『死ぬまでに学びたい5つの物理学』(山口栄一著、筑摩選書)

 先々週の当欄で「数学がもともと苦手な僕には取り越し苦労かもしれないが、現実世界では数学的になることをほどほどにして……」と書いた。そうしたら、拙稿を「文理悠々」時代から読んでくださっているMayumi Takagiさんから「科学部門記者として数学は必要なのではないかと思うのですが」と突っ込まれてしまった(2014年7月4日付「サッカーと数学、そして小川洋子」コメント欄参照)。
 
 これに対するコメントで僕は、数式をじっとにらんでその意味するところがザクッとわかるくらいでも「科学は十分に味わえる」と弁明した。数式の理解は、xがふえればyは減る、pがふえればqは急速にふえる、といった感触を得るくらいでも、そこに込められた世界観を垣間見ることはできる、と言いたかったのだ。式が語りかけてくる深遠で芳醇な世界観を科学者だけのものにしておく手はない。
 
 で、今週は、そんな僕の考えを強めてくれる一冊。『死ぬまでに学びたい5つの物理学』(山口栄一著、筑摩選書)という今年5月に出たばかりの本だ。著者は1955年生まれ、東京大学で物理学を学び、NTT基礎研究所の研究者などを経て京都大学大学院総合生存学館の教授になった。「総合生存学」という言葉は耳慣れないが、京大のサイトによれば「文理融合能力」や「俯瞰力」を重んずる学域を指しているらしい。
 
 序章にはさっそく、僕たちが数式とどう向き合ったらよいかについて著者の助言が出ている。「心配は無用」と切りだして「最初から最後まで、一つ一つ理解する必要はありません。面倒なら飛ばしてもかまいません。ぼんやり眺めるだけでもいいと思います」。
 
 そのうえで、こう書き添える。「物理学という学問が、この世界をどのようなスタイルで把握しようとしているのか。『人類のもっとも美しい物語』はどのような形で描かれているのか。このわずかな数字とアルファベットの連なりに、この世界の成り立ちを知る手がかりがあることを、どこかで知っておいてほしい」。世界の本質が「わずかな数字とアルファベットの連なり」に凝縮されている。そのことへの敬意は必要だということだろう。
 
 「5つの物理学」とは「万有引力」「統計力学」「エネルギー量子仮説」「相対性理論」「量子力学」だ。いずれも、世界の見方を一変させる概念をはらんでいる。「量子仮説」と「量子力学」はひとつながりだが、著者がそれを分けるのは、節目となる発想に焦点をあてているからだ。ニュートン、ボルツマン、プランク、アインシュタイン、ドゥ・ブロイ、シュレーディンガー、ハイゼンベルクといった物理学者が次々に登場する。
 
 今回はあえて、とっつきにくい量子力学をとりあげたい。著者がまず目を向けるのは、1923年に「物質波」を提案したフランスのルイ・ドゥ・ブロイだ。1900年にマックス・プランクの量子仮説が生まれ、5年後にはアルバート・アインシュタインが光にも粒子の側面があることを理論づけた。「波と思われていた光はじつは粒子でもあったのだから、逆に粒子と思われていた電子が波であってもいいのではないか」。それが物質波の着想だ。
 
 ここには、物理学者の美意識が反映されている。波が粒なら粒も波、という二面性を肯定する強引な推論は、世界の根底に対称美をみたいという欲求の表れと言ってよいだろう。それを手助けしたのが数式だった。
 
 ドゥ・ブロイの思考を、著者の案内を頼りに数式でなぞってみよう。量子仮説や特殊相対性理論によると、光の粒、すなわち光子の運動量pは、定数hを光の波長λで割ったものになる。式で表せばp=/λ。ここで右辺と左辺にλを掛け、pで割るとλ=/pという式が得られる。これを眺めていると、運動量がpの粒子は波長λがh/pという値をとる波だと考えてもよいことに気づく。数式が物質のイメージを粒から波に変えてくれるのである。
 
 ドゥ・ブロイは87年、94歳で死去した。そのころ、僕は物理担当の科学記者だった。だから、この年の3月20日付朝日新聞朝刊で時事通信電の訃報本記に添えられた無署名の短行解説は、たぶん僕自身が書いたものだ。「この死亡記事はきちんと扱うべきだ」と部内で言い張った記憶もある。量子力学の建設に貢献した物理学の巨人たちが次々に世を去り、最後の巨星が墜ちたという感があった。科学史の区切りを告げる出来事に思えたのである。
 
 この解説のなかで、理論物理学者の高林武彦さんはこんなことを言っている。「実験家の頭の片隅にもなかった物質波のアイデアを提起した点で、今世紀屈指の理論物理学者だった」。それは、この本の著者が主張していることと見事に重なる。
 
 著者によれば「ドゥ・ブロイが物質波概念にたどりついた瞬間」はabductionだという。この言葉には「誘拐」の意味もあるが、ここでは「創発」と訳されている。米国の論理学者チャールズ・パースが、演繹(deduction)でもなく帰納(induction)でもない知的作業としてもち込んだ概念という。驚くべき事実が見つかり、それが一つの仮説の当然の帰結とみられるとき、仮説の正しさには根拠があると結論づけることだ。
 
 創発は、事実から仮説を導く点で帰納に似ている。ただ、創発にはパラダイムの破壊が伴う、と著者はみる。ここでパラダイムは「自然を人間が認識する仕方」を指す。ドゥ・ブロイの発想は量子力学の建設に向けて「『物質』概念を飛び越える最初の飛躍」だったという。
 
 この飛躍は20年代半ば、オーストリア生まれのエルヴィン・シュレーディンガーによって美しい波動方程式に結実する。ψ(プサイ)という文字で表される物質波が、時々刻々どのように変わっていくかを記した数式だ。量子力学は、このシュレーディンガーの波動力学と、もう一つ、ドイツ生まれのヴェルナー・ハイゼンベルクが同時期に築いた行列力学によって完成した。その二つは「数学的に同等」であることが、やがてわかった。
 
 物質波とそれを表現する波動方程式は、いま再び熱い視線を浴びている。20世紀最後の20年で実験技術のハイテク化が進み、物理世界を成り立たせているものが粒でもあり波でもある、ということの現実味が一気に高まったからだ。それは、量子情報科学という新しい探究分野を切りひらき、物理世界のありようやそれと向き合う人間の認識について、僕たちの既成概念を改めて問い直そうとしているのである。
 
 そう考えると、数式はスゴイ。p=/λを見つめてλ=/pを思わなければ、量子力学は波動力学なしに行列力学一本でできあがったかもしれないからだ。そうなっても量子力学が今のように深みのある問いをはらんだかどうか。科学史のイフとしてはおもしろい。
 
 もう一つ、「統計力学」の章に書かれている別の数式も紹介しよう。オーストリアのルートヴィッヒ・ボルツマンが見いだしたエントロピーの公式S=logWである。ここで、Sはエントロピー、kは定数。logWは、Wの自然対数という意味で、この本ではlogの右下に小さくeの文字を添えているが、ここでは技術的にできないので省いた。そしてWは、ミクロ世界がとりうる「場合の数」。液体分子の状態が何通りあるかというようなことだ。
 
 これをザクッと言えば、エントロピーとは、マクロの人間からは見てとれないミクロの状態数の目安ということになる。物事が秩序から混乱へ推移するとき、エントロピーが増大している、と僕たちは言う。これは、見えない世界の状態を一つに見極めることからどんどん遠ざかっていく状況を言い表している。本の山の乱雑度が高まるほど探しものの書物を見つけにくくなるのは、この理屈による。
 
 ここにも、僕たちの世界観、いや、それほど大げさでなくとも生活感覚を豊かにしてくれる数式がある。僕は数学が苦手だが、数式を毛嫌いするのはやめよう。数式はスゴイ、そして味わい深い。
 
写真》物質の本質は粒であり、波でもある=尾関章撮影
(通算221回)

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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