『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント』

(太田省一著、光文社新書)

写真》SMAPは何の略?

 暮れのあの騒動はなんだったのだろう。SMAP解散をめぐる報道ラッシュである。紅白歌合戦に出るのか出ないのか。そんな芸能ネタにとどまらなかった。ファンたちが朝日新聞の広告面8ページに“We Love SMAP Forever”などのメッセージを載せ、それがまた話題のタネとなった。年明けに別の音楽ユニット、いきものがかりの活動中止がさらっと報じられたが、あのくらいが適量ではなかったか。僕などはつい、そう思ってしまう。

 

 実際のところ僕たち60歳超世代にとって、SMAPはさほど身近な存在でなかったとも言えよう。ジャーナリストを名乗る者としては自慢にならないが、僕はグループの活動拠点となったテレビ番組「SMAP×SMAP」(フジ系列)を一度もまともに観ていない。調理場のセットが出てくる場面をちらっと見たくらいだ。彼らが世に出た1990年代は、僕たちがちょうど働き盛りのころだった。そのことも影響しているのだろう。

 

 気になる存在ではあった。たとえば、あの名前はなんだろう、と思っていた。芸能界のグループ名はふつう意味をもつ。ダークダックスがそう、ザ・ピーナッツもそう、嵐もそう、AKB48だって秋葉原が透けて見える。命名はイメージ戦略の一つだ。では、SMAPは? “Sports Music Assemble People”の頭文字からとったというのは、今回初めて知った。気にはなるがネット検索もかけないでいる。そんな距離感が僕にはあった。

 

 ではなぜ、気になったのか。それは、数少ないSMAP体験のなかに印象深いことがあるからだ。たとえば、メンバーの木村拓哉がテレビドラマに出たとき、台詞の語尾に「……でしょ」が多かったのは新鮮だった。あれは、2000年放映の「Beautiful Life――ふたりでいた日々」(TBS系列、北川悦吏子脚本)だったと思う。相手役は常盤貴子。「だろ」ではなく「でしょ」。それが、男女の立ち位置を水平に感じさせたのである。

 

 この言葉づかいは、たぶん脚本通りなのだろう。あるいは、制作陣の意向だったのかもしれない。ただどちらにしても、脚本家や制作陣は「だろ」よりも「でしょ」のほうがキムタクに似合うと感じたに違いない、と僕には思われた。ここにこそ、SMAP解散があれほどの衝撃をもたらしたことの理由が潜んでいるのではないか。フェミニズムのような時代精神を自然に体現する青年群像――その退場を彼らの同世代は惜しんだのである。

 

 で、今週の1冊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント』(太田省一著、光文社新書)。著者は1960年生まれ、社会学が専門で、戦後日本のテレビ文化に焦点を当て著述活動をしている。当欄の前身で『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)という著書を紹介したこともある(文理悠々2013年12月24日付「『紅白』改造計画を練ろう」)。今回のSMAP本は、きわめてタイムリーに2016年12月に出た。

 

 ここで、書名に「平成ニッポン」、帯の惹句に「平成史は、SMAP史である」とあることにも目をとめておこう。結成が昭和末期の1988年だったこと、解散の2016年末には天皇の退位や改元が取りざたされるようになっていたことを思うと、彼らは平成の申し子のように見える。現に、ほかにもSMAPをこの元号と結びつけた新刊書が出ている。彼らが発信した時代精神は、平成の空気と言い換えてもよいかもしれない。

 

 興味深いのは、昭和の終わり、平成の始まりという区切りがテレビ文化の転換期と同期していることだ。1989〜90年に「ザ・ベストテン」(TBS系列)、「歌のトップテン」(日本テレビ系列)、「夜のヒットスタジオSUPER」(フジ系列)といった歌番組が次々に看板を下ろした。歌謡曲の時代の終焉である。それに代わって台頭したのが、バラエティ番組だ。SMAPはそこに活路を見いだし、見事に成功したと言えるだろう。

 

 著者によれば、SMAPの楽曲群で平成色がにじむのは、1994年の「がんばりましょう」(小倉めぐみ作詞)からだ。そのころ僕は海外にいたので思いだせないのだが、「かっこいいゴール」のひと言があるという。前年のJリーグ発足に呼応しているようで同時代的だ。そのあとゴールの陶酔は一瞬に過ぎないと達観する歌詞がつづき、「血圧」「寝グセ」といった「かっこいい」とは無縁の言葉が出てくる。昭和の青春とはどこか違う。

 

 たしかにこの歌には「醒(さ)めた視線」がある。だがそれでも、喪失感のどん底にいる人々を励ます「応援ソング」となった。SMAPは1995年の阪神・淡路大震災のときも2011年の東日本大震災のときも、直後のテレビ番組でこれを選んで歌ったという。

 

 ここでも気づくのは、楽曲名の語尾「ましょう」だ。歌詞をみても、いつかもう一度幸せになろうと呼びかけるところが「なりましょう」となっている。これは、キムタクドラマの「でしょ」と同じではないか。あの台詞が喚起したのは男女の水平感だった。こちらは歌う人と聴く人の間の水平感だ。昭和の青春ドラマで「がんばろう」「幸せはつかみとるものだ」と檄を飛ばす熱血先生とはまったく違って、この歌から上から目線は感じとれない。

 

 SMAPの5人は団塊ジュニア世代とほぼ重なる。同年代人口が膨らんで競争が激しいのに、就職期にバブル崩壊の直撃を受けた。正社員雇用は狭き門で、非正規に甘んじても職を探すしかない。この社会状況は奇しくも芸能界事情と重なる。アイドルは新曲を出しつづけていれば安泰、とはいかなくなったのである。彼らも、新しい職場を見つけなくてはならなかった。だからこそ同世代の若者と同じ地平に立てたのではないだろうか。

 

 その職場となった番組「SMAP×SMAP」についての分析もある。歌とコントを織り交ぜた組み立てで、「夢であいましょう」(NHK)、「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系列)以来の「バラエティの王道」を踏襲しているが、同時にSMAPメンバーが「素」の姿を露わにする「ドキュメンタリー性」も具えていた、という。例に挙がるのは、メンバーが不祥事を起こして活動を自粛したとき、謝罪して復帰する場に使われたことだ。

 

 そう言えば、SMAPにも幾度か不祥事があった。たとえば、2009年にメンバーの一人が起こした泥酔全裸事件。この本は事件に触れつつも読み解きはしていないが、僕はあの顛末にSMAPと時代との共鳴をみる。夜中の公園で裸になる行為はほめられることではないが、このときは人に大きな危害や損害を与えていない。起訴猶予となったのも納得がいく。だから、世間は復帰を温かく受け入れた。そのこと自体が平成のおとぎ話だった。

 

 平成は、法令順守に突き進んだ時代である。バブルのころなら見えてこなかった不正や怠慢が厳しい経済環境と嘘のつけない電子管理によって露わになり、至るところで責任追及の嵐が吹き荒れている。そんななかで世間が珍しく見せた寛容。それを、僕はあの一件にみる。SMAPは、「しかたないね、これからはちゃんとしろよ」の叱責で済む逸脱の許容幅を身をもって示した。彼らが優等生ではなかったからこそできたことだろう。

 

 この本は、SMAPの「バラバラの個性」についても語っている。メンバーが別々の芸能活動をするだけではない。一緒に歌うときも「それぞれ異なる方向を見つめ歌い上げる構図」をとったりする。これは、僕も感じていたことだ。著者は、そこに「個人と集団の両立」をみる。「『昭和』の日本社会を支えてきた既存の集団の崩壊現象」を目の当たりにした人々には、バラバラと一緒を両立させる姿が「理想のコミュニティ」に見えただろうという。

 

 この本は、「公共」の一語も木村拓哉のエッセイ集『開放区』(集英社)から引いている。「“キムタク”って、どうやら公共物らしい」。それは「誰でも入れるし、誰でも出ていける、これといった建造物のない、がらんとした公園」のイメージだという。至言ではないか。「既存の集団」がもはや頼りにならず、一人ひとりがばらけて生きることを強いられた世代が、ようやく見いだした公共の空間。それが、SMAPのいる世界だった。

 

 最後に、SMAP騒動に冷淡だったことに対する自省。こんなにも同時代性を具えた偶像の存在にそれが退場してから気づく。年をとり隠居するとは、こういうことかもしれない。

(執筆撮影・尾関章、通算353回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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