『子どもたちに語るヨーロッパ史』

(ジャック・ル・ゴフ著、前田耕作監訳、川崎万里訳、ちくま学芸文庫)

写真》欧酒さまざま

 欧州連合(EU)に残るべきかどうか。国の姿を決める国民投票が英国であった。BBCサイトが伝える開票結果では、日本時間6月24日午後2時の時点で「離脱」票の過半数到達が確定した。この報道を見ていて頭をよぎったのは、欧州とは何か、という問いだ。

 

 EUが、経済のみならず政治も含む連合体として登場したのは1993年11月。ちょうど僕がロンドン駐在の記者だったときのことだ。その歴史的瞬間の空気をじかに吸って、欧州戦後史の針が時計回りに進むのを実感した。それが逆戻りしたという印象は拭えない。

 

 EU誕生の翌年早々、朝日新聞の在欧記者たちは「おおヨーロッパ! 国のすがた・統合の因数分解」という連載に取り組んだ。僕が受けもった記事は「国境破り」。スイス・ジュネーブ郊外の欧州合同原子核研究機関(CERN)をとりあげた。地下トンネルに横たわるのは、フランスとの国境をまたぐ1周27kmの環状加速器LEP。ヒッグス粒子を見つけたLHCの先代格にあたる。そこには、正真正銘「欧州人」の科学者が集っていた。

 

 自国語が通じなければ英語で、という不文律があった。イタリア出身の物理学者は「ここの研究者は、国籍よりも、どこの実験グループに属しているか、どこの大学から来ているか、という意識の方が強い」と語ってくれた(朝日新聞1994年2月25日朝刊)。それは、この学問領域の性格を反映しているのかもしれない。国境どころか天地の境界すら無視して、普遍の法則を追い求める人々の集団だからだ。

 

 だが世事全般は、そうはいかない。英国社会にEUへの拒否感が根強くあることは、僕がいた頃も感じることができた。議会では、党派の違いを超えて欧州懐疑派(Eurosceptics)が論陣を張っていた。ここで僕が引っかかったのは、字面上の懐疑対象が「欧州統合」ではなく「欧州」そのものということだ。英国は欧州の一員であり、しかもその主要国のはずなのに、どうしてそこまで自分の居場所を突き放すような言い方をするのか。

 

 しだいにわかったのは、英国人は皮膚感覚で欧州イコール大陸と感じているらしいということだ。そこには、辺縁の視点が見え隠れする。城の佇まいであれ、食の風味であれ、英国風は武骨だ。対岸の洗練との対比を自覚しているからこそ、欧州のことをよそ事のように言うのかもしれない。それは、必ずしも悪いことではない。ただ、ひとたび偏狭な思想と結びつくと、今回のEU残留派議員殺害のような悲劇が起こるのではないか。

 

 今週は、『子どもたちに語るヨーロッパ史』(ジャック・ル・ゴフ著、前田耕作監訳、川崎万里訳、ちくま学芸文庫)。著者は1924年生まれ、フランスの歴史学者で欧州中世史が専門。この邦訳文庫版は、『子どもたちに語るヨーロッパ』(2007)、『子どもたちに語る中世』(2006)という原著2冊を訳して一つに合わせたもので、2009年に出た。少年少女に聞かせる語り口は、遠隔の地にいる大人の欧州理解をも助けてくれる。

 

 欧州にだれもが認める特徴は、狭いのに多様ということだろう。この本もまず、その狭さを指摘する。欧州域内ならば一つの国からもう一つの国まで「五時間以内(ロシアをべつにすればたいてい三時間以内)のフライト」でたどり着けるとあるのは、僕の実感にもぴったりくる。ロンドン勤めのころに大陸へしばしば出かけられたのも、旅程に限れば東京から大阪、あるいは東京から札幌や福岡へ出張するのと同じ感覚で行き来できたからだ。

 

 そして著者が多様さを裏打ちするものとして言及しているのは、ヨーロッパ人が「『ヨーロッパ人』とよばれることのほとんどない人びと」という逆説だ。互いに国の名、民族の名で呼びあっても自分たちが欧州圏の仲間という意識は乏しいというわけだが、これは域内にいるからこその見え方で、差っ引いて受けとめたほうがよい。ただ、空路1時間で言語や食文化が一変する醍醐味は、そこが差異にあふれていることの表れと言えよう。

 

 この本は「ヨーロッパ人がこんなに多様であるにもかかわらず、なぜひとつのコミュニティを形づくっているのか」という問いを念頭に書き進められていく。当然のことながら、源流を探し求めてギリシャ・ローマの古代文明や中世のキリスト教について詳しく叙述されているのだが、それを几帳面に跡づけるのはやめよう。むしろここでは「ひとつのコミュニティ」を支える条件を二つだけ、著者が描く欧州史から拾いあげたいと思う。

 

 一つめは「混血」。著者は古代から中世にかけて盛んになった民族移動に目を向け、「混血から生じた民族」は「文明や制度の面から見てより豊かでたくさんのものを生み出します」という。「人間の交錯は発展の源泉」であり、「ガリアでは、二つの主要な民族、ローマ帝国下のガリア人と、五世紀以降に定住したゲルマン系のフランク人が、その後のフランスの発展を進めました」と解説する。「民族的純血」を求めることは「不毛」と断じている。

 

 欧州の混血ぶりは、僕も英国で痛感した。赴任するとき、向こうの人は背が高く体も大きいと吹き込まれて日本人仕様の衣類、履物類を大量にもち込んだが、ロンドンで買い物をすると、さまざまなサイズが用意されていた。小柄なラテン系の人が大勢移り住んでいるということもある。だが、先祖の代からの英国人も大柄な人ばかりではなかった。それは、歴史のなかでケルト系やゲルマン系などが混ざり合った痕跡のように思えた。

 

 なかでも興味深いのは、ゲルマン系のノルマン人だ。この本にも、こんな記述がある。「スカンディナヴィアのノルマン人の一部は北フランスに定住し、ノルマンディの名を残しました。ノルマン人は十一世紀に大ブリテン島を征服し、一部は南イタリアに移住し、ナポリ王国とシチリア王国をつくりました」。北欧の血は、その文化とともにフランス、英国、イタリアに混ざり込んだのである。

 

 英国のノルマン人は「征服」という言葉通り、北フランスから海峡を越えてやって来て支配者となり、貴族層に浸透した。これが今も残る階級社会の根っこにあるのは確かだが、その一方で、人々が王室を神格化しない冷めた市民感覚をも生みだしたように思う。

 

 もう一つ、欧州を支えたものに学問がある。この本によれば、中世のスコラ学はラテン語を用いたので「大学者のほとんどは、出身国以外でも、ヨーロッパのいたるところで教授になることができた」。この国際性は、近代科学に受け継がれる。著者は、コペルニクス以降の科学の流れを追って「発見や発明は、たがいに結びつきつつ発展したヨーロッパの学者たちの共同体による、共働の成果」と位置づける。CERNの原点とも言えよう。

 

 EUに対する著者の立場は、至って前向きだ。すでに達成したものとして筆頭に掲げるのは「ヨーロッパ人同士が戦争をすることはもうない」という状況だ。近過去の旧ユーゴスラビアや北アイルランド、最近のウクライナ情勢などを思い浮かべると楽観が過ぎるような気もするが、EU域内で国家間戦争が起こる可能性は限りなく小さくなったということだろう。さらに民主主義、死刑廃止、国境検査撤廃の面でも進歩を遂げたとしている。

 

 著者は、欧州が闘うべきは「不平等」「失業」「排除」だと言い切り、逆に大切にすべきものとして「人権」「女性の権利」「子どもの権利」といった言葉を並べる。もう一つ、大切にするものとして書き添えたのが「人間と生きものと自然のバランス」だ。それは生態系の尊重であり、環境保護思想すなわちエコロジーがめざす目標にほかならない。欧州は今に至るまでいつも新しい価値観を打ちだし、世界へ発信してきたと言えるだろう。

 

 今回の英国の選択は、経済面で世界規模の混乱を引き起こしそうだが、欧州社会の深層では「ひとつのコミュニティ」という意識が生き延びるに違いない、と僕は思う。

 

 日本列島では縄文人と弥生人が混ざりあったのに、それを僕たちはほとんど忘れている。近隣の民族と漢字文化を分かちあってきたという連帯感も希薄だ。アジアに「コミュニティ」の意識を育むのなら、そんな歴史の記憶を蘇らせることから始めなければなるまい。

(執筆撮影・尾関章、通算322回)

 

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