『「平成」論』(鈴木洋仁著、青弓社ライブラリー)

写真》元号と西暦(朝日新聞欄外、拡大コピー)

 メディアで今にわかに高まっているのが平成回顧熱だ。一つの時代がまだ幕を下ろしてもいないのに先回りして振り返る。そんな企画が出てくるのも、閉幕の日取りがあらかじめ決められているからだろう。天皇の退位に伴う改元ならではの現象といえる。

 

 ここでは、朝日新聞のシリーズ企画「平成とは」がとりあげた話題を拾ってみよう。災厄は大震災。「阪神・淡路」の記憶が薄れぬうちに「東日本」が起こった。朗報は、日本人科学者のノーベル賞が相次いだことか。昭和期に理系3賞を贈られた人はわずか5人、これに対して2000年以降は2年に1度の割で受賞のニュースがある。地震は自然現象、賞は過去の業績に対する称賛。平成に集中する必然はないはずだが、なぜかこうなった。

 

 「心のケア」も話題に選ばれている。これについては僕にも感慨がある。1994(平成6)年、バルト海のフェリー沈没事故を取材してストックホルムから原稿を送ったときのことだ。現地では行方不明者の家族の心をどう支えるかに関心が集まっていたので、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のことにも触れた。東京の出稿責任者は「心的外傷って、わかりにくいなあ」。今、その難解な医学用語が日常会話にも出てくるようになっている。

 

 「心のケア」は、平成を象徴しているのではないかと僕は思う。この30年、日本社会には心の危機が波のように押し寄せた。まずは、前述の震災がそうだ。家屋の倒壊や火災、津波や原発事故によって生活の一切を喪失した人は多い。バブル経済の崩壊もあった。大企業でさえ経営が行き詰まり、終身雇用の人生設計が泡と消えた人がいる。非正規労働力の切り売りで食いつなぐ若者もいる。心がケアされるべき立場に追い込まれた人は数限りない。

 

 皮肉にも、医療が患者の心を苛むという逆説も見えてきた。日本の医療現場では1990年代、対話型の診療が広まった。インフォームド・コンセント(説明されたうえでの同意)が必須要件となったのは良いことだが、病名があっさりと告知され、患者は自らの病状や治療後の見通しを知る怖さに向きあうことを余儀なくされている。遺伝子診断の広まりとともに、この様相はますます強まることになろう。だが、心のケアが十分とは言えない。

 

 平成に入ると、安全や安定の神話が崩れて人々は途方に暮れた。なにごとも専門家任せにできない、自分のことは自分で引き受けなくてはならない――そんな圧力も強まってきた。こうしたなかで心のケアの必要に気づいたのが、この時代ではなかったか。

 

 で、今週は『「平成」論』(鈴木洋仁著、青弓社ライブラリー)。著者は、1980年生まれの社会学学究。略歴欄や本文の記述によると、京都大学を出て関西テレビやニコニコ動画で働き、東京大学大学院に入った。この本は、その大半が書き下ろしだが、土台となったのは修士論文「元号の歴史社会学」だという。そんな経緯からか基調は硬い筆致。だが、そこに適度のシャバッ気が混ざるのは、著者自身の軌跡が反映されているからだろう。

 

 著者は生年からみて、10歳になった時点ですでに昭和が幕を閉じていた。社会人としての物心がついてからは、ずっと平成の空気を吸ってきたと言ってよい。いわば、平成人の平成論。それが僕の興味をそそったのだ。そこには、僕らの世代とは異なる視点があるだろう。僕たちは個人史に占める昭和平成比がほぼ半々なので、昭和と見比べて平成を論じがちだ。だが著者は、平成の内側にいて平成を眺めている。見え方が違っていて不思議はない。

 

 その表れのようにも感じるのは、著者が序章でうたいあげる「天皇そのものや、それにまつわる事柄については『論じない』」という宣言だ。この本を著すにあたって自身に課した「ルール」だという。元号と天皇は密接な関係にある。しかも、ここ二代の天皇の行動様式には明らかな相違がある。この対比も平成という時代区分を特徴づける一要素になっているのではないか、などと僕は思ってしまう。著者はなぜ、そこを避けて通るのか。

 

 理由の一つとして挙げられるのは、元号を使う人と西暦にこだわる人を区分けする論法の落とし穴だ。著者によれば、元号派を「偏狭なナショナリスト」、西暦派なら「国際的なポストモダニスト」とみる二分法は「議論の視野の狭さを示している」という。ここでひとこと言いたくなるのは、後者はむしろ「国際的なモダニスト」としたほうが、僕たちの世代にはピンとくるということだ。左翼党派のビラの日付は西暦と決まっていた。

 

 あとがきには、よりあっさりと理由が書かれている。「日本の知識人の多くが天皇を嬉々として論じる姿にも、端的に興味が持てない。天皇を『あえて』避けたというよりも、『平成』をフラットに論じているなかで、言及する必要を感じなかったというのが本音だ」

 

 なるほど。これこそが平成を内側からみるということなのかもしれない。思えば、昭和という時代には天皇制がしみついていた。戦前と戦後を比べて論じるときに、この問題は避けて通れなかった。さらに知識人の思想的な立ち位置を知るにも、天皇制をどうみるかが物差しの一つになっていた。そういう条件がフェイドアウトしたのが平成だ。一時代前の思考に引きずられると「フラット」な考察が邪魔されるのは間違いないだろう。

 

 この本で僕が興味深く読めたのは、「『平成時代のニュース』」と題した第4章。著者のテレビ局時代の取材体験が率直に綴られている。たとえば、水害の被災者からなじられた話。「自分らは、ちょっと来て、すぐ帰るから、今日明日取材ができればええんやろ」(ここで「自分ら」は二人称)と言われたという。片づけの手伝いを申し出ればよかったのかと自問しつつ、「ぶりっ子を演じたところで、何の解決にもならない」と書く。

 

 もう一つ例に挙がるのは、2005年のJR福知山線(宝塚線)列車脱線事故。著者の仕事は、負傷者の話を聞いて回ることだった。上司からは「JRへの怒りの声を引き出せと指示された」が、取材に応じた人々が気に病むのは同乗の100余人が犠牲になったことであり、伝わってくるのは「なぜ自分たちは生き延びてしまったのかという罪悪感ばかりだった」。被害者の様子からは、憤りとは異なる苦悩が感じとれたというのである。

 

 著者はこれらの経験を踏まえて、メディアの報道に「当事者でないからこそ声高に叫ばれる追及」を見いだす。そこには「被害者は絶対的に正しく、加害者は徹底的に間違っている」という「信仰」がある、とみてとる。こうした論調を、この本では「責任と正義」と呼ぶ。正義を振りかざした責任追及ということだろうか。これが「跋扈」するからニュースがツマラナイ――この状況こそが「平成的」というのが著者の分析である。

 

 この章には「『昭和』であれば問題にならなかったばかりか、そもそも発覚さえしなかったことが、『責任と正義』に則ってどんどん透明になり公表されていく」という一文もある。なにかといえば「隠蔽」と決めつける世相こそが平成的ではないか、と僕も思う。本来、「『昭和』であれば……」の検証は僕たちの世代が引き受けなければならないのだ。それを、昭和をほとんど知らない世代に指摘されてしまったことは、ちょっと情ない。

 

 第5章「『平成批評』の諸問題」も示唆に富む。著者が強調するのは、平成の批評が通販サイトのレビュー欄に似ていることだ。発信元がはっきりしないこともあるが、「ツッコミ」は満載。「堅苦しさ」は消えて「そこはかとない浅はかさか」が漂うようになった、という。「専門を極めた人」が「他の分野」を語るのは却って好まれるらしい。美術番組を司会する脳科学者、社会事件にコメントする元陸上選手という例示を突きつけられて納得する。

 

 この本は「平成論」としてはわかりにくい。上記のように平成という時代の様相を浮かびあがらせながら、終章で「本書では『平成的』あるいは『平成らしさ』のようなものが『ない』と、延々と述べてきた」と手のひらを返す。読むほうには梯子を外された感もある。

 

 ただ、僕らにとって平成らしさの有無は大問題ではない。この30年で世の中がどう変わったかが知りたいだけだ。そう思うと「責任と正義」の過剰は気になる。これもまた渦中の人々を追い込み、心のケアが必要な人をふやしているように思えてならないからだ。

(執筆撮影・尾関章、通算407回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■原則として毎週金曜日に更新、通算回数は前身のブログ/コラムを含みます。

■ブック・アサヒ・コム「文理悠々」のバックナンバー検索はこちらから

コメント
コメントする