『電力と国家』(佐高信著、集英社新書)

写真》電力をはかる

 最近の国会中継で気になることが一つある。お役人がよく使う「……してございます」という丁寧表現だ。「そうです」を「そうでございます」と言うのなら、なんの違和感もない。ところが「してございます」となると、とたんに気持悪くなる。「しています」の敬語づかいなら、ふつうは「しております」でよいはずだ。どうして、こんなヘンな丁寧語を用いるのか。そこからは、「とりあえず低姿勢」という霞が関流の慇懃無礼が匂ってくる。

 

 この言葉づかいは、日本政治の二重構造に起因するというのが僕の見方だ。戦後の日本では、政治権力は首相を頂点とする政治家が担っている。だが、現実に政策の立案遂行を仕切っているのは高級官僚のように見える。かつては官僚が政治家を動かして、国の針路を左右するという構図すらあったように思う。官界は政界に比べるとエリート揃いだ。だからこそ、官僚が政治家を操縦するときに求められるのが、不自然なほどの低姿勢なのだろう。

 

 21世紀に入ったころから、官僚の低姿勢には別の意味合いも加わってきた。公務員の倫理規定は強まり、深夜まで働いて電車に揺られて帰る日々。だが、給料はエリートでもそんなに高くない……ようではある。昔なら天下り後の厚遇で過剰労働の元をとるという人生設計もありえたのだろうが、今はそれが通用しない。世間の目は冷ややかになるばかりで、身を守るために低姿勢の度合いがますます強まっていると言ってもよいだろう。

 

 ただ、官僚はしたたかだ。官僚政治の打破は今や政治スローガンの一つになったが、それを言う議員の経歴をみると元官僚だったりする。官僚とは無縁のところから描きだす社会設計を僕たちはもちえないのか。そんな愚痴の一つも言いたくなる。

 

 僕の古巣について言えば、新聞記者には役人とつきあいがある人が多い。朝から役所の一角にある記者クラブに詰めて昼間は庁内を回り、夜は公務員官舎を夜回りする――そんな1日を送っていると、役所の空気に自然となじんでしまうということがあるのだろう。僕は幸いにも、かけだし時代の警察回りや数カ月間の県政担当を除くと、官公庁の記者クラブに常駐する役回りにはならなかった。役所臭さに染まらないという点ではよかったと思う。

 

 で、今週の1冊は『電力と国家』(佐高信著、集英社新書)。もともとは東京電力福島第一原発事故から6年の節目ということで手にとったのだが、読み進むうちに、これは官僚体制批判の書であるとわかった。著者は1945年生まれ。だれもが知る辛口の評論家だ。経済ジャーナリズム出身の人だが、最近はリベラル派の論客としてメディアで活躍している。『週刊金曜日』編集委員の一人でもある。この本は、2011年10月に出た。

 

 前半部で焦点があてられるのは、1938(昭和13)年に成立した電力国家管理法だ。翌年には「日本発送電株式会社(日発)」が発足する。発電、送電、配電のうち前者二つを担う国策企業。「電力会社が築き上げてきた事業をあらかた奪って」の国営化である。著者は、この法律が「『国家総動員法』とともに」「セットにして公布」された点を特記する。当時、日本の国家体制は人々とエネルギーをひとくくりに自らの統制下に置いたのである。

 

 電力国営の絵は、当時の「革新官僚」が描いた。著者は、逓信省出身で内閣調査官だった奥村喜和男の『電力国策の全貌』(1936年)という著書を引用する。奥村は、電力民営の短所として「料金を低廉ならしめ且つ有効適切なる料金政策を実行し難きこと」「国防目的の達成に支障あること」などを挙げる。そして、国営になれば「国家の意思通りに発送電事業を管理し得る」「民間資金の豊富且つ自由なる調達を図り得る」と主張する。

 

 気づくのは社会主義体制との酷似だ。そのころの若手官僚には計画経済への傾倒があった。当欄「岸信介で右寄りのを知る」(2014年10月3日付)で紹介した『絢爛たる醜聞 岸信介伝』(工藤美代子著、幻冬舎文庫)にも、岸が戦前に商工官僚だったころ「ことあるごとに統制経済の重要性と市場経済の行き過ぎを批判していた」という話が出てくる。彼は日本の息がかかる「満州国」の5カ年計画も「ソ連のまね」とみていたようだ。

 

 この潮流を『電力と…』はこう分析する。「世界的な恐慌が吹き荒れた中、資本主義、自由経済の限界、不便さをどの国も痛感しており、一九三〇年〜四〇年代は、私益を否定し公益ならぬ国益を優先する『統制経済』こそが、国の未来を切り開く最良の手段として認知されていた」。米国のニューディール政策も同様だという。これを読むと、日本では「公益ならぬ国益」の様相が際立っていたように思える。それが国家主義を暴走させたのである。

 

 この本が敬意をもってとりあげるのは、その電力国営論と対峙した二人の経済人だ。「電力の鬼」と言われた松永安左エ門と、後に東京電力社長となる木川田一隆。松永は1875(明治8)年、長崎県生まれ。慶應義塾に学び、福沢諭吉翁から直接の薫陶を受けた。翁の「『民』と『野』の伸長」を重んじる教えに従って、官僚嫌いになる。木川田は大正末期、松永と競争関系にある電力会社に入るが、戦後は行動をともにするようになる。

 

 松永の電力人生は明治末期に始まる。九州北部で水力発電や路面電車の事業にかかわった。その後、名古屋以西を営業域とする電力会社を設立、関東にも子会社をつくって既存大手と争う。この首都圏商戦は昭和初期に両社が合流して収まるが、次いで電力国営化との闘いが始まった。民間企業の活動を引きはがすことを「法的に不合理」と訴えていたことが当時の出版物に記されているが、抵抗むなしく敗れ、隠棲生活に入ったという。

 

 第二幕は戦後の反国営論だ。この本によれば、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は「産業支配の分散」をめざして日発解体を求めるが、日本側は「全国一社」「国策としての電力事業」にこだわる勢力が強かった。ここで松永が提唱したのが、全国9分割の私案だ。1949(昭和24)年、東京・銀座に「銀座電力局」とも呼ばれる個人事務所を構えて「民の自由精神を奪った体制へのリベンジ」に乗りだした。木川田も銀座局の常連となる。

 

 翌50(昭和25)年、GHQは松永私案を受け入れて政府にその実施を命じる。銀座局の働きかけが功を奏したのだ。ここで着目したいのは、私案が電力会社の「発送電併業」を前提としていたことだ。GHQの当初案は地域分割のみならず、発電と送電も分ける構想を盛り込んでいたが、そこは松永に譲ったのである。福島第一原発の事故後、電力自由化の声が高まったとき、しきりと言われた発送電分離の芽は、実はここにもあったのである。

 

 この本は、3・11の半年後に刊行された。日本の電力を原発漬けにした愚を追及する姿勢は強く感じられる。だが、その責めは単純には官僚体制に負わせにくい。国策はあったが、現に原発建設に邁進したのは電力会社だ。木川田はもともと原子力を「悪魔のような代物」と嫌っていたようだが、「原子力発電の主導権」を官に渡さないとの一念から東電経営陣の一人として郷里福島県への原発立地を進めたという。その経緯の記述もこの本にはある。

 

 ただ、ここから先は僕の意見だが、日本列島が原発だらけになった背景には、やはり官僚の存在があると思う。その影響力を増幅したのは科学ジャーナリズムではなかったか。自省を込めて、そう言いたい。科学記者は本来、科学全般を見わたして論評力を高めるべきなのに、科学技術庁が力を注ぐ原子力の開発に目を奪われるばかりだった。戦後しばらくは今ほど技術のリスクが問われなかったので、それらを無批判に報道してしまったのだろう。

 

 この本で、著者は松永・木川田の民営論に大いに共感している。週刊金曜日の編集委員と言えば、左派で私企業は大嫌いだろうと思うが、彼はそうではない。そこにあるのは反統制の公共重視だ。たとえば、歴史学者網野善彦の言だという「領海の外に公海がある」を引いて、「公」は国家の外にあるので「国家イコール公ではない」という。そのうえで「電力会社がパブリックを念頭において行動しているとは、とても思えない」と批判している。

 

 佐高信という人の立ち位置を知って思うのは、右に資本主義、左に社会主義を置いて政治を論ずることのばかばかしさだ。いま必要なのは、まず自由であり、私的自由を分かちあいながら公、即ちパブリックの幸福を追求する人々がふえることではないだろうか。

(執筆撮影・尾関章、通算363回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
《「私的自由」と「公の幸福」は対立概念のようにも思えます》(虫さん)
と同時に、「公の幸福」のなかに「私的自由」が含まれていることがわかったのが20世紀末期にソ連、東欧で起こった社会主義独裁体制の崩壊だった、ということも言えますね。
  • by 尾関章
  • 2017/04/15 9:26 AM
尾関さん

「私的自由」と「公の幸福」は対立概念のようにも思えます。公の幸福、つまり、他者の幸福のために私的自由を自発的にどこまで制限できるか。結局は一人ひとりがどこまで成熟した個人として振舞えるかがポイントのように思います。
  • by 虫
  • 2017/04/13 4:06 PM
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