「モンド」=『海を見たことがなかった少年――モンドほか子供たちの物語』所収

(J・M・G・ル・クレジオ著、豊崎光一、佐藤領時訳、集英社文庫)

写真》町を駆ける

 通算400回は、クリスマスの季節になった。昔は心が浮き立ったものだが、ここ数年は静かにこの時季を迎える。キリスト教徒ではないのに、である。宗教心というよりも、心が温まりたいという気持ち。年末の慌ただしさを感じながらも、静寂に浸るときである。

 

 今年は、この季節でさえも暗雲が垂れ込めている。とりわけ日本列島の周辺では、軍事衝突の可能性さえ懸念されるのだ。それは、ただの戦火で済まないかもしれない。最悪の場合は人類の破滅につながる核戦争のリスクすら伴う。気にかかるのは、日本社会が「年内の決着」にこだわるように欧米では「クリスマス休暇前」が一つの目途になることだ。急いた気持ちが良いほうへ向かえばよいが、その逆になることだってありうる。

 

 そんな心のざわつきがあるせいだろうか。この暮れは、いっそう温かな静かさがほしい。それでちょっとうれしいのは、温かさも静かさもある町に僕が暮らしているということだ。私的事情があって、この1年はほとんど遠出をしなかった。泊りがけの旅行が少なかっただけでない。電車に乗ったのも数十日に満たなかったと思う。あとは地元、東京郊外の私鉄沿線にある古びた住宅街にとどまった。その町でひたすら歩き、自転車を漕いだ。

 

 それがどううれしいのかというと、だれかと通りすがりに声を掛けあう機会が日常となったことである。古くからの友人がいる。地元のバーで知りあった人もいる。なじみのレストラン店主もいる……。勤めをやめて4年余、名刺を交わす人は大幅に減ったが、代わりに路上で足をとめて、あるいは自転車をまたいだまま「やあ」と挨拶する人がふえた。バスの運転手が、すれ違う別のバスの同僚に向けて軽く手をあげるような友愛である。

 

 思えば、僕たちはこうした人間関係をあまり楽しんでこなかった。会社員のころは日々、損得勘定のつきあいに追われていたように思う。こちらがこう出ればあちらはあの手を打ってくるだろう、と無意識に計算する。生き抜くことに必死だったのだ。だが、一線を退いた今、目先の損得よりも「やあ」が愛おしい。この関係は、ゲゼルシャフト(利益社会)ではなくゲマインシャフト(共同社会)に近いが、昔の村落社会ほど濃密ではない。

 

 で、今年のクリスマスは、そんなうっすらとした人間関係を小説世界で味わってみようと思う。この秋、たまたま読んだ短編にそれを見つけた。童話風ののどかさのなかに抑制された心の通いあいがある。不快な胸騒ぎを鎮めてくれること請け合いの1編である。

 

 当代フランスの有名作家の手になる「モンド」。これは、『海を見たことがなかった少年――モンドほか子供たちの物語』(J・M・G・ル・クレジオ著、豊崎光一、佐藤領時訳、集英社文庫、原著は1978年刊)という短編集の冒頭に収められている。所収8編の書きぶりは多彩だ。古代の都市国家を舞台とする王侯物語風あり、自然のダイナミズムにあふれた冒険記風あり。そんななかでこの1編は、リアルな、ありえなくはない話として読める。

 

 著者の名は、僕にとって懐かしいものだ。学生だった1970年前後、言語芸術の最先端にあるのはフランス文学だと頑なに信じていたころがあった。そこでは、既成の小説作法を脱したヌーヴォー・ロマンが台頭していた。ル・クレジオは1960年代前半にデビューした作家。ヌーヴォー…とは一線を画していたようだが、実験的な作風で名を馳せていた点は共通する。その作品を熟読した記憶はないが、あこがれは間違いなくあった。

 

 だから、この本を開くときはそれなりに身構えたのだが、「モンド」の物語性はその緊張を和らげてくれた。書きだしは「モンドがどこから来たのか、誰(だれ)にも言えなかったに違いない。ある日たまたま、誰も気がつかないうちにここ、私たちの町にやって来て、やがて人々は彼のいるのに慣れたのだった」。年のころは10歳前後。「少し横目使いのきれいな黒い眼(め)」と「光の具合で色が変る灰色まじりの茶褐色の髪」をした少年だ。

 

 読んでいると、なんとなく先日当欄でとりあげたスペイン・カタルーニャのバルセロナが思い浮かんだ(2017年11月24日付「バルセロナのこと、もっと知りたい」)。「私たちの町」が海辺にあり、後方に「町を見おろす丘のつらなり」が控えているせいだろうか。訳者(豊崎)執筆のあとがきに「南仏ニースと思われる都市とその近郊」とみられるとあるから、僕の直感はあながち的外れではない。地中海に面した港町の空気が漂ってくる。

 

 モンドは町で人とすれ違うとき、笑みを浮かべて「僕を養子にしてくれませんか?」と言うことがある。ただそれだけで、しつこくは頼まない。言われたほうが驚いているうちに、もう立ち去っている。「彼はここに何をしに来たのだろう、この町に?」と著者は書く。貨物船や貨物列車で長旅をしてきたのか。この町の別荘地風のたたずまいに惹かれたのか。「確かなのは、彼がとても遠くから、山の向う、海の向うから来たということだ」

 

 最初の2ページに載ったこれらの情報からだけでも、この作品が描くのが濃密な共同体でないことは察しがつく。主人公は、どこからともなくふらりとやってきた少年。彼は、現代の都会人を象徴しているようにも見える。顔を合わせれば微笑むのだから敵対感情はない。「養子にしてくれ」は厚かましいが、口にするだけなのだから挨拶がわりともとれる。もしかして、「養子」のひとことには血縁の対立概念が暗示されているのか。

 

 実際、モンドは希薄な友愛を育むのが得意だ。たとえば、町の撒水係との関係。その男は広場でホースから水を放ち、水煙を立ちあがらせる。「嵐(あらし)と雷鳴のような音がして、水は車道にはじけ、停(と)めてある車越しに微(かす)かな虹(にじ)が見えた」。興味深いのは「モンドが撒水係と友達なのはそのため」とあることだ。二人は言葉を交わさない。一人が仕事をして、もう一人がそれに見とれるだけの友だちなのだ。

 

 「町のなかを歩くだけで、モンドはたくさんの友達を見つけていた。しかし彼はみんなに話しかけるわけではなかった。それは話したり遊んだりするための友達ではなかった。通りすがりに素早く目配せして挨拶したり、あるいは通りの反対側から遠くへ手で合図を送るための友達だった」。これは、最近の僕が地元で交わす「やあ」に限りなく近い。著者は、モンドの鋭敏な感性を紡ぎだすことで、そんな町のありようを活写している。

 

 とはいえ、モンドにも挨拶や合図で終わらない交流はある。相手の一人は、五十がらみの釣師ジヨルダン。「彼は長いあいだ、太陽が水平線すれすれになるまで防波堤の上で釣りをしていた」「ほとんど口をきかなかったけれども、かかった魚を釣り上げるたびに笑うのだった」。ところが、モンドが海上の船を眺めながらあれこれ質問すると、釣師は急に冗舌になる。アフリカの国、紅海の鮫、雨季の嵐、島の漁師一家。話題は次々に転じていく。

 

 釣師が語るアフリカや紅海は真に迫っているが、それが体験談なのか耳学問なのかははっきりしない。ただ話が一段落して、モンドが「おじさん、いつ向うに行くの?」と問いかけると、「私は行けないな、この防波堤にいなきゃならん」という答えが返ってくる。理由は「私は船を持ってない船乗りだからさ」。だが釣師は、防波堤で釣糸を垂れながら水平線を見つめることができる。この町には、そうやって遠い世界とつながる人がいる。

 

 鞄のなかで鳩を飼う爺さん、丘に邸宅を構えるヴェトナム女性、若い郵便配達人、海水浴場の砂をならす老人……モンド自身も、その人懐っこさで異質な世界に触れていく。

 

 この小説がすごいのは、モンドの暮らしの下部構造にも触れていることだ。彼が稼ぐのは、広場に「市の立つ日」。青果物を運んできたトラックの荷降ろしを手伝い、1台ごとに硬貨数枚を手にするのだが、それだけではない。市が閉じると「りんごやオレンジやなつめ椰子など地面に落っこちているものを拾うのだった」。市場にいて、それが見落としたものを糧とする。ここから市場経済を超えるなにかを感じとるのは深読みに過ぎるだろうか。

 

 ル・クレジオはただの実験作家ではなかった。その作品には、人がいて町がある。

(執筆撮影・尾関章、通算400回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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