『モハメド・アリの道』(デイヴィス・ミラー著、田栗美奈子訳、青山出版社)
写真》1面だけでなく(朝日新聞2016年6月5日朝刊)

 一面に収まりきらないというのは、こんなことを言うのだろう。米国の元ボクシング選手モハメド・アリの死去。朝日新聞の6月5日付朝刊は、第1面のみならず国際面、スポーツ面、社会面にも訃報にかかわる記事を載せた。彼は、かつてヘビー級の世界王者だったというだけではない。公民権運動とベトナム戦争の時代に人種差別と闘い、徴兵を拒んだ。引退後はパーキンソン病を患うが、折々表舞台に出て人々にメッセージを発信しつづけた。
 
 アリは、いまや「伝説の」という枕詞が似合う偉人となってしまった。だが、戦後生まれ、60歳超の僕らの世代にとっては、まさに同時代の兄貴分だった。それは太平洋を隔てた日本にいても同様だった。
 
 1960〜70年代は海外のスポーツ中継が衛星放送を通じて湯水のように入り込んではこなかった。それでも、ボクシング世界ヘビー級の王座戦となれば映像が流れた。ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマンといった強豪の名も忘れられない。
 
 そんななかで、アリはいつも特別だった。一つには、型破りの人だったということだ。大相撲の力士も高校野球の球児も、インタビューでは聞かれたことにうなずいて「がんばります」と言うだけ、というのがスポーツ選手の定番だったのに、彼は違った。スポーツ界→体育会系→右寄りという通り相場もあったのに、彼は違った。徴兵拒否の有罪判決で王座を追放されている間でも、彼の自我は強烈に光り輝いていた。
 
 もう一つは、ボクシングそのものの美しさにある。リングでの動きは敏捷さにあふれていて、どこまでも軽やかだった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」(“Float like a butterfly, sting like a bee”)。この名文句は、セコンド役を務めていたドゥルー・バンディーニ・ブラウンという人が言いはじめ、アリ自身が口にするようになって広まったものらしいが的確な形容だ。彼の拳闘は美学とともにあったと言えよう。
 
 で、今週の一冊は『モハメド・アリの道』(デイヴィス・ミラー著、田栗美奈子訳、青山出版社)。著者は1952年、米国南部ノースカロライナ州生まれの著述家。スポーツ系の雑誌などに記事を出してきた。とりわけアリに焦点をあてたノンフィクションの評価が高い。この本は96年に出た長編で、翌年さっそく邦訳が出た。表題をみると、伝記として書かれたもののように感じるが、そうではない。
 
 「僕」という一人称で書き進められる。少年時代を思い返し、青春期の彷徨も結婚後の生計も包み隠さずに淡々と披歴する。だから、一人のスポーツライターの自伝として読んでもよい。ただ、その数十年を貫く1本の軸としてモハメド・アリが存在する。最初は、憧れの的として。次いで、人生の目標として。そして最後は、ものを書くための取材相手として。この間接的ともいえる構成こそが、アリの人物像の現実感を高めている。

 その理由は、著者とぴったり同世代の僕にはよくわかる。もし、この本がアリの軌跡を過去に遡って跡づけるものだったならば、中身の大半は本人や周辺の人々から聞きだした話で占められただろう。ところが、著者自身の個人史を座標にとったおかげで、アリはいつも五感をともなって現れることになった。テレビの向こう側の華やかな世界にいた大スターがどんどん迫ってきて、ついには人物像が間近に見えるという醍醐味。
 
 著者は、父が工場に勤める白人家庭に育った。少年時代は「やせっぽちのチビ、病気がち」。
11歳のときに母を病気で失うと、その死にうちのめされて自らが2週間も入院するほど繊細だった。そのころ、白黒テレビの中で「黒いスーパーマン」が「すさまじい威嚇を見せながらも、優雅そのもの」に吠えるのを初めて見る。「おれは、若くて、ハンサムで、すばしっこく、美しい」。モハメド・アリに改名する前のカシアス・クレイだった。
 
 思春期になると、「寝室の壁は、アリが勝ったときの新聞の切りぬきで埋めつくされていた」。学校時代に「はじめてけんかをして校長室に呼びだされた」のも、理由はアリ。彼のことを「徴兵のがれの生意気なニガー野郎」と揶揄されたのに怒ったからだった。
 
 20代で飛び込んだのはキックボクシングの世界だ。数年間で見込みがないと見切って大学に入り、もの書き志望に転身する。格闘家の卵時代に得た貴重な財産は1975年夏、アリがスパーリングの相手をしてくれたことだ。世界王者は左フックを顎に受けると、目を丸くして「信じられないというふり」を見せた。著者は「至福」の一体感を味わうが、2秒後にはジャブ一発で「ぺちゃんこ」になっていた。
 
 このあと、アリはこう声をかけたという。「あんた、すばしこいな。それにパンチもいいぜ。そーーーんなに小さいくせにな」。体験記はスポーツ・イラストレイテッド誌に載った。それに加筆したものが、この本ではプロローグとして採録されている。
 
 二人が再会するのは1989年、アリの出身地ケンタッキー州ルイヴィルでのことだ。著者はビデオショップチェーンの社員となり、その一帯の店を任されていた。ある日、彼が母親宅に来ているらしいことを察知する。とめられた車のタイプやナンバープレート記載の州名を見ただけで直感したのだ。大胆にも玄関のベルを鳴らして面会に成功する。口をついて出た言葉は「チャンプ、あなたは僕の人生を変えてくれました」だった。
 
 読みどころは、この時点からはじまる二人の交流だ。すでに病に侵された元世界王者の姿が至近距離の視点から描かれる。町のジムでは、アマチュアの青年らと試合もどきの打ちあいに興じるが、リングを降りたとたん「ひいおじいさん歩き」に戻る。指の動きもままならず、ネクタイを5分間かけて結ぶ。だが、そんなときでも「いらつくそぶりを見せたりはしない」。自らが置かれた現実を冷静に受け入れる賢明さが見てとれる一瞬だ。
 
 僕がもっとも心打たれたのは、アリが「イエス・キリストとおなじぐらい有名になる」という偉業を自分が「成し遂げた」と口にした場面だ。著者は違和感を覚えて「成し遂げたんですか?」と聞きかえす。これに対する反応がいい。いけないことをして見つかった子どものような表情を見せ、「おれもまだまだ傲慢になることがあってね。あんた、よくたしなめてくれたよ」と言う。人の言葉に耳を傾けて自分を客観視できる人なのだな、と思う。
 
 著者は文中で、ジャーナリストではなく物語の書き手という自身の立場を鮮明にして、取材相手と「一線を画する」という手法はとらないと明言する。だが上記のやりとりからは、聞き手として質すべきことを質している様子がわかる。アリに電話で頼みごとをしてすげない対応に遭い、「だれと話しているのかアリはわかっていたのだろうか」と落胆するくだりもある。元世界王者にとって自分は一人の取材者に過ぎないという自覚がうかがえる。
 
 余談だが、この電話では興味深い告白があった。アリ伝説で有名なのが、レストランの人種差別に反発してローマ五輪の金メダルを川に捨てたという逸話だ。それに倣って著者が、もの書きになろうと会社を辞めるときに
仕事用のポケベルを川へ放って捨てた話をすると、アリは反論する。「おれ、そんなことしなかったぜ」「失くしちまった、それだけなんだ」。伝説にもウソがある、きちんとウラをとれ、ということか。
 
 引退後のアリを母のミセス・クレイはこう評する。「あんまり静かなもんだから、あの子が家にいるのも忘れてしまうぐらい。いつだって読んだり書いたり、書いたり読んだりしてるのよ」。著者は「哲学的なアリは、発展を遂げた六〇年代と折衷主義の七〇年代において理想のキングだった」と書いているが、僕はこれに微修正を加えたい。世界王者の哲学性は、発展の歪みが露わになった1960〜70年代だからこそ人々の心を揺さぶったのだ。
 
 著者は、アリという人物の大きさを「いつもいかに大勢に流されずにきたか」で測れるという。日本社会はもともと大勢に流されやすかったが、いまその傾向が強まるばかりとは言えないか。蝶のように舞い、蜂のように刺す抵抗精神がまぶしい。
(執筆撮影・尾関章、通算321回)
 
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