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『ロウソクの科学』(マイケル・ファラデー著、竹内敬人訳、岩波文庫)

写真》キャンドル

 もう四半世紀も前になるが、英国ロンドンに赴任する直前、あわてて買い込んだものがある。いわゆるブラックタイ、タキシード一式である。「ヨーロッパにいると、着用を求められることがある。僕はレンタルで済ませたけどね」。先輩からそんな助言をもらって、だったら自前を用意しておこうと思いたったのだ。こういう話は、往々にして取り越し苦労に終わる。だが、ブラックタイに限っては日の目を見る機会が一度ならずあった。

 

 ここで言えるのは、英国社会にはドレスコードと呼ばれる服装の決まりごとがしっかり根を下ろしていることだ。しかも英国人は、それを苦もなく受け入れているように見えた。冬の宵にロンドンの地下鉄に乗ると、男性客のカストロコートの胸元からブラックタイがのぞいていたりする。よそゆきに身を包んだものの、外は冷えるから日用の防寒着を羽織ったという感じだ。どこへ出かけるのかはわからないが、肩の力は抜けている。

 

 僕自身がタキシードを着たのは、王立研究所の行事を取材したときである。この研究所は18世紀末から、英国学界が自然探究の醍醐味を世間に発信する拠点となっている。たとえば、当欄「ドーキンスで気づく近代進化論の妙」(2017年9月15日付)で紹介した『進化とは何か――ドーキンス博士の特別講義』(リチャード・ドーキンス著、吉成真由美編・訳、ハヤカワ文庫NF)の「特別講義」も、ここであった少年少女向けの講演だった。

 

 僕にとっては、外村彰さんが登壇した「金曜講話」が忘れがたい。1994年のことだ。外村さんは日立製作所の研究者。2012年に逝去したが、量子物理実験の第一人者である。講話の最大の目玉は、電子を一つずつ飛ばしたときに何が起こるかを検証した実験映像だった。そこで見えてきたのは、電子が粒子であると同時に波でもある、という量子力学の核心だ。僕のそばでブラックタイの紳士が思わずつぶやいた。「ナイスッ」。

 

 驚いたのは、講話が挨拶抜きに始まったことだ。科学者にとっては至上の晴れ舞台。冒頭に「本日は伝統ある研究所でお話しできる機会をいただいて、光栄の極みです」といった決まり文句があるだろうと思っていたが、外村さんはいきなり本題に入った。芝居の幕が開いたとき、役者は挨拶しないでしょう――そんな説明を講話の責任者から聞いた。王立研究所はロンドンの劇場街ウェストエンドに近い。ここでは科学者も役者になり切っている。

 

 科学を見せる行為も芝居やミュージカルと同列にある。文化の一部だから、ドレスコードに縛られることがあってもいい――人々の間にそんな感覚が行き渡っているのだろうか。そういえば、ここのクロークにも普段づかいの防寒着が並んでいた。

 

 で、今週は科学書の古典ともいえる『ロウソクの科学』(マイケル・ファラデー著、竹内敬人訳、岩波文庫)。著者(1791〜1867)は、電磁誘導の発見で知られる英国の科学者。今日の電磁気学の礎を築いた人と言ってよい。この本は、1860〜61年のクリスマス休暇に王立研究所で開かれた連続講演「ロウソクの化学史」をまとめたものだ。少年少女向けだが、大人も聴いていたらしい。この文庫版は2010年に新訳で出た。

 

 まずは著者の横顔から。巻末の訳者執筆「ファラデー 人と生涯」によると、ロンドン近郊サリー州の鍛冶屋の家に生まれ、市内に移って書店や製本工場で働くようになった。仕事柄、理系書にも触れて化学や電気に知的関心を抱く。王立研究所の公開講演を聴いたことで、それは強まった。運よく、その研究所の実験助手となり、ついには所長にまで昇り詰める――英国の階級社会にあって独力で研究者の道を拓き、成功を極めた人と言えよう。

 

 著者の生い立ちは、19世紀の科学史と表裏一体の関係にあるように僕は思う。前述「…人と生涯」によれば、「何と言っても彼は正規の高等教育を受けておらず、また科学者として必要な外国語の素養もなかった」。これは不利に違いないが、一方で、理系の研究が自然哲学と呼ばれた時代の学風に縛られないことを意味する。実験器材をガチャガチャ操る職人技が新発見の原動力になったのだ。この本は、そんな時代の到来を告げている。

 

 『職業としての科学』(佐藤文隆著、岩波新書)という本によると、英国では1830年代に「科学という職業の実現を目標に掲げた運動団体」が動きだす。「科学者」という呼び名が広まるのは「科学の担い手が巨匠から中産階級の職業に変わる、十九世紀末」だった(文理悠々2011年6月23日付「『科学者』を再デザインする」)。『ロウソク…』は、その過渡期にある。本文に出てくる「自然哲学」は原則「科学」と訳した、と訳注にある。

 

 この連続講演で「哲学」離れを感じさせるのは、モノへのこだわりの強さだ。第1講では、鯨油ロウソクや、ミツバチの蜜を原料とする蜜ロウなどが紹介される。「私たちが開国をうながした、はるか遠くの異国、日本からもたらされた物質」も登場する。訳注によれば、この物質は、ハゼノキやウルシなどの実からつくった「和ロウ」を指しているようだ。世はヴィクトリア朝、大英帝国全盛のころだからロンドンには世界中のモノが集まっていた。

 

 実際、19世紀科学は知的好奇心を先ずモノに向けていた。「…人と生涯」には、その分野で王立研究所の功績が大だったことが書かれている。著者の前任の所長ハンフリー・デイヴィーは、1807〜08年だけでカリウム、ナトリウム、カルシウム、ストロンチウム、バリウム、マグネシウムなどの元素を単体で分離したという。「化学」の発展がこれを可能にしたのだ。講演原題がロウソクの科学史ではなく「化学史」だったのも頷ける。

 

 著者は講演で、ロウソクの燃える成分が水素と炭素であることを明らかにしていく。まずは、水素について。このときの見せ場は、水の電気分解だ。水に電極を突っ込んだときに発生する水素と酸素を個別に集めると、その重さの比は1:8。きれいな整数比になった。この一例からもわかるのは、19世紀のモノ探究がただの元素収集ではなかったことだ。同時代に飛躍した電磁気学に助けられて、定量分析の域にまで進んでいたのである。

 

 ここで思うのは、原子論との関係だ。今の僕たちは、Hの原子量が1なのでH₂は2(*)、Oの原子量は16とわかるから、1:8はすとんと腑に落ちる。水素や酸素の原子が結びつく様子を思い描いて納得するのだ。だが19世紀は、原子論がまだ仮説でしかなかった。「…人と生涯」には「ファラデーも原子論の信奉者にならなかった」とある。原子のイメージなしに整数比をどう理屈づけたのか。19世紀人の物質像が気にはなる。

 

 この本で目を見開かされるのは、炭素をめぐる考察だ。それは、地球温暖化問題にも示唆を与える。たとえば、次の記述。「炭素は、固体として燃えますが、燃えたあとはもはや固体ではない」。燃焼によって気体に姿を変えてくれるのは、使い勝手が良い。だから、人類は炭素燃料を好んで用いてきた。それで出しつづけた二酸化炭素が地球を過熱する温室効果の元凶だったとは! なにごとも良いことずくめではない、ということか。

 

 ヤマ場は、著者が「私たち一人一人の体の中で、ロウソクの燃焼にきわめてよく似た燃焼の生命過程が起こっている」と語るくだり。これを裏づけるのにも実験が試みられる。ロウソクをガラス管内で燃やしているとき、その管に息を吹き込む。吹き消すのではない。息を吐いて送り込むだけだ。これで火は消える。人の肺が「空気から酸素を取り去った」ので、呼気からモノを燃やす力が失われたのだ。体内では、なにかが燃えているのである。

 

 ここで出てくるのが「私たち自身がロウソクのようなもの」という言葉だ。著者は実験で、砂糖を脱水すると炭素の塊が残ることを示す。体内では、糖分が酸化されているというわけだ。しかも、こうして発生する二酸化炭素は「植物にとっては、正に生命の源」となる。「ヒトはヒト同士依存しあっているだけではなく、共生する他の生物とも依存しあっている」。エコロジー運動の台頭よりも100年早く、その思想を先取りした卓見である。

 

 人は炭素とともにある。自身の動力源であるだけではない。太古から薪や炭に頼り、近代になってからは化石燃料を大量消費してきた。脱温暖化は脱炭素を意味するが、それがたやすくないのも当然だ。ファラデーのロウソクは、僕たちの時代まで照らしだしている。

*スマホ版で「H₂」が正しく見えない場合があります。「H」の次は「2」の添え字です。 

(執筆撮影・尾関章、通算406回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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