『アメリカ外交50年』

(ジョージ・F・ケナン著、近藤晋一、飯田藤次、有賀貞訳、岩波現代文庫)

写真》朝日新聞2017年11月7日朝刊

 トランプ旋風が日本にも吹いた。大統領が昼食にハンバーガーをパクついた、首脳同士がゴルフをしながらグータッチした、娘や妻も次々に来日して高価そうなファッションを見せつけた――なにか、そんなふわふわしたことだけが脳裏に焼きついている。

 

 だが、背後で一つ実を結びそうなことがあった。米製の防衛装備品を日本が買うという話だ。米国トップが外交の舞台でこれほどあからさまに商談に熱中したことに僕は驚く。

 

 ここで言っておきたいのは、僕たちの世代にとって米国がずっと特別な国だったことだ。物心がついたころは、その国が「鬼畜」呼ばわりされていた戦時から約10年しかたっていない。戦争は、ほんの近過去の出来事。2017年の今から第1次安倍内閣のころを振り返るようなものだ。ところが、大人たちが元敵国の「鬼」たちに脅えている様子はほとんど感じられなかった。子どもの目にも、米国人はカッコいい存在に映っていたのである。

 

 街には駐留軍のジープが走り、長身の頭にGIキャップを載せた兵士たちがたむろしていた。ラジオのダイヤルを回すと、NHK第1、第2の次にFENが聞こえてきてポップスが流れていた。まさに『ワシントンハイツ――GHQが東京に刻んだ戦後』(秋尾沙戸子著、新潮文庫)が描いたような世界だ(当欄の前身、文理悠々2013年12月9日付「『嵐』の源流、金網の中のアメリカ」)。実際、僕が電車の窓から眺めたハイツもまぶしかった。

 

 この印象が市井に暮らす人々の心情だとすると、理念では逆のベクトルもあった。僕たちは小学生のころ、60年安保闘争のデモ映像でそのことを知る。そこには反米ナショナリズムの一面が間違いなくあったが、ただそれでも、15年前の敵国に対する怨念という色彩は帯びていなかったように思う。子ども心にも東西冷戦の一方に与して核大国の傘に入るという選択はよくないように思えたが、嫌米感情はまったく起こらなかった。

 

 この相反するベクトルの綱引きは、青春期にいっそうはっきりした。片方には米国で生まれたニューシネマがあり、アメリカ文学があり、そしてジャズやロックやフォークソングの旋律とリズムがあった。もう一方ではベトナム戦争が泥沼の様相を強めていて、それを推し進める政治体制を米帝国主義、略して米帝と呼ぶようになった。きわめて興味深いのは、後者が前者を触発して、その前者の発信に僕たちが共感していたことである。

 

 ここで痛感するのは、アメリカ合衆国の風通しのよさだ。ときの政権が国際社会でとった態度に同調しない人がいる。いやむしろ、反発をバネに魅力あふれる対抗文化を生みだすことすらある。これこそが、米国が「鬼」のレッテルを貼られても米国人自身は「鬼」と見られない最大の理由なのだろう。ではなぜ、そんな健全な社会風土があるにもかかわらず、米国の政治家は繰り返し戦争に手を染めてきたのか。その疑問がどうしても残る。

 

 で、今週の1冊は『アメリカ外交50年』(ジョージ・F・ケナン著、近藤晋一、飯田藤次、有賀貞訳、岩波現代文庫)。著者(1904〜2005)は米国の外交官としてモスクワなどに駐在、第2次大戦後には国務省政策企画室長や駐ソ大使などを務めた人だ。

 

 原著は、1950年にシカゴ大学であった講演や当時の雑誌論文をもとに51年に刊行された。52年には邦訳が出ている(岩波現代叢書)。85年には最新の講演録を添えた増補版が米国で出され、この翻訳も岩波書店が86年に出版。今回の本は、その文庫版だ(2000年刊)。書名は最初の邦題を踏襲しているので、「50年」は本来20世紀半ばまでの半世紀。だが、増補されたことでベトナム戦争をも振り返る論考集となっている。

 

 有賀執筆の訳者あとがきによると、著者が国務省在勤時代、「フォーリン・アフェアーズ」誌1947年7月号に寄稿した匿名論文は「封じ込め政策」という言葉を広めたという。その「ソヴェトの行動の源泉」が、この本に再録されている。このなかには確かに「アメリカの対ソ政策の主たる要素は、ソ連邦の膨張傾向に対する長期の、辛抱強い、しかも確固として注意深い封じ込め(コンテインメント)でなければならない」との記述がある。

 

 この一点からも、著者が戦後の米国外交を構想した一人だったことがわかる。冷戦の構図を描いた仕掛け人と言ってよいのかもしれない。ただ、ページを繰っていて思い知らされるのは、この人はただの官僚ではなく、策士でもないということだ。歴史をひもといて自国の外交の短所をあぶり出す。その筆致からは、タカよりもハト、思慮深い知識人としての横顔が見てとれる。この本には、冷戦が過ぎた今でも傾聴に値する教訓が詰まっている。

 

 冒頭の章「スペインとの戦争」に、それはすでに見られる。19世紀末の米西戦争でフィリピンは米領となったが、そこに植民地型の統治が生まれたことに批判の目を注ぐ。社会の構成員は「『市民』と呼ぶ人びと」に限られるべきであり「『被支配者』という異質のものを取り込もうとする」ことは「自らの本質的性格を汚す」とみるならば、「われわれの制度が及ぶ可能な範囲は限定されたもの」にとどめなくてはならない、と論じる。

 

 念頭にあるのは、米国自身の独立史だ。ここでは、米西戦争後に米上院議員の一人が「外国の領土を併合し、これをその住民の同意なくして統治すること」を「独立宣言の神聖な諸原則に全く背馳しており、また憲法の諸目的を推進するものでない」と断じた史実が参照されている。この議員は、建国者たちは子孫が「金ぴかの皇帝や安物の王様の古着を着込んでいばって歩き廻るようなこと」をするとは思ってもいなかったはず、と嘆いたともいう。

 

 ここで、僕はハッとさせられた。前述のように僕たちは若いころ、「米帝国主義」という言葉になじんでいたが、考えてみれば合衆国に昔も今も皇帝はいない。それがどうして帝国まがいの行動をとってきたのか。その謎解きが、この本の読みどころといってよい。

 

 ここで出てくるキーワードが「法律」と「道徳」だ。著者は、米外交史の「最も重大な過誤」は「法律家的(リーガリスティック)・道徳家的(モラリスティック)アプローチと呼ばれるもののうち」にある、と見抜く。これは「アングロ・サクソン流の個人主義的法律観念を国際社会に置き換え」「政府間にも通用させようとする努力」として表れるという。なるほど、米国が「世界の警察官」と言われるのも、むべなるかなである。

 

 感心するのは、この分析に冷戦後を予見するような洞察があることだ。著者は、法律家的な発想では「内戦は国内的のものに止まり、国際戦争にまで発展しない」と考えがちだと指摘する。国を個人のようにみなすからだろう。その結果、「国際社会は各々の国家の領域内において権力を主張する競争者のうちいずれを選択するかというような立場に置かれるようなことはない」と高を括ってしまう。それが破綻したのが局地紛争の多発ではないか。

 

 「アメリカとロシアの将来」と題する論考(「フォーリン・アフェアーズ」1951年4月号)で、早々とソ連崩壊に思考をめぐらせていることにも驚く。「過去のロシアに存在した系譜ほど立派な自由主義の伝統はない」として、ロシア人たちは「将来のロシアにおいて、その伝統を支配的な要素とするようにあらんかぎりの力をつくすであろう」という。執筆時点のロシアを「ソヴェト体制の時代という幕間」に位置づける長い目の歴史観だ。

 

 著者がここで強く戒めるのは「西側世界の民主主義の夢の複製を性急につくらせようとする」お節介であり、促すのは「どうみてもわれわれのものに似ておらず、しかも非難できないような社会構造と政府形態とが存在し得るということをはっきり認める」謙虚さだ。これは、ベトナム介入への反省につながる。ホー・チ・ミン政権は、米国の出方次第では「共産圏とわが国とに対してそのどちらにも偏らない関係」を保とうとしただろうともいう。

 

 この本にも出てくるが、米国の外交政策は戦後、核兵器の危険を抱え込むことになった。保有国同士は「互いに相手の人質となった」のである。だからこそ、冷静にものを考えられる人物が大統領のそばにいなくてはならない。現政権に第二のケナンはいるのだろうか。

(執筆撮影・尾関章、通算394回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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