『ゲノム編集とは何か――「DNAのメス」クリスパーの衝撃』

(小林雅一著、講談社現代新書)

写真》配列の編集

 木曽川が日本ラインと呼ばれる辺りに愛知県犬山市がある。国宝犬山城では天守閣がいにしえの姿を残している。犬山モンキーセンターや京都大学の霊長類研究所があってサル類に親しむ町でもある。だが、それだけではない。「犬山宣言」をご存じですか?

 

 1990年、この地で国際医学団体協議会(CIOMS)の国際会議が開かれた。テーマは「遺伝子」「倫理」「人間の価値」。そこで採択されたのが犬山宣言だ。ヒトゲノム(人の全遺伝情報)解読の本格始動に先だって、遺伝子を扱う医療の方向性を関連学界が示した。僕は記者として犬山に赴いたものの、百家争鳴の論争を科学面にまとめるくらいの心積もりだった。ところが配られた宣言を見て、これは第1面のニュースだと直感する。

 

 このときのバタバタは、拙著『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)に書いた。「ノートに走り書きした原稿を電話で『吹き込む』という昔ながらの送稿をしたように思う」とある。「吹き込む」とは、字解きしながら読みあげることだ。こうして記事は1面に出た。宣言は「遺伝子治療を容認」したが、当面は「生殖細胞除外」などを条件に挙げている、という内容だった(朝日新聞1990年7月28日朝刊)。

 

 こんな思い出に浸ったのも、最近耳にする「ゲノム編集」の議論に犬山宣言の方向性が見てとれるからだ。この技術は、遺伝子の操作を旧来の組み換えよりも効率的にやってのける。その研究をどう進め、どう規制すべきかを考えるときにも「生殖細胞」が別扱いされている。人の細胞を二分して、臓器や組織に分化した体細胞と精子や卵子などの生殖細胞の間に一線を引く思想である。違いは、改変遺伝子が後続世代に受け継がれるかどうかにある。

 

 政府の総合科学技術・イノベーション会議生命倫理専門調査会が昨春公表した「ヒト受精胚へのゲノム編集技術を用いる研究」をめぐる「中間まとめ」がそうだ。そもそも調査会は、ゲノム編集について「ヒト受精胚への適用に限って、現時点での考え方の整理を行う」としている。その理由らしき記述も見つかる。「ヒト受精胚」に使えば「適用を受けた世代のみならず、次世代以降にも影響を与える可能性がある」と書いているのだ。

 

 受精胚は、生物学の厳密な定義では生殖細胞ではない。だが、精子や卵子も受精胚から分化するので、そのゲノム編集は子孫への影響が心配される。だから、この問題では生殖細胞扱いされることになる。犬山宣言に倣って、安易に容認できないという考え方が出てくる。

 

 で今週は、その新技術について。『ゲノム編集とは何か――「DNAのメス」クリスパーの衝撃』(小林雅一著、講談社現代新書)。去年8月に出た本だ。著者は1963年生まれ、東京大学で物理学を学び、日米のメディアなどで働いた後、通信大手の研究所に移ったという多彩な経歴の持ち主。その強みが、この本では存分に発揮されている。生命技術の最先端を、クラウドなど情報技術(IT)とも結びつけて活写しているのである。

 

 この本が焦点をあてるのは、ゲノム編集のなかでも「クリスパー・キャス9」、略称「クリスパー」という技術だ。「2012年頃、欧米の大学や研究機関を中心に開発された」ので、登場からまだ日が浅い。まず教えられるのは、従来の遺伝子組み換えとの違いだ。従来方式は「ほとんど偶然(運)に頼ったような確率的手法」だが、クリスパーなら「DNA上の狙った遺伝子をピンポイントで切断したり、改変することができる」としている。

 

 従来方式はどうして「確率的」なのか。遺伝子組み換えは1970年代前半に開発されて以来、DNAをハサミ役の制限酵素などで切り貼りする技術と説明されてきたが、それは面倒な手順を省いた話だった。たとえば、DNAから「狙った遺伝子」部分を切りだす作業。制限酵素は「特定の塩基配列」があるところを「どこでも切断してしまう」ので、出てきた数多くの断片から、その遺伝子を含むものだけを選り分けなくてはならない。

 

 切りだした遺伝子を生物のDNAに組み込むのも大仕事だ。ここで頼りにするのは、生殖細胞ができるときの減数分裂などで起こる「相同組み換え」という自然現象。父や母が遺伝子を子に伝えるとき、自分の父母、すなわち子にとっては祖父母のものをランダムに混ぜる過程だ。この生体に備わるしくみを生かして、導入したい遺伝子を含むDNA断片を取り込ませる。これも確率頼み。もともとの遺伝子と巧く入れ替わる頻度は「極めて低い」。

 

 従来方式の遺伝子組み換えの成功率はひとくちに言えないようだが、この本によれば、相同組み換えだけで「100万分の1」ということもある。ところが、クリスパーによる編集が達成される確率は「数十パーセント」という。ゲノム編集がもてはやされるわけだ。

 

 クリスパーは、細菌の免疫機構を生かす。そのしくみはこうだ。細菌のDNAには、先祖伝来の情報遺産として外敵ウイルスの塩基配列を取り込んだ部分がある。これで敵を見分けて相手の当該配列を壊す。このときに活躍するたんぱく質がキャス9。クリスパーでは、切りたい配列を人工合成してキャス9と結びつける。この複合体が標的の配列を切断するのだ。そこに導入する遺伝子の塩基配列を混ぜておくと、それがすっぽり入るという。

 

 この技術は、なによりも医療への応用が期待されている。がん治療では、免疫を担うリンパ球のT細胞にクリスパーを施し、対がん細胞攻撃力を維持する研究が進んでいるという。安全面の不安が除かれれば広がる可能性がある。この場合は、T細胞を体外に取りだして塩基配列を変える。一方、体内で変える例としては網膜の病気をクリスパーで治す計画もある。いずれも体細胞が相手なので1世代限りの遺伝子改変であり、抵抗感は小さい。

 

 踏みとどまるかどうかで悩むのは、やはり受精胚などのゲノム編集だ。犬山宣言に沿えば、後続世代のことを考えて慎重であるべきだ。ただこの本は、重い遺伝病が子孫に伝わる確率の高い人が子をもつときの苦悩にも言及している。着床前診断で病が伝わっていないのを確かめてから産む方法もあるが、それはそれで生命選択の是非論に直面することになろう。こんな現実を突きつけられると、受精胚編集の道も一概に断てないように思えてくる。

 

 ただ、受精胚のゲノム編集が始まると次に起こるかもしれない展開を著者は危惧する。はじめは病気の治療に限られても「ふと気が付いたときには『(生まれてくる赤ちゃんの)知的能力に関する遺伝子を可能な範囲で改良することは、親が果たすべき最低限の義務である』といった時代になっていることもあり得る」。身体能力しかり、姿かたちしかり。新しい技術が、人の倫理のものさしを一変させることは十分にありうるとみるべきだろう。

 

 留意すべき問題は、人以外のゲノム編集でもある。一例は「遺伝子ドライブ」だ。人類の視点に立って「都合の悪い遺伝子」を追い払ったり、「都合のいい遺伝子」を増殖させたりする。アフリカ・サハラ以南の蚊のゲノムをクリスパーで変え、マラリアの媒介蚊を一掃する構想もあるという。「食物連鎖の末端」にいる生物でも、「工学的に駆逐」すれば「長期的に見て地球の生態系に思わぬダメージを与える恐れがある」と、著者は指摘する。

 

 人を含むすべての生物のゲノムは自然界の一部だ。それを改変する技術を病苦からの解放のために用いる企ては、弱者を支援して社会の不平等をなくそうという現代リベラリズムの精神には適っている。だが他方で、歯止めなしに使えば生体や生態系のバランスを乱しかねないから環境保護思想のエコロジーと対立する。ゲノム編集の時代、リベラリズムとエコロジーの間のどこに最適解があるかを探らなくてはならない、と僕は思う。

 

 この本は、学界の知的財産権争いにも触れている。IT企業がゲノム情報のビッグデータ管理に乗りだした状況も描かれている。そして、クリスパー開発の中心にいた「2人の女性科学者」が賞の授賞式で「ほとんどセレブ並みの扱いを受けている」とする記述もある。

 

 ゲノム編集は生々しくも華やかな科学劇を僕たちに見せつけている。だが忘れてならないのは、そこに二つの現代思想がかかわる人類史的な葛藤が内在していることだ。

(執筆撮影・尾関章、通算369回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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