『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子著、河出文庫)

写真》自家製のオムレツ

 「庶民」という言葉には、どこか抵抗がある。たぶん、へりくだった語感があるからだろう。僕が子どものころは、新聞で「庶民には高根の花」という表現をよく見かけた。一流ホテルのスイートルームを紹介する記事などに添えられる文言だった。市井でつつましやかに暮らす人々には、うらやましくはあるがとても手が届かない、という感じだったのだろう。格差社会の今、同じ状況はあちこちにあるはずだが、「庶民」はあまり使われない。

 

 一つは、「庶」という字のイメージにある。手もとの辞書(三省堂『新明解国語辞典』)をみると、最初に「雑多な」という意味が出てくる。そういえば、僕が勤めていた会社でも、かつて「……庶務部」の部署名が「……総務部」に改められたことがあった。雑用係とみられてはたまらない、ということだったのだろう。ドラマ「ショムニ」(フジテレビ系、原作・安田弘之)の人気の秘密は、この思いをすくいとったところにあるのかもしれない。

 

 同じ辞書で「庶民」の項をみると「特別の地位・資格・機能などを持たない、一般の人たち」とある。専門家の対極にある一群ということだ。なるほど、と僕は思った。科学記者だったので「科学者とそうでない人の対話」というような言い回しを常套句のように口にしてきた。このとき「そうでない人」を別の言葉でどう表すかを思案して「一般の人」と言い換えることもあったのだが、代わりに「庶民」としてもよかったわけだ。

 

 「特別の地位・資格・機能などを持たない」ことを否定的にとらえてはいけない。分野の縦割りにこだわって横からの批判を受けつけない専門家偏重は、ときに不幸な結果を招くからだ。「雑多な」は「多様な」ということであり、尊重すべき価値の一つなのである。

 

 「庶」の字義は決して悪くない。それなのに今では疎ましがられるようになった。背景には、経済の高度成長によって世の中に中流意識が行き渡り、「雑多」を嫌って「特別」に目移りする人がふえたこともあるのだろう。では、その変化はいつごろ起こったのか。

 

 これは、日本社会の洋風化と深くかかわっているように僕は思う。日本社会には明治以来、庶民対上流がそのまま和風対洋風に置き換えられる構図があった。上流階層の家には、たいてい洋間があって壁に洋画が掛かっており、朝昼晩と洋食で洋楽を蓄音機で聴く習慣がある。洋式トイレも珍しくない。これは、和室、和食、和式トイレがふつうの「庶民」には「高根の花」だった――そんな図式が少なくとも僕が子どものころまでは続いていた。

 

 ところが1980年ごろに激変が起こる。ニューファミリー世代とも呼ばれた団塊の年齢層が核家族化して、洋風の暮らしが一気に広まった。洋風のダイニングキッチンで洋風の食事をとり、トイレも洋式が当たり前。そのころには円も強くなり、海外に出て本場の欧米文化に触れる人もふえた。収入の多寡と和洋の対立が、もはやぴったりと重ならなくなった。言葉を換えれば、洋風洋式をハイカラと言ってあがめる風潮が消えたのである。

 

 で、今週の1冊は『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』(石井好子著、河出文庫)。著者(1922〜2010)は、僕たちの世代には懐かしいシャンソン歌手。テレビ草創期の歌番組によく出ていた。そして、総理大臣の椅子を争った自民党の政治家、石井光次郎氏の娘さんということでも有名だった。1963年には「暮しの手帖」の連載を本にした『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』が、日本エッセイストクラブ賞を受けている。

 

 この本は、その『巴里の…』の姉妹編。同様に「暮しの…」の連載をもとにして1985年に出版された(暮しの手帖社刊)。今回手にとった文庫版は2011年に出ている。奇しくも、初出されたころは日本社会に庶民ばなれが起こっていた時期にあたる。

 

 では、著者と「庶民」の関係はどうだったのだろうか。父は保守の有力政治家、自身は戦後まもなく米国に留学し、パリ暮らしも経験している――どうみてもセレブで、庶民とは言い難い。ただ、父には新聞社勤めの経歴もある(なんと、僕の古巣で専務だったことがあるという)。自身も、シャンソンという民衆の歌をうたいつづけた。セレブではあるが、庶民が暮らす市井の事情にもそれなりに通じていたと言えるのかもしれない。

 

 これは、冒頭の1編「ロールキャベツは世界の愛唱歌」からも感じとれる。書きだしで「ロールキャベツとはいったいどこの国の料理なのだろうか」と問いかけ、それを著者自身はアメリカでもモスクワ(当時、ソ連)でもドイツでも食べたという話をさらっと書く。これで庶民はちょっと退くが、編の末尾2行でこの料理は「栄養のバランスがとれていて安くて、皆が好きな国際的おそうざい」であり、「世界の愛唱歌」のようだと評して締めくくる。

 

 ロールキャベツは、かつて日本の食文化で洋風献立の定番になるかならないか微妙な位置を占めていた。僕は1970年代初め、街に出て外食をするときにロールキャベツの専門店に入ったものだ。学生でもなんとか身銭を切れる価格帯。だが、カレーやスパゲティナポリタンよりは、高級感がある。近からず遠からずの洋食だった。著者を投手にたとえれば、この本の第1球では庶民のストライクゾーンの高めギリギリを突いてきたことになる。

 

 読み手を惹きつけるのは、著者が自分自身で調理しているとわかる点だ。これに一役買うのがオノマトペ――擬音語や擬態語だ。「ナスのキャビア」と呼ぶキャビアもどきの料理のつくり方を伝授するくだり。ナスの切り方は「ザクザク」、炒め方が不十分なら「ぐじゅぐじゅ」、食材を庖丁でたたくときは「トントントントン」、一緒に食べるトーストの焼き具合は「カリカリ」。著者が台所に立って、手を動かしている光景が目に浮かんでくる。

 

 ほかにも「くたっとなった野菜」「ヒタヒタのミルクに」「メリケン粉はざぶっと」……。「お砂糖少々入れて甘みをつける」など、わざと助詞を抜いた表現もある。著者が音楽家の感覚を生かして、食と調理の語りに音とリズムを付与していたことがわかる。

 

 この本を読んでいると、1980年代の僕たちにとって欧州は遠かったのだなあ、とつくづく思う。イタリア・ナポリのチーズ料理を紹介した箇所では「モッツァレッラはチーズの一種で、この頃はスーパーで売っているところもあるが」と、くどいほどの補足がある。今ならモッツァレッラがチーズのことぐらい、子どもでも知っていそうだ。チーズが種類別に認識され、それらが店頭に並びはじめたころの食の位相が見えてくる。

 

 「スペインのバレンシア風たきこみご飯パエリャ・バレンシアーナは、サフランご飯の最高傑作」と書かれた一節も同様。今の人が読めば「パエリアくらい知っているよ」と一笑されそうなほど懇切丁寧な説明だ。あのころ、スペイン料理はまだ馴染みが薄かった。

 

 食の変遷を痛感させるのが、「スパゲティとローマの思い出」と題された章。スパゲティという呼び方そのものが昔風だ。イタリア料理には、パスタという小麦粉素材料理の大きなくくりがあり、うち細長い麺を使うものがスパゲティという関係にある。最近では、パスタの呼び名のほうが優勢になった。「パスタでも食べようか」と言って店に入り、メニューを見てからスバゲティーを頼んだり別のパスタを選んだり、という感じになっている。

 

 この章では最後のほうにようやくパスタが登場する。リボン状の麺、タリアテッレをそう呼んでいる。著者はこれをジェノヴァ風に味つけたものを、イタリアにいる日本青年のアパートで食べた。つくったのは、彼の妻ら二人の女性。「台所にある机の布をさっと取りのぞいたら、大理石の調理台であった」「それはパスタをこねるための台なのだった」。日本社会でおしゃれに見えるものが、本場では庶民の手づくり料理だったというわけだ。

 

 この本によると、「暮しの手帖」創刊者の花森安治は「デパートなどの食堂に行って、じっと見ていてごらん、男はカレーライス、女はチキンライスを食べるよ」と話したという。バブル経済が膨らむまで、日本人の洋食の選択肢は限られていた。そんなときに著者は、洋風の味の多くがセレブの独占物ではなく、実は「一般の人たち」のものだと教えてくれたのだ。僕たちは1980年代、日本の庶民をやめて世界の庶民になったような気がする。

(執筆撮影・尾関章、通算399回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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