『伊香保殺人事件』(内田康夫著、講談社文庫)

写真》温泉まんじゅう

 今回は、湯けむりの話から。先週、一泊二日で北関東の温泉へ出かけたからだ。宿の滞在時間は20時間弱だったが、今回もよく湯に浸かった。大浴場へは夕食前に1回、夜更けに1回、朝食前にもう1回。部屋の窓際に置かれた内風呂は温泉水を含んでいないとのことだったが、そこにも入って眼前の紅葉に見惚れた。湯に身を沈め、体を伸ばして極楽気分――そんな快楽をもたらすのは湯の温みと成分のせいばかりではない。町の雰囲気もある。

 

 湯の町はかつて歓楽の地だった。夢千代のような芸妓が大勢いて艶っぽい空気を漂わせていたところも多い。高度成長期にはサラリーマンの懇親旅行先となって、雀卓の音が深夜まで鳴り響いた。そしてバブル期、レジャースポットの一つとして認識されたように思う。

 

 僕は最近、ケーブルテレビ経由で年代ものの2時間ミステリー(2H)を観ていて、思わぬ発見をした。地上波キー局で1980年代に混浴シーンを売りものにする2Hシリーズが始まったという史実だ。定番は、露天風呂でグループ旅行の「女子大生」や「OL」が上半身を曝し、じゃれあうように湯をぱちゃぱちゃと掛けあう、という場面。ロケ先は名湯の地ばかりなのに、旅の情緒は感じられない。まさにバブリーなバカ騒ぎ。

 

 ところが温泉地は今ふたたび、湯そのものの恩恵に自らの存在理由を見いだしつつある。僕がここ数年、会社勤めを離れた身軽さで平日の小旅行を重ねて感じるのは、バカ騒ぎの気配が消えたということだ。そういう宿を選り好みしているということもあるかもしれないが、同宿の人々には年配の夫婦、家族連れ、友人仲間が多い。考えてみれば、湯の町は歓楽地であると同時に保養地でもあったのだ。古来、湯治場という言葉もあるではないか。

 

 さて、この秋に僕が夫婦で小旅行したのは上州伊香保。山の北斜面に目抜き通りの石段街が延びていて、階段沿いにあるのぞき窓からは地中の温泉水も見てとれる。文字通りの湯の町。その湯治場としての自負を実感したのは、宿に入る前に町歩きをしていて徳冨蘆花記念文学館にふらりと入ったときのことだ。明治大正期の作家蘆花は1927(昭和2)年に病で没したが、その終焉の場所となった旅館の離れの様子が建物ごと再現されている。

 

 館の見学で思い知ったのは、蘆花が伊香保をどれだけ愛していたかということだ。定宿を決めて生涯に10回も逗留した。なかでも劇的なのは最後の1回だ。館内放映のビデオに収録された旅館関係者の証言によると、主治医が病状を診て止めたのに、言うことを聞かず看護陣を引き連れてやって来た。しかも、どうしてもひと風呂浴びたいと言い張る。周りの人々は彼を籐椅子に座らせたまま湯船に入れたという。その入浴の写真が残っている。

 

 僕の温泉小旅行も、蘆花と同様に歓楽でなく保養志向だ。ただ蘆花にあって僕にないのは、ゆったり感だ。彼の逗留記録では1〜2カ月の滞在は当たり前。こちらは20時間で数回、浴場に出たり入ったりする慌ただしさだ。温泉客の滞在様式も変わってしまった。

 

 もうひとつ言い添えたいのは、重病の蘆花を迎え入れ、わがままな求めにまで応じた旅館主人の寛容だ。もちろん、大作家に対する敬意や、定宿に選ばれたことへの誇りもあったのだろう。だが、それだけではあるまい。あのころ、温泉地の老舗旅館には自らが文化人を応援しているという自覚があったのではないか。それは、近年の町おこしにも通じるが、ただの観光振興とは異なる。経済効果抜きの社会参加の視野をもっていたように思う。

 

 で、今週は『伊香保殺人事件』(内田康夫著、講談社文庫)。浅見光彦ミステリーの一冊で、1990年の作品。浅見ものは2Hドラマの旅情シリーズとしては、西村京太郎の十津川警部と並ぶ人気企画で、複数の民放局が手がけ、それぞれ回を重ねている。当欄では僕が一昨年に鬼怒川温泉郷の湯西川温泉へ出かけたとき、十津川に登場してもらった(2014年10月31日「2時間ドラマの旅で考える鉄道論」)。だから、今回は浅見の番だ。

 

 はじめにことわっておくと、今回はこの本を読みながら列車に揺られ、旅を続けた。その結果、いつになく作品世界にどっぷり浸ることができた。おもしろかったのは、新幹線を高崎で降りて上越線に乗り換えたころ、作中の浅見が地元刑事とともに高崎市内へ聞き込みに入ったことだ。車窓を飛び去る町の景色の一点に、ミステリーの主役が立ち現れたかのよう。その一瞬、リアルな時間軸とフィクショナルな時間軸が交差したのである。

 

 目的地に着くころには半分ほどを読み終えていたので、この本は観光ガイドブックの役割も果たしてくれた。たとえば、石段街の描写は「町を見下ろす伊香保神社下からまっすぐ御関所(おせきしょ)まで、三百六十段、およそ三百メートル」とデータ入り。前述ののぞき窓についても「石段の三ヵ所に『こ満口=まぐち(小間口)』とよばれる分湯口があって、その一つはガラス張りで中が見られるようになっている」と書き込まれている。

 

 ミステリーの筋も、今回の旅で歩きまわったところと重なりあっている。小説では、伊香保の街区と物聞山を結ぶロープウェイの山上の駅近く、北関東の山並みをひと目で見わたせる見晴らし台のそばで第二の事件が発覚する。転落死亡事故だが、犯罪の匂いが漂っていた。僕自身もロープウェイで山へあがり、眺めを楽しんだ後、色づいた木々を愛でながら下りてくるという散策をしたので、現場はあのあたりだな、と思い浮かべることができる。

 

 浅見ものには、旅先に必ずヒロインがいる。この作品では、土産物店の娘で日本舞踊が得意な三之宮由佳だ。東京の学校で美術を学んだ後、地元へ戻って竹久夢二の記念館に勤めているという設定になっている。僕も今回、竹久夢二伊香保記念館を見学した。オルゴールの演奏が売りもの。作中にもその場面が出てくるから、ここをモデルとしているのだろう。由佳は館内でどんな仕事に就いていたのか……また、現実と虚構とが絡まった。

 

 浅見2Hの定番は「浅見刑事局長ドノの弟君」。地元刑事は当初、ルポライターが本職の光彦にいたって冷淡だが、兄の陽一郎が警察庁の幹部と知って態度を一変させるというギャグだ。この小説でも、それに相当するくだりがある。署長が部下をたしなめて言う。「きみねえ、気がつきそうなもんじゃないか、浅見さんといったら、警察庁刑事局長の名前だってことぐらいさ」。職位上下の違いでオロオロする官僚社会への皮肉にはなっている。

 

 例によって、小説の筋を追うことは控える。ただ、冒頭の一文は引用しておこう。「新潟(にいがた)の郷里で、一年ぶりの休暇を楽しんでいた須美子(すみこ)が、『これから出発しますので、遅くとも午後四時ごろまでには戻ります』という電話をかけて寄越(よこ)したのは、二月十六日――衆議院議員選挙戦の真っ最中――の朝のことである」。須美子は、賢くてはきはきした浅見家のお手伝いさん。光彦にほのかに心を寄せるキャラである。

 

 その須美子が帰省先から車で戻る途中、トラブルに巻き込まれて地元警察へ連行されることで、ミステリーの歯車が動きだす。それにしても痛感するのは、浅見家の優雅な暮らしぶりだ。光彦の兄だけではなく、この作品には出てこない亡父も高級官僚。母や長兄夫婦ら一族が同居していて、家事は地方出身で住み込みの未婚女性が手伝っている。もはや化石と言えそうな官僚エリートの貴族的な生活様式が、ここには生き残っているのである。

 

 唐突だが、僕の発見をもう一つ書いておこう。この作品を因数分解すると、松本清張と山村美紗が見えてくるということだ。一つの事件の背後では、新興のクレジット金融業者や開発志向の建設業者がうごめいていて政治家につながっている。もう一つの事件には、日本舞踊の流派がかかわっていて次期家元の座をめぐる争いが見え隠れする。ちなみに由佳に目をかけているのが現家元だ。前者は清張世界、後者は美紗世界に近いと言えよう。

 

 これは、浅見光彦シリーズ全般の強みと言えるかもしれない。浅見家は、山村美紗ミステリーの主舞台とは異なって東京にあり、一家の大黒柱は官庁街に通っている。松本清張ミステリーが好んでとりあげる権力欲と金銭欲の時空はすぐそばだ。その一方で、光彦は風来坊のように漂流して全国津々浦々の風土や伝説に触れ、情念の時空に足を突っ込んでいる。リアリズムとロマンティシズムの共住。恐るべし、浅見ファミリー。

(執筆撮影・尾関章、通算343回)

 

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