『ロベスピエールとフランス革命』(J・M・トムソン著、樋口謹一訳、岩波新書)

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 海の向こうで、有権者は今どんなことを考えているのだろうか。米国の話である。新大統領が内に外にお騒がせのタネをまき散らしている。それを増幅するように、指が軽々しくつぶやく癖もある。とはいえ、この人はきちんとした手続きを経て選ばれた人だ。今になって「こんなはずじゃなかった」と後悔しても、簡単に辞めさせることはできない。これが最高権力者を直接投票で選ぶ大統領公選制の短所であり、長所でもあるのだろう。

 

 よその国の話だから、軽々しいことは言えない。ただ、切に願っていることはある。なによりも、人の生命を奪う行為だけは絶対に避けてほしいということだ。僕たちの世代にとって忘れがたい出来事に、1963年に米国からの初の衛星中継で伝えられたジョン・F・ケネディ大統領の暗殺がある。銃弾をもって理性に刃向かう愚行を、人生の開幕期に見せつけられてしまった。同じような惨劇を閉幕期にもう一度見るのはゴメンだ。

 

 幸い、いま米国に広がるのは非暴力の抵抗だ。人々がデモに出る、裁判所がもの申す、メディアも批判する――それぞれがそれぞれの立場でできることをやっている。さすが、民主主義の国。ただ、政権を追い詰めるまでには至っていない。1974年にリチャード・ニクソンが自ら大統領職を辞したときはウォーターゲート事件という疑惑があった。これに対して現大統領の難点は、いわば理想主義の棚上げだ。情に訴えてくるので攻めにくい。

 

 こんなはずじゃなかった――。これは、決して米国だけの話ではない。国民投票で欧州連合(EU)離脱を決めた英国の人々にも、同様の思いはあるだろう。フランスでまもなく始まる大統領選挙でも、似たようなことが起こるかもしれない。共通項は「情」。世間の感情を浮揚力とするポピュリズムが席巻して変化をもたらすが、冷静になって理性に立ち戻ると「賢明ではなかったな」と悔いるような選択が、世界に蔓延しかねない様相だ。

 

 で、ふと思うのは、史上最大の「こんなはずじゃ……」は18世紀末のフランスにあったのではないか、ということだ。フランス革命は人類史の視点で見れば、封建主義と絶対王政を打ち破って近代の市民社会に道を開いた転換点として燦然と輝いている。だが、革命が起こって数年の混迷に着目すれば大きな汚点を残した。市民たちが立ちあがり、人権の旗を掲げたところまではよかったが、そのあとにとんでもない恐怖政治に陥ったのである。

 

 昨今のポピュリズム台頭とフランス革命とを比べて、大きな違いを言えば、前者は最初から最後まで情が支配しているように見えるが、後者は情に理が絡まっていることだ。いやむしろ、理が勝っているとさえ言えよう。人は理想主義に走っても後悔することがある。

 

 今週は、その歴史を振り返って『ロベスピエールとフランス革命』(J・M・トムソン著、樋口謹一訳、岩波新書)。著者は1878年生まれの英国の歴史家。訳者は政治思想史の学究で、翻訳当時は京都大学に在籍していたようだ。原著は1952年、邦訳は55年刊。

 

 この本は書名に人物と事象を並べて、人間と歴史の相互作用を浮かびあがらせている。巻頭「はしがき」で桑原武夫が書いているように、そこからは「人間は歴史の流れに規制されつつ、一方、この流れの速度を何ほどか加減し、またこれを何ほどか変向せしめる力をもつ」という歴史観がみてとれる。著者は、1789年に始まる革命で独裁色をしだいに強めたマクシミリアン・ロベスピエールの個人史を89〜94年の政治史と重ねて描いている。

 

 ロベスピエールは、フランス北部アラス出身の弁護士で、言葉には「なまり」があり、見てくれは「みすぼらしい」。カッコいいとは言い難い男だったらしい。実家は中産階級下層の「プティット・ブルジョワジー」。いわゆるプチブルだ。この階層の人々は、ささやかな土地をもつと苗字の前に「ド」をつけることができた。彼自身も「革命がすべてのフランス人を『市民』(シトワイヤン)にかえてしまうまで、署名にドを書きつづけた」という。

 

 1789年7月に革命が起こる直前、「三部会」の選挙に地元から出馬して当選する。三部会とは175年ぶりに開かれた議会で、「僧族、貴族、平民(第三身分)の三院」があった。彼はもちろん「第三身分」だ。こうして5年間に及ぶ政治家としての生活が始まる。

 

 このころのロベスピエールは、今で言えばリベラルな人権派だった。1791年に立憲議会がつくった憲法が、選挙の有権者を「三日分の賃金にひとしい税をはらう人々」に限ったのには反発したという。「主権は人民のうちに存在し、人民の一人一人によって分ちもたれるのであり、この主権は投票する権利を必然的に含む」という論理だ。宗教面では、僧侶も「人民の選挙」で選び、俸給制にして結婚も認めるべきだ、という立場をとった。

 

 特記すべきは、死刑に対する態度だ。アラスの弁護士時代から、この刑罰に「嫌悪の情」を露わにしていたらしい。1792年の共和政移行後は、王政終結を完了させるために前国王ルイ16世の死を求めたが、93年初めの処刑後は「これ以上死刑はあるべきではない」との考えを表明したという。それなのに彼は、自身の良心や理性よりも「国家理性」を優先させた、と著者はみる。その結果、人権派の志とはまったく逆方向に進みはじめた。

 

 ロベスピエールが率いる勢力は1793年秋、穏健路線ジロンド派の処刑に手をつける。翌94年春には急進路線のエベール派、次いで寛容なダントン派の面々を相次いで刑場に送る。ちなみにジョルジュ・ダントンは、彼が「愛情にとんだ献身的な友」とまで呼んだ盟友である。そして皮肉なことにその夏、彼――ロベスピエール自身が政敵の糾弾に遭って断頭台の露と消えた。処刑の連鎖という愚。そこには、どんな心理が働いていたのか。

 

 著者によれば、ロベスピエールには自分は「過渡期」にいるという認識が強かった。彼には「自由と平等とを平和に楽しむ」という目標があったが、それが達成されるまでに求められるのは「政権の継続」だとして、そのことに気をとられ、革命勢力が人々の権利を「管理」することと「独裁」することの違いについて考える余裕がなかった、という。「恐怖政治」は、彼自身にとって「徳の治世への控えの間であった」との分析もある。

 

 その犠牲になったのは皮肉にも理想だ。フランス革命は今でも色褪せない政策を提起していた。中央集権体制を壊して自治体に分権しようとしたのも、その一つだ。ところが、すぐに集権型に戻そうとする。この逆コースの背景にも過渡期の意識があったのだろう。

 

 「ジャコバン」をめぐる記述も印象に残る。ジャコバン派はロベスピエールが率いるようになった党派で、集会場所の修道院名からこう呼ばれる。急進派のイメージが強いが、もともとは議員や市民が「議会に提出されている諸問題」をとりあげて「あまり公式でない討論」ができる会費制のクラブだった。競争相手の「コルドリエ」などよりもずっと穏健だったらしい。それがロベスピエールとともに恐怖政治の牽引車に様変わりしたのである。

 

 この本で教えられるのは、フランス革命で起こったことが一度では終わらなかったという卓見だ。著者のまとめ方とは若干異なるのだが、僕なりに整理してみると、1830年の7月革命以降のブルジョワ主導王政→共和政→帝政の流れは、1789年の革命勃発から1804年のナポレオン1世皇帝即位までの15年間の焼き直しだ。もし革命政権がもうちょっと寛容であったなら、こんな無駄な繰り返しはなかったようにも思う。

 

 フランス革命の混迷は、僕たちが若かったころに目の当たりにした学生運動のそれと重なって見える。活動家はみな、社会変革をめざしていた。ただ、党派がその実現のために闘うには指導力の「継続」が必要だ。そのことが仲間内の制裁を招いたり、他派への暴力を引き起こしたりした。愚かなことだった。そこにもロベスピエール同様、過渡期意識があったのだろう。(当欄2016年2月12日付「2月の青春、日本社会の縮図」参照)

 

 人生に過渡期はない。人類の理想も不変ではない。バラ色の未来を掲げて同時代人の生を台無しにするのは、将来世代にとってもハタ迷惑なはずだ。僕たちがすべきは現在を慈しみながら、いま信じる理想をめざして世の中をちょっと変えてみることではないか。

(執筆撮影・尾関章、通算362回)

 

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