『ホーキング、宇宙を語る――ビッグバンからブラックホールまで』

(スティーヴン・W・ホーキング著、林一訳、ハヤカワ文庫NF)

写真》地球では北極だって丸い

 同時代を生きる科学者でカリスマと呼べる人は誰か。そう問われたときに真っ先に思い浮かんだのが、この人だった。スティーブン・ホーキング。宇宙の起源やブラックホールの謎に数理で迫った英国の宇宙物理学者だ。今月、訃報が届いた。76歳だった。

 

 僕は新聞の科学部記者として宇宙論に関心を向けてきたので、ホーキングとの接触点は早くからあった。1985年、京都大学であった講演会では、その肉声を聞いている。彼はすでに筋萎縮性側索硬化症(ALS)で発声が不自由だったが、絞りだされる言葉を付き添い役の若者が伝え直してくれたのである。90年には東京で、上司の科学部長とともにインタビューする機会を得た。このときはすでに音声合成装置の助けを借りていた。

 

 この2回の接触は、ホーキング宇宙論の移り変わりに照らすと貴重な体験だった。そのことについては古巣、朝日新聞の科学面に書いたので、ここでは繰り返さない(2018年3月22日朝刊「共感呼んだ 希代の科学者」)。ただ、拙稿を採用してくれた後輩のひとことには、ちょっとグッときた。「尾関さんは、ホーキングの生の声を聞いた数少ない日本人の一人なんですね」。やはり、あの人はカリスマと呼んでいい。つくづく、そう思った。

 

 だが、ホーキングはカリスマであっても「偉大」とは言いにくい。どうしてか。彼の理論が扱う世界は気が遠くなるほどの極限にあるので観測の目が届かないし、実験によっても再現もできないからだ。これほどの俊才がノーベル賞を贈られないばかりか、下馬評にすらほとんど上がらなかった背景には、そんな事情がある。宇宙相手の理論研究者は辛いね、とも言えるが、むしろ賞狙いの思惑に毒されず、かえって自由なのかもしれない。

 

 そこで対比したくなるのは、もう一人のカリスマ、アルバート・アインシュタイン。こちらはノーベル賞を受けたが、それは「理論物理学への貢献、とりわけ光電効果の法則の発見に対して」だった(1921年物理学賞、22年授与)。光電効果は、実験室で確かめられる現象である。驚くべきことに、最大の業績である相対性理論は授賞理由に明記されなかった。これも、懐疑論を完全に払拭する検証が難しかったからかもしれない。

 

 そのアインシュタインについて言えば、一般相対性理論が予言する重力波は2015年に観測され、翌年発表された。予言の論文から観測の論文までの時間幅は、ちょうど100年。宇宙の理論は簡単には確かめられない。証拠を見つけるには絶妙な装置が必要で、学説を提起した科学者やその同時代人が世を去った後に決着がつくこともあるのだろう。人類はやがてホーキングを「偉大」と呼ぶかもしれないが、それはまだ先のことだ。

 

 僕が強調したいのは、ホーキングには「偉大」よりも「魅力的」という形容がふさわしいということだ。それは、社会活動やメディア露出によるところも大きいのだが、研究手法からも感じとれる。学説をネタに研究者仲間と賭けを楽しむ。一方で、自説と異なる説にも謙虚に耳を傾ける。そこにあるのは、探究を通して友愛を深め、友愛を通して探究を深めるという相互作用だ。これこそが、学問本来の姿ではないかとも思えてくる。

 

 で、今週は『ホーキング、宇宙を語る――ビッグバンからブラックホールまで』(スティーヴン・W・ホーキング著、林一訳、ハヤカワ文庫NF)。原著は1988年刊、原題は“A Brief History of Time”。著者の代表作と言ってよい。邦訳は早川書房が翌年、単行本として出し、95年に文庫化した。宇宙そのものだけでなく、それと密接にかかわる相対性理論や量子力学、素粒子論にまで踏み込み、20世紀物理学の世界像を描きだしている。

 

 ここでは、その一大絵巻でもっとも気になる点をとりあげてみようと思う。虚数の時間、あるいは虚時間と呼ばれる概念だ。虚数とは実数ではない風変わりな数のことで、二乗すると負の実数になる。たとえば、2は実数で2×2=4だが、2iは虚数で2i×2i=−4となる。著者の理論では、宇宙の始まりでは時間が虚数だった、というのである。僕たちがいる〈いま・ここ〉から遡ると、そんな不可思議な世界に行き着くと聞いて驚く。

 

 余談だが、かつて日本の高名な物理学者が講演で「虚時間ばかりはわからない」と打ち明けて笑いをとったことを僕は覚えている。その人は実験家で宇宙観測の第一人者だった。理論の大家に敬意を表しつつ、その観測を超えた知見に匙を投げたのだとも言える。

 

 では著者は、なぜこんな荒唐無稽なことを思いついたのか。そこに出てくるのは、彼が同じ英国の物理学者ロジャー・ペンローズとともに完成させ、1970年に共著論文で発表した特異点定理だ。これによって、一般相対論などを前提にすれば宇宙の始まりに「ビッグバン特異点があったはず」ということが証明されたと第3章「膨張する宇宙」にある。それを踏まえて、虚時間を求める理由が第8章「宇宙の起源と運命」に詳述されている。

 

 その要旨はこうだ。特異点は「無限大の密度と無限大の時空湾曲率をもつ」ので「既知の科学法則はすべて破れているだろう」。未知の法則があっても、それは「定式化することさえきわめてむずかしい」。重力場が強すぎて「古典理論では、もはや宇宙はうまく記述できない」のだ。ということで、古典物理を超える量子力学の出番だ。「量子論では特異点が存在する必要はないので、特異点に対する新しい法則を仮定することも必要でなくなる」

 

 そうか、著者は一般相対論の数理を駆使して宇宙の始まりの特異点を見つけてしまったが、それは大変に厄介なものだった。そこで、古典物理の枠外にある量子力学を取り込んでその厄介者を追い払おうとしたわけだ。このときに想定されたのが虚時間だった。

 

 これは、計算の都合から出てきたらしい。著者の説明によれば、量子力学が重力を扱うときは、米国の物理学者リチャード・ファインマンが考えた「経歴総和法」が使われる。この手法では、粒子が「時空の中であらゆる可能な経路をたどる」とみるので、それが「ある点を通過する確率」を知るには、その点を通る経路に対応する波を足し合わせる必要がある。このときの「技術的困難を避けるには、虚時間を用いなくてはならない」という。

 

 虚時間には妙味がある。この本によれば、もし時間が虚数の値をとるならば時空の数式で時間と空間を対等に扱える。これは僕の解釈だが、4次元〈時空〉を4次元〈空間〉と言えるようになるということかもしれない。ただ、僕たちは3次元空間の住人なので、それを超える高次元空間は思い描けない。この壁を乗り越える常套手段は、低次元で言えることは高次元でも成り立つだろうと見当をつけ、次元数を減らして考察することだ。

 

 ここで著者がもちだすのは、2次元の地球表面だ。大海原を「夕陽に向かって漕ぎだしていっても、縁から落ちたり、特異点にはまりこんだりする心配はない」と書く。同じことが4次元で言えるなら、宇宙の極限では「時間と空間はいっしょになって、大きさは有限だがどんな境界も縁ももたない一つの曲面を形づくっているかもしれない」。地球のように丸ければ、始まりがなく特異点もないので「科学法則が破綻することもない」わけだ。

 

 宇宙は、無境界の時空を組み込むと「完全に自己完結」させることができる。著者は、8章の結びで「だとすると、創造主の出番はどこにあるのだろう?」と問いかけている。ちなみに虚時間の提案は、宇宙が無のゆらぎでポッと現れるというアレクサンダー・ビレンキンの仮説と表裏一体の関係にある。この筋書きでは宇宙がポテンシャルエネルギーの障壁を通り抜けて生まれ出る過程があるのだが、それが虚時間世界に対応するのである。

 

 この本には、見落とせない洞察がある。著者は、虚時間の導入という工夫で追放したはずの特異点を完全には否定していない。「われわれの生きている実時間に戻ってみると、依然、特異点があるように見える」。視点を移せば、世界の見え方が変わるということか。

 

 ホーキングは、実在にこだわらない実証主義者だと言われる。虚実を問わず、数理で体系づけられた世界像を手にできればよいのだろう。虚時間がそのことを如実に物語る。

(執筆撮影・尾関章、通算414回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■原則として毎週金曜日に更新、通算回数は前身のブログ/コラムを含みます。

■ブック・アサヒ・コム「文理悠々」のバックナンバー検索はこちらから

コメント
コメントする