『新実存主義』(マルクス・ガブリエル、廣瀬覚訳、岩波新書)

写真》在でなく存、内でなく外

 大人になろうとするころ、僕の意識にどこからか舞い込んできた言葉に「実存主義」がある。いつだったかは思い出せない。だが、その語感になんとなく好感を抱いたことは覚えている。これから生きていくことに対する不安を軽減してくれそうな気がしたのだ。

 

 これには、1960年代の論壇状況が深く関係している。たいていの論調は、右か左か、保守派か進歩派か、という座標軸で位置づけることができた。この物差しは、政治経済の文脈では自由主義対社会主義に対応する。ただ、僕のようなへそ曲がりの少年には、そのどちらにも与したくないという思いがあった。あのころの実存主義は、左がかっているように見えてもゴリゴリの社会主義とは距離を置いていて、共感しやすかったのだ。

 

 字面の妙もあった。「実存」は、英語ではexistence(存在)だ。「実存主義」はexistentialism。これを、存在主義と訳さなかった先哲の言語感覚には脱帽する(日本版ウィキペディア=2020年2月21日最終更新=によれば、命名者は九鬼周造という)。実存主義は、実在論(realism)とは違う。主題は、モノが在ることではない。人が存在することにある。「実存」の二文字で、僕たちはその含意をうっすらと感じとっていた。

 

 もう少し、言葉にこだわってみよう。気になるのは、existenceの接頭辞exだ。「外へ」という感じか。哲学の常として興味の向かう先は人間の内面のはずだが、ここには外向きの志向性もある。邦訳「実存」は、その側面とも響きあっているのではないか。

 

 改めて思い返すと、1960年代は唯物論の優位が顕著だったように思う。これは、政治座標軸の左右を問わない。左の背後には、マルクス主義の唯物史観が控えているのだから当然だ。ところが、右にもモノ志向が強まっていたように僕は思う。とりわけ日本社会は高度経済成長まっしぐらのころで、大量生産が合い言葉だった。僕たちは、物質世界を無視できなかったのだ。世を挙げて、内にこもってはいられない心境にあったと言ってよい。

 

 ただ、当時の僕は実存主義に心惹かれるだけで、それを習得していたとまでは言えない。ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』やアルベール・カミュの『異邦人』を読みかじって空気感を味わったものの、それ以上は進まなかった。とくにカミュ自身は実存主義に批判的だったから、頭は混乱するばかりだった。(当欄2018年8月10日付「異邦人ムルソーのママンとは何か」、当欄同年11月30日付「いいねばかりの時代の不条理考」)

 

 だからもう一度、実存主義の本をきちんと読みたい、という思いが僕には強い。同世代には、そういう人が少なくないだろう。ここで心にとめておきたいのは、思想状況が大きく変わってしまったことだ。左右の座標軸はとうに消えかかっている。旧来の社会主義はすっかり色褪せてしまった。唯物論も、モノ志向も、かつてほどの勢いがない。物質よりも情報、モノよりもコトの時代である。そんなときに実存主義はどういう意味をもつのか。

 

 で、今週は、そんな問いに答えてくれそうな1冊。『新実存主義』(マルクス・ガブリエル、廣瀬覚訳、岩波新書)。「ガブリエル著」としていないのは脱字ではない。「著」は表紙にも奥付にも見当たらない。理由は、著作権表示を見ればわかる。原題にby Markus Gabrielと添えられてはいる。だが各章には、それぞれ著作権を主張する筆者がいる。この本は、それらの論考をジョスラン・マクリュールという序論執筆者が編みあげたものだ。

 

 ガブリエルは1980年生まれ、現在、ドイツ・ボン大学で教授を務める哲学者。この本では、第1章「新実存主義――自然主義の失敗のあとで人間の心をどう考えるか」(この章題が本書全体の原題)で持論を展開、第2〜4章でカナダ、フランス、ドイツの学究に論評を委ね、第章で返信風の論考を執筆している。原著は2018年、邦訳は20年1月刊。当欄は第1章と第5章を紹介するので、ガブリエルを「著者」と呼ぶことにする。

 

 第1章の冒頭で書かれているのは、心を脳との関係でどうとらえるか、ということだ。この問いに、「実存」の文脈で光が当てられたのである。旧来の実存主義が華やかだったころと比べ、脳研究が進んだからこその新機軸だろう。生物学では、脳生理学が進んだ。情報科学では神経回路網(ニューラルネットワーク)の理論が生まれた。今や、脳の働きは人工知能(AI)に代行されようとしている。ところが、心は未解明ではないか?

 

 著者によれば、新実存主義の「心」観は単純ではない。「『心』という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしない」と考えるのだ。意識がある、警戒する、知性がある……といった「心的語彙」は、人間の「特異なあり方」を説明する語群にほかならない。「特異」とは「物理法則が支配する無生物」とも「生物学的パラメータによって突き動かされる動物」とも違うことを指している。

 

 これでは埒が明かないな、と戸惑っていると、著者は救いの手を伸ばしてくれる。「心的語彙には、それを取りまとめる不変の統一構造がある」として、「精神(ガイスト)」という用語を引っぱり出してくるのだ。それは「雑多で、多様な変化をみせる心的語彙の背景にある不変なものを説明する」。このあとに「精神は、長い歴史のなかで、人間と人間以外のものの区別をいろんなやり方で理解しようとしてきた」という記述にも出会う。

 

 ここで、「不変」という言葉に惑わされてはならない。著者によれば、精神が人間の行為の説明に一役買うとき、「歴史的に変転していく人間観」が参照されることがあるという。精神という枠組みは変わらないが、人間観は歴史軸のなかで変わるということだ。

 

 著者は、この視点に立って人間と自然界の事物(この本では「自然種」と呼ばれる)とを対比する。素粒子の世界にはフェルミオンと呼ばれる粒子群がある。それらは、粒子に具わるスピンという数値が1/2のような半整数になることで特徴づけられる。著者が指摘するのは、フェルミオンのスピンは「われわれの知識が正しいか誤っているかにかかわらず、現にある通りのもの」ということだ。自然種のありようは、人が誤認しても揺るがない。 

 

 この本の原題に「自然主義の失敗」とあるが、その「自然主義」は自然種還元論と読みかえてもよさそうだ。著者は、新実存主義が心と脳の問題に「正面から」向きあっていることを強調して、こう言う。「何千年ものあいだ志向的スタンスで記述されてきた現象、われわれが心のなかで起きるその経験を記録してきた現象が、自然のなかにその等価物を見つけることで、あますところなく理論的に統一できるなどと期待すべきではない」

 

 著者は、今日の「自然主義」の落とし穴も洗いだしている。それは、英国の医師レイモンド・タリスの論法にならって「ニューロン熱」と「ダーウィン炎」と称される。著者によれば、前者は「脳」または「神経回路」を「洗練した心的語彙に対応する自然種」とみることであり、後者は「人間のあらゆる行動」を「進化生物学や進化心理学」の立場から説明づけようとすることだ。これら二つは、互いに「関連する病気」であると位置づけている。

 

 新実存主義は旧来の実存主義の後、自然科学がたどった軌跡の難所を的確に見抜いている。それは、「ニューロン熱」をもたらした脳生理学と情報科学にとどまらない。分子生物学も視野に入ってくる。チンパンジーとヒトの違いがDNAレベルではごくわずかだという知見は「ダーウィン炎」と無縁ではない。著者がそうした人間観に対置するのが、人は歴史のなかで「志向的」という事実だ。僕たちは時間とともに変化する存在なのである。

 

 この本で著者は、心と脳をサイクリングと自転車になぞらえている。自転車はサイクリングにとって必要条件だ。だが、自転車とサイクリングは同じものとは言えず、そこに原因と結果の関係もない。「サイクリングは理論的、存在論的に自転車に還元できない」のだ。

 

 後段で著者は、旧来の実存主義から「人間とは、自己理解に照らしてみずからのあり方を変えることで、自己を決定するもの」という見方を引き継ぐことを明らかにしている。人は自分を変えるから人なのだ、そこが自然界の事物とは違うのだ――そう僕は理解した。

(執筆撮影・尾関章、通算517回、2020年3月27日公開)

 

《お知らせ》ちょっと休んで、新装開店します

 当欄は、私が新聞社に在籍中の2010年4月、記者ブログとして始めた「本読みナビ」を原点としています。以来、「文理悠々」(ブック・アサヒ・コム、2012年〜)、「本読み by chance」(個人ブログ、2014年〜)と看板をかえつつ、1週1冊のペースで読書の醍醐味を綴ってきました。今年4月、満10歳の誕生日を迎えることになります。

 さて、この機会に私は、当欄の大幅改装を決意しました。要点は、以下の二つ。

1)ブログの自前度を高める

2)ブログの自由度を高める

 1)については、新装ブログをWordPressで開設しようと考えています。これまではJUGEMのお世話になってきたのですが、これからはできる限り、自力で設計してゆくつもり。すでに着工していますが、ときにはコンピューター向けの人工言語世界にも踏み込まなくてはならないので、試行錯誤の連続です(「建設現場」の現況をご覧になりたい方は、こちらへ)。

 ということで、2〜3週の休業をお許しいただき、4月中の開店をめざします。

 2)については、再開時にその思いを語るつもり。

 これからも、ご愛読いただければ幸いです。

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『暗黙知の次元』(マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳、ちくま学芸文庫)

写真》言葉の向こうに

 当欄の前身は「文理悠々」。看板を掲げたときの思いは、こうだ。自分はどちらかと言えば文系アタマなのに、理系教育を受け、科学記者を本業とした。齢を重ねてそろそろ、その理系縛りを解いてもよいのではないか。文理の垣根を取り払って、悠々と思考を巡らせてみたい――。文系の発想で理系の知見を見つめ直し、理系の視点で文系の物事をとらえ直したいという野心もあった。目標を達成したとは到底言えないが、その初心は今もある。

 

 文系理系のことでは去年暮れ、考えさせられることがあった。朝日新聞東京本社版の月曜日付朝刊には、紙面を上下に二分して文化欄と科学欄を収めたページがある。上半分が「文化の扉」、下半分が「科学の扉」。さながら、文理同舟だ。それぞれ独立に企画されているのだろう。2018年12月17日の紙面は、「文化…」の見出しが「『雑種』こそ日本の個性」、「科学…」は「有害生物駆除に死角あり」。その取り合わせに、僕は思わず苦笑した。

 

 「文化の…」は、加藤周一論。記事によると、加藤は国際人ではあっても、西洋至上主義者ではなかった。日本文化はもともと伝統と外来の雑種であり、そうあり続けることに価値があると考えていたらしい。文中に織り込まれた識者コメントも、それを支持する。

 

 「科学の…」は、有害生物対策がテーマ。記事では、有害生物の一つとして外来種が登場する。ため池の水を抜いて一つの外来種を一掃すると、今度は別の外来種が激増するといった話だ。駆除に副作用ありという指摘だが、ここでは外来に良いイメージがない。

 

 これで、苦笑の理由もわかるだろう。「文化の…」の記事は、在来文化と外来文化の交雑を肯定的にとらえている。それは、反ヘイトの共生社会にも通じる視点だろう。一方、「科学の…」の記事には、在来生物と外来生物の交雑は避けるべきものだという前提がある。そこにあるのは、生態系の人為改変を嫌うエコロジー思想だ。文化と科学それぞれの「扉」を開いたら、交雑の評価をめぐって真逆のベクトルが見えてきたのである。

 

 僕たちは、共生とエコという今風のキーワードが同じ方向をめざしていると思いがちだ。どちらも多様性の尊重という価値観は共有している。だが、そこには矛盾もある。異民族の交流は良質な雑種文化を生んできたが、その相似形を野生生物界に求めると生態系のバランスが崩れる。交雑という事象の良し悪しは、文化の視点でみるか科学の座標でとらえるかで反転する。こんなことは、文理両域を見わたさなければ気づかなかっただろう。

 

 で、今週は『暗黙知の次元』(マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳、ちくま学芸文庫)。訳者解説によると、著者(1891〜1976)はハンガリー・ブダペストのユダヤ人家庭に育った。大学では医学を専攻、その後、物理化学の研究者となった。1933年、ナチスに追われるように英国マンチェスター大学へ。ここで専門を科学哲学に転ずる。当初は理系部門の教授だったが、第2次大戦後、社会学部に移ったという。文字通りの文転だ。

 

 本文には、その理由が自身の言葉で語られている。きっかけは「スターリン時代のソヴィエト・イデオロギーにつまずいたこと」。1935年、ソ連共産党幹部の「自己目的化した純粋科学」を否定する発言を聞いて「愕然とした」という。社会主義は「科学的必然性を言い立てる」のに「自立的な科学的思考の存在自体を認めない」という不思議。著者によれば、そんな科学観が「機械論的(メカニカル)な人間観や歴史観」を生んでいた。

 

 炯眼と言うべきだろう。ここで注目すべきは、純粋科学の否定が科学的思考の否定に結びつき、それが人や歴史の見方にまで悪影響を及ぼすと見抜いていることだ。純粋科学は知的探究本位の科学のことで、実用とは縁遠い。それを支援しようというとき、日本社会では、夢だ、ロマンだ、ともてはやす動きばかりが目につくが、肝心なことを忘れている。純粋科学は、「科学的思考」を内在させていることに最大の存在理由があるのだ。

 

 この本は、著者が1962年に米国のイェール大学であった講義をもとにしている。原著は60年代半ばの出版。最初の邦訳(副題に「言語から非言語へ」、佐藤敬三訳、紀伊國屋書店)は80年に出た。今回手にとった文庫版は、2003年に訳しおろされたものだ。

 

 訳者解説は、初訳刊行からまもない1980年代後半、日本の知識人がポストモダニズム旋風の渦中にあったことを指摘する。既成の価値や権威の「根拠の『恣意性』」があばかれ、「解放的」な気分が高まっていた。こうしたなかで「暗黙知」という言葉は広まる。近代の機械論に批判的な著者の論考が、ポストモダンの空気と共振したのだろう。それは、自然科学でも物質の最小単位に遡る近代の要素還元主義に批判が芽生えたころだった。

 

 第1章では、「暗黙知」とは何かが、こう示唆される。「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」(傍点付き)――人には、暗黙裡に働く知があるということだ。著者が最初にもちだすのは、顔の識別。人は特定の人物を不特定多数の群衆から「見分ける」ことができるが、その過程はほとんど「言葉に置き換えられない」。僕たちは街を歩きながら、パッと見でご名答というパターン認識を楽々とこなしているのである。

 

 著者は、顔識別のカギは「人相」だと主張する。人を見かけて、それが誰かを知ろうとするとき、僕たちは相手の目や鼻や口を一つずつ切りだして点検するのではなく、「人相」に注意を向ける。目や鼻や口は「据えられている場所」と不可分なので「人相」をかたちづくって初めて「意味」を帯びる、ということだ。部品そのものよりも、部品間の関係に目を向けたところは、自然科学の要素還元主義批判を先取りしているようにも思える。

 

 ここで参照されるのは、ゲシュタルト心理学だ。この学説では、人はものの「外形」を認識するとき、「感知している個々の特徴を、それが何とは特定できないままに、統合している」とみる。この認識は「自然な平衡を得て、生起する」と仮定されているが、著者は、そこに人間の「偉大にして不可欠な暗黙の力」をみてとろうとする。表現が大げさなのは、「科学や芸術の天才」や「名医」がこの力を発揮している、と考えているかららしい。

 

 暗黙知のイメージは日常感覚にもしっくりくる。それは、ピアノ演奏について触れた記述からもわかる。「自分の指に注意を集中させたりすると、演奏動作が一時的に麻痺することもある」。その通りだろう。ピアニストが見事なのは、指を何本も使っていちどきに別々の鍵盤を叩くからだ。音符一つずつを追って指1本ずつを気にかけていたら、音楽にならない。これを著者は、個々の要素の吟味による「意味や全体像の破壊」と呼ぶ。

 

 ただ、著者の思慮深さは、ここで話を終わらせないことだ。指1本ずつの動きをたどる練習の効果は認めていて、それをしたときは「個々の要素をもう一度内面化し直す」ことで音楽を取り戻せるという。内面化とは「暗黙知化」と言い換えてもよいのだろう。

 

 著者は、これに続けて近代科学に対する批判を大展開する。「もしも暗黙的思考が知(ナリッジ)全体の中でも不可欠の構成要素であるとするなら、個人的な知識要素をすべて駆除しようという近代科学の理想は、結局のところ、すべての知識の破壊を目指すことになるだろう」。このひと言は、科学がめざしているのは「私的なものを完全に排し、客観的な認識を得ること」と思い込んできた僕たちの常識に、強烈なノーを突きつける。

 

 真の知とは、外なる客観知と内なる暗黙知の総和なのだろうか。

 

 しかも今は、「客観的な認識」そのものが揺らいでいる。20世紀物理学が難問を突きつけたのだ。相対性理論では、どの座標系にいるかによって時間の進み具合などが違ってくる。量子力学では、観測の瞬間に物事の状態が定まる。「客観的な認識」は、あるとしても絶対的なものではなさそうだ。そんな時代にポランニーは暗黙知というカードを切ったのだ。僕たちの世界観を完全に近づけるには、その隠れた知のしくみを探る必要がある。

 

 暗黙知研究の近況については、文化の扉も科学の扉も取り払った紙面でぜひ読みたい。

(執筆撮影・尾関章、通算456回、2019年1月25日公開、同月28日更新)

 

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『シーシュポスの神話』(アルベール・カミュ著、清水徹訳、新潮文庫)

写真》山上の岩

 とある民事訴訟のニュースに接してネットの反応を見た。ヤフーの検索ページにキーワードを打ち込み、リアルタイム欄を選択すると、ツイッターのつぶやきが一覧できる。コメントはくっきり二分されていた。被告側を応援するが原告側の言い分にも一理ある、被告側を支持しないが原告側の主張には難がある……といった熟慮の形跡がほとんど見当たらない。なにごとにも白黒をつけて「いいね」と同調する風潮が強まっているのだろう。

 

 これはつぶやきであり、字数制限もあるのだから、当然と言えば当然だ。だがそれにしても、世の中の出来事に対して自分の見解をこれほどすっきり言い切れるものだろうか。僕にはできそうもない。だから、自らはツイッターに手を出す気になれないのである。

 

 むかし、弁証法という言葉が飛び交った時代があった。1970年代くらいまで、学園キャンパスでは日常語になっていたと言ってもよいだろう。語源は古代ギリシャに遡るが、往時の学生たちが念頭に置いていたのはヘーゲル、マルクス以来の用法だ。ヘーゲル哲学によれば、人の思考では「正」に対して「反」がある。そこには矛盾があるが、これを「止揚」すると「合」という高次の段階に至る。弁証法には、そんな動的展開がある。

 

 カタカナ語で言えば、「正」「反」「止揚」は「テーゼ」「アンチテーゼ」「アウフヘーベン」。思いだすのは、1年前の政局騒動で、新党を旗揚げした小池百合子・東京都知事が「アウフヘーベン」を口にしたことだ。これに対して、世間はキョトンとしたように思う。

 

 ここで確認しておきたいのは、「正」と「反」の対立関係は問題解決の踏み台になるということだ。両者は矛盾をはらんでいるので、すぐには決着をみない。議論を深めると新しい地平が現れ、答えが見えてくるというしくみである。ところが、昨今のツイッター発信はどうか。「正」は「正」を言いっ放し。「反」は「反」を繰り返すのみ。止揚の気配がない。ネット社会の世相を見る限り、弁証法はもはや絶滅危惧種になりつつある。

 

 だが今の時代は、「正」だけで、あるいは「反」だけで乗り切るのが難しい。容易に答えを見いだせない難題が山積だからだ。一例を挙げれば、人工知能(AI)との向きあい方。人間の弱点を補ってくれるので導入を急ぐべきだという理屈はわかる。だが半面、普及によって人間が自らの存在理由を見失う懸念もある。推進論であれ抑制論であれ、すぐには「いいね」のボタンを押せないのである。こんなときこそが、弁証法の出番ではないのか。

 

 で、昨今の世相を嘆きながら選んだ今週の1冊は『シーシュポスの神話』(アルベール・カミュ著、清水徹訳、新潮文庫)。著者(1913〜1960)は、植民地時代のアルジェリアに生まれたフランス人作家。『異邦人』、『ペスト』などの小説で知られる。前者は今夏、当欄でとりあげたばかりだ(2018年8月10日付「異邦人ムルソーのママンとは何か」)。この本は、その著者がフィクション抜きで書き綴った哲学的な論考だ。

 

 刊行は、第2次大戦中の1942年。著者が代表作『異邦人』を世に問うた年である。この小説は8月の当欄でも振り返ったように、1960〜70年代には実存主義の必読書として若者の心をとらえた。だが、それは筋立ての醍醐味やイメージの鮮烈さによって訴えかけてくる文学作品であり、明示的には哲学の記述がなかった。どう読み解いたらよいのか。そう戸惑う読者に、解説書の代役を果たしたのが本書だったと言ってもよいだろう。

 

 この邦訳文庫版は、初版刊行が1969年。語弊を恐れずに言えば、カミュが旬のころだった。あのころ、本屋で新潮文庫が並ぶ一角に立つと、カミュ本の目印であるシルバーグレーの背表紙がひとかたまりで目に飛び込んできて、そこに『異邦人』とともに本書があった。『異邦人』から『シーシュポス…』へという読書の流れは自然だったのだろう。ただ正直に打ち明ければ、僕は学生時代、前者で止まってしまい、後者は読まなかった。

 

 人文科目の授業かなにかで、後者の要点を聞いていたのだ。シーシュポスとはギリシャ神話に登場する都市国家コリントスの王の名であり、彼は死後、地獄に落ちて大岩を山の頂に押しあげる作業を強いられる。岩は押しあげてもすぐ転がり落ちるので、なんども同じことを繰り返すという苦役だ。この本は、人生とはしょせんそんなもの、と言っているらしい。だとしたら説教じみているように思えて、読む気が湧いてこなかったのだ。

 

 だが、これは大きな怠慢だった。カミュ文学のキーワードは「不条理」だが、作品をいくら読んでも、それがどう人の生き方につながるのかは推測するしかない。著者自身の言葉がほしいのだ。明証は、希少な論考から探しださなければなるまい。

 

 今回一読してみると、その解読は難事業だとわかった。著者の筆はあちこちに走るので、すぐについていけなくなる。これを、訳者は「改版あとがき」で「若書きの哲学的エッセー」と評している。「若いカミュが、どうしても解決したいとねがう問題と真正面から向き合って、いろいろな哲学書を参照しながら、懸命になって解答を求めようと努力する」姿が見てとれるという。執筆時、著者はまだ20代。青臭くてもしかたないわけだ。

 

 その文体は、訳者の言を借りれば「ときに抽象的な思索にふけり、ときに飛躍し、ときに抒情的(じょじょうてき)にうたう」という感じ。まさに、その通りだ。だから一字一句にこだわるのではなく、伏流する思考を大づかみに汲みとるほうがよいのだろう。

 

 まずは、不条理の定義から。これも本文から正確に切りだすのは難しい。「訳者付記」の助けを借りよう。それによると、著者が考える「不条理」(l’absurde)とは「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰(めいせき)を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙(たいじ)したままである状態」のことだという。本稿のまくらに振った弁証法に似た構図が人の内面にはあるということか。

 

 ただ、「弁証法」という用語は安易に使えない。著者は「真に重大な哲学上の問題」は「自殺」であり、「人生が生きるに値するか否(いな)かを判断する、これが哲学の根本問題に答えること」と宣言して論を説き起こすが、同じ章で「精緻(せいち)な学識にもとづく教壇的弁証法は、良識と共感との両者から発するより謙譲な精神の態度に席をゆずらねばならぬ」とも述べている。「正」「反」よりも情感豊かな対峙に目が向いていたらしい。

 

 著者によれば、不条理は人間と世界をつなぐ「絆」としてある。だから、「不条理という観念こそが本質的であり、ぼくの真実のうちの第一のものを表示しうる」。そこにある闘争では「希望のまったくの不在」や「たえざる拒否」や「意識された不充足」が前提条件となるが、「こうした要請を破壊したり、ごまかしたり、かわしたりするもの」は「不条理をなしくずしに滅ぼし、そうした要請にしたがって提示されうる態度の価値を失わせる」。

 

 これが実存哲学批判に結びつく。それは「例外なしに、ぼくに逃亡をすすめてくる」からだ。「異邦人ムルソーのママンとは何か」に書いたように著者自身は実存主義に冷淡だったので、ここは読みどころだ。たとえば、キルケゴールは「苦しまぎれにむりな逃げ道を考えだして、非合理的なものに神の顔貌(がんぼう)をあたえ、またかれの言う神に、不当、矛盾、不可解という不条理の属性をあたえる」。著者はこれを「哲学上の自殺」と断じる。

 

 実存哲学は、さまざまな仕掛けをもちだして不条理の闘争を脱しようとしている、ということか。キルケゴールの場合、それは不合理を背負った「神」を想定することだった。なぜ不条理をあるがままに引き受けないのか。この論考は、そんな問いかけに満ちている。

 

 論考最後の章は文字通り、シーシュポスの神話についてだ。著者は、押しあげた岩が転がったあと、それを再び押しあげるために山を下りる主人公に思いを馳せる。「かれが山頂をはなれ、神々の洞穴(どうけつ)のほうへとすこしずつ降(くだ)ってゆくこのときの、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝(まさ)っている」。闘いそのものよりも闘いをやめないことを讃える――僕たちが忘れかけた美学がここにはある。

(執筆撮影・尾関章、通算448回、2018年11月30日公開)

 

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『ニーチェ』(ジル・ドゥルーズ著、湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫)

写真》主義の変遷

 哲学という言葉を知ったのは、小学校高学年のころだったと思う。自宅に大学生が下宿していて、学問には国語算数理科社会だけでなくテツガクというものがあると聞いたのだ。テツガクシャは、人はなぜ生きるのか、どう生きるべきかを考えているとのことだった。

 

 それで思うのは、そのころに哲学書を読みあさっていればよかったのに、ということだ。子どもたちの未来は開かれている。人生の設計図は真っ白。親から引き継いだ遺伝要因、家庭の経済状態といった環境要因はあるにしても自由度は大きい。だから、その時点で哲学に触れていれば効果抜群となるはずなのだが、あいにくそうはならない。人は、差し迫った悩みに直面して初めて、なぜ生きるのか、どう生きるべきかという問いを抱く。

 

 僕自身も10代になってから、そういうことを考えるようになった。その問いは当初、なぜどう生きるかということよりも、死の恐怖のほうが強かったように思う。死は身体が無に帰するものと認めたうえで、その不安を抱えながらどうやったら生きていけるのかと悩んだ。だから、中学生時代に読んだ哲学関係の本は哲学書ではなく『仏教』(渡辺照宏著、岩波新書)だった。そこに輪廻思想を見いだして、ちょっと安心したことを覚えている。

 

 高校に入ると、僕の思考も方向転換した。死後の世界は幻であり、それを思い描いても気休めに過ぎない、と割り切ることにしたのだ。そのころ気になりだしたのが、実存主義の「投企」という哲学用語だった。マルティン・ハイデッガーやジャン=ポール・サルトルが何を指してそう言ったのかを正しく理解していたわけではない。ただ、自らのありようを絶え間なく投げかけていくような生のイメージが、心に響いたのである。

 

 考えてみれば、僕が少年期に経験した〈仏教の輪廻→実存主義の投企〉という転回は、近現代の欧州思想に起こった変化をなぞっているのかもしれない。標準的な死生観は、欧州ではキリスト教によってもたらされた。そこでも死後が想定されており、中近世の人々はその存在を素朴に信じたのだろう。ところが19世紀以降、それは揺らぐ。一つには、自然科学の進展で唯物論が強まったことがあるだろう。このときに現れたのが実存主義だった。

 

 実存主義には、人はたまたま世界に抛り込まれた存在という見方がある。そこには、創造主の形跡がない。この潮流の先駆者として、欧州の文化を縛ってきたキリスト教の世界観を断ち切ったのがフリードリヒ=ヴィルヘルム・ニーチェ(1844〜1900)だった。

 

 で、今週は『ニーチェ』(ジル・ドゥルーズ著、湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫)。ニーチェその人の著書ではない。著者(1925〜1995)はフランスの哲学者で、1960〜70年代に脚光を浴びたポスト構造主義の旗手の一人として知られる。

 

 ここで気になるのは、ポスト構造主義とニーチェ思想との折り合いだ。前者は、それに先立つ構造主義を受け継いで、主体や主観に重きを置く欧州思想に批判的と言われる。そこでは「差異」がキーワードとなり、関係性が重んじられる。だから、主体の営みとしての「投企」を促す実存主義とは相性が悪いはずだ。ところが著者は、実存主義はともかく、ニーチェには深い敬愛の念を抱いているらしい。それはなぜか。そこが、ぜひとも知りたい。

 

 目次をみると、本文は4部から成る。ニーチェの足跡を素描した「生涯」、その思想の核心に迫る「哲学」、著作に出てくる顔ぶれを並べた「ニーチェ的世界の主要登場人物辞典」――ただ「鷲」、「蛇」、「驢馬」、「駱駝」や「蜘蛛」などもいるから、正しくは「人物」ではない――、そして、著作の一部を抜き書きした「ニーチェ選集」の四つだ。巻末には訳者執筆の「ドゥルーズとニーチェ」があって、難解な本文の理解を助けてくれる。

 

 今回は、最初の2部に焦点を当てよう。「生涯」は、ニーチェの代表作『ツァラトゥストラはこう語った』に出てくる「三つの変身」の話から入る。精神→駱駝、駱駝→ライオン、ライオン→小児の移行である。駱駝は「既成の諸価値の重圧」を担い、ライオンは「既成の価値の批判を断行する」。そして小児は「新しい価値および新しい価値評価の原理の創造者」を意味する。これらの変身は、ニーチェ自身の著作や生涯にも見てとれるという。

 

 著者は、こうも言う。「ニーチェは一個の〈自我〉の統一性を信じておらず、またそういう統一性を感受することもない。さまざまな〈自我〉のあいだにある諸関係、つまりお互いに隠されており、ある異なった性質の諸力を、たとえば生の諸力、思考の諸力を表わしている多様な〈自我〉のあいだでの、〈力(ピュイッサンス)〉と価値評価の微妙な諸関係――このようなものがニーチェの抱いた概念であり、彼の生の様式なのである」

 

 これは、ポスト構造主義の人ならではのニーチェ観だろう。欧州思想にしっかりと根づいた自我の概念を信用せず、そこにあるいくつもの側面を別々の自我としてとらえ直す。その間に働きあう相互作用こそが一人の人間の生として立ち現われる、ということだろう。

 

 「哲学」の部は、ニーチェが哲学の表現方法にアフォリズム(警句)と詩をもち込んでいることから説きおこされる。これは、「認識へと至るという理想」や「真なるものを発見するという目的」よりも「解釈」と「価値評価」を重んじるからだと著者は言う。「アフォリズムは解釈する技法であり、かつまた同時に解釈すべきものでもある。詩とは価値評価する技法であり、評価すべきものでもある」――ちょっと難しい理屈だ。

 

 だが、ここから始まるソクラテス批判によって、著者が言いたいことが少しだけわかってくる。「哲学の退化は、ソクラテスとともに明確に現われる」と断じて、この先哲の仕事は「生を裁かれるべきなにものか、節制すべき、限界づけられるべきなにものかとする」ことだったと見てとる。そこには、「神性」「真」「美」「善」を高位に置く物差しがあるという。興味深いのは、この枠組みが欧州思想に脈々と受け継がれているとみていることだ。

 

 著者によれば、近世以降は人間が神に取って代わり、「真なるもの、善、神聖さなどの代わりに、進歩、幸福、有用性などがその場を占める」ようになった。物差しは別物になったが、服従を促される点は変わらないということか。だから「哲学の歴史は、ソクラテス学派からヘーゲル主義者に至るまで、人間の長い服従の歴史であり、その服従を正当化するために人間が自分に与える数々の理由の歴史なのである」と言って憚らない。

 

 ここで著者は、我々は「高位の諸価値」を担わずとも「『あるがままの〈実在〉』を背負うように勧められる」と書く。実存主義にも駱駝を見るわけだ。「実在」も高位の諸価値の産物と言って同列の扱いをするからだが、これでは実存主義者がかわいそうな気もする。

 

 著者がニーチェ思想の象徴とみるのは、ソクラテスの対極にあるディオニュソス。このギリシャ神話の酒神は「生とは裁かれるべきものではないということ、生はそれ自身で充分正しく、充分聖なるものであることを予感していた」。服従することのない全肯定だ。

 

 ニーチェ思想の核心には「力」と「意志」がある。前述「自我」のくだりにも「生の諸力」「思考の諸力」などが出てくる。この本によれば、「力の、力との関係」が「意志」と定義される。「〈力〉への意志」は、「相互の差異」によってもたらされ、そこからまた力が生まれてくるので、「動性」があり、「軽やか」で「多元論的」だ。ここにディオニュソスが宿る。著者は「肯定することはそれ自身複数的で、多元論的」と言い切る。

 

 この読み解きで見逃せないのが「差異」という言葉だ。さすが、ポスト構造主義者である。欧州思想史を振り返ると、ギリシャ哲学もキリスト教も一方向を仰いでいる。その先に戴くのは、理想だったり神だったりする。これに対して、ニーチェは多元の要素を重んじる。その差異が力学作用を及ぼすという動的なイメージ。そこには、ポスト構造主義だけではなく20世紀に台頭したエコロジー思想やネットワーク論との共鳴もあるように僕は思う。

 

 ドゥルーズ経由のニーチェは、20世紀を経て21世紀にもビンビンと響いてくる。

(執筆撮影・尾関章、通算415回、最終更新2018年4月10日)

 

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『フランクフルト学派――ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』
(細見和之著、中公新書)
写真》フランクフルトの味わい
 
 哲学と言えばコップが思い浮かぶ、という話は当欄やその前身で繰り返し書いてきた。コップをじっと見つめて、実在とは何か、それと向きあう自分とは何か、を考え抜く。哲学とはそういうものだと信じていた頃が僕の青春期にはある。世界は自我一人で完結しているものという思い込みに囚われていたのかもしれない。唯我論とまでは言えないにしても、どこか唯我志向があった。
 
 その裏返しが、社会から一歩退くという態度だった。数週間前の拙稿「2月の青春、日本社会の縮図」で1970年前後の学生運動について書いたとき、「僕自身は『政治で世界は変わらない』という信念から運動にも党派にもかかわらなかった」と打ち明けた通りだ。月並みな言い方をすれば、幸福は社会改革ではなく、自分自身のものの見方を変えることによって得られると考えていたのである。
 
 だから、サルトルも『嘔吐』まではぴったりくる。実存主義の核心を見せつけたマロニエの根っこは、テーブルのコップが代役となってもよかったからだ。だが、彼が1960年代に見せた左翼知識人としての姿、飢えた子の前に文学は無力だとする発言などに触れると、実存思想が安値で売られているような感じがしたものだ。そこでも、唯我志向が作用していたのだろう。
 
 ところが、この志向はいま、僕のなかで急速に弱まっている。人は老いれば知人が一人ふたりと世を去り、自らも死に近づく。物理的には、唯我世界に向かって押し流されていると言えなくはない。だが不思議なことに、そんな位相に身を置くと、かえって違う現実が見えてくる。人は死んでも生きている人との関係を存続させる。もしかして人は、他者との関係性そのものとして存在しているのではないか。そんな思いが強まってくる。
 
 ということで遅ればせながら、社会派とも言える人文系知識人のことを学びたくなった。今週は、そのとっかかりに『フランクフルト学派――ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』(細見和之著、中公新書)。1923年、ドイツのフランクフルトに生まれた「社会研究所」に光をあて、そこに集った思想家群の系譜を今日に至るまで追っている。この人々が後に「フランクフルト学派」と呼ばれるようになった。
 
 著者は1962年生まれ。ドイツ思想の学究であり、詩人でもある。「はじめに」の章で、フランクフルト学派の思想が「左翼革命を煽(あお)り立てるたぐいのものとして捉えられた」のを「致命的な誤解」と断じているように、幅広い視点で学派に迫っている。
 
 ここではマックス・ホルクハイマー(1895〜1973)、テオドーア・W・アドルノ(1903〜1969)に絞って、その思想の核心を切りだしてみよう。
 
 ホルクハイマーは社会研究所ができてまもない1930年、所長となった。その就任講演から「フランクフルト学派のひとびとが向かう方向」が予感される。彼は「社会の経済的生活」「諸個人の心理的な発達」「狭義の文化の領域における変化」に目をとめ、その「三つの領域の結びつき」を探ろうと呼びかけたという。「経済」でマルクスに、「心理」でフロイトに、というように思想界の前線に網をかぶせていたと言えよう。
 
 これからほどなく、社会研究所はナチスの迫害を受ける。「裕福なユダヤ系の家庭出身」の知識人が多くいて、しかもマルクス主義者の集まりとみられたためらしい。1933年に閉鎖を余儀なくされ、ホルクハイマーもスイスを経て米国へと移住を強いられる。それを追うように研究の本拠も「フランクフルトからジュネーブへ、さらにはニューヨークへ」と避難するのである。発祥地に戻って活動を正式に再開したのは、51年のことだった。
 
 ホルクハイマーは、デカルト哲学に象徴される「伝統的」な理論に対置して、自らの思想を「批判理論」と名づける。「伝統的」な視点では「命題を矛盾なく整合的に提示すること」が「真理の証(あかし)」となるが、彼は命題に無矛盾を求めたりはしない。「むしろ、自らが矛盾に貫かれた社会のなかに置かれていること、さらには自らの理論自体がそういう矛盾に満ちた社会の産物であること」を「徹底的に意識化」しようとする。
 
 だから、それは「現状を観察したり記述したり」では終わらない。「社会が総体として抱えている矛盾の廃棄という実践的関心」をもって「変革の梃子(てこ)としての役割」を担うことになる。社会派の社会派たる所以はここにある。
 
 当然、ナチス体制も俎上にあがる。それを生みだした流れをはじめは「マルクス主義的な進歩史観」に立って批判していたが、やがてそこから離脱する。1940年代には、ファシズムとスターリニズムをひとくくりにして「権威主義的国家」という概念でとらえた。「マルクス主義的な革命も、それが世界史の進展を促進させるものであるかぎり、このような権威主義的国家に行き着くことはまぬがれない」。そんな結論を導きだしたという。
 
 著者は、彼の論文「権威主義的国家」に「搾取の終焉(しゅうえん)とは、進歩を加速させることではもはやなく、進歩から飛躍すること」とあるのをみて、「進歩という立場への批判」を感じとる。進歩が絶対善とされる今、心に刻みたい言葉だと僕は思う。
 
 ホルクハイマーが、当時やはり米国にいたアドルノと共同討議の末、1944年にまとめたのが『啓蒙の弁証法』だ。そこには「なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか」という問いがある、と著者は指摘する。「野蛮」とされたのは、欧州の「ファシズム」、ソ連の「独裁と体制順応主義」、そして米国で顕著な「『文化産業』の肥大ぶり」である。
 
 最後の一つは「どのような芸術作品であってもいっさいがその商品価値(売れるか、売れないか)を基準にして計られる社会」だ。文化の商業主義を「権威主義的国家」と同列に並べたのである。著者によれば、ホルクハイマーとアドルノは、三つの「野蛮」には「啓蒙あるいは文明化という『概念』そのもののうちに当初から胚胎(はいたい)していた事態」という共通点があるのではないか、とにらんだ。文明が野蛮を生むという逆説だ。

 『啓蒙の…』では、ホメロス『オデュッセイア』の主人公の自然支配志向に啓蒙や文明化の兆しをみる。「自己保存のために行なわれた自然支配は、保存するはずの当の自己(内的自然)を失う」。その結果、「保存すべきはずの自己そのものを喪失した、いわば空虚な自己」が現れる。著者は、この考察を読み解いたうえで、自らが「外的な自然と内的な自然の狭間(はざま)」にいるとの認識が「あるべき社会を私たちが構想する手始め」と言い切る。

 「アドルノとホルクハイマーは、外的・内的な自然支配の根底には、同一化の暴力が働いていると考えます」「自然の支配は、つねに支配しきれないもの、同一化しきれないものを生み出します」「同一化をはみ出す者を確認することによって、それ以外の者たちは同一であることを保証されるのだ、と言ったほうが正確でしょう」……こうした著者の叙述は、ナチスが学派の思想の反面教師となった現実を思い起こさせる。

 ほかの二つの「野蛮」も含めて考えれば、共通するのは人間疎外だ。人類の「自己喪失」と言うこともできる。さらに大きな枠組みでとらえれば、この洞察は科学技術と自然環境の緊張関係を考えるときのヒントももたらす。アドルノやホルクハイマーの没後、生命科学系の先端技術が急激に広まったことで、内なる自然の危機はフロイトにつながる心的なものだけでなく、身体的なものにも及んでいるとは言えないか。
 
 アドルノが残した至言は「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という言葉だ。含蓄があり、字義通りにはとれないが、僕たちの周りに「新しい野蛮」と呼びたくなる現象が広まっているのは事実だ。それと対抗する内なる自然を守りたいと思う。
(執筆撮影・尾関章、通算306回)
 
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『事件!――哲学とは何か』(スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳、河出ブックス)
写真》ブログは「私」か「公」か
 
 先日、当欄で米国の物理学者リチャード・ファインマンの伝記風読み物を紹介したとき、お読みいただいた方から「さっぱりわからない」という感想をいただいた。一人ならず二人からである。読み手の総数は限られているので、僕は今流に「重く受けとめた」。
 
 ファインマンと言えば、スペースシャトル・チャレンジャー事故の調査で大統領委員会のメンバーとなり、歯に衣着せぬNASA(米航空宇宙局)批判を展開したのが有名だ。気骨の人。そんな話だけを切りだせば「さっぱりわからない」と煙たがられなかっただろう。
 
 だが僕は、物理学者としての「カレ流」に魅せられたので、それに焦点を当てたかった。失敗は、最初に大きな構図を示さなかったことにある。前提として、現代の物理学者の頭のなかでは相反する二つのイメージが拮抗していることを、まず書くべきだった。一方は、空っぽの空間に粒子が散らばっている。もう一方は、空間が海のように満たされている。どちらもそれなりに正しく、片一方を切って捨て去れないところに現代物理の葛藤がある。
 
 20世紀の量子論では、前者と後者が併存する。光に粒子の一面があることがはっきりして前者が勢いを増したが、電子には波の顔もあるとわかって後者も盛り返した。粒子の間には力を伝える場があり、その場にも粒子が現れるという前者後者が相乱れる量子世界。その混迷のなかで、後者含みの理論を受け入れつつも前者のスッキリ感に心惹かれていたと思われるのが、ファインマンだった。
 
 数式を読み解く能力がなくては、物理学の頂は踏破できない。だが、物理学を遠くから眺め、ときに麓を歩き回ることで、その山容を知ることは僕たちにもできる。この体験を分かち合いたいというのが、先日の当欄に僕が託した思いだった。
 
 当欄は前身を「文理悠々」という。科学を長く取材してきたので、在籍していた新聞社のサイトで、この看板を掲げた。文系本と理系本を取り交ぜて読みあさることで、理系知を文系知へ、あるいは文系知を理系知へ溶かし込みたいという野心が僕にはある。
 
 で、今週の一冊は『事件!――哲学とは何か』(スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳、河出ブックス)。原著が2014年に出た新鮮な本だ。著者(1949〜)はスロベニアの今をときめく哲学者。文系本でありながら、随所で理系知も引き合いに出されている。
 
 書名「事件!」は、原題の“Event”を訳したものだが、ここで論じられているのは、メディアを日々賑わして世の中に衝撃を与えるニュースとは違う。「出来事」くらいの訳がぴったりくる。版元はメリハリをつけたくて強めの言葉を選び、びっくりマークまで添えたのだろう。ただそれは、あながち的外れではない。読み終わると、著者自身も「事件」と呼ぶべきものを待望していることがわかる。
 
 本は、地下鉄の路線図仕立てで構成されている。六つの章がそれぞれ本線の駅という設定で、駅によってはそこから支線が延びているところもある。「出発進行!――通過中の事件」と題された前書きでは「まずは地下鉄に乗り込もう。これから次々に通過する駅は、それぞれが事件の異なる定義をあらわしている」と呼びかける。すなわち著者は、事件もしくは出来事を、いくつかの違う角度からつかみとろうとしている。
 
 圧倒されるのは、どの駅をのぞいても批評精神であふれ返っていることだ。映画、芝居、楽劇、詩、俳句、ミステリー……と古今東西の創作物が縦横無尽に語られる。その一つひとつは見識に富んでいるが、それが事件もしくは出来事とどう関係するのかピンとこないものも多い。で、僕は腹を決めた。前書きにある譬えも、「通過する駅」で停車駅ではない。過ぎ去るプラットホームの光景を窓からぱっと見て、その印象を拾うことにしよう。
 
 目につくのは理系知の援用だ。一例は「究極の〈事件〉とは〈堕落〉そのもの、つまり一度も存在したことのない原初の統一と調和(これらは遡及的幻想にすぎない)の喪失である」と断じたくだり。宇宙史では、自然界の小さな揺らぎが「体系を、均質な無秩序状態から、二つの明確な状態のうちのどちらかへと移行させる」という「対称性の破れ」があったとされる。こうして「均衡が崩れ」「物が出現する」のも〈事件〉だというのである。
 
 別の箇所では、脳科学も俎上にあがる。それは「客観的な神経の働き」を重んずるあまり、「自律した自由な主体としての〈自己〉の概念」を「幻想」ととらえているというのだ。意表を突くのは、これを仏教の「悟り」や「無我」と結びつけていることである。著者は「現代の科学的自然主義と仏教とはたがいに補完し合っている」「自由で責任ある主体としての〈自己〉を斥けるという点で共通している」とみる。
 
 ここでは、著者の事件観も披歴される。「脳科学における人間の根源的な自然化という〈事件〉」も「仏教における悟り、涅槃に達するという〈事件〉」も最後には失敗するとして、真の〈事件〉は「それが幻想であろうとも、主体性そのものの〈事件〉である」という。
 
 自然科学のキモの部分を、「堕落」や「悟り」のようにすぐれて人文的な概念に重ね合わせることには抵抗を感じる人も少なくないだろう。ここに挙げた2例については僕も、ちょっと強引すぎるかなと感じないわけではない。ただ、それでも強調したいのは、こうした思考回路は排除すべきでないということだ。いや、もっと推奨すべきではないかとすら思う。自然科学が知の営みである以上、それは人文科学の参照文献になりうるからだ。
 
 理系がかかわる話では、本の後半部で今日の技術社会の位相を切りだしているところのほうが、説得力があるかもしれない。なかでも考えさせられるのは、街に雨後のタケノコのように現れた監視カメラが隠しもつ意味だ。
 
 そこでは、年配の人が転ぶのを見たときにどうするか、という話が出てくる。倒れた人を助けた若者が、かえって転倒の原因になった人物として疑われたという話を踏まえ、監視カメラの前でなければ人助けをしない傾向が出てきたことに著者は着目する。


 浮かびあがるのは「公共空間の位置づけの変化」だ。現代人は街の通りを歩いていても「依然として自分の私的空間の内に留まっており、人びととの間にやりとりはないし、彼らを認識してもいない」。ではいつ、どのように「公共」が立ち現われるのか。著者は「他者と共存し、相互作用する(あるいはしない)空間が『公共』空間になるためには、監視カメラが必要なのだ」と見抜く。
 
 ネットワーク社会やソーシャルメディアに対する考察もある。こちらは一見、公共空間が拡大しているように見えるが、むしろ逆だというのだ。例にあがるのは「自分のヌードや個人的なデータや猥褻な夢をウェブ上にさらけだす人」。この行為は、自分の私的空間を押し広げて「他人の私的空間に侵入しているだけ」であり、公共空間の「私物化」だという。著者はそこに、「近代化という解放的〈事件〉」が「無効化」される流れをみる。
 
 ここまで「地下鉄」に乗って見えてきたのは、著者の鋭敏な時代意識だ。現代の科学と技術は、近代が人々にもたらしたものを奪いつつある。主体性、そして公共性。これらをもう一度取り戻すような〈事件〉が求められているということだろう。
 
 締めくくりの「終着駅」で、著者は「ここ数年、われわれはずっと事件前夜のような状況下にあるが、目に見えない壁が、真の〈事件〉の発生、つまり〈新しい〉何かの出現を、繰り返し阻止しているかのようだ」と分析する。「壁」除去の特効薬は示されない。ただ、「深刻に危機的な状況において何よりも必要なのは真の分裂、つまり古い枠組みの中に留まりたい人びとと、変革の必要性に気づいている人びととの分裂」という見立ては示唆的だ。
 
 〈事件〉を回避しようと、いい子になっているだけでは、なにも変わらない。
(執筆撮影・尾関章、通算295回)
 
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『永遠平和のために』(イマヌエル・カント著、宇都宮芳明訳、岩波文庫)
写真》カントの故郷ケーニヒスベルクと言えば……
 
 この初秋、日本列島にめずらしく政治の嵐が吹き荒れた。安全保障法制の審議が参議院で大詰めを迎えていたころだ。それと歩調を合わせるように、自然界でも天候が大荒れで、積乱雲が線状降水帯をつくって、篠つく雨を降らしたり、雷鳴を轟かせたりしていた。国会周辺をはじめ、全国津々浦々で盛りあがった抗議行動は、その空模様とぴったり重なる。天が人に呼応したように思えた。
 
 で、今回も最近の句会に出した駄句を一つ。
 悪法を撃つ稲妻にカント読む(寛太無)
 安保法制反対の気運に荒天のイメージを重ねた。時事を五七五に込めるというと川柳が思い浮かぶが、俳句にもあってよいのではないか。風刺とは別次元でメッセージを伝えたいこともある。句友の一人は、それを「ステートメント俳句」と名づけた。
 
 俳句には季語がある。拙句のそれは「稲妻」だ。季節は秋である。同じ大気現象でも「雷鳴」は夏だ。雷は光ってから音がするが、季語では順番が逆になる。先人の鋭敏な感性が、聴覚と視覚で季節を感じ分けたことに驚かされる。
 
 閑話休題。この作句で苦労したのは、誰の著作を読むのがよいか、ということだった。安保つながりで、まずは1970年前後によく読まれた本が頭に浮かび、サルトルはどうかと思った。字余り、却下。カミュは? うーん、ちょっと文学に傾きすぎる。ニザンは? 若い世代には、あまりに遠い存在か。そんなことをあれこれ考えているうちに気づいた。今回、僕が抱いた失望感は、半世紀さかのぼれば済む話ではない!
 
 僕は、安全保障の切れ目をなくすという方針そのものを悪いとは思わない。危急の事態に武力関与の可能性を想定することも、現実をみればやむを得ないのかもしれない。だが、法制づくりを急ぐ現政権の姿勢で受け入れがたかったのは、そこに平和志向の大きなベクトルがなかったことだ。核時代の戦争は破滅をもたらすのだから、武力を備えるにしてもそれを使わずにいられる国際社会を築こう、という強い決意が感じられなかった。
 
 ひとことで言えば、理性の希薄さである。最近は反知性という言葉をよく目にするが、嘆くべきはむしろ反理性の兆候ではないか。中世まで神が一手に引き受けていた役割の一部を人間の理性が担うようになった近代、そこに倫理を組み込んだのが、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724〜1804)と言えよう。理性乏しき立法を前にして天の怒りとともに開くべき本は、この人が書いたものをおいてほかにない。
 
 ということで、今週の一冊は『永遠平和のために』(イマヌエル・カント著、宇都宮芳明訳、岩波文庫)。1795年、古希の境地に達した著者が著した。その序文では、「実務にたずさわる政治家」が「理論的な政治学者」を「机上の空論家」とみる風潮が皮肉交じりに記されている。僕たちが今年、現政権と憲法学者との間に見てとったすきま風は18世紀の欧州でもすでに吹いていたらしい。
 
 巻末に収められた訳者解説によると、著者を執筆に駆りたてたのは、同じ年にフランスとプロイセンが結んだバーゼル平和条約だった。それは、第1章の冒頭で第1条項として「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない」を掲げていることからもわかる。それによってもたらされるものは「たんなる休戦であり、敵対行為の延期であって、平和ではない」(「平和」に傍点)という。
 
 第1章では、このあと五つの条項が続く。国家はほかの国家を取得できない(第2条項)、常備軍はいずれ全廃する(第3条項)、対外紛争で国債を発行しない(第4条項)、他国の体制や統治に暴力で干渉しない(第5条項)、戦時でも将来の平和時に信頼関係を結べなくするような行為(暗殺、毒殺、降伏条約違反、裏切りの教唆など)があってはならない(第6条項)――要約すれば、こうなる。
 
 第2、第5条項では、戦前日本の外地政策や米国のベトナム戦争を連想する。第6条項からは、歴史認識問題が尾を引く現実が見えてくる。第3条項ですぐ思い浮かぶのは、日本国憲法だ。二百余年前の問題提起は、今も干からびていないということだろう。
 
 ここでもう一つ言い添えたいのは、著者がただの「机上の空論家」ではないことだ。それは六つの条項を二つに分けて考えていることからもわかる。第2、第3、第4条項については「事情によって」「実行を延期することが許容されている」(「延期する」に傍点)と、留保をつけている。僕たちからみれば、第2条項などは即刻アウトの禁止事項だが、著者はまだ植民地主義時代の人だった。
 
 第3条項は、憲法9条との関係でとりわけ気になる。ここで見落とせないのは「常備」の2文字だ。著者は「国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を練習し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防備すること」を「まったく別の事柄」として排除していない。
 
 ではなぜ、常備軍はダメなのか。一つには、それが軍拡競争を招き、軍事費を膨張させて開戦のハードルを下げるからだという。もう一つの理由は、いかにもカントらしい。「人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、人間がたんなる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいる」ので「人格における人間性の権利とおよそ調和しない」とみる。だからこそ、非常備でも「国民が自発的に」なのだ。
 
 第2章は、人間世界の自然状態を「戦争状態」と指摘するところから始まる。戦時でなくとも「敵対行為によってたえず脅かされている」からだ。したがって「平和状態は、創設されなければならない」(「創設され」に傍点)。条件として挙げるのは、それぞれの国が戦争をするのに「国民の賛同が必要となる」ような民主的体制にあること、国同士が緩やかな連合体をつくることなどだ。ここにも、今につながる分析や提言がある。
 
 興味深いのは、二つの章に続く第1補説「永遠平和の保証について」で、再び「自然」が出てくることだ。第2章で自然状態を平和でないとしているのとは一見矛盾するようだが、こちらでは「諸物の巧みな造り手である自然」が永遠平和を保証するとみる。「自然の機械的な過程からは、人間の不和を通じて、人間の意志に逆らってでもその融和を回復させるといった合目的性がはっきりと現われ出ている」というのである。
 
 著者が目を向けるのは、人間社会に備わった力学だ。そこでは「利己的な傾向の力が相互に拮抗して、一方の力が他方の力の破壊作用を抑制したり、あるいはそれを取り除いたりする」ので、「あたかも双方の力がまったく存在しなかったのと同じ」という状態が可能となる。これは「人間の道徳的改善ではなくて、たんに自然の機構」で、国レベルの対外関係でも働く。このしくみを採り入れれば、平和が促されるという。

 この理屈は甘いとも言える。その通りに事が運べば、人類は二つもの大戦を経験しなかっただろう。さらに現代では、核抑止力の正当化につながりかねない危うさもある。ただ、それでも注目すべきは、そこに20世紀エコロジー思想の兆しがみてとれることだ。近代の哲学者にとって、平和の拠りどころは神よりも自然だった。生態系(エコシステム)では、構成メンバーの動的な均衡で調和が保たれる。平和外交のヒントがここにある。

 最後にどうしても触れておきたいのは、第2補説の次の一文。「公けの平和を可能にする諸条件について哲学者がもつ格率が、戦備を整えている諸国家によって、忠告として受けとられなければならない」(すべてに傍点)。ここで「格率」は、それぞれの原理原則にもとづく意見と解釈してもよいだろう。防衛力を高めるほど、見識ある人々の声に耳を貸すべきだということである。安保法制成立までの経緯を振り返ると、悲しくなってくるではないか。
(執筆撮影・尾関章、通算289回)
 
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『反哲学入門』(木田元著、新潮文庫)
写真》コップで哲学
 
 哲学ほど、遠くて近く、近くて遠い学問はない。そう思うのは、ある年齢になるまでテツガクとは何かが、はっきりしなかったからだ。わかりやすく言ってしまえば、小学校の科目にそれに該当するものがない。
 
 数学は、算数が高等になったものだ。文学は、国語のかなりの部分を占める。物理学、化学、生物学は、理科を小分けして高級にしたものだ。地理学、歴史学、政治学、法律学、経済学は、社会科を細分化、高度化したものとみてよい。そう考えていくと、哲学には初等教育でぴったりくる科目がない。「道徳」がそうかと言うと、ちょっと違う。あえて言えば、国語や社会科でその匂いがかげるような学問と言うことができる。
 
 その一方で、テツガクは僕たちの日常にごく自然に入り込んでいる。アフターファイブの歓談で、職場の上司や同僚の品定めをしているとき、「あの人は頑張り屋だけど、テツガクがないんだよな」という辛口コメントを耳にすることはないだろうか。この用法は、さまざまな局面に出てくる。野球解説者が「采配にテツガクがある」とほめ、経済評論家が「経営戦略にテツガクが欠けている」と腐す、というように。
 
 ここで「テツガク」という言葉は、大局観、歴史観に立って状況をつかみ、信念と論理によって事を進めるという姿勢に向けられた賛辞と言えよう。こうした思考や行動の様式は、マニュアル依存の風潮に押されて廃れつつあるように見える。だから、そんなテツガクを見かけると、僕も心のなかで拍手する。と同時に頭をかすめるのが、このテツガクとあの哲学は、どこでどうつながっているのだろうか、ということだ。
 
 「哲学」に親しんだころが僕にもあった。当欄の前身「文理悠々」に記した青春期の回想。「喫茶店でコーヒーを飲み、飲み干せばあとはグラス ――あのころはコップと言った――の水だけとなり、そのガラスの感触を手のひらに感じながら、事物の存在に思いをめぐらす。ときには、自分の前に同様のことを考える友がいて『このコップがここにあるってことは……』みたいな話になる」(2010年6月17日付「サルトルを覚えてますか」
 
 コップを手にとって、それが存在すること、あるいはそれを認識することが何かを考える。具象の物体から抽象の概念を引きだすあたりは、いかにも「学」だ。だがそれは、日々の実感とは切り離されていた。コップ片手の空論は、その語り手が喫茶店の外に出て無力な学生という現実に引き戻されたとたん、色褪せた。たぶん、それではダメなのだ。哲学は、どこかでテツガクとつながらなくてはならない――。
 
 で、今週の一冊は『反哲学入門』(木田元著、新潮文庫)。著者は1928年生まれの哲学者で去年、他界した。日本の哲学好きにとってはマルティン・ハイデガー、モーリス・メルロ=ポンティの紹介者であり、著書『現象学』(岩波新書)は広く読まれている。今回の本は、インタビューをもとにしたもので、2006〜07年に新潮社『波』誌に連載された。がんの手術を終えてまもなくのころで、その心境を率直に打ち明けるところから始まる。
 
 「だいたい、ほんとうに肉体的に苦しい時には、生死の問題のような抽象的なことを考えている余裕はありません。ものが食べられないとか、治療のためにムリしても食べなければいけないとか、眠れないのに眠らなくてはいけないとか、考えるのはそんなことばかりでした」。哲学者は「観念的で抽象的というイメージ」でとらえられがちだが、「わたしはそういうご期待には応(こた)えられそうにありません」と宣言する。
 
 著者は「哲学なんかと関係のない、健康な人生を送る方がいい」と言い放つ。理由は、プラトンに始まり、ニーチェが現われるまでの西洋哲学が「自然に生きたり、考えたりすることを否定している」からだという。そこでは、「自然は超自然的原理――その呼び名は『イデア』『純粋形相』『神』『理性』『精神』とさまざまに変わりますが――によって形を与えられ制作される単なる材料になってしまいます」。
 
 「イデア」はプラトン、「純粋形相」はアリストテレス、「神」は中世キリスト教哲学、「理性」「精神」は近代の哲学ととらえると、中身が変わっても「超自然的原理」を想定するところは同じだ。一つの思考構造が2000年を超えて生き延びてきたことに驚かされる。
 
 著者は、この視点に立って西洋哲学史を読み解く。そこには、はっとさせられる洞察が満載だ。たとえば紀元380年、古代ローマ帝国がキリスト教を国教にしたときの話。「ギリシア的な教養を身につけたローマ市民に布教しなければならなくなり、急いで教義体系の整備を迫られました。そこで、ギリシア哲学を下敷にして、超自然的原理の部分に『神』を代入して、教義体系を作り上げたというわけです」
 
 「理性」の時代、ルネ・デカルトが「私は考える、それゆえ私は存在する」という言葉に込めた「私」も同じ流れにある、という。「彼の言う近代的自我、理性としての私というのは、神的理性の出張所のような私にほかなりません。プラトンが『イデア』と呼び、アリストテレスが『純粋形相』と呼び、キリスト教神学が『神』と呼んだ超自然的原理の出張所のようなものが、人間のうちに設定されたと言ってもよいかもしれません」

 人間が超自然的原理を担うという発想を極めたのは、イマヌエル・カントらしい。そこには「われわれが認識するのは、『物自体の世界』ではなく『現象界』」という見方がある。現象界とは「人間の認識能力に特有の制限を通りぬけて現われ出てきた世界」だ。物自体が呼び起こす「感覚」を「直観の形式」で受けとめ、「思考の枠組(カテゴリー)」で再構成することによってもたらされる。この人間理性は「超越論的主観性」と名づけられた。
 
 超越論的主観性は近代科学、とりわけニュートン物理学と響き合う。それは「理性的概念だけを使って得られる理性的認識」だが、「われわれの認識する現象界に当てはまり、普遍性と客観的妥当性をそなえた確実な認識の体系として成り立ちうる」とわかったからだ。
 
 脈々と続く超自然的原理の流れに敢然と立ち向かったのは、フリードリヒ・ニーチェである。プラトンのイデアのようにこれまで最高の価値と崇められてきたものは「人間の支配機構の確保と高揚」をめざして「人間の手で設定されたものでしかない」と見抜いた。見えてきたのは「プラトン以後のヨーロッパの哲学と宗教と道徳は、総力を挙げてこのありもしない超感性的価値の維持につとめてきた」という概史だ。「反哲学」の原点と言えよう。
 
 自然は、超自然的原理が否定されると「おのずから生きいきと生成していくもの」に立ち戻る。そこでニーチェは「新たな価値定立の原理」を「生きた自然とも言うべき感性的世界の根本性格、つまり『生(レーベン)』にもとめる」。これが「力への意志」である。
 
 反哲学のバトンは、マルティン・ハイデガーに手渡される。著書『存在と時間』の未完部分では、デカルトの近代哲学に「〈存在者(エンス)〉をつねに〈被造的存在者(エンス・クレアートウム)〉として受けとっていた中世存在論の伝統」を見いだす批判的論考が構想されていたという。著者はここに、「存在」すなわち「ある」を「被造」「作られてある」ではなく「生成」「成りいでてある」ととらえるハイデガー思想をみてとる。
 
 著者の解説によれば、ハイデガーは「それはなんであるか」と問うたとたん、「問われているものに対するある特定の態度決定がおこなわれてしまっている」と気づいた。問うことで、対象との間にある「始原の調和が破れる」という。それは、量子力学の世界で物質を観測した瞬間、その状態が定まることに似ている、と僕は思う。哲学者や科学者が、人が問う行為、見る行為そのものを考慮しなければならない時代となった。
 
 この本を読了すると、ちょっと気が楽になる。プラトン以来の「哲学」はもはや絶対ではない。一方、ニーチェ以来の「反哲学」も今なお「哲学」の重しを取り払う作業の途上にあるようだ。ならば僕たちは、それらを参照して自分流のテツガクを豊かにすればよい。
(執筆撮影・尾関章、通算280回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『言葉にのって』(ジャック・デリダ著、林好雄、森本和夫、本間邦雄訳、ちくま学芸文庫)
写真》ポストモダン? それともモダン?

 ポストモダンという言葉を僕が初めて耳にしたのは、就職前の1970年代半ばだった。当時からぶらぶら歩きが好きで、街の風景のことなどを雑談の種にしていたものだ。そんなとき、建築専攻の友人から教えてもらったのである。
 
 ちょうど、東京が箱だらけになっていたころだった。箱とは、ニューヨークに聳える国連ビルふうの直方体建築のことだ。大は東京・新宿副都心の超高層ビルから、小は繁華街のペンシル形雑居ビルまで。その立ち姿から、機能本位の空間は四角いとみて疑わない信念が見えてくる。この機能志向は近代主義、すなわちモダニズムとも言い換えられるので、それに対抗するデザインがポストモダンと呼ばれるようになった。
 
 ポストモダン建築は、建物の外観に丸やら三角やらを取り込んだものが多かった。その気まぐれとも言える幾何模様は建物の使い勝手とは関係ない。機能ばかりでなく遊び感覚も、というメッセージがそこにはあった。
 
 ただここで、機能的なのは果たして四角だけか、という疑問がわいてくる。鉄道であれ、自動車であれ、車は丸い。測量と言えば三角。むしろ、あらゆる幾何図形を駆使して機能を追い求めたのがモダニズムだったと言えよう。これなら、17世紀のニュートン物理学も18世紀の産業革命もあてはまる。四角は、そのワン・オブ・ゼム。19世紀に鉄とコンクリートの建築文明が芽生えて、一気に広まったのではないか。
 
 そして20世紀も半ばを過ぎて、ポストモダンの登場となる。人の体は幾何図形に収まりきらないし、人の心は不定形の極みだ。モダニズムは窮屈に感じられたのだろう。四角だけが悪者になったのは、建築に限ったことなのかもしれない。
 
 ポストモダンは、建物の話だけではない。文化のあらゆる領域で「近代後」の新しい流れが起こった。哲学、思想に絞れば、それは難解なものが多い。きっと人間という存在の不定形さを意識したものだからに違いない。
 
 で、今週は、フランスでポストモダンの系譜にある哲学者の本。『言葉にのって』(ジャック・デリダ著、林好雄、森本和夫、本間邦雄訳、ちくま学芸文庫)。著者は1930年、アルジェリアのユダヤ人家庭に生まれ、2004年に他界した。この著作は1997年〜99年、フランス公共ラジオの二つの番組で、対談あるいは鼎談形式のインタビューに答えた中身を採録したものだ。
 
 デリダ哲学と言えば「脱構築」である。その要点を早わかりするには、訳註を引用するのがよいだろう。それによると、「西洋形而上学を批判する作業」では、哲学が「みずからを構築として自己批判することが不可欠」になる。「哲学の脱構築」である。デリダは「批判される哲学も批判する哲学もともにエクリチュール」とみて「脱構築もまたエクリチュールの実践のただ中で行なわれる」と考えた。
 
 この「エクリチュール」も難物だ。もともとは「書く(エクリール)」の名詞形で、「パロール(音声言語)」に対置される。ただ訳註によれば、デリダのエクリチュールは、音であれ文字であれ「言語を発現させる活動、その活動を可能にする、言語の差異的構造」を指すのだという。デリダは、言葉ばかりが踊って、その根っこにある言語のしくみが隠されてきたところに西洋形而上学の弱点を見たのだろうか。
 
 この本では、デリダ自身も脱構築のことを語っている。それは、現象学にかかわる話だ。フッサールを引くかたちで「現象学は《実証的》な動作、すなわち、あらゆる思弁的な理論的前提、あらゆる先入観を脱ぎ捨てて、現象に立ち戻ることができる動作」という認識が示される。そこでは、物事そのものではなく「それが私に現われるがままの、その私に対する現われ」が記述されるという。この文脈で、脱構築とは何かをこう素描する。
 
 「現象学的な動作(ある伝承物の哲学的な思弁的前提から、おのれを解放したり自由にしたりすること)であるけれども、また同時に、現象学の哲学的な諸主題の建造物の中に、これらの前提のいくつかを見抜こうとする試みでもある」(引用中のカッコは原文のもの)
 
 すなわち脱構築は、物事の「現われるがまま」をみようとする現場に立ち入って、「前提」とか「先入観」とかを徹底して剥ぎ取る作業を指すらしい。近代流の思考の枠組みも撤去対象の中心にあるだろうから、これをポストモダンの試みと呼んでもよいのだろう。
 
 この本がおもしろいのは、その「前提」掘り起しの思考回路で、人の振る舞いや世の出来事を見つめ直していることだ。僕がここでとりあげたいのは、嘘論と赦し論である。
 
 たとえば、嘘は絶対ダメかという難題。あなたが友人を自宅にかくまったとき、追っ手が押しかけてきて、玄関の扉を叩きながら友人がいるかどうかを聞いたとしよう。嘘も方便が成り立つように思うが、カントはそれでも「嘘をついてはならない」との立場を固守した。
 
 デリダは、この話をもちだして「カント自身、彼の実生活において決して嘘をつかないでいることができたかどうか、私にもどうだかわからない」と認めつつ、誠実であることを「無条件の義務」とみるカントの真意を推し量って、次のような論理を展開する。
 
 「私が口を開くやいなや、私は暗黙のうちに他者に真実を語ることを約束しています」「人が嘘をつくとき、それが全面的であるにしろ部分的にしろ、曖昧にせよ朦朧としているにせよ、誰にでも生じていることは、そのとき真実の約束そのものである言語活動の本質と合目的性そのものを裏切っているということです」。嘘をつくという行為は「語っている」とは言えず、むしろ「語ることに違反している」と指摘するのである。
 
 ここには、嘘の是非を超えた考察がある。人の言語活動に組み込まれた約束事をあぶり出しているからだ。それは、現象学や脱構築の試みで「思弁的前提」を探しあてる作業に似ている。デリダは物事の深層を見逃さない。
 
 赦しについては、1990年代、ネルソン・マンデラ大統領就任後の南アフリカ共和国で始まった「真実と和解」委員会のことが話題にのぼる。その使命は、アパルトヘイト体制下で非人道行為や人権侵害が繰り返された近過去を清算し、新しい社会につなげることだった。黒人解放運動にかかわった宗教家のデズモンド・ツツが委員会を率いたこともあって「赦し」がキーワードとなる。だが、これには当然、批判もあった。
 
 デリダの立場はこうだ。「特赦のプロセスがなければ、この国は存続することができなくなるでしょう」「赦しの価値は、法的な裁判の価値とは異質なものです」「ツツが明言しているのは、犯罪者が自分の過失を公的に認めるという条件で特赦が与えられることになる、ということです」「ツツは、後悔を特赦の条件にしようとしているのです」――これらの言葉から感じとれるのは、赦しを支持する姿勢である。
 
 だが、ツツに全面同意はしない。「みずからの非を認めて謝罪する人は、もはや同じ人ではありません」「赦しは、罪のない人や悔悛した人を赦すのではありません」。罪びとが悔いあらためてからの赦しは、もはや本当の赦しではないという理屈だ。赦しは告白などを求めぬ「絶対的な贈与」であるべきで、法的にも道徳的にも「基準のないもの」を「引き受け、堪え忍ぶ」ことで可能になるという。それは、きわめて高度な精神活動と言えよう。
 
 日本社会では、ひたすら頭を下げるばかりの謝罪が儀式化する一方、赦しの文化は萎えているように見える。あるべき謝罪と赦しはどんなものか。ポストモダンの人デリダから、不定形だが底深い思考を学びたいとつくづく思う。
(執筆撮影・尾関章、通算268回)
 
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『物質と記憶』(アンリ・ベルクソン著、合田正人、松本力訳、ちくま学芸文庫)
写真》改行なしの頁も。哲学書は難所だらけ

 
 朝、家を出る。最寄りの駅へ歩いていく。手のひらで胸やズボンのポケットを押さえながら、スマートフォン、ペン、名刺入れ、財布、ハンカチ……と忘れものがないことを確かめる。改札を抜け、電車に飛び乗ったとたん「あっ、玄関ドアに鍵をかけたかな」。そんな不安が急に頭をもたげるということはないか。カチッという音を聴いた気がする。でも、それを証拠づけるものは手もとに一切ない。
 
 歳をとったということか。いや、そうとばかりは言えない。かつて新聞記者だったころ、「確認ぐせ」の話を記事にしたことがある。このとき、同様の不安に襲われる人が年齢を問わず多くいることを知った。病気の域に達すると「強迫神経症」という診断が下るらしい。記事は、読者の悩みに専門医が応える形式だったが、医師に取材しているうちに自分自身が診察を受けているような錯覚に陥ったことを覚えている。
 
 戸締りをしたかどうかが心配になるのは、記憶がとらえどころないからだ。僕たちの手もとには過去の記録が集積されている。新聞、雑誌、本、日記、写真、録音、映像……そして化石、古文書、埋蔵文化財などもある。ところが、人間が頭で覚えていることは曖昧だ。
 
 哲学には、人のありようを心と身体の二本柱でとらえる心身二元論がある。近代合理主義を開いたルネ・デカルトのそれが有名だ。これに対して一元志向もある。心にこそ存在の根源はあるとみる観念論と、心も脳という身体部位が生んだ産物とみる唯物論である。
 
 僕たちの世代が生まれ育ったころは「心も脳の産物」というイメージが強まる一方だった。脳をかたちづくる神経細胞の働きが原子電子のレベルで説明できるようになり、唯物論が説得力をもったのである。ところが、コンピューターが広まって、脳に蓄えられた情報がそっくりITの記憶媒体に転写されるようになった。情報は独立して存在する。そのことがはっきりして、観念論が盛り返してきたようにも思う。
 
 「鍵をかけた」という記憶は、あくまで物質の存在に拠って立つものなのか、それとも物質とは別の自立した存在なのか。この問いは、脳をめぐる物質本位の科学と情報本位の科学がともに深まるなかで、ますます謎めいてきたと言えるだろう。
 
 今週は『物質と記憶』(アンリ・ベルクソン著、合田正人、松本力訳、ちくま学芸文庫)。著者は1859年に生まれ、1941年に没したフランスの哲学者。僕は十代のころ、この人の時間論を断片的にかじって心惹かれた。文系か理系か進路で悩んでいたころ、この世は科学が描くほどのっぺりしていないと教えてくれたのである。それに背いて理系に進み、科学記者になってみると、科学の潮流のほうが「のっぺり」から離脱しつつあった。
 
 そこで、今度はしっかり著者の思想に向かい合おうと思った。ただ、この本は難しい。あとがきにも「『物質と記憶』はしばしばベルクソンの著作のなかでも最も難解なものと言われる。訳者(合田)もそう思う」とある。字面をなぞりつつ、なんとか完走した。
 
 この本が書かれたのは、1896年。近代科学がひと区切りをつけ、20世紀に相対性理論と量子力学が登場するのを待つばかりというタイミングだ。それで驚くのは、著者がこの時点で最新の理系知を取り込んでいたことである。
 
 たとえば、「われわれの意識によって生きられた持続」が「物理学者が語る時間」とは異なることを述べたくだりにこうある。「一秒間に、赤色光線――最大の波長を持ち、したがってその振動が最も振動数の少ない光――は、四百兆の継起的振動を実行している」。光が秒速約30万kmであり、電磁波の一種であるとわかったのは19世紀半ば。著者はそれらを知っていた。毎秒「四百兆」の振動は、その証しだ。
 
 別のところでは「物理学者が光と電磁気の乱れを同一視することができたならば、逆に、ここで電磁気の乱れと呼ばれているものが光であると言うことができる。したがって、視神経が帯電において客観的に知覚するものは、まさに光であるだろう」と書く。細部をどこまで理解していたかはおくとして、視覚に光信号から電気信号への変換が欠かせないことには気づいていたのである。
 
 あるいは、この本では「睡眠には、諸ニューロン間の連帯の中断があると考える最近の仮説」についても言及している。ニューロンは神経細胞のことだ。当時すでに脳を神経細胞のネットワークとみる科学者の見解があり、著者はそれをいち早く吸収していたと言えよう。
 
 さて本題。究極の実在は身体か心か、その両方かという問いだ。著者は、問題の核心をこうえぐる。「通俗的二元論においてにせよ、唯物論においてにせよ、観念論においてにせよ、この問題が引き起こしている困難はすべて、知覚と記憶の現象のなかで、肉体的・物理的なものと精神的なものを、互いが互いの複製(duplicata)であると考えることに由来している」。唯物論で言えば「脳現象がなぜ意識を伴うのか」がわからないというわけだ。
 
 著者は、二元論を「通俗」の域から脱皮させ、それを突きつめて二つの「元」をつなごうと試みる。このときに鍵となるのが「イマージュ」という言葉だ。英語にすればイメージ、心に映る像である。ただ、この本では、ちょっと定義が異なる。「私はイマージュの総体を物質と呼ぶ」(引用部は傍点付き)というのだ。そのイマージュは要素部分を含めて「自然の諸法則」に従うとみているから、物理世界イコール心象体系ということか。
 
 興味深いのは、イマージュ群のなかに例外的存在を認めていることだ。それが「私の身体」である。物質のイマージュが「ある特定のイマージュ、すなわち私の身体の可能的な作用と関係づけられた場合には、それらを物質についての知覚と呼ぶ」(傍点付き)という。
 
 「私が宇宙と呼ぶこのイマージュの総体のなかでは、ある特殊なイマージュ――その典型は私の身体によって私に与えられている――を介することなしには、真に新しいものは何も生みだされえないかのように、すべてが進行しているのである」(傍点付き、文中誤字とみられる箇所は直した)。これが、著者の動的な世界像だ。このなかで人間は、身体という「知覚の中心」「作用の中心」を軸足に自らの行動を選びとる存在として位置づけられる。
 
 ここで関係してくるのが時間論だ。「私が私の現在の知覚について話しているときまさに話されているところの現在」は「数学的な点」ではない。それは「持続」として「私の過去と私の未来に喰い込んでいる」。ここで「私の身体に影響を及ぼす物質と私の身体が影響を及ぼす物質のあいだに置かれた私の身体」は、「行動の中心」として「私の生成の現在の状態、私の持続のなかで形成途中のものを表している」というのである。
 
 「現在の瞬間は、流れつつある塊のなかにわれわれの知覚が作り出すほとんど瞬時的な切断面によって構成されており、この切断面こそまさにわれわれが物質界と呼ぶものである」という一文には、物質のイマージュを身体経由で現在に集中させる構図がある。
 
 では、記憶はどうか。それは、もともと「観念」として想い起こされるが、人間は「現在の行動のために過去の経験を利用する」ので、「役に立ちうるもの」は「物質化」されて「イマージュとなる」。こうして、「過去は純粋想起の状態を離れ、私の現在のある部分と混ざり合う」のである。ここには、心と身体、物質と観念という二項対立をベルクソン流の時間座標に落とし込み、現在の一瞬で化学反応させるダイナミズムがある。
 
 ベルクソンは19世紀科学の攻勢を受けて、現在に物質のイマージュを集めた。IT時代の今、それを情報そのものに置き換える世界像も成立するのではないか。僕はふと、そんなことを思った。
(執筆撮影・尾関章、通算261回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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