『活断層とは何か』(池田安隆、島崎邦彦、山崎晴雄著、東京大学出版会)
写真》熊本地震(朝日新聞2016年4月15日、17日朝刊)
 
 熊本県を中心に九州を襲った一連の地震には驚かされた。4月14日夜の大きな揺れが本震とされ、翌日には「2016年熊本地震」と名づけられた。マグニチュード(M)6.5。ところがM7.3の後続地震が16日未明にあり、気象庁はこちらが本震と改めた。ともに最大震度7。震度最大級の直撃が間を置かずに襲いかかり、一度ならず人命を奪い、なお予断を許さない日々が続く。これまでの地震災害とは異なる様相がそこにはある。
 
 NHKテレビは14日夜から、被災地のリアルタイム報道を番組表を自在に変えながら展開している。観ていると、最新のニュースが伝えられているときに、余震の一報がどんどん飛び込んでくる。それだけではない。まもなく強い揺れがあるという「緊急地震速報」のアナウンスが割り込んでくることもしばしばあった。ニュースを発信する人とそれを受けとる人が直近未来の出来事に身構える、という不気味な瞬間だった。
 
 相次ぐ揺れのどれが本震か、というのは定義によって決まる話だ。僕たちがそれにこだわる必要はないだろう。むしろ得るべき教訓は、地震を大地の一度きりの震えとみてはいけないということである。足もとの安定が崩れ、次の瞬間にどうなっているのか確信がもてなくなる状況――それが地震活動の本質だ。そんなことを、被災地から遠く離れたところにいてもひしひしと感じた。
 
 日本列島を揺らす地震は、大きく分けて三つある。周辺で海のプレート(岩板)が陸のプレートと出会い、その下に潜り込むという動きがあり、そのどこが震源になるかの違いだ。一つは、プレート境界部の地震。東日本大震災はこれだった。もう一つは、海のプレートが潜った先で起こる。残る一つが、今回のように陸のプレート内で発生するもの。浅いのでマグニチュードの割に揺れが大きい。このときの主犯と目されるのが「活断層」である。
  
 で、今週は活断層について学ぶことにしよう。僕たちの足もとの安定がどう失われるかを知り、そのときに備えておくことにもつながる。選んだ一冊は、文字通り『活断層とは何か』(池田安隆、島崎邦彦、山崎晴雄著、東京大学出版会)。刊行は1996年1月。陸のプレート内の地震だった阪神・淡路大震災から、ちょうど1年が過ぎたころだ。僕たちが活断層列島の真上にいることを伝え、防災の心構えを促す本となっている。
 
 著者の3人はいずれも地球科学の研究者で、専門は地震学、地形学、地震地質学など。地震学者の島崎さんは3・11の東京電力福島第一原発事故後、原子力規制委員会の委員長代理を務めた。科学者の良心を貫く姿勢を覚えている人も多いだろう。
 
 冒頭に阪神の大震災後、「神戸に地震があるとは思ってもみなかった」「なぜ教えてくれなかったのか」という「非難」を受けた話が出てくる。学界では、六甲活断層系や淡路島の野島断層が地震を起こすおそれは認識されていたが、世の中には行き渡っていなかった。「研究成果を世に問うことは、専門書を書いて出すことだとしか考えていなかった自分たちにとって、これは脳天をぶち割られるような出来事だった」
 
 そう言えば、知っているようでいてよく知らない言葉が「活断層」だ。この本によると、この用語に社会の関心が集まったのは1970年代の半ばからだ。「東海地震の危険性が指摘されたり、伊豆半島で直下型地震が発生したこと」が背景にある、という。後者は74年にあった伊豆半島沖地震(M6.9)で、「存在が指摘されていた活断層(石廊崎断層)が実際に活動して地震を起こし、地表地震断層が出現した最初の例」だった。
 
 では、活断層の定義は何か。著者は戦前の文献にある「今後も尚(なお)活動す可(べ)き可能性の大いなる断層」という見方を踏襲する。そして、その可能性を見極めるのが「極めて近き時代迄(まで)地殻運動を繰返した断層」かどうかの判定だという。そこにあるのは、「地殻内での歪みの集中によって最近まで活動を繰り返していた断層は、地殻の応力状態が変わらない限り今後も活動するはず」という考え方がある。
 
 ここで論点は「極めて近き時代」の時間幅をどうとるかだ。この本によれば、僕たちが今いる第四紀に入ってからというのが一つの見方。これは刊行当時、約180万年前だったが、最近の見直しで約260万年前に改められた。ただ、第四紀前半だけで活動をやめた断層もあることがわかり、約12万年前の最終間氷期から現在までに絞って「活動を繰り返してきた証拠」の有無をみる判別法もある、という。
 
 地震は、地下の断層運動で起こる。「破断面(断層面)を介して接する二つの岩体が、急激にずれて食い違う」のだ。このずれは地震によってどっと進み、そのあと次の地震までの間は止まっていることが多い。一つの活断層について、地震の発生間隔Rと地震1回当たりのずれd、ずれの平均進行速度SはR=d/Sの関係にある、という話には目を見開かされる。断層を過去にさかのぼって調べれば、未来の動きをザクッとつかめるのだ。
 
 日本列島では、活断層の向きやずれ方に地域差があるが、大きく言えば「東西方向の圧縮」が見てとれるという。原因を探ると、ここでもプレートが顔を出す。海のプレートの圧力説が有力だが、陸のプレート同士の衝突説もあるらしい。
 
 いま読んで目をひかれるのは、例外として「九州中部」が挙がっていることだ。熊本地震の地震域も含まれるとみてよいだろう。ここには、全国的な「圧縮」傾向とは違って「局地的な展張場」があり、引き伸ばす力が働いているので、破断面の片側がずり下がる「正断層」が多いという。ただ今回は、断層が水平方向に動く横ずれが起こったと伝えられている。どういうしくみでそうなったのかが知りたいところだ。
 
 もう一つ、ずしんとこたえたことがある。いま九州の人々が抱く不安が、地震学者が頭を悩ませている未解決の難題と重なっているようなのだ。地震規模を見積もるには、地震1回当たりで壊れる断層面の面積を知らなくてはならないが、それを難しくしているものに「グルーピング問題」がある。「地表では独立した断層に見えるものが複数同時に動いて地震を発生する」という現象の予測がなかなかつかないらしい。
 
 こうした場合、「地表で途切れ途切れに見える断層が地下では一つの連続した断層面を成している」ことも「本当に別々の断層が連鎖的に破壊する」ことも、どちらもあるらしい。今回、九州中部の地下で震源が動きさまよう不気味さの核心はここにある。
 
 日本列島にはどれだけの活断層があるのだろうか。この本は、ずれの平均進行速度が1年当たり1mm以上のA級が100本、0.1mm以上1mm未満のB級が760本、0.1mm未満のC級は450本という公表数字を紹介しながら、「まだわれわれの知らないC級活断層」がたくさんある可能性を指摘している。僕たちはひびだらけの瓦のような陸のプレートに乗っかっていると表現してよいのかもしれない。
 
 だが、活断層はよくも悪くも僕たちとともにある。そのずれは、山と平地の境目や谷間の地形をかたちづくるのに一役買ってきたという。それは「人間が生活できる平坦な場所や、山越え道として利用できる起伏の少ない直線的な谷などをつくる重要な存在」なのだ。
 
 著者は「日本の陸域の活断層の地震発生間隔は一〇〇〇年ないしそれ以上」とみる。裏を返せば、有史時代に記録がなければ地震はいつあってもおかしくないわけだ。ただ断層のそばに住む人に対して、たとえ平均発生間隔の満期であっても「あわてて」「引っ越す」のは「過剰な反応」と諭している。数百年ほどの幅はつきものだからだという。心がけるべきは、むしろ「断層が動いた場合に備えて十分な防災対策を施すこと」と強調する。

 
 一方で著者は、原発は「活断層を絶対に避けることが必要」と断じる。「いったん破壊されると地域的、社会的に多くの方面に影響のあるもの」だからだ。このことは3・11で痛感した。エネルギー政策は、未知の隠れた活断層にももっと意を払うべきだと僕は思う。
(執筆撮影・尾関章、通算313回)
 
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