『清須会議』(三谷幸喜著、幻冬舎文庫)

 電柱でござる。そんな言葉をテレビの時代劇に向かって投げつけてみたいと思うのだが、まだその経験はない。つくり手たちは、電柱の立ち姿が画面の片隅にすら紛れ込まないように細心の注意を払っている。もし1本でもあれば、江戸町民が長屋に家電一式をそろえ、大名は江戸と国もとの間に電話回線を開設しているのではないか、という妄想のタネになる。そんな興ざめはご法度というわけだ。
 
 映画であれ、テレビであれ、あるいは小説であれ、歴史ものに時代考証は欠かせない。ただ、それをとことん追い求めれば必ず行き詰まってしまうだろう。画像や映像の類が残らない時代は、人々の暮らしの細部を文献で推し量るしかないからだ。だから、時代を象徴する記号的存在の有無だけはしっかり押さえることが必須になっている。そして電柱は、近代の記号の一つだ。近代以前にあるわけはない。
 
 ほかには、どんな記号があるのか。すぐ思いあたるのはカタカナ語だ。外来語は、明治以前にも「てんぷら」や「びいどろ」など、ごく少数の例外があったが、大量に流れ込んだのは文明開化の後である。だから、時代ものに出てきたらアウト、もとい駄目だ。
 
 最近、そんな記号を完全に無視する歴史小説に出会った。「本能寺の変」後の織田家内部の権力闘争を描いた『清須会議』(三谷幸喜著、幻冬舎文庫)。去年秋に公開された映画の原作だ。映画の台詞がどうだったかは観ていないのでわからないが、原作では「現代語訳」と銘打ったうえで外来語が乱発される。「どうやら間違いなく、清須会議のキャスティング・ボートは俺が握っているようだな」。織田家幹部が、こう思ったりもするのだ。
 
 このタブー破りは昔からあった。『てなもんや三度笠』のようなコメディには、ときどき外来語が出てきたような記憶がある。江戸の世に昭和をちらつかせて、僕たちの心をくすぐったのだ。だが『清須会議』は違う。外来語が人物の思考回路に組み込まれている。
 
 戦国大名に仕える武将にも、メガバンクに勤める半沢直樹と同じような思考様式があると言いたいのか。あるいは、半沢直樹流の思考様式を省みる手だてとして戦国武将をもちだしたのか。それは、読み手のとりよう一つだろう。間違いないのは、作者三谷幸喜が時代の違いを超えて成立する人間ドラマをおいしく調理する料理人だということだ。彼にとって歴史は、厨房に蓄えられた極上の食材にほかならない。
 
 僕は、三谷幸喜が好きであり、嫌いでもある。嫌いなほうから言えば、テレビに出てきたときのわざとらしいサービス精神が気になる。ただ、これは僕たちの世代の限界かな、とも思う。作家であれ、ミュージシャンであれ、芸術にかかわる人は気難しいもの、という先入観があるからだ。眼鏡に蝶ネクタイ、コメディアンのようないでたちで現れる姿に違和感を覚えてしまうのは、そう感じるこっちのほうが悪い。
 
 そのひっくり返しが、好きな理由だ。三谷幸喜は、持ち前のサービス精神で作品の登場人物をおもしろおかしく彫りあげる。それは人間の内実を突いて、読み手や観客に「さもありなん」と膝をたたかせる。理念やイデオロギーが優先された時代の作家とは趣を異にするのだ。『清須会議』でも、羽柴秀吉や柴田勝家、丹羽長秀らの武将とその周辺の人々の思惑、打算、本音を、モノローグなどを通じてえぐり出していく。
 
 プロローグでは、知性派長秀が同僚の人となりを冷めた目で吟味する。本能寺の焼け跡で号泣する勝家を見て「いかにお館様を慕っていたか、その死に衝撃を受けているかを、私にアピールしているのであろう」「半ば無意識である以上、パフォーマンスと言ってしまっては、彼が気の毒だ」。秀吉については「苦境にあっても決して悲観せず、天性のひらめきで、それをチャンスに変えてしまう」「彼のバイタリティの原動力はすべて欲がらみだ」。
 
 こうして読むと、歴史上の人物を素描するには「アピール」「パフォーマンス」「チャンス」「バイタリティ」といったカタカナ語を用いるほうが自然のような気がしてくる。大河ドラマなどでは「訴えようとしているのであろう」「演技と言ってしまっては」のように僕たちが慣れ親しんだ日本語に置き換えるのだろうが、そういう言い回しが戦国時代に通用したかどうかの保証はないのだ。
 
 長秀の内心を言葉にした「信長死すの報せは、既に全国に広まっている。今月のうちに織田家の新体制を決めて、再スタートしたいところだ」のような表現は、政党のドタバタを伝える新聞記事にそっくりだ。この言い回しのほうが読者にビンビンと響いてくる。
 
 現代をうまく取り込んでいるのは、言葉だけではない。尾張清須城に向かう勝家は、信長の妹お市に領地越前の名物らっきょうを持ってくる。恋い焦がれる相手への手土産だ。「本当は、もう少し値の張る、例えば茶器のようなものが良かったのかもしれないが、あまり高価なものだと、逆に下心があるように思われても困るので、らっきょうにした」。この男心、僕にはよくわかる。地元の農産品をさりげなく手渡す、というのは悪い趣味じゃない。
 
 だが、それを受け取ったお市の思いは別だ。「いくらなんでも、あれはないわよ。なんで、らっきょうなの。私の気を引きたいんだったら、もう少しまともなお土産持って来なさいっていうのよ」「だいたい私、お新香が好きだなんて一言も言ってないし。私が言ったのは、香りの物。普通はお香とか香炉のことでしょう」。いかにもセレブという感じの上から目線で見下されて、真心のギフトは裏目に出てしまう。
 
 ここで気になるのは、らっきょうだ。僕は初任地が福井県だったので、三里浜と呼ばれる海沿いの産地になじみがある。今回、三里浜特産農業協同組合のサイトを開くと、「明治初期頃」に「各農家の自給用としてらっきょう栽培が普及」とある。戦国の世に出回っていたかどうかは疑問符だ。だが、それはどうでもよい。作者は勝家とお市の関係を表す格好の笑わせネタを今日の名産品事情から掘りだしたのである。
 
 この作品で僕が心惹かれたのは、事務方の責任者前田玄以の描き方だ。その役回りは、今ならばG8サミットのロジスティクス担当、略称ロジ担ということになる。清須城に諸将が着く朝、家来衆を集めて訓示する。「この乱世、とかく武将ばかりが目立っておりますが、いつの世も、本当に時代を動かしているのは、そう、我々、文官なのであります。誇りを持っていこうではありませんか」
 
 翌朝の訓示では「オフィシャルな予定とは別に、プライベートな形での個々の会合は随時行なわれると予測されます。お茶の準備、もしくは酒宴の準備は常に怠らないようにお願いします」と、事細かに指図する。三日目には、諸将参加の「第一回丹羽長秀杯夏のイノシシ狩り」も企画、イノシシが出てこないとまずいので前夜に1頭捕まえておいてそれを放つ、といったヤラセ行為までする。その頑張りは涙ぐましくもあり、微笑ましくもある。
 
 思えば、三谷作品のおもしろさは、どの人間にも宿る「普通の人」をあぶり出すことだ。『清須会議』は、ヒーロー、ヒロインの普通の人ぶりをえぐり出す一方で、ロジ担のような普通の人の普通ぶりもきちんと切りとっている。
 
写真》三谷幸喜『清須会議』に出てくる外来語のいくつか。僕たちの思考の一部に取り込まれた言葉が目立つ=尾関章撮影
(通算213回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
<たしかにこういった言葉はあるのですが、大筋においては空間、時間を越えて「意味」が共有されている事実がとても不思議に思えます>(虫さん)
カタカナ語ぺらぺらの戦国武将に違和感がないということは、ノーム・チョムスキーの「普遍文法」に通じるなにかがあるのかもしれませんね。
  • by 尾関章
  • 2014/05/27 3:51 PM
毎度!という感じでしょうか、またしても虫からの投稿です。いつも楽しく拝読しておりますが、楽しさのみならず、考えさせられことも満載の尾関さんブログゆえ、ついついコメントを送付してしまう次第です。

さて、紹介いただいた三谷さんの『清須会議』、いわば時代小説の「輸入外来語訳」の趣きですね。ここには戦国時代の日本、欧米概念が盛んに輸入翻訳された明治期の日本、このコメントを書いている現代の日本、そして外来語の本家である欧米文化という4つの空間時間のポイントがあると思うのですが、通常、4つの変数があれば、頭の中はかなり混乱しますよね。ところが、尾関さんの解説を読む限り、残るのは「スンナリ感」。ここに今回ブログのジャンルである「コトバ」の不思議を感じます。つまり、空間と時間を越えて共有されている「意味の世界」の存在、そして、その「意味」を表現する道具としての「コトバ」。
ビジネスの現場で「そこをひとつなんとか」を英語にすることは可能でしょう。但し、無味乾燥なものとなり、「長いお付き合いじゃないですか」とか「持ちつ持たれつじゃないですか」といった「そこをひとつなんとか」を成立させている肝心なニュアンスは失われてしまいます。その意味では翻訳不可能と言うべきかもしれません。
たしかにこういった言葉はあるのですが、大筋においては空間、時間を越えて「意味」が共有されている事実がとても不思議に思えます。哲学や言語学の世界には、さまざまな理論や考え方があるのでしょう。「コトバ」があるから「意味」があるという理論もあるかもしれません。しかし、日常的な生活経験や体感からくる思いは、「初めに意味の世界ありき」ではないかという思いです。音声や文字に担われる前の静寂な「意味の世界」。とても不思議です。
  • by 虫
  • 2014/05/27 2:57 PM
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