『パンドラの匣』(太宰治著、文春文庫『斜陽・パンドラの匣』所収)

 本降りの一歩手前か桜桃忌(寛太無)
 先日の句会で、わりといい点をもらった拙句である。僕が入っている会では、投句3句のうち1句には兼題の季語を、もう1句には兼題の文字を入れこまなくてはいけない決まりになっている。その文字が、今回は「本」だった。蛇足だが、寛太無は僕の俳号でquantumの意。量子力学の量子である。
 
 6月19日は、太宰治の桜桃忌。この日、東京西郊三鷹の禅林寺の墓前に集まる人々の映像は僕の脳裏にしっかり焼きついている。1960年代には東京ローカルニュースの定番アイテムだった。おおむね梅雨のど真ん中。たいてい人々の手には傘があった。辛うじて墓参はできる。だが、いつ本降りに変わるかもしれない。そんな不安定な空模様は、太宰作品を読んでいて胸をよぎる心のざわつきにも似ている。
 
 俳句の世界では、著名人の命日が季語になる。正岡子規は9月19日に没したので、その忌日「糸瓜(へちま)忌」は秋、という具合だ。ふつう、人は死ぬ日を選べない。だから、忌日による季節が、本人のイメージに照らしてピンとこないことはありうる。とはいえ、墨東界隈を歩く粋人永井荷風が4月30日で荷風忌は春、地球の物理を究める理系寺田寅彦がジャスト大みそかで寅彦忌は冬、と並べてみると妙に納得してしまう。
 
 太宰の桜桃忌も、同様にぴったりの季語となっている。心中だから日を選べたのではないかというのは、いくらなんでも暴論だ。だれも、忌日の催しやその俳句にまで思いをめぐらせて自ら命を絶ったりはしないだろう。これは、偶然としか言いようがない。ちなみに1948年6月19日は厳密には死亡当日ではない。入水した玉川上水で遺体が発見された日であり、奇しくも彼の誕生日である。
 
 では、太宰にふさわしいのが6月の雨模様だけなのかというと、そうとは言えない。幾度となく自殺未遂を繰り返したのだから「本降りの一歩手前」の危うさを心に宿していたことは否めない。だが、『走れメロス』や『富嶽百景』からは明朗快活な精神も感じとれる。
 
 で、今週は『パンドラの匣』(太宰治著、文春文庫『斜陽・パンドラの匣』所収)。書名には、「太宰治映画化原作コレクション1」というシリーズの表示が添えられている。この本を、僕は中古本ショップで手に入れ、読んだことのある『斜陽』をスキップして未読の『パンドラ……』に食いついた。これも明るい。見事なほどの青春小説である。2009年に冨永昌敬監督の手で映画化され、作家川上未映子が出演したらしい。
 
 あえて言うなら、この作品は梅雨空に時折のぞく青空か。それには理由がある。1945年秋から翌46年初頭にかけて、東北地方のブロック紙「河北新報」に載った連載小説だからだ。戦争の雨雲が途切れて、ふっと現れた陽だまりのように思える。
 
 「バンドラの匣(はこ)」という言葉はギリシャ神話に由来する。プロメテウスの弟エピメテウスは妻パンドラにねだられて、開けてはいけない匣を開けてしまう。すると、人を絶望へと追いやるありとあらゆる悪しきことが飛び出してくるが、匣の隅っこに「希望」が残っていたという。これは、終戦直後の日本社会に一脈通じる。人々は絶望のどん底に突き落とされながらも、キラリと光る希望を見いだしたような心境にあったのだろう。
 
 主人公は、「『健康道場』と称する或(あ)る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子」(冒頭「作者の言葉」)。道場では「ひばり」というあだ名で呼ばれている。旧制中学を出て肺を病み、8・15の前夜に血を吐いて療養生活に入った。ただ、「六箇月で全快」と言われている。そのせいか、作品は療養所文学でありながら軽快だ。堀辰雄の『風立ちぬ』などとは違う。見えてくるのは、戦争で病んだ日本社会が健康を取り戻す回復過程だ。
 
 小説本文は、ひばりが友人に送った一連の手紙から成る。日記ではないので本心の披歴とは言い切れず、書き手の内心を読みとるおもしろさがある。返信の文面はすべて省かれているが、再返信でひばりが綴る言葉から、友人がどう反応してきたのかも想像できる。そんな仕掛けに乗せられて、僕たちは「道場」という小宇宙にずんずん引き込まれていく。つくづく、太宰は巧い作家だと思う。
 
 ひばりは友人に向けて、こんなことを書いている。「古い気取りはよそうじゃないか」「本当にもうこれからは、やたらに人を非国民あつかいにして責めつけるような気取ったものの言い方などはやめにしましょう」「新造の船は、もう既に海洋にすべり出ているのだ」――そして、手紙に幾度となく出てくるのが「あたらしい男」「新しい男」という言葉である。「戦争の苦悩を通過した新しい『女らしさ』」というフレーズもある。
 
 そう。この作品が焦点を当てるのは男と女のありようだ。だがそれは、恋愛小説のパターンではない。患者と看護師――「道場」用語で言えば「塾生」と「助手」――という職業倫理の壁に隔てられた関係を題材に、それを乗り越える熱愛を紡ぎだすのではなく、むしろ距離感を残したまま描くということを、作者はやってのけた。ここが、今日の男女共同参画の世にしっくりくる新しさを秘めている。
 
 ここで登場する主役級の女性看護師は、竹中静子「竹さん」と三浦正子「マア坊」だ。竹さんは助手のリーダー格で20代半ば。「よく気がきいて、きりきりしゃんと素早く仕事を片づける」「いつも黙って明るく微笑んで愚痴(ぐち)も言わず、つまらぬ世間話など決してしない」。いわばクールビューティー。「ちょっとよそよそしいような、孤独の気品が、塾生たちにとって何よりの魅力になっているのかも知れない」
 
 一方、マア坊は18歳。「なに? なに? と眼をぐんと大きく睜って、どんな話にでも首をつっ込んで来て、たちまち、けたたましく笑い、からだを前こごみにして、おなかをとんとん叩(たた)きながら笑い咽(むせ)んでいる」「美人ではないが、ひどく可愛い」
 
 マア坊がひばりの前で泣いたことがある。本人は理由を明かさないが、騒ぎすぎることを竹さんにたしなめられたらしい。後で竹さんはひばりに言う。関西訛りを交えて「マア坊が泣いたって?」「うち、気がもめる」。職場の摩擦のようでもあり、三角関係のようでもある。
 
 実際、ひばりは二人から好意をもたれているらしい。だが、竹さんがそれをかたちに表して昼のご飯を多めにしてくれると、内心で反発する。「ふだんあんなに利巧そうに涼しく振舞っているだけに、こんな愚行を演じた時には、なおさら目立って、きたならしくなる」
 
 ひばりはマア坊派、友人はまだ見ぬ竹さん派という構図が見えてくるが、ひばりの心情はそれほど単純ではない。塾生の一部から助手の厚化粧を糾弾する声があがり、竹さんが騒ぎを丸く収めると、感動のあまり、「ここには、尊敬するに足る女性がひとりいる」と友人に書く。竹さんは「色気無しに親愛の情を抱かせる」人であり、男女の「信頼と親愛だけの交友」は「あたらしい男だけが味い得るところの天与の美果」だというのだ。
 
 もっとも印象に残るのは、後段で道場を訪ねた友人が土産の英語辞書を竹さんに渡す場面だ。「失礼ですけど、ほうりますよ。これは、ひばりから、たのまれたんです」。赤い表紙の小さな本が宙を舞う。「竹さんは、君の清潔な贈り物を上手(じょうず)に胸に受けとめて」「『おおきに。』と、君に向って、お礼を言ったね。君が何と言ったって、竹さんは、君からの贈り物だという事を知っているのだ」
 
 球技のパス感覚で男女が親愛感情を交わすドライな関係がここにはある。小説の結末はもうちょっとウェットで、それが泣かせどころにもなっているのだが、この作品が旧道徳体制の終焉からわずか数カ月後に書かれたことを思えば致し方ない。翻って2010年代、職場には厳しい職業倫理と人権感覚が広がり、異性が共存する風景は日常のこととなっている。新しい男と新しい女の「信頼と親愛」は今こそ求められているのかもしれない。
 
写真》戦後日本に生まれた僕たちは、パンドラの匣の片隅に残された「希望」だったのか=尾関章撮影
(通算216回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
太宰と聞いて、高校の先生を思い出す――わかる気がします。
理由の一つは、その作品が中学や高校の教科書に出ていたこと。もう一つは、太宰はなんと言っても青春作家だったということではないでしょうか。太宰が死んだのは38歳のとき。この歳では、60超の思いはなかなか書けませんものね。
  • by 尾関章
  • 2014/06/24 11:14 AM
太宰治というと最近あった話を思い出しますね。高校の担任の国語科の先生が太宰治研究の方で4月に級友達(会社社長や役員などをしてる)と会いました。先生は86才。すごく久しぶりです。なので、先生は級友を見ても思い出さない(笑)。でも僕を見て「芸大無理だって言ったけ。しかしピアノ高校から始めてよく入れたなあ…」それを気にしている様子です。文学に詳しくても人生の分かれ道を「かもしれない」と推測し助言をする。それは難しい。★「こうなるかもしれない」と閃き前進出来るのは≪本人のみ≫なのでしょう。僕が提唱する「かもしれない世界」は音大受験目指した中学2年生の時にすでに誕生していたのでした。科学と別の世界の中で。★ということで≪太宰治≫というと高校の担任の先生を思い出すのであります。
  • by コーセイ
  • 2014/06/23 9:09 PM
管理者の承認待ちコメントです。
  • by -
  • 2014/06/23 4:14 PM
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