『大学教育について』
(J・S・ミル著、竹内一誠訳、岩波文庫)
写真》大学野球(朝日新聞2016年5月2日朝刊から=拡大複写)

 今春までの1年間、僕は大学漬けだった。なによりも、都内の三つの大学で非常勤講師をしたことだ。担当科目はどれも半期のものだったが、それぞれ週1回の講義を受けもった。加えて、遠方の大学へ客員教授として出向く職務もあった。大学という学府に片足を踏み入れて、学生としてではなく、取材記者としてでもなく、内側から観察する。それは僕の一生を通して、これからもめったにないであろう体験だった。
 
 痛感したのは、この半世紀で大学が激変したということだ。1970年代、僕自身が学生だったころと比べれば別物になってしまった感がある。良くも悪しくも、教育の管理が隅々にまで行き届いている。
 
 講師は学期に先だって、シラバスというものを提出させられる。授業の狙いを掲げればよいのではない。第1講から最終講まで1回ずつ、それぞれの要点を記さなくてはならない。逆を言うと、学期が始まればこの日程を淡々とこなせばよいということだ。休講すれば補講するのが原則。学生も毎回、出席登録のためにICカードを装置にかざす。電車の改札さながらで素朴な代返はありえない――これではまるで自動車教習所ではないか。
 
 僕の授業は、科学技術について折々のニュースを話題に取り込みながら語ることが多い。水もので、見通しの立たない一面がある。そんな悩みを大学側に打ち明けると、たいていは「そこは自由にやってください」などと物わかりのよい返事が戻ってくる。では、シラバスの記入欄はどう埋めればよいのか。結局、これはあくまで予定に過ぎないということを文面ににじませて、形式を整えることになる。
 
 こんな管理体制を強いているものは何か。専任教員や事務方の説明で言葉の端々に出てくるのは「文科省」だ。文部科学省が大学教育のありように与えている縛りがどれほどのものかは、両者の言い分を公平に聞かないとわからない。ただ確かなことは、大学側が中央官庁の意向にとても過敏になっているという紛れもない事実だ。役人はいつから、大学人にとってこんなにも怖い存在となったのだろうか。
 
 1970年前後は、大学管理が言われだしたころだ。だが当時は、大学当局が紛争を鎮めるために警官隊を構内に入れたにしても、教授陣の大勢は保守派も含めて自治の看板を下ろしていなかったように思う。休講が続いても、それで失ったものを補って余りあるなにかを自由な空気から得ていたのではないか。大学がほんとうに「解体」されてしまったように見える今、そのなにかが何かを伝える責任が、団塊世代やその後続の僕たちにはある。
 
 で、今週の一冊は『大学教育について』(J・S・ミル著、竹内一誠訳、岩波文庫)。著者(1806〜1873)は英国の哲学者、経済学者で、晩年にスコットランドのセント・アンドルーズ大学名誉学長となった。その就任講演を収めたのが、この本だ。1983年に御茶の水書房から出た『ミルの大学教育論』(竹内一誠訳、副題は省略)という単行本をもとに2011年、文庫化された。
 
 押さえておきたい点は、この大学論が生粋の大学人によるものではないことだ。著者は「ギリシャ語を三歳で学びはじめた」ほどの知識人で、この講演でも古典文献に原語で触れる意義を説いているが、自身は「学校教育というものを一切受けておらず、大学で教えたこともない」(カギ括弧内は、竹内洋の巻末解説)。出版物で論陣を張る「公共知識人(パブリック・インテレクチュアル)」が、外部の目で大学の理想像を描きだしたのである。
 
 一読して、著者の主張の今日性に驚かされる。講演があったのは1867年。日本では大政奉還があった年、まさに近代前夜だった。ところが読み進むと、昨今の学問状況を見通していたかのような指摘が出てくる。これは著者の洞察力の高さに依っているが、それだけではあるまい。21世紀に直面する問題の兆候は、前々世紀からあったのだ。日本の学界は欧州を追いかけることに追われ、そこに潜伏する病を見いだす余裕がなかった。
 
 たとえば学問の細分化。「人間が知らなければならない事柄は、世代が代わるごとに、しかもいまだかつてなかった速さで現在増加しています」「一つの分野を詳しくかつ正確に知ろうと思う人は、その分野全体のより小さな部分に限定せざるをえなくなるでしょう」
 
 僕たちは、その結果として大学の学科の間口が狭くなっていくことを嘆く。だが著者は、それと逆方向の思考を繰り広げてみせる。一貫しているのは、大学は学問の細分化を乗り越えるためにこそある、とする考え方だ。「大学は職業教育の場ではありません」「大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります」。ただこれは、当時の英国社会の共通認識でもあったらしい。
 
 この大学観を「技術を賢明かつ良心的に使用するか、悪用するかは、彼らがその専門技術を教えられた方法によって決まるのではなく」「教育制度がいかなる種類の知性と良心を彼らの心に植えつけたかによって決定される」という技術観に結びつけているのは、著者ならではの卓見だ。そんな教育によって巣立つ人材の例として、知識だけでなく「ものごとの原理」をつかみとろうとする「哲学的な弁護士」を挙げる。文理の枠を超えた考察である。
 
 ここで必須とされるのが「一般教養」だ。括弧書きされた原語は“general culture”だが、最近よく耳にするリベラル・アーツとほぼ同じものとみてよいだろう。日本の大学では専門志向が強まり、教養部の改廃が進んだが、それと真逆の方向と言える。
 
 このくだりで、目を引くことが一つある。著者が、大学の教育機関としての役割に「上限」を設けていることだ。「大学教育の領域は、教育が一般教養の領域を越え、個人個人の人生の目的に適合する各専門分野に分岐する時点で終了します」。大切なのは専門の一歩手前まで、教養部こそ主従の主ということか。ただ、それが「基礎的な知識」の伝授なのかと言えば、そうではないと断ずる。そこに出てくるのが、下記のような「知識の体系化」だ。
 
 「個々に独立している部分的な知識間の関係と、それらと全体との関係とを考察し、それまでいろいろなところで得た知識の領域に属する部分的な見解をつなぎ合わせ、いわば知識の全領域の地図を作りあげること」「すべての知識をいかに関連づけるか、ある分野から他の分野にいかに進めうるか、高度な知識は一般的な知識をいかに修正するか、また逆に、高度な知識を理解する上で、一般的な知識はいかに役立ちうるかを考察すること」
 
 次の言葉も僕たちは脳裏に刻みつけるべきだろう。一般教養の教育では、その最終局面で何が求められているかを述べたくだりだ。「諸科学の『体系化』、すなわち、人間の知性が既知のものから未知のものへと進むその進み方についての哲学的研究が含まれています」。最先端の探究のためには「知識の体系化」が欠かせないということだろう。ここにあるのは教養から専門へという流れ図ではなく、専門の参照先に教養があるという構図である。
 
 僕が圧倒されるのは、19世紀にすでに、知的営みを知のネットワーク化ととらえる発想があったことだ。20世紀後半にハードの固体物理とソフトの情報科学が結びついてIT時代が到来したように、体系化は新しい文化の流れを生みだすとも言えよう。
 
 この講演では、「重要な学問の諸原理が広く一般の人々の間にも浸透すれば」という仮定のもとで「実生活の重大関心事に関して、世論を指導し、向上させる能力をもつ精神」が涵養される可能性も論じられている。今の日本社会では、エリートを何人生みだすかで学問の進歩を測りがちだが、著者の目は、人々がエリートの見いだした「諸原理」を分かちあい、「世論」の質を高めることに向かっている。知の中間層を分厚くしようということだ。
 
 シラバスを消化するばかりでは知識の体系化は封じられる。好奇心のアンテナを神経細胞の軸索のように気ままに伸ばす。そんな自由を大学は取り戻さなくてはなるまい。
(執筆撮影・尾関章、通算315回)
 
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