『パノラマ島奇談』
(江戸川乱歩著、同名の中短編集〈春陽堂江戸川乱歩文庫〉所収)
写真》多島海サミット(NHK2016年5月26日)
 
 サミットという言葉が、こんなふうに広まろうとは思ってもみなかった。1975年、西側先進国のトップが一堂に会して以来の年1回の国際行事。日本の新聞は「先進国首脳会議」「主要国首脳会議」などと書いてきたが、しだいに英語のサミット・ミーティングを略して呼ぶのが大勢となった。今では、ありとあらゆるサミットがある。知事が集まってもサミット、市長同士でもサミットだ。
 
 「主要国」のリーダーが顔をそろえ、「お互い、大変だよね」と愚痴をこぼしつつ打ち解ける。なるほど結構なことだ。ただそれだけなら、今の民主主義社会で40年余も続くことはなかったように思う。そこには、たぶん国連の諸会議など平場の議論ではなかなか収束しない難題に、えいやっと答えを出してくれるのではないか、という期待がある。だから周りも首脳たちを支え、盛りあげてきたのである。
 
 打ち解けた雰囲気をつくるには、それなりの舞台設定が必要になる。だから、サミットの開催地は隠れ家的な場所が好まれる。第1回は、フランス大統領の別荘でもあるパリ郊外のランブイエ城だった。フランスは第8回にベルサイユ、第15回にアルシュ、第22回にリヨン、第29回にエビアン、第37回にドーヴィルと、パリ中心を避けてきた。初回からの参加国では、米国やイタリアも首都回避路線だ。
 
 日本は、東京で3回続けたあと、ようやくそこから離れるようになった。九州・沖縄サミットと北海道洞爺湖サミットだ。そして今回は伊勢志摩。南と北を回ったので、今度は本州のど真ん中ということか。隠れ家性という点では良い選択かもしれない。
 
 で、今週は『パノラマ島奇談』(江戸川乱歩著、同名の中短編集〈春陽堂江戸川乱歩文庫〉所収)。乱歩(1894〜1965)と言えば大正・昭和戦前の東京の風景が思い浮かぶが、本人は三重県出身だった。『パノラマ島…』は1926年から翌年にかけて「新青年」誌に連載。ちなみに雑誌では「奇談」ではなく「奇譚」。土地勘を生かして郷里の風土を取り込み、作中に現実と空想のあわいにある人造世界を出現させている。
 
 書きだしには「同じМ県に住んでいる人でも、多くは気づかないでいるかも知れません。I湾が太平洋へ出ようとする、S郡の南端に、ほかの島々から飛び離れて、ちょうど緑色の饅頭(まんじゅう)をふせたような、直径二里たらずの小島が浮かんでいるのです」とある。それは事実上の無人島で、地元では「沖の島」の名で呼ばれている。地主は「M県随一の富豪」とされる菰田(こもだ)家だ。
 
 そこへ渡るには、鉄道の終点「T駅」で下車して「モーター船にのり、荒波をけって又一時間」。ミキモト真珠島真珠博物館・松月清郎館長のウェブコラムによれば、「M県」は三重県、「I湾」は伊勢湾、「S郡」は志摩郡(当時)、「T駅」は鳥羽駅とみてよいという。三重県には島が多い。サミット会場のある英虞湾は多島海ともいわれる。沖の島は架空らしいのでどこにあるかはわからないが、島という小世界が散在する海原が目に浮かんでくる。
 
 主人公の人見広介は大学を出たあと安定収入がなく、「下積み三文文士」として東京の学生街で下宿生活を送っていた。「何をする気にもなれない」「人生のことがすべて、ただ頭の中で想像しただけで充分」といった暮らしぶりで「極端な夢想家」以外のなにものでもなかった。原稿執筆の合間に「夢想郷の見取図だとか、そこへ建てる建築物の設計図だとかを、何枚となく書いては破り、書いては破り」していたのである。
 
 彼は「芸術というものは、見方によっては自然に対する人間の反抗、あるがままに満足せず、それに人間各個の個性を附与したいという欲求の表われにほかならぬ」と考える。造園術や建築術は「ある程度まで自然そのものを駆使し、変改し、美化しつつある」として「それをもういっそう芸術的に、もういっそう大がかりに、実行すること」を夢見る。大金が入れば「地上の楽園、美の国を作り出して見せるのだがなあ」というわけだ。
 
 その広介が、ひょんなことから菰田家の当主、源三郎として生きることになる。どんないきさつで、どのような手管を弄して、なりすましに成功したのか。その筋は小説の読みどころなので、深入りするのは控えておこう。ただここでは、「極端な夢想家」が俄か富豪となって何をしたか、という一点に焦点をあてる。それはまさに、自らが手にした自然資源を「変改」「美化」して「地上の楽園」を生みだすことだった。
 
 まずは人材の確保。「新しく雇いいれた画家、彫刻家、建築技師、土木技師、造園家などが、毎日彼の邸につめかけ、彼の指図に従って世にも不思議な設計の仕事が始められました」。肉体労働の要員も集められ、そのなかには「電気職工だとか、潜水夫だとか、舟大工などもまじっていた」。さらには「小間使とも女中ともつかぬ若い女どもが、日ごとに新しく雇い入れられ、しばらくすると、彼女らの部屋にも困るほど」だった。
 
 この陣容からなんとなくわかるのは、「楽園」は快楽志向の強いものらしいということだ。どちらかといえばテーマパーク、ディズニーランドもどきではないか。著者はここでは「理想郷建設」という言葉も使っているが、白樺派風の理想主義は匂ってこない。佐藤春夫著『美しき町』にみてとれるエコロジー感覚もなさそうだ(当欄2015年3月6日付「大正の幻、『いけいけ』でない知性」)。読み進むと、その予想は的中する。
 
 源三郎こと広介が、「妻」千代子に完成間近の島を見せにゆくくだり。島から数十メートルのところにブイが浮いていて、そこで下船する。ブイの下部から島までは「上下左右とも海底を見通すことの出来る、ガラス張りのトンネル」があった。
 
 「猛悪な形相の猫鮫(ねこざめ)、虎鮫(とらざめ)は血の気の失せた粘膜の白い腹を見せて、通り魔のようにす早く眼界を横ぎり、時には深讐(しんしゅう)の目をいからせてガラス壁に突進し、それを食い破ろうとさえします」。今どきの水族館にいるような気分になるではないか。強靭な透明素材をフルに生かして海洋生態系そのものを見せようという展示手法の先取りである。
 
 島にあがって人工の谿谷に出ると、岸辺に白鳥がいて「さあ、どうぞお乗り下さいませ」と呼びかけてくる。その背に乗って千代子が感じるのは「人間の肉体」だ。着ぐるみが泳いでいるらしい。「ムクムクと動くやわらかな肩やお尻の肉のぐあい、着物を通して伝わる肌のぬくみ、それらはすべて人間の、若い女性のものらしく感じられるのです」。お客さま対応の声もエロティックな動きも、今ならロボットに置き換えられるだろう。
 
 広介は、着想の源泉は自分が子どものころに体験したパノラマという見世物にあったと千代子に言う。「パノラマ館の外には、たしかに、日頃見慣れた市街があった。それがパノラマ館の中では、どの方角を見渡しても影さえなく、満洲の平野がはるかに地平線の彼方まで打続いているのだ」。建物の内と外に別の世界があり、「それぞれ異なった土と空と地平線とを持っている」。これが広介の「楽園」であり、「理想郷」だった。
 
 「つまり私はこの島の上にいくつかのそれぞれ独立したパノラマを作ったのだ」「私の作ったパノラマは、普通のパノラマ館のように壁にえがいた絵ではない。自然を歪める丘陵の曲線と注意深い曲線の按配(あんばい)と、草木岩石の配置とによって、たくみに人工の跡をかくして、思うがままに自然の距離を伸縮したのだ」。エッシャーのだまし絵のような世界を具現化したということだろう。
 
 乱歩世界の主人公は、仮想の「楽園」を現実世界に巧妙に組み込んだ。ただ、できあがったものは、自然保護という面でもジェンダーの観点からも大いに難ありだった。今の時代、人間にとって本当の楽園とは何なのか。サミットを機に、そう問うてみる。
(執筆撮影・尾関章、通算318回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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