『カラヴァッジョ伝記集』(石鍋真澄編訳、平凡社ライブラリー)

写真》果物の質感

 1年の半ばだが、暮れの回顧もののネタを一つ予約しておこう。2016年は週刊誌ジャーナリズム復活の年だった、ということだ。政治家が第一線から退場に追い込まれた。芸能人もカメラの前で頭を下げた。それをあばいたのは、出版業界の苦況をものともせずに気を吐く週刊誌。コンプライアンス社会でもこんなことをしている人がいるんだ、と驚かされたこともある。だが、どうでもいいことじゃないか、と呆れる話題もあった。

 

 不倫報道の多くは、読者にとって「どうでもいいこと」だった。道ならぬ恋がばれると、当事者が慌てるだけではない。周辺の人々も巻き込まれる。心がもっとも深く傷つくのは、家族かもしれない。だから、当事者を囲む小社会では「どうでもいい」とは到底言えない。だが、その情報は圧倒的多数の大社会にとっては「どうでもいい」。なのになぜメディアは騒ぎたて、当事者もそれに几帳面に応じて世間に向かって謝罪するのか。

 

 そう思って、昔を思い返してみる。僕の印象で言えば、1960〜70年代は「どうでもいいこと」が今よりも頻繁に週刊誌を賑わせていた。あのころは婚前の深いつきあいがなかなか大っぴらにできなかったこともあって、既婚者のみならず未婚者も含めて恋の発覚や愛のもつれが大見出しになった。ただ、それらは読者に「どうでもいいこと」と正しく受けとめられていたように思う。今のような不祥事扱いは、それほどなかった。

 

 芸能人は、僕たちとは違う世界に住んでいる。そこには、華やかで大胆な恋バナシがあって当然だ。僕たちは素朴な憧れと一抹の羨ましさ、適度の共感と小さな反発をもって、それを眺めている――そんな感じだっただろうか。今で言えば、テレビの情報番組がとりあげるハリウッド・セレブのゴシップに近い。読者の心のなかでは、生身の人間の私生活を映画の筋書きのような虚構空間に移しかえるという作業が暗黙理になされていたのである。

 

 今は、そんな心理状態が許されない。テレビメディアとネットメディアの相乗効果で世の中の隅々までも透明化されているので、芸能界は僕たちの世界と同レベルに降りてきてしまったのだ。だから、芸能人は一私人としての影響しか及ぼさない不始末についても、世間を騒がせ迷惑をかけた張本人という立場に追い込まれ、陳謝する羽目になった。こういう風景を、僕たちはこれからもずっと見つづけなければならないのだろうか。

 

 で、今週は『カラヴァッジョ伝記集』(石鍋真澄編訳、平凡社ライブラリー)。ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571〜1610)は、ルネサンスが一段落した16世紀末から17世紀初頭にかけてイタリアで活躍した画家。この本は、本人の存命期から100年ほどの間に書かれた小伝6編を並べ、さらに関連資料や解説論考を収めている。編訳者はイタリア美術史の専門家。今年3月に刊行された。

 

 この本をとりあげるのは先月、東京・上野で開かれていたカラヴァッジョ展「ルネサンスを超えた男」を観てきたからだ。展覧会場は、まもなく「世界文化遺産」に登録される国立西洋美術館本館。それも人を呼び込んだ一因だろうが、平日にもかかわらず大混雑だった。おもしろかったのは、展示物が絵だけではなかったことだ。刑事事件がらみの記録などがあり、思わず惹き込まれた。それで、売店の『…伝記集』に目がとまったのである。

 

 カラヴァッジョは、品行方正という言葉からもっとも縁遠い人物だった。この本にも、編訳者がまとめた「カラヴァッジョ犯科帳」という一編が載っている。「武器不法携帯」、いわば銃刀法違反で身柄を拘束されるのは、しばしばだ。すれ違いざま、顔見知りに剣を抜いたこともある。居酒屋の料理をめぐって給仕といさかいになり、大暴れしたこともある。かと思えば、卑猥な詩で名誉を傷つけられたとライバル画家から訴えられたこともある。

 

 これらは、出身地ミラノからローマへ移り住んでからのことだ。画家としての名声は高まりつつあった。もめごとの相手は同業者という例が少なくない。今ならば、画壇を揺るがすスキャンダルを連発していたと言えようか。謝罪会見を何回も開かなければならなかったことだろう。身柄を解かれ、警察署を出てきたところで、カメラの放列に囲まれ、頭を地につけんばかりに下げている光景が思い浮かぶ。だがもちろん、そんなことはなかった。

 

 そして、極め付けは殺人だ。1606年、きっかけは不明だが、球技場で4対4の乱闘となり、自ら剣をふるって一人を殺したという。被害者は、日ごろから悪感情を募らせていた男。決闘もどきの流血事件だった。これがもとで、カラヴァッジョの逃避行が始まる。ナポリ、マルタ島、シチリア島……。ただ、逃げているばかりではない。行く先々で作品を描いた。マルタ騎士団の団長に取り入って、騎士の称号を授かったりもしている。

 

 こんなことがあっても世間は「ありふれた抗争事件」とみなした、と編訳者は「…犯科帳」に書き添える。「カラヴァッジョ自身も、殺人を犯したという、今日われわれが考えるような罪の意識はもっていなかった」と推察するのだ。欧州ではルネサンスを過ぎてもこんな蛮行が日常の事だったのか、とは驚くまい。日本でも、血を血で洗う戦国の世が落ち着いてまもなくのころだった。500年で倫理の物差しはこれだけ大きく変わったのである。

 

 では、その問題児の画風はどんなものか。まずは、ジョヴァンニ・バリオーネが綴る小伝。この人は前述の名誉棄損を訴えた当人で、カルヴァッジョとは険悪な間柄だった。だが、ほめるところはほめている。一例は「リュートを弾く若者」という絵。「まるで生きているよう」と絶賛する。「花瓶には窓が、部屋の他の品々とともに映っているのが、はっきりと見て取れる」「花の上には、すばらしく丹念に描かれた、本物さながらの露があった」

 

 ふと思うのは、このほめ言葉に毒がまぶされていないか、ということだ。ただただ現物にそっくりなだけ、という揶揄ととれなくもない。だが、そうではないらしい。「バリオーネはカラヴァッジョ風を実践した一人で、そのためにカラヴァッジョから強い反発を受けたのだと想像される」と編訳者が解説しているからだ(所収の論考「カラヴァッジョの真実」)。人柄は別にして、その技は自身が追求する理想を究めているとみたのだろう。

 

 小伝6編のなかで編訳者が一目置いているのは、17世紀の美術批評家兼美術史家ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリのものだ。それこそが「カラヴァッジョ神話」をつくりあげ、偏見と呼ぶべきものまで定着させてしまったということらしい。

 

 ベッローリは、カラヴァッジョの写実主義についてこう書く。「彼はモデルなしには絵を描くことができなかった」「自分はモデルに忠実に描いているので、一筆たりとも自分のものは作れない、それは自分のものではなく、自然のものである、と公言していた」「彼には構想力も品位も素描も、また絵画に必要ないかなる科学もなく、ひとたびモデルが彼の視界から取り去られてしまえば、彼の手や才能はなすすべを失ってしまうのである」

 

 その手法が「無頼」な実人生の影響を受けて、作品の色彩がしだいに暗さを帯びていった、と結論づけている。このベッローリ流の解釈が、カラヴァッジョは「教養のないヴィラン(悪党)画家」という「誇張されたイメージ」を生んだ、と編訳者はみる(「…の真実」)。

 

 今回作品群をじかに観て僕が感じたのは、その写実は映像に溢れた現代の感性にぴったりくるということだ。人物の手指の節くれだった質感やふくらはぎの波打つ量感は写真のようだ。ベッローリも、それを正当に評価している。「人体も教則や手法(マニエーラ)によって描かれ、また真実よりも優美さに満足していた時代」に「色彩からあらゆる化粧や虚飾を取り去って、色彩を回復させ、それに血や肉を再び戻してやった」という。

 

 話を最近のメディア状況に戻そう。そこでは人々が私的生活まで公共空間に引っぱりだされるので、だれもがのっぺりとした公序良俗を取り繕うことを余儀なくされている。そのことが、カラヴァッジョ作品の陰翳に僕たちが吸い寄せられる理由なのかもしれない。

 

 この時代、どのようにして人間に「血や肉」を戻せるのか。そんなことを思ってみる。

(執筆撮影・尾関章、通算324回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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