『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ著、小野寺健訳、ハヤカワepi文庫)

写真》受賞第1報(朝日新聞2017年10月6日朝刊)

 ポール・オースター、カズオ・イシグロ、村上春樹。この3人に共通するのは何か。それは、国境を超えて発信力のある同時代作家という点にあるだろうと僕は思う。同時代性は世代によって物差しが違うだろうから、厳密には「僕にとって」と限定をつけなくてはなるまい。ともあれ、その一角をなす日本出身、英国籍のイシグロさんが今年のノーベル文学賞受賞者に決まった。うれしいことだ。当欄は急遽、彼の作品について書く。

 

 イシグロについては7年前、当欄の前身で『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)という作品をとりあげたことがある(文理悠々2010年4月22日付「カズオ・イシグロ わたし《に》はなさないで」)。拙稿の表題は「私に話さないで」の意味を込めたもので、先端科学技術をめぐる深刻なテーマにネタばらしをしないで誘導していく作家としての巧妙さと文学作品としての繊細さに舌を巻いたからだ。

 

 そこで「なによりも泣かせる」として引用した一節を、ここでも紹介しよう。それは、主人公が少女時代、寮の部屋にひとりいて歌のテープを聴く場面。曲の題名は「ネバー・レット・ミー・ゴー(わたしを離さないで)」。「極(きま)り悪いことに、赤ちゃんに見立てた枕を抱いていました。そして、目を閉じ、リフレーンを一緒に歌いながら、スローダンスを踊っていました。/『オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで……』」

 

 今回の発表資料にある授賞理由を僕なりに訳せば、こうなる。「情緒豊かな小説を通じて、世界とのつながりという幻覚に潜む深淵を明るみに出してきた」。「情緒豊かな小説」とした部分の英語は、“in novels of great emotional force”。上記引用箇所の光景を思い浮かべると、その“emotional force”の強さを実感できる。

 

 で、今回は、『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ著、小野寺健訳、ハヤカワepi文庫)。1982年の作品で、著者にとっては20代後半に世に出した長編第1作。原題は“A Pale View of Hills”。直訳すれば「青ざめた山影」か。邦訳は、同じ訳者でまず84年に筑摩書房から単行本で出た。このときの邦題は『女たちの遠い夏』。それが後に、ちくま文庫に収められ、2001年に改題されてハヤカワepi文庫の1冊となった。

 

 この小説の舞台は2カ所。一つは、主人公の悦子が今住む英国の田園地帯。もう一つは、悦子にとって「遠い昔になったある夏」の長崎郊外。後者は著者の生誕地であり、「遠い昔」は1950年から53年まで続いた朝鮮戦争のころと書かれている。著者はその直後、54年の生まれで、5歳のときに英国へ渡っているから、この作品には幼少期に見た日本の原風景が投影されている、と言ってよいだろう。

 

 悦子がそのころ住んでいた場所の描写がある。川沿いの小さな村落だったが、原爆で「完全な焦土と化した」。そこに復興計画でコンクリート造りの集合住宅4棟が建てられ、うち一つに入居した。「この建物と川のあいだはどぶと土埃ばかりの、何千坪という空地だった。この空地は健康に悪いという苦情がたえず、事実その排水状態はひどいものだった。あちこちの穴には一年中水が溜っていて、夏の数カ月はものすごい蚊に悩まされた」

 

 これを読んで思いだすのは、僕自身の幼少期だ。1950年代半ば、日本の都市は概ねこんなものだった。僕が育った東京郊外の一角は空襲に見舞われなかったので焦土とはならなかったが、宅地開発のスプロール現象であちこちに空き地があった。下水道整備はほとんど進まず、小さな川はどぶと化していた。衛生環境は最悪で、あちこちにハエとり紙が吊るされている状態。たぶん著者は、そんな風景を脳裏に焼きつけて渡英したのだろう。

 

 話の筋に立ち入ると、この作品では三つの物語が絡みあう。

 

 一つめは、悦子自身の半生。彼女は今、英国の小村のはずれにある一軒家で独り暮らしをしている。そこに、死別した2番目の夫――英国人で新聞記者だったらしい――との間の娘ニキがロンドンから訪ねてくる。ニキには、長崎で生まれた父親違いの姉景子がいたが、景子は引きこもりの末に家を出て、マンチェスターの借り部屋で自殺していた。トラウマを抱えた母子だが、ニキの陽性な言動に支えられて、話は淡々と進められる。

 

 ここでひとことことわっておくと、「悦子」や「景子」などの日本人名はすべて漢字表記になっているが、これはもちろん英語の原文にはなかった。あとがきによると、訳者が「音を読みちがえる恐れがなく、その音にとってなるべく一般的な表記」を選んだという。

 

 二つめは、悦子が「遠い昔」の「ある夏」に長崎郊外で数週間ほど近所づきあいをした佐知子とその娘万里子の物語。二人はもともと東京にいたが、佐知子の夫が戦争で亡くなり、親類を頼って長崎にやって来たという。米国人男性フランクとつきあっていて、別れるの別れないのというすったもんだがある。万里子は思春期に入ったころで、母に反抗して猫に愛情を注ぐ。彼女たちの感情の起伏には、占領がもたらした世相が映しだされている。

 

 そして、もう一つの物語は悦子の前夫二郎の父、「緒方さん」をめぐるいくつかのエピソード。長崎では校長先生を務めていた名士だが、二郎が新婚生活を始めたころは出身地の福岡で独り暮らしをしていた。そして「遠い昔」の「ある夏」には長崎を再訪して、息子夫婦宅に泊っていたのである。その滞在は波乱含みではあるが、そこから穏やかな家庭像も見えてくる。僕は、この緒方の物語こそこの作品の読みどころのように思う。

 

 まず波乱のほうから書こう。緒方は長崎の図書館で、自分を批判する論文が雑誌に載っているのを目にする。執筆者は、二郎の旧友で今は高校の教師になっている男。戦後民主主義の風に乗って戦前の教育者を糾弾する内容だったのだろう、と推察される。緒方さんは二郎の同窓会が近いと知って、その友人も来るのではないかと問う。よほど腹の虫が収まらないのだろう。だが「まったく驚いたよ」というだけで、露骨にののしったりはしない。

 

 後段では、その友人と直接やりあう場面もある。「ぼくらは心から国のことを思って、立派な価値のあるものを守り、次の時代に伝えるように努力したんだよ」。別の箇所では、二郎の会社の同僚が来訪して、選挙の投票をめぐって夫婦喧嘩になったという話を打ち明けたのを聞きつけて、同僚が辞去した後に言う。「呆れるじゃないか。夫と妻で別々の党に投票するなんて」。緒方が戦前の思想から抜け出せないでいるのは確からしい。

 

 だがその緒方は、いま悦子が「さん」づけで思い返すほど心優しい人でもある。彼女が台所に立つと「何を作っているのかね」と聞く。「オムレツか。その作りかたを教えてもらわんとな。むずかしいかね」「とてもむずかしいですよ。今ごろになって覚えようとなさっても、無理ね」「しかし、ぜひ習いたいね。今ごろになってとは、どういうことかね。わたしはまだまだ若い。いくらでも新しいことを覚えるよ」「本気でコックになるおつもり?」

 

 別の場面では、悦子に対してこうも言う。「若夫婦が親とは別に暮らすというのは悪いことじゃない」「若夫婦は、老人にいつまでもいばられているのは嫌がるものだよ」

 

 僕は、この悦子と緒方の淡々とした会話を読んでいて、著者が小津安二郎映画を好んでいるとの報道を思いだした。あのころの日本社会には、どこにも小津映画を彷彿とさせる家庭があった。そこには手のひらを返すようには戦時下の意識を変えられない人もいたが、そういう人々の心にもリベラルな空気が静かに染み入ろうとしていた。それを5歳でこの国を離れて、日本語をほとんど話さない著者が描いたところがすごい。

 

 この小説では、謎めいたまま残された部分も多い。万里子がいると言う「川の向こう」のおばさん、今は亡き景子の部屋から聞こえてくる音、そして悦子がどんないきさつで再婚したのか、ということ。それらはすべて、読後も読み手の心を作品世界に引きとめる。

 

 余韻という言葉がカズオ・イシグロほど似合う作家はいないだろう。

(執筆撮影・尾関章、通算389回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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