、ポルトガル当局もクジラを水産資源とみていたことがわかる。

 

 「捕鯨行」の一編は生々しい。「死の道具は、僕が想像していたように上から投げ下ろされるのではなくて、投げ槍のように下から上に向かってほうりあげる」「たいへんな鉄の重量に落下時の速度が加わって、銛を必殺の武器に変えるのだ」。このあと、「僕」の乗る汽艇(ランチ)が手負いのクジラを追いかける。艇は銛綱とつながっているから、クジラが海に潜れば自分たちも引き込まれる。いざとなれば綱を切るしかない緊迫の追跡劇だ。

 

 やがてクジラは止まる。呼吸に伴う「ひゅうひゅう」という音。「空中に立ちのぼる噴水は赤く血に染まり、海面には朱色の水溜りが広がっていくのだが、赤い雫が僕たちのところまで微風に運ばれてきて、顔や着衣を汚す」。とどめに、槍投げ手が「矛槍」のようなものを打ち込む。巨体はいったん沈み、また水面に現れ出る。このとき、「笛のように長くひびく、喘ぐような、胸に突き刺さるような、たまらない音」が聞こえる。「死の咆哮」だ。

 

 帰途、船長でもある捕鯨親方が聞いてくる。「おまえさん、いったいどういうわけで、こんなふうに一日を過ごそうと考えついたのかねえ」。適切な答えが見つからず、親方がうとうとしたころになって「僕」はつぶやく。「あなたもクジラも、まもなく消えてしまう種族だからじゃないでしょうか」――著者は、この作品で反捕鯨の動きを正面切ってとりあげてはいない。だが、意識はしていたのだろう。クジラはすでに「隠喩」となりつつあった。

 

 今、ポルトガル観光局のサイト“visit Portugal”に入り、アソーレス諸島のページを開くと「現在、捕鯨の伝統は、非常に人気のある観光客向けの活動に形を変えました」という記述に出会う。捕鯨からホウェール・ウォッチングへという世界の潮流はここにもある。

 

 末尾「あとがき」は「一頭のクジラが人間を眺めて」の感慨だ。ヒトは「どうしていつも、あんなにせわしないのだろう」とあきれ、「ながいこと黙っているかと思うと、突然、いきりたって叫び合い、ほとんど変化のない、もつれた雑音を出すのだが、それには、われわれの出す、呼びかけ、愛、哀惜の嘆声などのように本質的な音にみられる完成度がない」と断じる。「ピム港の女」でヒトの切ない恋と愚かな罪に触れた後なので妙に説得力がある。

 

 捕鯨とは、悠然として気高い動物との闘争だ。真剣勝負の格闘技だから、相手への尊敬の念が芽生える。それが、生物種はみな同じ生態系の仲間という思想と結びついて反捕鯨論が強まったのだ。捕鯨存続論も、この一点は理解しておかなければならない。

(執筆撮影・尾関章、通算418回、現時点で更新なし)

 

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