『八月や六日九日十五日』(小林良作著、「鴻」発行所出版局)

写真》来年の8月

 コスモスよ何処に隠したビッグバン(寛太無)

 10月の句会に出した拙句だ。コスモスは、秋桜とも呼ばれる草花の名であると同時に宇宙も意味する。涼やかな透明感があって可憐なたたずまい。それなのに時空のすべてを内に秘めているのだとしたら、なんと不思議なことだろう。宇宙誕生の大爆発、ビッグバンの灼熱をどこにどのように隠しているのか。そんな思いを込めて詠んだ。

 

 ただ、投句はためらった。似た詩句があるのではないかと心配になってきたからだ。ネットで検索をかけたが、それらしいものは出てこない。コスモスの花で宇宙を思う人はいても、ビッグバンに結びつけるのは科学記者出身の僕ぐらいか。そう思い直して提出した。

 

 著作権などの知的財産権に神経を使わざるを得ない時代だ。僕は去年、東京五輪・パラリンピックのエンブレム騒動があったときに「五輪『盗用』騒ぎで思う『いい歌は似てくる』」という一文を書いた(WEBRONZA2015年8月15日付=後段は有料)。すっきりしたデザイン、口ずさみたくなる歌を求めるなら、著作権にもうちょっと寛容であってもよいのではないか。そう考えての論考だった。そこでは俳句のこともとりあげた。

 

 要旨はこうだ。俳句の17音の並べ方がどれだけあるかと言えば、100を超える数の17乗になる。日本語には、仮名1文字が表す音やその濁音、半濁音のほかに「きゃ」「きゅ」「きぇ」「きょ」「ぎゃ」「ぎゅ」「ぎぇ」「ぎょ」……といった拗音があり、音の選択肢は100通りを上回るからだ。だが日本語として成立していて、味わいがあり、季語も含むとなると「選択の幅はいっぺんに狭まってくる」。無限の自由度があるとは到底言えない。

 

 だから、俳句の世界には似た作品が少なくない。いわゆる類似句である。ただ斯界の内情に疎いからかもしれないが、そのわりに盗作騒ぎとか、著作権紛争のような話をあまり聞かない。理由の一つには、俳句人口のかなりの割合が職業俳人でないことがありそうだ。きっと、句づくりを趣味道楽と割り切って知財に固執しない人も多いのだろう。もしかしたらこの芸術領域には、知財に寛容に向きあう文化の芽が潜んでいるのかもしれない。

 

 で、今週は『八月や六日九日十五日』(小林良作著、「鴻」発行所出版局)。扉には「俳句探偵 小林良作 衝撃レポート」とある。俳句雑誌「鴻」2016年1〜5月号の連載をもとにしているという。僕は、この本の刊行を朝日新聞デジタル版で知った。

 

 戦後の日本で8月は鎮魂の月だ。当欄でも、新聞記者の習性に触れて「8月に入ると、6、9、15という数列がさっと頭に浮かぶ。広島と長崎の被爆、そして終戦。この飛び石にタイミングを合わせ、1945年の夏をなぞるように『戦争もの』の記事を出す」(2014年8月8日付「『戦後』を語って戦争を知るという話」)と書いたことがある。今は、それに12日にあった日航ジャンボ機事故の記憶も重なる。だから、書名に吸い込まれたのだ。

 

 著者は1944年、東京生まれ。略歴欄には俳句活動歴のみが記されている。いわゆる結社のメンバーなので、僕のような半端な俳句好きとは次元が異なる。とはいえ、朝日新聞記事には「元法務省職員」とあった。硬い職業のかたわら、軟らかな世界を膨らませてきたのだろう。この本にはパラパラ動画の仕掛けもあって、頁をめくると探偵姿の人物が帽子を飛ばして驚く様子が見てとれる。別掲写真から推察すると、著者自身が扮装しているらしい。

 

 本文は、著者が「先行句」の謎を追って旅に出るという探偵小説仕立てのノンフィクションである。先行句とは、類似句があったときに先に発表されていたほうを指して言う用語らしい。冒頭は、著者自身が2014年初夏に「八月の六日九日十五日」という一句を「鴻」俳句会の大会に出したときの話。まもなく「選考委員から貴兄の句には先行句があるとの指摘があった」と通告される。「びっくりした。もちろん筆者の投句は取り消しとした」

 

 やがて大会事務局から送られてきた資料などで、永六輔さんが新聞への寄稿で一度ならず「八月は六日九日十五日」という句を紹介していることを知る。「詠み人不詳」と書き添えてあるものもあった。上の句の「の」と「は」が違うだけだ。「日本人として忘れることのできないあの八月の思い」を「どなたが、いつ詠まれたのであろうか」。先行句に気押されるのではなく、逆にこう問い返したところに著者の好奇心のたくましさをみる。

 

 著者の探偵活動は、永さんの記事を載せた新聞社にあたるところから始まる。「不詳」の事情を尋ねたのだ。「メディアの記事には相応のスタッフが動いて検証しているはずであろうから、何らかの情報を把握しているかもしれない」と考えたからだが、有益な答えは得られなかったという。「新聞社は読者側からのこうした個別の照会には対応しないのが普通なのかもしれない」と諦める。この社は僕の古巣ではないが、同業の徒として耳に痛い。

 

 結局、頼りになるのは自分自身だった。「予断を挟まず、インターネット等によりでき得る限り広範に検索し、関係する俳句団体等に問い合わせ、図書館に足を運んだ」。問い合わせと図書館通いは昔ながらの「足で稼げ」流だが、今はここにネットの援護がある。

 

 それでわかったことは、これまでに10人ほどが似た句を詠み、それらを紹介したり、批評したりした人もほぼ同数いるという事実だ。八月」の後は「や」が多く、「の」が続き、「は」や「尽」もある。「尽」は「みそか」を意味するから、この句は月末の感慨を詠み込んだのだろう。日にちの間に「・」を入れた句も散見された。これらのなかで最先行句と判定されたのが、諫見勝則という詠み手の「八月や六日九日十五日」である。

 

 著者は、その句碑が大分県宇佐市にあることをネットで知って現地に赴く。取材を通じて、諫見さんが広島県尾道市の開業医だったことも突きとめる。残念なことに直前に亡くなっていたが、医院を継ぐ子息康弘さんと文通が始まった。句は1992年に製薬会社情報誌の俳句欄で特選となっていた。康弘さんが父から聞いた話では「ある年の八月、診察室の前に掛けていたカレンダーを〈ある想い〉で見つめていた時に、ふっと出てきた言葉」という。

 

 著者の探偵魂は、ここで終わらない。尾道を訪ね、家族に会い、資料を借りて作句の思いに迫ろうとする。わかったのは、諫見さんが終戦当時、広島県江田島の海軍兵学校生だったことだ。6日の原爆投下時は熱力学の授業中。「突如稲光のような閃光と窓ガラスが割れるような振動の後、広島上空にそそり立った原子雲」と後年、県医師会の機関紙に記していた。そして15日には練兵場に並び、校長を通じて終戦を告げられたという。

 

 では9日はどうなのか。諫見さんは実は長崎県諫早市の出身。1945年秋の兵学校閉校で帰郷、翌春に長崎医科大学(現長崎大学医学部)に入る。「在学中に原爆の凄まじい爪跡――物理的な惨状以上に、人々の心身の苦しみや深刻な苦悩――に直面したに違いなく、それが青年諫見氏の胸に深く刻まれたことは想像に難くない」と、著者は書く。カレンダーの6、9、15の数字の一つずつが強烈なイメージを呼び起こしていたのだろう。

 

 僕が想像するのは、日本中の多くの人がそれぞれの思いで8月のカレンダーを眺めており、そのことが類似句を多発させているらしいということだ。この本は、「Himagine雑記」というブログを紹介する。筆者Himagineさんも「八月や…」を思いついたが、先行句を知って投句を控えたという。そこに書かれた「互いに詩心が共有できたようでうれしくもある」のひと言に、著者は共感する。それこそが先行句探しの「動機の一つ」と打ち明ける。

 

 著者は、「およそ俳句作家をして自然な形で生じる類想句はあるとしても、意識した盗作などはあり得ない」と同好の友に信頼を寄せる。高名な俳人が講演で「八月や…」をとりあげたことに触れたくだりでは、「作者が多いなと感心した」という発言に賛意を表して、そこに「懐の深さ」を見ようとする。他者に広い心で向きあう。これは今の世の中でもっとも欠けているものだ。この寛容を俳句だけにとどめておく手はない。最後に拙句――。

 

 句心でもう一度見る古ごよみ(寛太無)

(執筆撮影・尾関章、通算346回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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