『超高層ホテル殺人事件』(森村誠一著、角川文庫)
写真》ホテル気分でランチ
 
 数年前のことだ。僕が育った町からランドマークが消えた。14階建て、高層の駅ビルだった。出現したのは1970年ごろではなかったか。実家は駅からほど近いところにあったので、空が急に狭くなった。ビルは地上と地下の数階にスーパーや専門店街、飲食店街が入っていたが、上層階は賃貸アパート。僕の部屋からは居住階の外廊下が幾層も重なって見え、夜になると蛍光灯が等間隔に並んで白い光を放った。
 
 その建物が取り壊されて、あとがどうなるのか戦々恐々としていたら、こざっぱりした後継ビルができていた。4階建ての平べったい造り。吹き抜けの大階段があり、4階はレストラン街を片側に寄せて屋上庭園風のスペースを広くとっている。電鉄会社のサイトで調べると、オープンは2011年4月。奇しくも3・11の直後である。14階が4階に縮んだことは人々の感性の移ろいを映している、と僕は思った。
 
 ビルは高ければカッコよい。そんな感覚が極まったのが1970年代初めだったのは間違いない。新宿駅西口の周辺に槌音が響き、鉄骨の骨組みが上方へ伸びていった。ふと思いだすのは、子どものころに見ていた東京の地図だ。あの一画には水色の短冊のような長方形がいくつも並んでいた。淀橋浄水場だった。それがいつのまにか消えて、副都心と呼ばれる超高層ビル群に取って代わられたのである。
 
 以来2010年までの40年ほどで、僕たちは14−10=4を学習した。建物は高ければよいわけではない、と悟ったのだ。平たいほうが心地よいこともある。これは原発依存の大都市のありように反省を迫った3・11後の感性にぴったりくるのだが、最近再び「高ければカッコよい」がぶり返しているように見えてならない。成長戦略という言葉がほとんど無批判に受け入れられ、その象徴のように2020年東京五輪がもてはやされている。
 
 ちなみに1971年、新宿副都心に最初に聳え立ったのは京王プラザホテルだ。最上層は47階。ホテルの公式サイトには「地上170m、日本初の超高層ホテルとしてオープン」とある。東京のホテル業界は1960年代から高層化が進んでいたが、それが「超」の域に達したのである。ノッポのホテルは「高ければカッコよい」の具現物となった。それでなくとも華やかな空間が、背丈を付与されて都市のスカイラインに君臨したからだ。
 
 で、今週は『超高層ホテル殺人事件』(森村誠一著、角川文庫)。著者の公式サイトなどによると、この小説は1971年、光文社カッパ・ノベルスの一冊として刊行された。東京に超高層ホテルが現れた年だ。そのあと幾社かで出版が続き、去年、この文庫本が出た。
 
 最初の事件が起こるのは「昭和四十×年十二月二十四日、クリスマス・イブの夜」。舞台は、東京都心のお濠端にできたばかりの「イハラ・ネルソンホテル」だ。62階建て、客室数3000。京王プラザがモデルではないらしい。そのときは翌日の開業を前に、お披露目のパーティーが向かい側のビルにある高級レストランで開かれていた。わざわざ会場を外に選んだのには理由がある。長身の建築を生かしたアトラクションがあったからだ。
 
 まだ泊まり客のいない館内の明かりを巧く操って、「壁面に比類ない規格性をもって配された各客室の窓群(そうぐん)」に十字のかたちを浮かびあがらせたのである。「大都会の夜を彩る花やかなイルミネーションのすべてを圧倒して、光の十字架は夜空に突き刺さるばかりに聳(そび)え立っていた」「さながら巨大な十字の発光体が、地上から直接天に向かって噴き出しているように見える」
 
 そして騒ぎがパーティー会場で起こる。「おい、あれは何だろう?」「人間らしいぞ!」「何をしてるんだ」「窓から身を乗り出してるぞ」「自殺だ!」「いや、だれかに突き落とされようとしているんだ」……。そうこうするうちに「黒点はついに窓の外へ押し出され、墜落する一個の物体となって、光の垂線の下方へ消えた」「光の十字架を背負って、その物体が一同の視野から消える直前に明らかに人間の形をとったのが、まざまざと見てとれた」
 
 この導入から、著者の視線が高度成長後期の都市美に注がれていることがわかる。社会派の先達、松本清張が高度成長前期の埃っぽい地方都市に目を向けていたのと好対照だ。高層階の窓は開閉不可が多いのでは、と思わぬでもないが、その言い訳も添えられている。

 興味深いのは、本文に添えられた「イハラ・ネルソンホテル」の平面図だ。真上から見下ろすとY字形のデザイン。光の十字架を演出した側は、東京湾を望めるので「ベイビュー・フェース」と呼ばれ、皇居側は「パレスビュー」、日比谷公園方向は「パークビュー」の名が冠されている。1970年代初めと言えば、ベイエリアというおしゃれな呼び方が広まる前だったと思うが、著者は東京の一歩先を見ていたのか。
 
 このホテルを創業した「イハラ・グループ」は、「東都高速電鉄」とその系列会社から成る企業集団だ。グループの統帥、猪原留吉は「東北の貧農の末っ子」で、上京後はじめは「一介の丁稚(でっち)小僧」だったが、株相場に手を出して成功し、やがて「経営権奪取を目的にした買占め」をするまでになった。そして「東洋最大規模」のホテルを開く大仕事に乗りだしたものの、竣工の日を待てずに心臓発作で世を去ったのである。
 
 この筋の立て方にも、当時の業界事情が反映されている。1970年に大阪万博があり、72年には札幌で冬季五輪も予定されていて、外国人観光客の宿泊需要が高まっていた。その結果、「東京のホテルは、絶対数が不足となって」「大型ホテルの建設が国家的に奨励された」という。そこで「実業界の野武士的存在で、折あらば自分の存在を周囲に確認させたいとうずうずしている」人物がおだてあげられたというわけだ。
 
 ホテルのような客商売に対する世間の見方も変わりつつあった。「レジャー産業は、かつて“暗黒産業”といわれたほど産業界にとっては未開の分野」で「中小企業が多く、水商売的な色彩が強かった」が、それが「無尽蔵の金鉱」に変わった。「高度成長によって、かねとひまのできた人々」が「レジャー=遊び」に対する罪悪視をやめ、「余暇の中に生きがいを求めるようになった」と、著者は書いている。
 
 ここで気になるのが、ホテル名にある「ネルソン」だ。それは、イハラ側が米国屈指のホテル企業「ネルソン・インターナショナル」(NI社)に「委託経営権」を与えたことに由来する。そのころ、海外のホテル資本は「日本の地価が極端に高い」こともあって「直接進出よりも、業務提携等による間接的な進出の可能性」を探っていたらしい。ちなみに、この小説で最初の犠牲者となるのは、NI社から派遣されていた総支配人である。
 
 この作品は、殺人ミステリーの筋に重ねて経済界の確執も描きだす。一つは、猪原グループに対してライバルの私鉄グループが仕掛ける策謀だが、もう一つはNI社の企業戦略だ。著者が海外資本をかませたのは、グローバル経済の予兆を感じとっていたからだろう。ハードからソフトへ、ドメスティックからグローバルへという潮流は高度成長末期にすでに芽生えていた。それを先取りするうえで超高層ホテルは格好の大道具となった。
 
 ミステリーとしては、東京大阪間を深夜に7時間で往復できるかという話が出てきて、自家用飛行機を使う可能性が論じられる。あのころの未来図には自家用機が飛び交うという夢も組み込まれていたのか。ただこればかりは、その通りにならなかった。
 
 あのころも現実の生活はカッコよくなかった。たとえば、死体発見現場の一つとなった関西の町。「駅前の通りに出るまでのあいだ、小さな溝川(どぶがわ)に沿って歩く。メタンガスと孑孑(ぼうふら)の温床になっている汚ない川だが、細々ながら水の流れがある」
 
 超高層ビルとドブ川が同居する。そんな無粋な不釣り合いは、40年余が過ぎた今もほとんど変わっていない。成長戦略でビルを高くするよりも大事なことが残されているのではないか。1970年の風景を脳裏に呼び起こしながら、そう思う。
(執筆撮影・尾関章、通算308回)
 
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