『宇宙船地球号 操縦マニュアル』
(R・バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、ちくま学芸文庫)
写真》地球はシステム
 
 当欄はついに300回の通過点に突入した。前身時代からの通算アップ回数である。入念に点検してみたら、回数にダブリがあるとか、1回飛ばしているとか、そんなことはあるかもしれない。だが初回が2010年4月、それからまもなく満6年ということを考えれば、誤差幅はプラスマイナス2回ほどに収まるだろう。マイナンバー時代だからこそあえて言うのだが、この欄はそのくらいの曖昧さを抱え込んで続けていこうと思う。
 
 だから、区切りがよいからと言って、とくに肩に力を入れるつもりはない。ただせっかくなので、今週は文系理系種々雑多という当欄のポリシーに沿って、文理の枠をはみ出した本を選ぶことにした。年末に偶然、中古本ショップで見つけた一冊だ。
 
 『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(R・バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、ちくま学芸文庫)。著者は1895年に生まれ、1983年に没した米国の建築家、工学者にして思想家である。僕らの世代の脳裏に焼きついているのは、球体に近い多面体ドーム。モントリオール万国博(1967年)のアメリカ館として設計された。没後、炭素分子にサッカーボール形のものなどが見つかると、化学者はそれに「フラーレン」の名を与えた。
 
 この本は2000年に文庫本として訳されたものだが、原著が出たのは1960年代末だ。地球を運命共同体の系ととらえる視点はアメリカ館のかたちと呼応している。地球環境の時代を先取りしていたとも言えるだろう。
 
 実際、「宇宙船地球号」という言葉は1980年代から90年代にかけて一世を風靡した。80年代半ば以降に限っても、朝日新聞の1面コラム「天声人語」に2回登場している。1回目は人口問題で(85年1月17日)、2回目は環境問題で(91年10月20日)。ただ僕には、この言葉を用いることに忌避感があった。「宇宙船」の語感に1960年代ふうの能天気な未来観を嗅ぎとっていたからである。

 だが今回、この本を読み進んでいくと、それが食べず嫌いだったことに気づかされる。著者の思考には、たしかに60年代ならではの楽観が見てとれるが、そこには鋭い批判精神と鋭敏な警戒感が込められている。
 
 冒頭に出てくるのは、船の難破話だ。救命ボートはない。そこにピアノの上板が漂ってきて、それに浮力が十分にありそうなら、救命具代わりになる。だが著者は、「救命具の最良のデザインがピアノの上板だというわけじゃない」と釘を刺す。「偶然手に入れた昨日の思いつきを、与えられた問題に対する唯一の解決策だと信じこんでいるという点で、私たちはじつに多くのピアノの上板にしがみついているのだと私は思う」
 
 ここで著者が言おうとしているのは、「包括的な思考」で「一般原理」を見いだすことの大切さだ。それは「どんなときでも有利に働く知識」として使える。「特殊ケースの経験」にとどまっていてはいけないということだろう。鳥は「飛ぶ」、魚は「潜る」というように、なべて生物は「専門分化した働きに向くようにデザインされている」が、人間だけは「包括的な理解者、調整者」としての資質を具えているという。
 
 ところが、学校や大学は「専門家(スペシャリスト)」を育てることに熱心だ。その役割はいまや「コンピューターにそっくり取って代わられようとしている」のだから、「人間は生来の『包括的な能力』を復旧し、活用し、楽しむように求められている」とみる。世がコンピューター時代にさしかかるそのとき、一方で生物世界を見渡し、もう一方で科学技術の産物にも目を向けて、人間のありようを考えていることがわかる。
 
 著者によれば、人類存続の条件は「宇宙を律する一般原理」に沿うことだ。その役に立つのが「一般システム理論」だという。そこでは宇宙をこう定義する。「非同時的に生起して、非同質で、部分的に重なるだけ、つねに相補的で、計量可能、あるいは計量不可能な、つねにすべてがかたちを変え続ける出来事からなる連鎖に関して、人類が意識的に感知し、伝達する経験のすべての集合」(原文は太字)。計量できない要素を含むところがミソだ。
 
 物理学者の宇宙が「計量可能なエネルギー的出来事の集合」(原文太字)なのに対して、「私たちの思考とか抽象的な数学とか、重さのはかれないもの」までも取り込もうというのである。著者は、これを「宇宙の超物質的(メタフィジカル)な側面」という。メタフィジカルはふつう形而上学的と訳されるが、これに「超物質的」という言葉をあてた訳者に拍手を送りたい。そのほうが、宇宙に備わるしくみという感じが出る。
 
 一般システム理論では物事の関係を重んじる。このときに助けとなるのが数学だ。「出来事の配置に関する、基本パターンと構造的な関係性」をめぐっては、トポロジーが威力を発揮する。ドーナツも、把手付きのコーヒーマグも、キホンは同じというあの位相幾何学だ。たとえば、出来事を結ぶ関係の数は、出来事の数が二つなら1、三つなら3……というように、出来事数の2乗から出来事数を引いて2で割ることで得られる。
 
 関係が大事なのは、そこから「シナジー」効果が生まれるからだ。「システムのなかの別々の部分、あるいはそうした部分の寄せ集めの振る舞いをバラバラに見ていても、決して予想ができないような、そんなシステム全体の振る舞い」(原文太字)である。
 
 驚くべきは、こうした問題提起をしたのが、大戦後の世界経済がものづくりに邁進していたさなかの1960年代末だということだ。このあと、米国では70年代から80年代にかけて情報科学が花開き、ハードよりもソフトの流れが興る。中心には、西海岸の若者たちがいた。生命科学もDNAを軸に回りだし、90年代に入るとヒトゲノム、すなわち人の全遺伝情報の解読へ突き進む。そんなモノよりコトの時代を見通していたと言えよう。
 
 「地球号」の操縦法も、一般システム理論の思想に拠っている。著者は「太陽系はシナジー的で、その部分だけを見ていても振る舞いを予想できない」として、この惑星の生物圏には太陽のエネルギーや月の潮汐力が欠かせないことを指摘する。
 
 この視点に立って、生命持続の営みは「風や潮汐や水の力、さらには直接太陽からやってくる放射エネルギーを通して、日々膨大に得られるエネルギー収入」でやりくりするというストック温存、フロー消費論を展開する。「化石燃料を燃やして、そのエネルギー貯金だけに頼って生きる」のも「原子を燃やして私たちの資本を食いつぶして生きる」のも、後の世代に対して「完全に無責任」という。今日の脱温暖化、脱原発につながる提言だ。
 
 僕が感銘を受けるのは、「富のほんとうの意味」をこう要約していることだ。「富とは私たちの組織化された能力で、私たちの健全な再生が続けられるように、また、私たちの未来の日々を物質的、超物質的(メタフィジカル)に制限する要因をなるべく減少させるように、環境に対して効果的に対処していくもの」。いまどきの用語で言えば、持続可能性への寄与の度合いに豊かさをみる価値観だ。
 
 もう一つ、ハッとさせられるくだりがある。著者がマイカー保有歴累計50台余のクルマ好きであることを打ち明けたあと、「しかしもう、自動車を持とうとは思わない」と宣言している箇所だ。空港でレンタカーすれば事足りるという。「所有はしだいに負担になり、不経済になり、それゆえ時代遅れになりつつある」。ここにあるのも「超物質」か。車や住まいのシェア方式が広まりだした今、先見の明を示す一文として読める。
 
 書名の「宇宙船」「操縦」「マニュアル」は、いかにもメカっぽい。だが読み終えると、そのメカはギアやシャフトではなく、人間社会を含む地球システムのしくみを指していることがわかる。文理の枠に囚われていたら、こんな大きな構図は生まれなかっただろう。
(執筆撮影・尾関章、通算300回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
肝啓さま
まずは「300回通過」へのご祝辞に深謝。続けていくことに大きな励みとなります。
宿谷昌則さんの「自然エクセルギー利用と時間デザインにかんする省察」をさっそく拝読。(広義の)エネルギー問題を宇宙論的時間軸を取り込んで考察されているのが新鮮で、原子力の是非を「核力」に立ち返って論じていらっしゃる点には共感を覚えました。
とりわけ「生命の基本である核(DNA)の安定は、原子核の安定なくして有り得ない」のひとことには、まったく同感です。
良い論文を教えていただきました。ありがとうございました。
  • by 尾関章
  • 2016/03/24 9:02 PM
おくればせながら、ブログ300回連載通過、おめでとうございます!「ブログ300回」にはタマゲました。ぼくも手元にある「宇宙船「地球号」操縦マニュアル(東野芳明 訳1985年5月18日発行」は愛読書で、折に触れて事典代わりに読んできましたが、いままでフラーが「太陽エネルギー」という用語をつかっていたことに気づきませんでした。フラーは「太陽エネルギー」の意味を理解していることは文章どおりですが、正しくは「太陽エクセルギー(exergy)」だということを最近(2016/03/16)、エクセルギー研究の第一人者である宿谷昌則さん(東京都市大学教授)におめにかかって知りました。「ネ」と「クセ」の違い(くどいようですが、エネルギーとエクセルギー)が、まさにフラーが書いている『ピアノの蓋』と「救命ボート」の違いのようにあるようです。宿谷さんからいただいた「自然エクセルギー利用と時間デザインにかんする省察(日本建築学会大会学術講演梗概集(北海道)2013/08)」を”勝手口”のポストにいれておきますので時間のあるときに眼をとおされてはいかがでしょうか?
ますますの健筆を祈ります!追伸駄句.....そら騒ぎ雀に電線ともに揺れ.....
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