当欄の後継「めぐりあう書物たち――『読む』『考える』のby chance」ではこの8月、3回にわたって戦争のことを考えました。コロナの夏であっても、忘れてはならないと。

コロナ禍の夏、空襲に思いを致す2020814日)
特別な8月、コロナと核の接点2020821日)

戦時の科学者、国家の過剰2020828日)

 

もしよろしければ当欄過去記事から以下4点も、どうぞ。

金子兜太「南方」のリアル2018323日)

太宰治、戦時の帰郷で見えたもの2018622日)

戦争の始まり方を山田風太郎に学ぶ2019830日)

サザエさんで終戦直後の平凡を知る202036日)

2020830

尾関章

当欄の後継「めぐりあう書物たち――『読む』『考える』のby chance」では、文理両道の人、寺田寅彦の話題を2週にわたってとりあげています。

寅彦のどこが好き、どこが嫌い?2020731付)

寅彦にもう1回、こだわってみる202087付)

もしよろしければ、当欄過去記事から以下2点もあわせてご参照を。

熊楠の「動」、ロンドンの青春201762日付)

かたち」から入るというサイエンス2016819日付)

20208

尾関章

 


当欄の後継「めぐりあう書物たち――『読む』『考える』のby chance」は、開店からまもなく2カ月。

これまでの拙稿は、下記の通りです。

ご高覧いただければ。

2020年6月

尾関章  

当欄の後継「めぐりあう書物たち――『読む』『考える』のby chance」がきょう、下記のサイトに開設されました。

https://ozekibook.com/

初回は、改装にあたっての所信表明。

当欄の経験を振り返り、再出発への思いを手短に述べました。

ご笑覧いただければ。

 

2020年4月17日

尾関章


当欄は、https://ozekibook.com/に移転します。

新しい看板は「めぐりあう書物たち――『読む』『考える』のby chance」。

現在、大改装の真っ最中(工事は公開しています)。

まもなく、開店の予定です。

これからも、おつきあいいただければ。

 

*当サイトは「本読み by chance」の保存庫として活用しつつ、もう一つの語らいの場に育てていきたいと考えています。

尾関章

『新実存主義』(マルクス・ガブリエル、廣瀬覚訳、岩波新書)

写真》在でなく存、内でなく外

 大人になろうとするころ、僕の意識にどこからか舞い込んできた言葉に「実存主義」がある。いつだったかは思い出せない。だが、その語感になんとなく好感を抱いたことは覚えている。これから生きていくことに対する不安を軽減してくれそうな気がしたのだ。

 

 これには、1960年代の論壇状況が深く関係している。たいていの論調は、右か左か、保守派か進歩派か、という座標軸で位置づけることができた。この物差しは、政治経済の文脈では自由主義対社会主義に対応する。ただ、僕のようなへそ曲がりの少年には、そのどちらにも与したくないという思いがあった。あのころの実存主義は、左がかっているように見えてもゴリゴリの社会主義とは距離を置いていて、共感しやすかったのだ。

 

 字面の妙もあった。「実存」は、英語ではexistence(存在)だ。「実存主義」はexistentialism。これを、存在主義と訳さなかった先哲の言語感覚には脱帽する(日本版ウィキペディア=2020年2月21日最終更新=によれば、命名者は九鬼周造という)。実存主義は、実在論(realism)とは違う。主題は、モノが在ることではない。人が存在することにある。「実存」の二文字で、僕たちはその含意をうっすらと感じとっていた。

 

 もう少し、言葉にこだわってみよう。気になるのは、existenceの接頭辞exだ。「外へ」という感じか。哲学の常として興味の向かう先は人間の内面のはずだが、ここには外向きの志向性もある。邦訳「実存」は、その側面とも響きあっているのではないか。

 

 改めて思い返すと、1960年代は唯物論の優位が顕著だったように思う。これは、政治座標軸の左右を問わない。左の背後には、マルクス主義の唯物史観が控えているのだから当然だ。ところが、右にもモノ志向が強まっていたように僕は思う。とりわけ日本社会は高度経済成長まっしぐらのころで、大量生産が合い言葉だった。僕たちは、物質世界を無視できなかったのだ。世を挙げて、内にこもってはいられない心境にあったと言ってよい。

 

 ただ、当時の僕は実存主義に心惹かれるだけで、それを習得していたとまでは言えない。ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』やアルベール・カミュの『異邦人』を読みかじって空気感を味わったものの、それ以上は進まなかった。とくにカミュ自身は実存主義に批判的だったから、頭は混乱するばかりだった。(当欄2018年8月10日付「異邦人ムルソーのママンとは何か」、当欄同年11月30日付「いいねばかりの時代の不条理考」)

 

 だからもう一度、実存主義の本をきちんと読みたい、という思いが僕には強い。同世代には、そういう人が少なくないだろう。ここで心にとめておきたいのは、思想状況が大きく変わってしまったことだ。左右の座標軸はとうに消えかかっている。旧来の社会主義はすっかり色褪せてしまった。唯物論も、モノ志向も、かつてほどの勢いがない。物質よりも情報、モノよりもコトの時代である。そんなときに実存主義はどういう意味をもつのか。

 

 で、今週は、そんな問いに答えてくれそうな1冊。『新実存主義』(マルクス・ガブリエル、廣瀬覚訳、岩波新書)。「ガブリエル著」としていないのは脱字ではない。「著」は表紙にも奥付にも見当たらない。理由は、著作権表示を見ればわかる。原題にby Markus Gabrielと添えられてはいる。だが各章には、それぞれ著作権を主張する筆者がいる。この本は、それらの論考をジョスラン・マクリュールという序論執筆者が編みあげたものだ。

 

 ガブリエルは1980年生まれ、現在、ドイツ・ボン大学で教授を務める哲学者。この本では、第1章「新実存主義――自然主義の失敗のあとで人間の心をどう考えるか」(この章題が本書全体の原題)で持論を展開、第2〜4章でカナダ、フランス、ドイツの学究に論評を委ね、第章で返信風の論考を執筆している。原著は2018年、邦訳は20年1月刊。当欄は第1章と第5章を紹介するので、ガブリエルを「著者」と呼ぶことにする。

 

 第1章の冒頭で書かれているのは、心を脳との関係でどうとらえるか、ということだ。この問いに、「実存」の文脈で光が当てられたのである。旧来の実存主義が華やかだったころと比べ、脳研究が進んだからこその新機軸だろう。生物学では、脳生理学が進んだ。情報科学では神経回路網(ニューラルネットワーク)の理論が生まれた。今や、脳の働きは人工知能(AI)に代行されようとしている。ところが、心は未解明ではないか?

 

 著者によれば、新実存主義の「心」観は単純ではない。「『心』という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしない」と考えるのだ。意識がある、警戒する、知性がある……といった「心的語彙」は、人間の「特異なあり方」を説明する語群にほかならない。「特異」とは「物理法則が支配する無生物」とも「生物学的パラメータによって突き動かされる動物」とも違うことを指している。

 

 これでは埒が明かないな、と戸惑っていると、著者は救いの手を伸ばしてくれる。「心的語彙には、それを取りまとめる不変の統一構造がある」として、「精神(ガイスト)」という用語を引っぱり出してくるのだ。それは「雑多で、多様な変化をみせる心的語彙の背景にある不変なものを説明する」。このあとに「精神は、長い歴史のなかで、人間と人間以外のものの区別をいろんなやり方で理解しようとしてきた」という記述にも出会う。

 

 ここで、「不変」という言葉に惑わされてはならない。著者によれば、精神が人間の行為の説明に一役買うとき、「歴史的に変転していく人間観」が参照されることがあるという。精神という枠組みは変わらないが、人間観は歴史軸のなかで変わるということだ。

 

 著者は、この視点に立って人間と自然界の事物(この本では「自然種」と呼ばれる)とを対比する。素粒子の世界にはフェルミオンと呼ばれる粒子群がある。それらは、粒子に具わるスピンという数値が1/2のような半整数になることで特徴づけられる。著者が指摘するのは、フェルミオンのスピンは「われわれの知識が正しいか誤っているかにかかわらず、現にある通りのもの」ということだ。自然種のありようは、人が誤認しても揺るがない。 

 

 この本の原題に「自然主義の失敗」とあるが、その「自然主義」は自然種還元論と読みかえてもよさそうだ。著者は、新実存主義が心と脳の問題に「正面から」向きあっていることを強調して、こう言う。「何千年ものあいだ志向的スタンスで記述されてきた現象、われわれが心のなかで起きるその経験を記録してきた現象が、自然のなかにその等価物を見つけることで、あますところなく理論的に統一できるなどと期待すべきではない」

 

 著者は、今日の「自然主義」の落とし穴も洗いだしている。それは、英国の医師レイモンド・タリスの論法にならって「ニューロン熱」と「ダーウィン炎」と称される。著者によれば、前者は「脳」または「神経回路」を「洗練した心的語彙に対応する自然種」とみることであり、後者は「人間のあらゆる行動」を「進化生物学や進化心理学」の立場から説明づけようとすることだ。これら二つは、互いに「関連する病気」であると位置づけている。

 

 新実存主義は旧来の実存主義の後、自然科学がたどった軌跡の難所を的確に見抜いている。それは、「ニューロン熱」をもたらした脳生理学と情報科学にとどまらない。分子生物学も視野に入ってくる。チンパンジーとヒトの違いがDNAレベルではごくわずかだという知見は「ダーウィン炎」と無縁ではない。著者がそうした人間観に対置するのが、人は歴史のなかで「志向的」という事実だ。僕たちは時間とともに変化する存在なのである。

 

 この本で著者は、心と脳をサイクリングと自転車になぞらえている。自転車はサイクリングにとって必要条件だ。だが、自転車とサイクリングは同じものとは言えず、そこに原因と結果の関係もない。「サイクリングは理論的、存在論的に自転車に還元できない」のだ。

 

 後段で著者は、旧来の実存主義から「人間とは、自己理解に照らしてみずからのあり方を変えることで、自己を決定するもの」という見方を引き継ぐことを明らかにしている。人は自分を変えるから人なのだ、そこが自然界の事物とは違うのだ――そう僕は理解した。

(執筆撮影・尾関章、通算517回、2020年3月27日公開)

 

《お知らせ》ちょっと休んで、新装開店します

 当欄は、私が新聞社に在籍中の2010年4月、記者ブログとして始めた「本読みナビ」を原点としています。以来、「文理悠々」(ブック・アサヒ・コム、2012年〜)、「本読み by chance」(個人ブログ、2014年〜)と看板をかえつつ、1週1冊のペースで読書の醍醐味を綴ってきました。今年4月、満10歳の誕生日を迎えることになります。

 さて、この機会に私は、当欄の大幅改装を決意しました。要点は、以下の二つ。

1)ブログの自前度を高める

2)ブログの自由度を高める

 1)については、新装ブログをWordPressで開設しようと考えています。これまではJUGEMのお世話になってきたのですが、これからはできる限り、自力で設計してゆくつもり。すでに着工していますが、ときにはコンピューター向けの人工言語世界にも踏み込まなくてはならないので、試行錯誤の連続です(「建設現場」の現況をご覧になりたい方は、こちらへ)。

 ということで、2〜3週の休業をお許しいただき、4月中の開店をめざします。

 2)については、再開時にその思いを語るつもり。

 これからも、ご愛読いただければ幸いです。

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■各編は原則として毎週金曜日に公開します。

■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

■通算回数は前身のブック・アサヒ・コム「文理悠々」の本数を含みます。

■「文理悠々」のバックナンバー検索はこちらから

『偶然世界』(フィリップ・K・ディック著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF)

写真》テーブルの上の偶然

 カジノ誘致構想は、コロナ禍が勃発するまで経済再生の切り札扱いだった。これは「統合型リゾート(IR)」という訳がわからない名で呼ばれているが、皮を剥いでいけば中心に賭場がある。IRと言われて、カジノなしのリゾートを思い描く人はあまりいない。

 

 賭け事には、よほど強い吸引力があるのだろう。客全員の収支を足し合わせれば赤字になるはずだとわかっていても、賭場にやって来る人は後を絶たない。大損する客が多くても自分だけは違う、と思うのか。胴元が栄えれば地元も潤う。簡単な理屈である。

 

 もう一つ、賭けがらみでは最近、印象に残る言葉がある。ジャンボ宝くじのテレビコマーシャルで笑福亭鶴瓶が発するひとこと――「買わない、という選択肢はないやろう」だ。今昔の広告コピーを見渡しても、これほど強烈なメッセージはないように思う。買うしか選択の余地がないと断言しているのだから……。だが聞かされる側には、さほど抵抗感がない。宝くじがはずれて訴えを起こす人もたぶんいない。これも、賭けの魔力だろうか。

 

 私事を言えば、賭け事にはほとんど興味がない。若いころから、競馬、競輪、競艇のたぐいにハマったことはない。警察回りの記者だったころ、事件取材で競馬場に張りついたことはあったが、馬券を買う人たちの心理はついにわからなかった。馬は美しい。場内の開放感も高揚感も心地よい。なぜ、それだけで満足しないのか?――内心には、そんな思いがあった。とはいえ、世に競馬ブームが衰える気配はないから、僕は少数派なのだろう。

 

 話は飛ぶが、自分自身の原点に思いを馳せると、そこにも賭けがあったことに気づく。その物語は、父母の結婚に始まる。彼と彼女は戦後、見合いで結ばれた。言葉を換えれば、どちらにも不特定多数の候補がいたことになる。このうち、多数×多数の組み合わせのうち、たった一つが成立して、その結果、生を受けたのが僕というわけだ。人口に照らせば、当たりくじがめちゃくちゃ少ない宝くじで1等賞を引き当てたことに相当する。

 

 いやいや、もっとリアルに話そう。僕が生まれるにあたっては、もっとワイルドな賭けもあった。僕の源流の片方にある一匹の精子は膨大な数の仲間と競いあい、ついには逃げきって、もう一方の源流である卵子に飛び込んだのだ。その精子クンは、勝ち馬だった。それは、駿馬のように身体能力が高かったというだけではない。競争につきものの運不運が、すべてよい方向に転んだのだ。ここでも僕は、賭けに勝ったと言えるだろう。

 

 で、今週は『偶然世界』(フィリップ・K・ディック著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF)。著者(1928〜1982)は、米国シカゴ生まれのSF作家。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』などの作品で知られる。『偶然…』は1955年発表の長編第1作。原題は“Solar Lottery”。直訳すれば「太陽のくじ引き」か。邦訳は、早川書房が68年に『太陽クイズ』(ハヤカワ・SF・シリーズ)の書名で刊行、77年に改題、文庫化された。

 

 まずは、この小説の時代設定に注目しよう。最初の1行に「二二〇三年の五月初旬」とあるから、作品の執筆時点から見れば250年ほど先の未来だ。当然のことながら、世界の様相は、発表時の1955年とも現在の2020年ともまったく異なっている。

 

 地球には国というものがなお存在しているらしいが、その国際関係はもはや大問題でなくなっている。地球外にも「火星のワーク・キャンプ」など有人域があり、「九惑星連邦」という統治機構が生まれていた。最高権力者の職名は「クイズマスター」。クイズ番組の司会者というような意味がある。「執政庁」が置かれているのはバタビア。インドネシアの首都ジャカルタの旧名だ。太陽系の系都が、地球のアジアに置かれているのである。

 

 苦笑を禁じ得ないのは、バタビアを「インドネシア帝国の首府」としていること。1955年と言えば第2次大戦終結の10年後で、インドネシアはすでに独立しているが、それを「帝国」と呼ぶのはどうか。もっとも、同じ年にジャカルタ東方のバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開かれているから、第三世界の盟主というイメージが強まっていたのかもしれない。ただし、「バタビア」の名はオランダ領時代のものだから、チグハグではある。

 

 さて、「クイズマスター」という呼び名の謂れについては本文に解説がある。それは、壮大な世界経済史だ。人類の生産力は20世紀に過剰となり、しだいに購買力が追いつかなくなった。22世紀後半に広まったのが、余った商品をクイズの賞品として分配する方式だという。ここでクイズとは、くじ引きめいたものを指しているらしい。こうして、くじ引きの仕切り屋が最高権力者となり、ついにはその地位も、くじで決まるようになったのだ。

 

 この未来では、社会や経済のしくみが壊れただけではない。「人々は自然律に対する信を失った」。物事は因果律に従うという通念が消え、「偶然事象の連続」ばかりが見えてきた――その世界像は、20世紀前半に確立した量子力学が影響しているのかもしれない。

 

 この小説では、「ボトル」という装置がもたらす「出鱈目(ランダム)な権力転位」によって、クイズマスターが入れかわる。劇的な政権交代だ。残念なことに、本文には「ボトル」の詳述がない。もし、それが量子力学にもとづいているならば、原子の状態遷移のような現象が考えられる。ただ著者は、さほど物理学に踏み込んでいない。本人は、カジノに置かれたルーレット円盤のような素朴な機械を思い描いていたのかもしれない。

 

 こんな政治システムが、なぜ生まれたのか。その事情は、登場人物が語ってくれる。ただ、ストンと腑に落ちるほど明快ではないので、僕なりの解釈を織り込んで読み解いてみよう。背景にあるのは、第2次大戦後に広まった数学者ジョン・フォン・ノイマンらによるゲーム理論。そこでは、考えられる限りの最大損失を最小に抑えるという戦法がある。「ミニマックス」と呼ばれる。ここでものを言うのが、ランダムさなのだという。

 

 ランダムさには、戦略家の分析が通じない。クイズマスターが失脚後、刺客を送って政権を奪還しようとするとき、側近はこう助言する。「あなたがランダムに行動するなら、あなたの敵はあなたの行動を追跡することはできない」「あなた自身ですら次に何をするかわからない」。そのランダムさを制度化したのが、ボトル方式だ。これなら万人がゲームに参加できるし、結果にも納得しやすい。「合理的なやり方」になりうるという。

 

 250年後の未来にはもう一つ、ランダムさが威力を発揮する理由がある。それは、内心の透明性だ。前クイズマスターが側近の助言を聞いて「われわれは計画をたてることができない」と不満を漏らすと、側近は冷たく突き放す。「ティープにかこまれていて計画なんぞたてられますか?」。ここで「ティープ」とは、他人の心を覗ける人のこと。核戦争の放射線被害による遺伝子変異で、そういう能力をもつ人々が出現したというのである。

 

 この小説の筋書きは、ひとことで言えば未来の権力争奪戦なのだが、そこでは権力者が優位にある。執政庁の「テレパス機関」がティープ軍団を擁して守ってくれるからだ。実際、新クイズマスターがバタビアに着任しようとするとき、機関の幹部が前クイズマスターの移動先を告げ、「きっとあそこから采配をふるうでしょう。彼の計画の一部はすでにキャッチしました」と伝える。ティープたちは、いつも感覚を研ぎ澄ましている。

 

 もっとも、それに対抗する先端技術もこの作品には登場する。前クイズマスターが政権転覆のために用意した刺客ロボットだ。外見は一人の人間の姿をしているが、頭脳のほうは次々と入れ代われる。そうすることで、ティープの追跡を撒く強みがあるのだ。

 

 幸いにも今、ティープ軍団は存在しない。だが、類似の機能が社会に備わりつつある。温泉へ行こうかと検索エンジンに地名を打てば、旅心が察知され、ホテルの広告が続々と画面に現れる。そうかと思えば、ソーシャルメディアを内心の吐露装置のように使って、胸中を世に曝す人もいる。ディックは、そんな心が透明な世界が「出鱈目(ランダム)」になるだろうと見抜いていたのか。この小説は、ネット社会の行き着く先も暗示している。

(執筆撮影・尾関章、通算516回、2020年3月20日公開)

 

《お知らせ》ちょっと休んで、新装開店します

 当欄は、私が新聞社に在籍中の2010年4月、記者ブログとして始めた「本読みナビ」を原点としています。以来、「文理悠々」(ブック・アサヒ・コム、2012年〜)、「本読み by chance」(個人ブログ、2014年〜)と看板をかえつつ、1週1冊のペースで読書の醍醐味を綴ってきました。来月、満10歳の誕生日を迎えることになります。

 さて、この機会に私は、当欄の大幅改装を決意しました。要点は、以下の二つ。

1)ブログの自前度を高める

2)ブログの自由度を高める

 1)については、新装ブログをWordPressで開設しようと考えています。これまではjugemのお世話になってきたのですが、これからはできる限り、自力で設計してゆくつもり。すでに着工していますが、コンピューター向けの人工言語まで用いなければならないので、試行錯誤の連続です。

 ということで、2〜3週の休業をお許しいただき、4月中の開店をめざします。

 2)については、再開時にその思いを語るつもり。

 次週金曜日は、「本読み by chance」としての最終回。

 ちょっと早めに、お知らせしました。

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『眼』(水上勉著、光文社文庫・水上勉ミステリーセレクション/長編推理小説)

写真》

 先日、当欄のまくらで触れたように、僕の新聞記者としての出発点は北陸福井だった。20代後半の4年間、福井支局員だったのである。(当欄2020年2月21日付「60年代東京の喧騒、地方の豊饒」、同28日付「四季の巡りも農の営みも能舞台」)

 

 2年間の警察回りや郡部回りを終えて、3年目からは一応、経済担当になった。「一応」としたのには理由がある。実態としては「なんでも屋」――業界用語では「遊軍」――だったのだが、経済関係の記者会見があるときは、それを優先させたのである。

 

 当時、福井県の地場産業と言えば、なんと言っても「糸へん」だった。繊維である。県内には有力な産地がいくつかあり、そこに織物工場が集まっていた。関連業種として染色加工などの企業も育ち、地元経済界に一つの生態系が生まれていたと言ってよい。

 

 そんなこともあって、地元の経済記者向けに報道発表する場として、県都に専門の記者クラブが置かれていた。福井市の中心街、大名町交差点に「繊協ビル」という建物があり、その一室がクラブにあてがわれていたのだ。そこには地元企業や業界団体のプレスリリースも届けられていたから、僕は日に一度はのぞくようにしていた。忘れがたいのは、よく居合わせた業界紙の記者だ。たぶん、50歳前後。地味な背広を着た温厚な紳士だった。

 

 記者会見では丁寧な言葉遣いで質問をして、自分を偉そうに見せたりしない。あのころの年長記者にはクセのある人も少なくなかったから、僕は敬意を抱いた。だからクラブで二人だけになると、いつもじっくり話を聴いたものだ。1979年の第2次石油ショックが産地に与える影響は?――そんなことを尋ねると、淀みなく業界の状況を解説してくれる。7月〜9月の四半期を「シチク」と呼ぶ経済用語なども、僕はそのときに覚えたのだ。

 

 いま悔やまれるのは、あの先輩からもっと多くのことを教えてもらっておけばよかったということだ。彼は年齢からみて、繊維産地の戦後をずっと見つづけてきた人なのだと思う。それは、どんな時代だったのか。1940〜50年代を想像してみよう。まだ、白物家電は広まっていなかった。自動車もマイカーとしては普及していなかった。半導体産業も集積回路の時代に入っていない。糸へんこそが、産業界の花だったのではないか。

 

 で、今週は、『眼』(水上勉著、光文社文庫・水上勉ミステリーセレクション/長編推理小説)。1960年前後の繊維業界を舞台にした作品だ。著者(1919〜2004)は1961年に『雁の寺』で直木賞を受けた人気作家で、その作品群は推理小説の枠に収まらないが、初期には「社会派推理作家」と呼ばれていた(巻末解題・細谷正充執筆)。この作品はそのころ、60〜61年に経済誌『評』に連載された『蒼い渦』を土台にしている。

 

 どんな事情で改題されたのか。説明は著者本人の「あとがき」にある。「連載時に考えていたことが変わってきていて、さらにああしてみたい、こうしてみたいという欲が出てきた」。それで『蒼い渦』250枚を「書き直し」、380枚を「追加」して「長編小説として完成させた」のだ。そうさせたのは「自分の文学への愛情」だったと顧みている。完成版は1962年にカッパ・ノベルス(光文社)として刊行され、2007年に文庫化された。

 

 著者は、繊維業界と因縁が深い。巻末解題によれば、1953〜54年に「繊維経済研究所に勤め、『月刊繊維』の編集に携わり」「友人と東京服飾新聞社を興した」。ここで「繊維経済研究所」は、繊研新聞社の前身(正式名称は財団法人日本繊維経済研究所)らしい。著者の出身地は若狭で、同じ福井県内でも繊維産業が盛んな越前ではないが、親近感はあったのだろう。ちなみに、前述の温厚紳士も繊研新聞の記者だったように記憶する。

 

 ではまず、本文の冒頭から。「国電秋葉原駅に近い神田岩本町は繊維業者の多い街で、軒なみに生地問屋や洋服問屋が並んでいる。両国(りょうごく)と岩本町を結ぶ都電通りは、近ごろになっていくつもビルが建てられた」。東京・下町の問屋街には路面電車が走り、沿道にコンクリート建築が並びはじめていた――終戦から10年余の風景だ。岩本町界隈は1945年の大空襲で被災しているから、焼け野原の痕跡が消えたころではなかったか。

 

 こんな描写もある。「灰色の空の光が、向かい側のビルの化粧煉瓦(れんが)をねずみ色にかげらせている。石畳をがたがたと音たてて満員電車が走る。架線でときどき青いスパークが起こる」。東京の空はどんよりと曇っていた、都電の線路は石畳に敷かれていた、電車が通ると架線に青い光が飛ぶこともあった――僕らの世代にとっては記憶の深層に眠っていることばかりだ。そんな街の婦人服問屋「ローヤル商会」で、この小説は始まる。

 

 ローヤル商会のありようはおもしろい。店には「番頭」がいる。だが、番頭が仕えるのは「社長」だ。社長はビル2階の社長室で「専務」と密談したりする。ただ、専務は「名ばかり」で個室すら与えられていない。畳の間の商いが似合う旦那―番頭―手代―丁稚系統と、応接室の商談がふさわしい社長―役員―社員系統が混在している。これが高度成長期の直前、繊維産業の川下(かわしも)部門であるアパレル流通業の偽らざる実態だった。

 

 この作品は、ローヤル商会が標的の取り込み詐欺事件と茨城県牛久町(現・牛久市)で発覚した殺人事件の謎解きを同時並行で描いている。捜査の一線に立つのは、警視庁の知能犯担当刑事と茨城県警の強行犯担当刑事。二人は畑違いで思考様式を異にするので、互いに牽制しながらの協力だ。その推理の展開こそが読みどころだが、ネタばらしになるので言及を控える。取り込み詐欺事件の構図を切りだすことで、当時の業界事情に迫ってみよう。

 

 事件の背景にあるのは、問屋にのしかかる在庫の重荷だ。ローヤル商会でも、専務にとって悩みのタネは「ストックの山」。きょうも大手百貨店から返品がどっと届き、地下倉庫へ。ストックは3000着だったが、それが4000着超に膨らむかもしれない――。

 

 著者は、さすが業界に通じた人だ。ここで、当時のストック対処法を解説してくれる。「既製品のストックはシーズンちゅうにさばいてしまわなければ、二束三文になってしまうことが多い」。そのまま安売りすれば銘柄の信用を傷つけるので、余力があれば倉庫に寝かせる。翌シーズン初め、新しい流行が定まるよりも早く一気に吐き出す手があるからだ。だが、「消費者というものはムラ気」だから、この目論見がうまくいくかはわからない。

 

 そんな窮状にあるローヤル商会に飛び込んできたのが、詐欺グループだ。最初に接触してきたのは、30歳前後の男。応対した社長が専務に明かしたところでは、男は雑品の販売会社に勤めているが、取引先が婦人服類を求めているので調達できないか、という話だった。社長にとっては、願ってもない申し出である。ただ、タイミングが良すぎる。まるで地下倉庫の「ストックの山」を見てきたかのような来訪。会社の内情が漏れていたのか。

 

 その答えは、専務が刑事にしっかり教えてくれている。百貨店では、コーナーごとに「同一会社の製品」が置かれていて、「そこに立っている売り子はデパートの制服を着てはいますけど、じつは問屋からさし向けた女の子なのです」。見る人が見れば、どこの問屋の勢力が強いか、一目瞭然だというのだ。そして「一挙に返品になれば、その女の子の姿は消えてしまいます」。たしかに、これならば店内偵察で問屋の在庫状況を推察できる。

 

 こうして詐欺グループはストックを手に入れ、手形は不渡りとなって、関係者は姿をくらます。商会ブランドの商品は、池袋の露店でたたき売りされていた。被害額900万円なり。いかにも1960年前後の犯罪に見えるが、ドンデン返しもあるから要注意。

 

 この小説で見えてくるのは、モノをモノとして売っていた時代の消費経済だ。今ならば、在庫を管理するにも売れ筋を察知するにもコンピューターが使われるが、それがない。ネット広告、ネット通販など夢のまた夢。モノに情報が紐づけられていなかった。

 

 生存の条件、衣食住の衣――繊維産業はあのころまだ、その供給源にとどまっていた。

(執筆撮影・尾関章、通算515回、2020年3月13日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■各編は原則として毎週金曜日に公開します。

■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

■通算回数は前身のブック・アサヒ・コム「文理悠々」の本数を含みます。

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『サザエさん』第一巻(長谷川町子著、朝日新聞出版)

写真》社会面の一角(朝日新聞2020年3月3日夕刊、同月4日朝刊)

 新聞の四コマ漫画は、不思議な存在だ。紙面の一角を占めていても報道ではない。作者の想像の産物だとしても芸術作品とは違う。これは、いったい何者なのか?

 

 一つには、「ほんわか」ということがあっただろう。四コマ漫画が載っているのは、たいてい社会面だ。世相を映すページで、事件事故を扱うことが多い。悲惨な話、げんなりする話がずらりと並ぶ日もある。一つぐらい、ほっとする話題がほしいではないか。

 

 もう一つは、「チクリ」。作者の風刺精神が問われるからだ。ただそれは、別のページに出てくる政治漫画とは趣が異なる。権力者の言動を皮肉って笑い飛ばすわけではない。市井の人々が自身の暮らしぶりを振り返って、自嘲気味に苦笑する雰囲気がある。

 

 「ほんわか」「チクリ」という大人びた役割があるからだろうか、四コマ漫画には、マンガだから子どもに受ける、という通念が成り立たないように思う。それは、幼年期を思い返してもわかる。当時、わが家では読売新聞をとっていたのだが、どんな漫画が載っていたかは思いだせない。小学校高学年のころ、朝日新聞に乗り換え、「サザエさん」(長谷川町子)や「クリちゃん」(根本進)を知ったが、それでも毎日読むことはなかった。

 

 四コマ漫画に馴染んだのは、むしろ、サラリーマンものの「フジ三太郎」(サトウサンペイ)からだ。1965年に朝日新聞夕刊で連載が始まり、79年に朝刊へ移り、91年まで続いた。開始時点で僕は中学生。会社の上下関係とはどんなものか、帰りがけの一杯は何のためにあるか、など知る由もなかったが、だからこそ興味を抱いた。さらに三太郎には、今ならアウトなほどエッチな一面があって、大人たちの本心をのぞき見た気もしたのだ。

 

 こうみてくると、四コマ漫画は新聞の必須品目であることがわかる。それは、記者の報道活動がすくいそこなった事実を「報道」しているのだ。サザエさんのような家庭人が日々体験していること、フジ三太郎のような勤め人が日々痛感していること――それらは、事件事故にはならない世相そのものだ。虚構の小話だからこそ切りだせる日常生活の実相を、読者は紙面の片隅で目の当たりにできるのだ。架空ゆえの真実が、そこにはある。

 

 で、今週は『サザエさん』第一巻(長谷川町子著、朝日新聞出版)。朝日新聞出版は、今年が著者の生誕100年にあたることから、シリーズ単行本の全68巻(姉妹社刊)を復刊することになった。この巻は、その第1弾として出された3冊のうちの1冊である。

 

 ここではまず、「サザエさん」の歴史を振り返っておこう。起点は1946(昭和21)年4月22日。連載は、朝日新聞ではなく九州・福岡の地方紙「夕刊フクニチ」で始まった。48年、東京の夕刊紙「新夕刊」に移り、49年には朝日新聞へ。最初は夕刊掲載だったが、51年〜74年、朝刊に連載された。第1巻所収の漫画はフクニチ時代のもの。46年4〜8月掲載分から選んでいる。並べ方は概ね時系列だが、必ずしも日付順ではない。

 

 特筆すべきは、これらの作品群の大半が終戦から1年未満のものということだ。とりあげられる話題には、引き揚げ、食糧不足、占領軍……と終戦直後ならではの物事が多く含まれる。当時、人々の心には苦い記憶が淀んでいたはずだが、作風はどこまでも明るい。

 

 あの戦争は、日本人だけでも内外で数百万人の生命を奪った。著者は終戦時に25歳。東京住まいだったが、戦時中、家族とともに福岡に疎開していた。その福岡も空襲に見舞われている。本人は西日本新聞社の編集局に勤めていたというから、戦禍の深刻さも知っていたはずだ。だが、サザエさんたちは大らかで、茶目っ気すらある。これは脚色ばかりではなさそうだ。人々がたくましく生き抜くには、そんな心のもちようが不可欠だったのだろう。

 

 第1回は、磯野家のご挨拶。母フネを真ん中にワカメとカツオがいる。フネが「サザエ!」と呼ぶと、ふすまの向こうから「ハーイ」と声がして、サザエさんが登場。湯気を立てた食べ物を手に、頬っぺたを膨らませて、もぐもぐ。オチは「どうも あんなふうでこまります」というフネのひと言。食べ物は焼き芋か、ふかし芋か。(新聞掲載では、せりふを原則としてカタカナ書きにしていたらしいが、この本ではひらがな主体に改められている)

 

 サザエさんのいでたちは、シンプルな洋装。長袖薄手のセーターに黒のベスト、スカートは黒の膝丈で裾先がチューリップ状に広がっている。ここで「黒」としたのは、絵がモノクロだからで、焦げ茶かもしれないし、濃紺かもしれない。なかなか、モダンではないか。そう、磯野家は驚くほど現代風なのだ。読み進むと、サザエさんが父波平のことを「ウチのパパ」と言ったり、母フネに向かって「ママ」と呼んだりする場面もある。

 

 ワカメとカツオが、俄か洋画ファンになる作品もある。「あたし タイロンパーワーすき」(ワカメ、原文のママ)、「ダービン 二どめのけっこんだってネ」(カツオ)。タイロン・パワーはアクション男優、ディアナ・ダービンは女優兼歌手だ。フネが困り顔でサザエさんの部屋をのぞくと、華やかな映画雑誌が散らばっている。終戦から1年を待たずして、日本の若者にはハリウッドへのあこがれが強まっていた。「鬼畜米英」の影はもはやない。

 

 サザエさんが街の書店で英会話本の看板を見かけ、さっそく買い求めるという作品もある。家に帰るのも待ちきれず歩き読みしていると、馬の頭とゴッツン。まだ、馬が荷車を引いていたのだ。彼女は、その最初の遭遇者に対して、さっそく「アイアムソーリー」。

 

 「戦後」を痛感させる作品も多い。まずは食糧難。サザエさんが「ひとつ めあたらしいだいよう食でもつくろかな」と、台所のラジオをつける。料理講座なのか、スピーカーからは「つぎに おいものきりくずやニボシのくずをいれます……」の声。言われるままに調理して糠を加え、攪拌して、さあ代用食のできあがりかと思うと「ただいまは ニワトリのえさについてもうしあげました」。食生活の水準が飼料並みだった現実がうかがえる。

 

 当時は、外地の人々が続々と帰郷していた。満州(現・中国東北部)からの引き揚げ家族を励ます会だろうか、サザエさんは接待係で、大荷物の夫婦とその子らの相手をしている。女の子が父親らしい人物にしがみついて「カアチャン」。連れの母親らしい人物が「きけんだったので だんそうしてきました」と説明する。引き揚げに身の危険はつきものだった。この話にはオチもある。母親もどきも実は父親の女装。「ボクは ようふくがないので」

 

 作品には、進駐軍も登場する。ワカメが買い物かごを提げて歩いていて「ねーちゃん パン一つおとした」。通りには「パン配給所」の看板を掲げた店。パンも配給制だったのだ。サザエさんは「よーく さがしてごらんよ」。二人がうつむいて地面を見回していると、1台のトラックが疾風のごとく走り抜ける。幌付きで、荷台の側面に「U..A」(原文のママ)。軍用車だ。路面にはパンがピザ生地のように広がり、そのうえにタイヤ痕がくっきり。

 

 米兵が顔を出すことも。どういういきさつかはわからないが、父波平が米兵と思しき男性を連れて帰宅する。客人ということだ。サザエさんは、庭先で二人が並んだ記念写真を撮った。その紙焼きを見て波平は驚く。長身の男性がにっこりほほ笑んでいる。だが、自分の姿は頭のてっぺんだけではないか。なるほど。ただこの作品からも、戦後日本社会がついこの間までの「敵」に対してさほど悪感情を抱いていなかったらしいことが見てとれる。

 

 戦後民主主義が市井にどう立ち現れたのかも、登場人物が教えてくれる。サザエさんが友だちと連れだって外出の途中、道に迷うという作品。友だちが交番の警察官に行き方を尋ねると、「かどをまがって四けんめです」。ここでは、「です」の2文字が重要らしい。「おまわりさんも民主化したわネ なんでもていねいにおしえてくれるワ」。戦前戦中を生き抜いたサザエさん世代には、巡査と言えば「おい、こら」という固定観念があったのだろう。

 

 サザエさんには歴史書からは切りだせない戦後がある。それは、平凡ゆえに力強い。

*引用した台詞には、読みやすいように本文にない半角アキを入れた。

(執筆撮影・尾関章、通算514回、2020年3月6日公開)

 

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『黒川能――1964年、黒川村の記憶』(船曳由美著、集英社)

写真》山形の米

 当欄前回のまくらで書いた福井の思い出を、今週ももう一度。先週は、記者2年生のころを振り返って「朝、ジープを駆って田園地帯に出る。水田が青々と広がっている」と書いた。だが、あとで気になったことがある。あれは、福井本来の風景だったのか――。

 

 1970年代の後半、僕がいた新聞社の福井支局では、新人が1年目の警察回りを終えると郡部担当になるしきたりだった。県内数カ所にはベテランの駐在記者がいるから、県域すべてを回るわけではない。県都・福井市周辺の町村を受けもたされたのだ。主な取材先は福井市北方の坂井郡。港町の三国、城下町の丸岡、温泉町の芦原など個性豊かな6町が肩を寄せあっていた。今は平成の大合併で、坂井市とあわら市に集約されてしまったが……。

 

 郡の真ん中には坂井平野が広がっている。僕が青々とした水田に心躍らせたのは、そこを走り抜けていたときだ。ジープは風通しが良いので、田んぼの水を撫でた風が運転席にも吹き込んでくる。都会育ちの青年は、これこそが農村なのだと思ってしまった。

 

 だがこれが、北陸農村部の原風景だとは到底言えない。僕がよく通った道は通称「嶺北縦貫道」。文字通り、まっすぐ延びていた。道路計画の詳しいいきさつは知らないが、マイカー時代の到来を受けて整備されたものであることは間違いない。今回、ネット検索で福井県文書館のウェブサイトに入ると、「嶺北縦貫道路(工事)」という写真が館に保存されているようだ。日付は「昭和47..16」。1972年。高度成長が極まったころである。

 

 そうだ。あの道は、もともとはなかったのだ。農村には、在所と呼ばれる集落が散らばっていた。それに寄り添うように鎮守の森もあった。人々は街道を行き交うか、畦道をとぼとぼ歩くだけだった。クルマで通り抜けてゆく闖入者などいなかったのだ。ところが、その原風景を縦貫道が貫いた。周りには福井空港。そして、半導体工場。まるで都会派のユーミン(荒井〈松任谷〉由実)が歌う「中央フリーウェイ」のように……。

 

 農村は変わった。高度成長によって変わったのだ。だから僕は、それ以前の農村を知らない。この一点は、忘れてはいけないと思う。今回、『黒川能――1964年、黒川村の記憶』(船曳由美著、集英社)を読んで、そう自戒した。この本に描かれた農村は、高度成長のために出稼ぎの人々を大都会に送りだしているが、村のありようは昔のまま。変容寸前だったのだ。だから、貴重な証言となっている。で、今週も、この同じ本を読む。

 

 1964〜65年に見たものが風前の灯火だったことは、著者も心得ている。たとえば、稲刈り後の田んぼを描いたくだり。「稲におが、人の立姿のように、何十本と田に整然と並んでいるさまは、この世で人の営みが作り上げた最も美しい光景の一つではなかろうか」と讃えて、こう続ける。「黒川のこの浄土のような風景は、十年も経たないうちにまったく消えてしまった」。ここで「稲にお」とは、刈った稲を円錐状に積み重ねたものをいう。

 

 代わって見えてきたのは「農地の基盤整備で一枚一反という田が格子状に広がる風景」だ。「スーパー農道が三本も出来、大型の農業機械が入る。ハーヴェスタが音を立てて唸り声を上げると、黄金の稲はたちまち刈り取られ、同時に稲籾の脱穀もされる」。田んぼが規格化され、収穫作業の一切をやってのける農業機械コンバインド・ハーヴェスタ(コンバイン)が広まったのだ。これを読んで僕は、縦貫道沿いののっぺりとした景色を思いだした。

 

 日本では、あのころから農村に中核農家を育て、一戸当たりの耕地面積をふやして農業の生産効率を高めようという方向性が強まっていた。それは「農地の基盤整備」や「大型の農業機械」に象徴される。その裏返しで昔ながらの農村文化が追い払われようとしていた。

 

 では、前週の予告通り、この本が紡ぎだす黒川村の四季を追いかけていこう。「王祇祭が終わった。さあ、日常の暮らしに戻らねばならない」で始まる一節に出てくるのは、雪の話だ。急を要するのは、家屋の雪下ろし。男たちが屋根の雪を「掘るように」搔きだし、投げ落とす。たちまち、家は雪の山に囲まれるから、それを越えられるように階段を刻む。ときには、高くなった山を切り崩して、その雪を用水路へ流すこともあった。

 

 それが済むと、もう農業の営みが始まる。雪に覆われた田んぼに「いくつもの真っ黒な小山」が出現する。「見ると、男たちが二人掛かりで何かを運んでいる」。橇に積まれているのは、村人たちが丹精込めてつくった堆肥だった。材料は、牛小屋や馬小屋に敷かれた藁。そこには牛馬の糞がしみ込んでいる。さらに落ち葉、生ごみ、米糠、そして下肥。その調合に自然界の循環がしっかり組み込まれている。エコロジーの原型である。

 

 そして三月、雪解けを待っていたかのように、村は婚礼の季節を迎える。背景には「春の農作業が始まる前に、この大事(おおごと)をすませたい」という農村ならではの事情があり、新婦を迎える側の家族には「春先からの農事の働き手が一日でも早く来るのがいい」という思惑もあった。結婚は、農の営みに根ざしていたのである。だが、そこにも時代の波は押し寄せる。「この頃、農村ではヨメ不足が問題になり出していた」と著者は記す。

 

 五月には田植え。「一軒の田植が終わると、明日はつぎの一軒に移る。大勢が集まって楽しいのが田植の結である。昼飯も小昼(コビル)もみんなで畦に坐って食べる」。ここで改めて教えられるのは、農作業には共同体が進める事業という一面があったことだ。ところが数年たつと、この光景は見られなくなる。田植えも草取りも機械を使った一人仕事となり、作業をてきぱき済ませると「また東京へ出稼ぎに戻る」人たちが出てきたという。

 

 夏はお盆。その一節では、意外なことに成人式会場の情景が描かれる。黒川村では、1月、即ち旧暦の年の瀬は王祇祭の支度で忙しい。どこの家族も「男たちの紋付や袴の心配はしても娘の晴れ着など思い浮かびもしない」。そこで、東京の工場などに就職した若者たちが盆休みの里帰りで戻ってくる機会に成人式が開かれるようになったのだ。なにごとも、まず王祇祭ありきで物事が決まっていく。風土に根ざした歳時記が、ここにはある。

 

 そして、いよいよ秋祭り。これは、字(あざ)ごとにそれぞれの氏神を祀る神社で次々開かれてゆくという。ここで著者がもちだすのが、「内場(うちば)」だ。近隣に住む10戸足らずの小さな共同体、血縁ではなく地縁の集団を指す言葉らしい。秋祭りでは、この内場が結束を強める。これこそが、新春の王祇祭を支える土台になる。王祇を迎え入れる家、即ち当屋は、内場の仲間たちの支援があるからこそ大役を果たせるのだ。

 

 黒川村では、季節が王祇祭、即ち黒川能を中心に回っている。同じことは、村人の人生についても言えそうだ。前回の当欄では、この本の記述から、子どもたちが能舞台で元気に足踏みする姿や、年長者が夜通し朗々と謡いあげる様子を切りだした。黒川能に、それぞれの年齢層に割り当てられた役回りがあることを伝えたかったからだ。著者が、この村には「年代ごとにつねに場があり、役割がある」と書くとき、それは能にとどまらない。

 

 黒川村では、家庭を営むこと、生計を立てること、地域に貢献すること――それらのすべてで、若者には若者の、壮年には壮年の、年寄りには年寄りの役目が期待されている。その構図が凝縮されているという一点で、黒川能はただの伝統芸能ではないのである。

 

 最後に、この本はIT(情報技術)世代にこそ読んでほしい、と僕は思う。ネットワーク技術は世の中をひと色に染める力があるので、地域の伝承を一掃しそうな気がする。だが、情報の流れを逆転させたらどうか。まず、伝承を蘇らせる。その一部始終をネットで発信する。さながら、著者船曳由美さんのように……。そこに立ち現れるのは、いくつもの文化が並び立つ世界だ。ITがあるのに、ネットがあるのに、今の僕たちは貧しすぎる。

(執筆撮影・尾関章、通算513回、2020年2月28日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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