『スノーデン 日本への警告』

(エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘著、集英社新書)

写真》「内心」に鍵

 まずは、表題の話から。「監られる」とキーボードを叩いたら、文字列に下線が引かれてしまった。赤の波線。「入力ミス」を心配するワープロソフトの忠告だ。たしかに「みる」の「み」を漢字にするとき、ふつうは「見」「観」「診」「看」で「監」は稀だ。だが、今回はどうしてもそうしたい。僕たちは世間でいつも見られ、観られている。診られたり看られたりする機会もあるだろう。ところが今の時代は、それだけではない。

 

 町を歩いているとき、どこかで防犯カメラが回っているのを無意識に感じている自分がいる。だれかがスマートフォンのアプリで会話の声を拾っているのではないか、と気になったりもする。視覚に限った話ではないので、やはりここは「監られる」だろう。

 

 これは、家にいても同様だ。パソコンに向かってメールを認めるとき、なんども読み返す。なにげないひと言が礼を失しているのではないか、という気づかいからだけではない。文面が公の目に曝されるかもしれないから慎重になるのだ。故意でなくとも、そういう事態は起こる。受信人が別件のメッセージを不特定の人に同送するとき、そのうちの一人である僕宛ての返信メールを不用意に転用すれば、過去のやりとりが他人にも伝わってしまう。

 

 当欄は先日、英国の哲学者ジェレミー・ベンサムが提示した「パノプティコン」について触れた(2017年4月21日付「バウマンで、やっぱり社会科が好き」)。少数が多数を一望できる監視施設だ。これに対して『社会学の考え方〔第2版〕』(ジグムント・バウマン、ティム・メイ著、奥井智之訳、ちくま学芸文庫)は、現代の情報社会には多数が少数を監視する構図があるという。有名人に世間の視線が集中する現象が、これに当たる。

 

 ここであえて付け加えたいのは、昨今は僕のような無名人でも監られている気がすることだ。だれが防犯カメラで覗いているか、録音アプリをオンにしているかはわからない。メールが偶発ミスで流れるとき、どこへ届くかもわからない。パノプティコンでは監られる人が監る人の存在を確かめられないが、その怖さがそっくり現実化している。僕たちは、不特定多数から監視されているらしいと薄々感じるパノプティコンの変種に暮らしている。

 

 これは「共謀罪」法(改正組織的犯罪処罰法)が成立した今、いっそうリアルなことだ。戦前戦中は特高警察がにらみを利かせていたが、これからは世の中がこぞって同じような任務に加担させられそうな気がする。監られると同時に監る社会の到来である。

 

 で、今週の1冊は『スノーデン 日本への警告』(エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘著、集英社新書)。筆頭著者スノーデン氏は1983年生まれの米国人。米政府の中央情報局(CIA)や国家安全保障局(NSA)で情報収集活動に携わった後、2013年、政府内の機密資料を米英の有力紙に渡した。「スノーデン・リーク」である。今は難を逃れてロシアに長期滞在している。

 

 ほかの著者は、青木氏がジャーナリスト、井桁、金、ワイズナー、ヒロセ各氏が弁護士、宮下氏が憲法学者。この本は今年4月に刊行された。去年6月、東京で開かれたシンポジウム「監視の“今”を考える」(自由人権協会など主催)をもとにしている。前半ではスノーデン氏がロシアからインターネット回線のテレビ電話を通じて参加、金氏が聞き手を務めるインタビューに応じた。後半は、残る5人が登壇したパネル討論を収めている。

 

 今回は書名を尊重して、インタビューを中心にその「警告」の核心を紡ぐことにする。

 

 スノーデン氏はインタビューの冒頭で自らの職歴に触れ、CIAでは「イラクに対するスパイ活動」をして、NSAでは「インターネットの電子通信や電話を盗聴する活動など」に携わった、と打ち明けている。監る側の事情に通じた人である。その視点から力説するのは、情報技術(IT)がもたらした監視手法の変質だ。それは、特定の人物に的を絞って情報を得ようとする旧来型の「ターゲット・サーベイランス」とは様相を異にしている。

 

 ここで出てくる言葉が「マス・サーベイランス」だ。別のところでは日本語で「大量監視」という表現も出てくるが、これも同義らしい。「無差別・網羅的な監視」のことである。スノーデン氏によれば、2001年の9・11同時多発テロ後、米国では「監視政策の大転換」があり、「疑いがある人だけではなく、あらゆる場所であらゆる人を監視対象とするようになった」。それが「安く、簡単にできる」のは「テクノロジーの進化」によるという。

 

 スノーデン氏は、米政府は法律を盾に通信事業者の設備を通る「すべての通信情報」にアクセスできるようになった、と解説する。世の中の大部分(バルク)に網をかけて、そこから必要な情報を選りだす「バルク傍受」が可能というわけだ。この方式だと、当局はたとえ情報の中身に立ち入らなくとも、「メタデータ」を「安く、簡単に」手に入れられる。メタデータとは、誰がいつどこで誰とどのくらい長く交信したか、といった情報である。

 

 メタデータ収集の例として、携帯電話の位置情報がどう監られるかが詳述されている。それによると、携帯端末は「私はここにいます」という信号を発していて、その「叫び」を町のあちこちの基地局が聞いている。直近の局がどこかは「叫び」の強さでわかる。所持する人が「別の場所に動く都度、電話会社は最も近い基地局を更新し続けます」。この情報が、当局の手に渡るかもしれないのだという。その結果、当人の足どりがわかってしまう。

 

 パネル討論でもヒロセ氏が、携帯電話のメタデータ収集をさらにたやすくする新技術が現れたことを報告している。基地局に見せかける電波を放って携帯電話を惑わせ、情報をそっくりいただくという方法だ。ただ、これは大っぴらには使われていないらしい。

 

 ここで注意しなくてはならないのは、米国社会の監視度はスノーデン氏が母国を離れた後に変わり、彼が語る9・11後ほど酷くはないらしいということだ。討論の採録によると、電話のメタデータ収集は今では制限されるようになった。それを定めたのは、2015年に成立した「アメリカ自由法」。スノーデン・リークが、当局の監視活動そのものを監視する必要を人々に感じさせて、9・11で振れた針を揺り戻したのだ、ともいえる。

 

 メタデータは電話には限らない。スノーデン氏は在日経験があるので日本の生活事情にも通じていて、「Suica」や「PASMO」も例に挙げている。詳しい説明はされていないが、カードに内蔵されたメモリーが利用者の移動記録となることは僕たちにもわかる。これは、ふつうなら監られることがない。ただ、なにかの理由で当局に押収されれば、どこへ行ったかが把握されて、どんな会合に出たかの推測にもつながってしまう。

 

 もっと気がかりなのは、ネットに打ち込む語句やURL。スノーデン氏によれば「アドレスバーに入力したすべての事項はメタデータ」だ。それらは、一部の通信事業者のもとには集積されているという。「あなたがどういうニュースを読んだのかということも記録が残ります」と書かれているのを読むと、心の位置情報まで監られている気がしてくる。「共謀罪」をめぐってよく耳にする内心の自由は、このようにして危機に瀕しているのである。

 

 マイナンバー制度が動きだそうとしていたころ、それが人々の逃げ場を奪いはしないか、と僕は心配した(当欄2015年7月17日付「モディアノで憂うマイナンバー時代」)。小説『失われた時のカフェで』(パトリック・モディアノ著、平中悠一訳、作品社)の主人公が実名ではなくあだ名で生きる姿から、そう感じたのだ。識別番号と監視が結びつけば、僕たちは本当にがんじがらめになる。人はそんなには「監られる」ことに耐えられない。

 

 今の監視社会は、過去の悪夢の再来とみるべきではない。IT社会ならではの怖さがあるからだ。だが、それと闘うときに味方となるのも、またITとは言えないか。スノーデン氏がひそかに身を寄せた異国からインターネット回線で発信する姿が、そのことを物語る。

(執筆撮影・尾関章、通算373回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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