『事件記者』(島田一男著、徳間文庫)

 ジャジャジャジャーンという擬音語を聞いて「事件記者」の斜体文字が思い浮かぶ人は、ほとんど60超だろう。NHKが1958年から66年まで放映したテレビドラマだ。警視庁記者クラブに詰める記者群像が主人公。冒頭に流れる映像では伝書鳩が飛び、輪転機が回り、車のフロントグラス越しに新聞社の社旗がはためく。そこにかぶさるのがジャジャジャジャーンのテーマ曲であり、躍動感のあるタイトル文字だった。
 
 レトロと言えばレトロだ。かつて新聞社の屋上で飼われていた伝書鳩はもういない。未現像フィルムを取材現場から本社へ届けたというのだが、画像をメールで送れる今日では想像がつかないことだ。記者が乗るハイヤーも、今はふつう旗を翻したりしない。僕がいた会社が車の旗をやめたのは記者に対する銃撃事件があってまもなくだったが、報道機関が偉そうに旗を立てて街を走り回ることが大時代的に見えはじめたころでもあった。
 
 鳩は消えた。車の旗も消えた。残るのは新聞を刷る輪転機だけだ。こればかりはなおしばらく働きつづけるに違いないが、それもしだいにデジタル配信に席を譲っていくことになるだろう。だから、あのドラマは新聞人にとって文化遺産と言えるものだ。
 
 ところが、NHKアーカイブスのサイトで検索すると、当時の映像は数回の放映分しか残っていない。はじめはぶっつけ本番の生放送だったが、途中から録画も採り入れたらしい。ただ、テープに残す習慣はなかったのだろう。ビデオテープそのものが高価な時代で、何度も上書きして使っていたようだ、とテレビ界の友人が教えてくれた。そうだとすると、僕の脳裏に焼きついた記憶はとても愛おしく、大切に思えてくる。
 
 僕にとって「事件記者」との関係は奇縁と言ってよい。小学校高学年から中学生にかけては、このドラマのヘビーな視聴者だった。警察庁舎の一隅にあるらしい記者クラブというところで大のおとなが軽口をたたき合いながら、抜いた、抜かれた、の特ダネ合戦を繰り広げる様子がおもしろかったからだ。ところが思いもよらないことに、十余年たって僕自身が彼らと同じ立場に置かれるようになったのである。
 
 ウィキペディア情報によると、売れっ子ジャーナリストの池上彰さんは、この番組を見て記者を志したという。僕は、同じようにブラウン管の記者たちに心を躍らせながら自分が記者になろうとはつゆほども思わなかった。それが就職のとき、第一志望でもないのに新聞社に入り、支局に赴任してすぐ県警記者クラブにほうり込まれた。警察のクラブに出入りしたのは、二つめの支局時代と合わせると通算3年ほどになる。
 
 警察の記者クラブとは奇妙な空間だ。机を並べただけのところもあるし、メディア各社が小部屋をもっているところもある。「事件記者」のスタジオセットでは、新聞社ごとに仕切りで区分けされたブースが背後に並び、手前に共用ソファが置かれていた。これだと、1台のカメラで各社の動きが一望できる。僕自身の経験を言えば、一つめの福井県警は机方式、二つめの京都府警はドラマと同じ仕切り方式だった。
 
 記者たちはソファでは仲良くテレビに見入ったり、囲碁将棋に興じたりする。和気あいあいだ。ところが、いったんブースに戻ると、ヒソヒソ話を始めたり、ダンボ耳で他社の動きを探ったりする。僕の上司にあたるキャップは、取材で仕入れた極秘情報は決して口に出さず、たばこの内箱に書いて教えてくれたものだ。同業者同士のギルド的友愛と、それと裏腹な化かし合いの情報戦。この二つが同居しているのが記者クラブである。
 
 で、今週の一冊は『事件記者』(島田一男著、徳間文庫)。著者は戦前戦中に「満州日報」で従軍記者をしていたことがある作家で、「事件記者」の原作者として知られる。ただ、ここに収められた2作品はドラマ放映が終わってからのもので、うち1編は終了直後に発表された。だからドラマの原作というよりも、ドラマの小説化に近い。徳間文庫版のもとになる本が青樹社から出たのは77年3月。奇しくも僕が新聞記者になるひと月前だった。
 
 2作品に出てくる新聞社と登場人物はドラマとほぼ同じだ。出番が多いのは、東京日報の相沢キャップ、ベーさん、ヤマさん、イナちゃん、八田老人、タイムスではキャップのクマさん、アラさん、ヤジさん、セイカイドン、日日はキャップのウラさん、ガンさん、シロさんといったところか。それに、事件報道では影が薄い毎朝新聞の面々、村チョウ、山チョウといった刑事たち、飲み屋「ひさご」のお近さんも喫茶店「アポニー」の田川店主もいる。
 
 ちょっと補足すると、八田老人は白髪の嘱託記者、もはや一線には出ないが、後輩に言うひとことふたことに含蓄がある。セイカイドンは青海記者。「古人曰(いわく)く、――因果はめぐる小車……であるナア」といった口調は、ドラマと変わらない。
 
 収められている2編は「犯罪乱流」と「空白の夜」。前者ではアラさんが主役格。後者はヤマさん中心の筋書きだが、それに絡むのがヤジさんだ。ここで触れざるを得ないのが、不幸な事件でつながったタイムスのアラさんヤジさんの関係だ。66年、アラさんを演じる清村耕次さんが突然自殺、急きょ代役のようなかたちで出演することになったのが藤岡琢也さん。大阪から転勤してきたコテコテ関西弁のヤジさん、という設定だった。
 
 この本を読んでいて痛感するのは、記者たちの振る舞いが今とはだいぶ違うことだ。よく言えば自由闊達、悪く言えば傍若無人。もちろん、小説だから現実がその通りだったわけではあるまい。だが、コンプライアンス至上の時代にいる今の記者像と、僕たちが駆け出しのころの記者像を直線で結んでそのまま延ばしていくと、1950年代、60年代にはこんな記者たちがいてもおかしくないな、とは思われる。
 
 「犯罪乱流」では殺人の捜査本部が置かれた所轄署の場面がある。記者がたむろするのは、署員が日常業務をこなす刑事部屋。臨戦態勢を反映してピリピリしている。スリの女につらくあたる刑事を見て「主任警部の席で、悠々とライスカレーを食っていた日日の国分が、傍らに立って肉マンを食っている毎朝の亀田を見上げた――」。そして「長さん、ちょいと荒れてンなア」。警部席を我がもの顔で占拠していて「荒れてンなア」もないものだ。
 
 本拠の警視庁記者クラブでは午前中、各社のブースから矢継ぎ早に声が飛ぶ。「――光ちゃん! お茶! しぶーいやつ……」「――光ちゃんよッ、五階の昼飯一丁……」「――お光坊! 当方は美容食だ! トーストと牛乳、頼むッ……」。ここで「光っちゃん」「お光坊」はクラブ担当の職員だ。部外者をあたかも自分の助手のように呼んで、食事の調達まで言いつけている。今ならば批判を受けることは必至だ。
 
 だが、あのころも記者は新聞の未来を考えていた。「どこで、誰が、何をしたか……。それだけがニュースじゃとすると、とてもじゃないが、テレビ、ラジオのニュースには勝てん。従ってじゃね、新聞の特色をいかすために、事件の背景を調査して書く」。田舎町で車のガス爆発があったならば同様の事故が都心で起こったときのことまで考える。「新聞記者はそこまで突ッ込んで、調べあげて記事にする。これは立派なニュースじゃよ」。
 
 日報の長老、八田老人の言葉だ。「どこで、誰が」式の特ダネをとって得意げな日日キャップのウラさんをたしなめて言う。他社の記者であろうとも後輩を諭す姿に、僕は新聞人が受け継ぐべき良質の同業者精神をみる。
 
 僕たちは自らの職業集団の軌跡を記憶記録して後世代に伝えていく義務がある。そこには誇れる話もあるが、胸を張れない話もある。だから、ノンフィクションよりフィクションのほうが過去の実相に正直なところがある。僕にとって「事件記者」はそんな作品だ。
 
写真》僕が記者になったころ、事件事故の原稿は「ザラ紙」と呼ばれる手のひらサイズのわら半紙に3B鉛筆で書いた。記事1行がちょうど1枚。この写真を撮るためにわら半紙を探し求めたが、今はほとんど売っていない。しかたがないので茶色がかったノートの紙で代用した=尾関章撮影
(通算210回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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