『二子玉川物語――バー・リバーサイド2』(吉村喜彦著、ハルキ文庫)

写真》シードル――世田谷産ではないが

 二子玉川がニコタマと呼ばれだしたのはいつごろか。東京では1970〜80年代、住宅地からひとつづきの街々が集客力を高めて賑わうようになった。その一つが二子玉川(ふたこたまがわ)だ。「ふたこ」が「ニコ」になったのは、この進化とほぼ同期している。

 

 先週、当欄で話題にした映画「ペンタゴン・ペーパーズ――最高機密文書」も、実はニコタマで観た。ショッピングモールの近くにシネコン(複合映画館)ができたからだ。映画街なら日比谷、新宿、渋谷……という常識は、もはやセピア色にかすんでしまった。

 

 二子玉川は、世田谷区南部の多摩川沿いにある。ブラタモリ風に地形からひも解けば、河岸段丘の傾斜である国分寺崖線の真下にあたる。そこは昔、東京急行電鉄の路面電車玉川線の終点であり、遊園地のある場所だった。東急運営の「二子玉川園」だ。1950年代後半には園内をジェットコースターが昇り降りするようになり、僕もこわごわ乗った記憶がある。言ってみれば、東京が川によって行き止まる地点にある異次元の空間だった。

 

 1969年、百貨店の高島屋がショッピングセンター「玉川高島屋S・C」を出店。玉川線はその後、地下の新玉川線となり、さらに神奈川県の新興住宅地を貫く田園都市線に組み込まれた。最近は東急グループ主導の再開発が進み、その一角にIT大手の本社もある。

 

 何が、人をニコタマに惹きつけるのか。その魔力はたぶん、多摩川にある。それは崖の坂道を下ったあたりを、ゆったりと流れている。都心の川のようにコンクリート三面張りではない。岸辺に自然が残っている。南の太陽を浴びた川面からは湿気が漂ってくる。米国南部を流れるミシシッピ川のよう。今にもブルーズが聞こえてきそうだ。僕は若いころ心のなかで、その一帯を「世田谷のディープサウス(深南部)」と呼んでいた。

 

 この見立ては、必ずしも的外れではなかった。米国では深南部の急成長が著しい。節目は、ジョージア州アトランタにニューステレビ局CNNが本拠を置いた1980年ごろだろうか。合衆国の中枢は東海岸や西海岸だけではない、と主張するかのように南部の存在感が高まったのである。もちろん、ニコタマはそれとは次元が違う。だがいま確実に、新しい消費文化の発信基地となった。銀座とも新宿とも六本木とも異なる郊外型の拠点だ。

 

 で、今週の1冊はズバリ、『二子玉川物語――バー・リバーサイド2』(吉村喜彦著、ハルキ文庫)。文庫版書き下ろしで、ニコタマのショットバーを舞台にした短編小説5編が収められている。副題からもわかるように同じ文庫には同著者の『バー・リバーサイド』があり、そのシリーズ第2弾ということのようだ。本来なら先行の作品から読むべきところだが、たまたま書店で出会ったのが本書だった。偶然を大事にしよう。2017年刊。

 

 意外なことに、著者はもともとの東京人ではない。大阪に生まれ、京都の大学で学び、サントリー宣伝部に勤めた後、小説家となり、かたわら酒や酒場をとりあげたノンフィクションを執筆している。サントリー(旧寿屋)の宣伝部といえば、作家の開高健らダンディズムを感じさせる文化人を輩出した職場だ。著者からも、その気風が感じとれる。そういう人が出身地を遠く離れ、東京・世田谷の深南部に自分の美学を託したのである。

 

 冒頭の1編「海からの風(シー・ウインド)」には、ニコタマの夏の描写がある。ちょうど、梅雨明けのころの早朝だ。「低く垂れこめた雲が川の向こうから次々と押し寄せ、葦原が大きく波うっていた」「風景が透明な紫に染まったかと思うと、稲妻が空を切り裂き、雨が叩きつけるように降り出し、あっという間に対岸が見えなくなった」。1時間ほどの驟雨、そして黒雲は去り、「抜けるような青空がやってきた」。(読みのルビは省略、以下も)

 

 バー・リバーサイドはビルの階上にあり、横長の大窓から川が見える。この1編には、窓を少しだけ開けたとき、「ふわっと生温かい夏の風が吹き込んで」「ふっと潮の香りがした」との記述がある。僕がミシシッピを感じたのも、そんな海とのつながりからだ。

 

 店のスタッフは、マスターの川原草太とアシスタントの新垣琉平。川原は、もともとこの界隈で育ったらしいが、関西に移り、京都の大学の工学部で助手(現・助教)として研究生活を送っていた人。一方、琉平は名前からも察せられるように沖縄出身で、祖母は霊媒師だという。この短編集では、二人と常連客たちの会話がちょっといい話5編に結晶していく。そしてそれらを彩るのが、次から次に繰り出される酒や食べものだ。

 

 最初の酒はモヒート。木製の重たい扉のきしむ音とともに現れた客が、椅子に腰かけながら言う。「キンキンに冷えたモヒートもらえます? ミント多めの、甘さ控えめで」。ここから、マスターの所作が詳述される。ライムとブラウンシュガーをつぶしてなじませ、スペアミントの葉を入れて、またつぶす。「クラッシュド・アイスをザザッと入れ、バカルディ・ホワイトを注ぎ、最後に炭酸水でグラスを満たして、軽くステア」で出来あがり。

 

 ここで、バカルディ・ホワイトはラム酒の銘柄。ラム酒は、西インド諸島が発祥地とされるサトウキビが原料の蒸留酒だ。夏の夕暮れ、大河を眺めながら口に運ぶにはぴったりではないか。僕は最近、夏季限定のモヒート党員なので、このとり合わせにはビビッときた。

 

 各編の主人公となる客は――。大阪生まれだが江戸前の店を継いだ寿司屋の主人。北海道出身の美容師。二人はともに脱サラ組だ。会社勤めの現役組もいる。沖縄出身の洋酒メーカー宣伝部員、鉄道会社で運転士の訓練を受けている地元っ子……ほかに脇役には、台湾から日本に来ているらしい整体師などがいる。店は世田谷深南部にあっても、そこには東西南北、さまざまな土地の人々が集う。ここでは、その一人に焦点を当てよう。

 

 「星あかりのりんご」という一編の主人公、藤沢あかね。秋風が吹くころ、扉を開けて入ってきたときのいでたちは、髪は短め、「赤のギンガムチェックのネルシャツに穿き古したジーンズ姿」。30代だが、20代と言っても通じるほど若々しい。「喜多見の浄水場の近くで父のはじめた果樹園の後継ぎとして、毎日、土にまみれて畑仕事をこなしている」。喜多見は世田谷区の南西端。都市農家の娘を常連の一人にしたところに作者の創意がある。

 

 この短編では、藤沢家のファミリーヒストリーが素描される。あかねの母方は地元の元名主で、昔ながらの農家だった。父は農業大学を出て母と結ばれ、その跡取りとなる。そこで手がけたのがリンゴやナシの栽培。「『もぎとり体験』でそれなりの客を集め、そこそこ商売を成功させた」。深南部の連想で僕は一瞬、米国サウスカロライナ州で見たプランテーションを思いだした(当欄2015年9月25日付「フォークナーに南部の匂いを嗅ぐ」)。

 

 あかねは農業を嫌って大学でフランス語を学び、パリへ留学。日本の出版社や広告会社の仕事を手伝って収入を得ていたが、取材で訪れたバスク地方で衝撃を受ける。心を震わせたのは、素朴な若者たちが奏でるチャラパルタの調べ。木の板を木の棒で叩くだけだが、「単なるパーカッションではなく、微妙に音階があって、ちゃんとメロディーになっている」。リンゴ酒(シードル)をつくる作業のなかから生まれた打楽器だという。

 

 「澄みきった青空、香り高いリンゴ林、心地よい小川のせせらぎ、やわらかく胸に染みこむチャラパルタの音」。それらは「皮肉や冷笑、口先だけの会話とはまるで無縁だった」。その反動で、あかねはパリの生活にも、同居人のパリジャンにも、幻滅する。土と水の匂いをリンゴ林から届く風に感じたとき、「あかねの胸に、多摩川沿いの果樹園の姿がふっと浮かんできた」。そして父の死。帰国後、彼女は農業女子となることを決断する。

 

 父の没後を振り返る言葉に「しばらくすると、不動産屋が果樹園の土地を売ってマンションを建てないかって、毎日のように言ってきてさぁ」とある。あかねは、それに抗して果樹園を守り、地場のリンゴでシードルをつくろうとする。深南部大地の蘇生物語だ。

 

 むしむしとする初夏、ニコタマの風に吹かれたい。さあ、バスに乗って出かけるか。

(執筆撮影・尾関章、通算421回、2018年5月18日)

 

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