『言葉尻とらえ隊』(能町みね子著、文春文庫)

写真》辞書のあかさたな……

 気になる言葉というものがある。お役人の「……してございます」については、去年すでに書いた。謙譲表現ならば「……しております」で済むところを「……してございます」と言う。霞が関流の慇懃無礼。政策立案能力に長けたエリート官僚が、権力を握る政治家を懐柔するために身につけた低姿勢か。この語法から、日本の政治構造が透けて見えるように僕は感じた(当欄2017年4月7日付「役人コトバを嫌って、佐高本に酔う」)。

 

 この「ございます」用法については、朝日新聞「天声人語」も「ムズムズした感覚が背中を走る」と書いていた(2017年6月21日朝刊)。拙稿が天声人語に先行したことにドヤ顔になっていたら、今回、もっと早いものを見つけた。同紙同年3月23日朝刊「朝日川柳」欄に載った「やましさもともに廃棄してございます」(東京都・大和田淳雄)だ。官僚の国会答弁を聞いてムズ痒くなり、皮肉の一つも言いたくなる人は多かったわけだ。

 

 ほかに気になるフレーズは、「重く受けとめる」「真摯に受けとめる」。こちらは、危機管理用語としてすっかり定着した。企業の不祥事が発覚したとしよう。どうみても責めを負わなければならない、というときにはトップが記者会見して頭を下げ、謝罪する。ただ、ものごとには灰色領域がある。その会社に法的な責任はないと思われるが、無関係と突っ張れば世間から不誠実となじられかねない――そんな局面の定石となっている。

 

 考えてみれば、世間は灰色に満ちている。だから、渦中の人はメディアに対してとりあえず「受けとめる」と言っておくのが無難なのだが、一方で、そのコメントに本気度をにじませなくてはならない。そこで苦しまぎれにひねり出されたのが「重く」「真摯に」だ。ただ、これらの副詞を補っても「では、受けとめたあと、どんな手を打つの?」と問い返されるおそれはある。相手が納得しそうな答えの用意なしに安易に口にすべきではない。

 

 「してございます」には過剰なへりくだり感がある。「重く、真摯に受けとめる」だけでは誠意の半端さが却って目立つ。高級官僚や企業幹部はそのことに気づいているだろうに、なぜか一つ覚えのように乱用する。そんな言葉の定番化も僕には気になる。

 

 で今週は、気になる表現を俎上にあげ、世相の断面を切りだした一冊。『言葉尻とらえ隊』(能町みね子著、文春文庫)。『週刊文春』誌に2011〜14年に連載された同名のコラムをもとに14年に文庫本として出版された。著者は1979年生まれ。ブログの自己紹介欄やこの本の記述には「自称漫画家」とある。ただそれだけではなく、エッセイを書いてラジオ・テレビにも出ているというからマルチタレントと呼んでよいだろう。

 

 「はじめに」のページに「私の情報源はほとんどインターネット」「新聞も取っていなけりゃ本もロクに読まない」とある。驚くのは「テレビも見ない」のひとこと。出演者になっても視聴者にはならない、ということだろうか。この結果、「取りあげるものが若干ネット発の情報に偏っていることは否めません」。そうか、言葉のしっぽを追いまわす習癖がある点で著者と僕は同志だが、標的の生息領域はほとんど重ならないということだ。

 

 それを思い知らされるのは最初の一編。「『仲良し』とは、セックスのことです」の一文で始まる。用例として挙げられているのは「昨日ダーリンと仲良ししたよ」。著者は「婉曲表現は日本語の美学」「遠回しに表現したいのは理解できる」としつつ、「しかし、よりによって『仲良し』とは何ですか」と叱る。性行為は子どもの砂場遊びではないとして「セックスをタブー視して隠蔽するのはもうたくさん」と憤るのだ。まったく、同感である。

 

 私見を書き添えれば、この用法は言葉狩りの一種ではないか。「仲良し」は、ほどほどの友愛、すなわち無関心ではないが干渉もしない適度なつきあいにこそふさわしい言葉だ。それがセックスを連想させるということで使えなくなるのなら、大変に困る。

 

 「オシャンティー」も馴染みがなかった。「おしゃれ」とほとんど同じ意味で、2011年に「爆発的に広まった」。この新語を紹介した一編では言葉の移ろいが論じられ、新旧交代の例に挙がるのは「顔の良い男」の呼ばれ方。「色男」「二枚目」「ハンサム」は影を潜め、「イケメン」に行き着いた。これに比べて「おしゃれ」は息長いが、それに挑んだのが、この言い換えだという。「数年後には廃れてそうだけどね!」。ホントにそうなった。

 

 言葉尻のとらえ方として秀逸なのは「ハイ。」。これには、辞書形式の読み解きがある。「【ハイ。】終助詞。インタビューされたスポーツ選手が、話した内容について一度ふりかえって納得したうえで、『ここで一区切りなので、次はインタビュアーさんが話してください』という意思を示す」。しゃべりが本業でない選手にとっては「ちょうど良い答えが返せなかったり、始めた話の切り上げ方が分からなかったりする」ときの安全網というわけだ。

 

 同様に切り抜け策として発せられる言葉に「と、いうワケで」がある。この本によると、ネットに投稿される「一人しゃべり動画」によく出てくるらしい。「それは××だろ! とか言ってね……。と、いうワケでですね、バカなことしゃべってますけども……」のように使われる。「オチを言ったつもり」なのに「着地点がふわふわ」。そんな瞬間に差し挟まれる「無意味な言葉」だという。昔の深夜ラジオにあった口調が広まったのだろうか。

 

 これは若い世代の沈黙恐怖の表れかな、とも僕は思う。居酒屋の歓談が途切れそうになると、だれかがツッコミを入れて盛りあげる(当欄2016年3月25日付「綿矢『蹴りたい』の自律的な孤独」)。あれと同じように、「ハイ。」「と、いうワケで」でつないでいく。

 

 この本は、へんな新語にも目を向ける。2012年ごろ、よく耳にした「美しすぎる市議」という言葉。「美人○○」の形容は昔からあり、「美人議員」でもよいはずだが、なぜ最近は「美しすぎる」なのか。著者によれば、メディアは受け手の関心を引くため、「美人」の基準を「やや低め」にとるので、それが量産され「陳腐化」してしまったのだという。紙誌やテレビは言葉のインフレーションを起こしてその価値を低めているということだろう。

 

 アイドルの「すっぴん披露」は、語義矛盾が批判される。「すっぴん」は特別なものではない。就寝時の寝室にも真夜中のコンビニにも、化粧を落とした女性はいる。「これを『披露』とするからには、それに価値があり、披露する側に自主性がなければいけない」。すなわち、当事者は「いちばん美しくみせよう」と思うはずなので「飾らない素の姿」とは言い難い。「だから、すっぴんは『流出』がいいんじゃないかな」。ごもっとも。

 

 僕が感心したのは、ある芸能人が記者会見で自分の母を語るのに「母親」を連発していたことにこだわった一編。本人も「母」が正しいと知っていただろうと推察しつつ、「あえて『母親』と言いたくなる気持ちは分かる」と擁護する。「母」は「優等生的」、「お母さん」は「幼稚」、そして「お袋」は「硬派すぎて恥ずかしい」。バランスがよくて「適度なぶっきらぼうさ」があるのが「母親」というわけだ。いまどきの心模様に迫る読み解きだ。

 

 役所の広報文も心理分析される。広島県の人造湖が2012年に「栗(マロン)湖」と名づけられたとき、命名にあたった県の検討委員会は「これからの若い世代にも受け入れられやすい」を理由の一つに挙げた。決めた人は「50代以上」というのが著者の見立て。同年代シニア層から不評を買うことを恐れて「若い子のセンスに合わせなきゃ」と開き直った、と勘ぐる。結果は、若者が多いはずのツイッターでも冷淡な反応が多かったらしいが。

 

 STAP細胞を話題にした一編も痛烈だ。執筆時、研究に対する懐疑論はまだ強まっていなかったが、著者はメディアの報道姿勢を批判する。大手紙が「割烹着」や「理系女子」「リケジョ」で盛りあげたのは、科学の話は「ぶっちゃければみんなあまり興味がない」とにらんで「偉業に対する読者の畏れを打ち消して柔らかくしてやろうとした結果」とみる。著者曰く、「そういうのは週刊文春とかの役目でしょ。新聞は硬くていい」。

 

 しっぽを捕まえた言葉は裏側まで読み尽そう。きっと時代の深層心理が見えてくる。

(執筆撮影・尾関章、通算405回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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コメント
「重く受けとめ」て、今後は「緊張感を持って」対応します。(尾関さん)

いえいえ、「真摯に」受け止めていただけましたので、お言葉のように「緊張感を持って」任期を全うしていただけるものと理解してございます。
  • by 虫
  • 2018/01/28 7:05 PM
《「緊張感を持って」を危機管理用語に加えていただきたい》(虫さん)
そうですね。僕にとっては、気になるを通り越して耳をすり抜けていく言葉。有効な手だてがないときに「情報収集に努める」などとともに使われるので、空疎感がある。
それにしても、今回はコメントの到着に気づかず、「公開」が遅れました。
「重く受けとめ」て、今後は「緊張感を持って」対応します。
  • by 尾関章
  • 2018/01/28 5:03 PM
尾関さん

「緊張感を持って」を危機管理用語に加えていただきたいですね。圧倒的に政治の世界の用語です。
この言葉を聞くと、「?」と思います。あれ、ことさらに緊張感を鼓舞する必要がある程度の弛緩した政治が行われているのかな、と。ところがどっこい、この言葉は全く別の意味で使われるんですね。大体、こんな具合です。

政治家の失言 → 当該政治家、「誤解を招いた」と釈明(誤解のしようがないんですが) → 政府高官が「もっと緊張感を持って」と厳重注意。

さて、このやり取りの意味するところは、「君、なんで公の場所で本音を喋るんだ。今は政権維持が至上命題なのが分かっていないのか?とにかく今は、緊張感を持って建前に徹しなさい。本音は絶対に封印だ」、というわけです。
メディアもこの出来事の連鎖を「政権の緩み」と解説するんですが、違いますよね。なぜおよそ政治家の名に相応しからぬ人物の放言が「緊張感」で事なきを得られるのか、虫は半ば絶望状態です。
  • by 虫
  • 2018/01/27 3:44 PM
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