『銀座 千と一の物語』(藤田宜永著、文春文庫)

写真》GINZA100点

 父方の父方をたどれば、三代つづいた東京生まれ。正真正銘の江戸っ子でぃ、とふつうなら胸を張って言える。だが僕は、生まれも育ちも東京西郊の私鉄沿線。そんな啖呵を切るのはためらわれる。山手線の向こう側は、もはや自分の縄張りとは思えないのである。

 

 たとえば、行きつけの繁華街。僕らの世代の西郊族にとって、それは私鉄各線のターミナル駅がある渋谷、新宿、池袋だった。銀座はブランド力があってもピンと来ない。学生時代、日比谷の映画街に出かけたときも、足を延ばして銀ブラする気にはならなかった。

 

 勤め人となってからは、僕にも銀座との接点が生まれた。1980年代に東京勤務になると、会社の所在地が築地なので地下鉄の東銀座で降りて職場まで歩く日々が始まった。駅の階段をあがりきると、歌舞伎座の破風がにらみを利かせている。そこから南へ向かい、新橋演舞場の正面をかすめて、料亭の塀沿いを歩く。古地図と照らし合わせないとはっきりと言えないが、旧木挽町界隈の情緒ある一角を通り抜けていたように思う。

 

 ただ、それでも銀座に精通していたと言えないのは、中心街の銀座通り(中央通り)一帯に疎いからだろう。新聞記者という仕事柄、夜のとばりが下りたころ、街に繰りだして夕食をとり、職場にまた戻るということを繰り返してはいた。だから、そのあたりにもよく足を運んだものだ。にもかかわらず、店選びでは価格帯が目安となるので、名店、老舗の類いにはめったに入らない。そんなこともあって銀座は遠い存在でありつづけた。

 

 銀座らしさを象徴するものの一つは、高級クラブだ。松本清張の作品世界に欠かせない華やいだ酒場。止まり木形式のバーとは違う。嬌声が絶えないキャバレーでもない。ママを筆頭にホステスたちが接客にあたり、懐具合のよさそうな客が酒と会話を楽しむ店――と見てきたようなことを書いているが、僕は入ったことがない。これは、敷居が高いというほかにも理由がある。一介の記者が馴染むべき場所ではない、と意識して避けていたのだ。

 

 そうこうするうちに、銀座のほうが変わってしまった。2010年代、僕が会社を去るころには銀座通り周辺にも居酒屋の部類に入りそうな店がふえてきた。あえて言えば、高級居酒屋。外食産業が系列店を銀座の波長に合わせて微調整したといった感じか。僕らにとっては高根の花が手ごろになったと歓迎すべきところだが、それによって銀座が育んだ文化が損なわれてしまったような気もする。今週は、その本来の匂いをかいでみたくなった。

 

 で、手にとった1冊は、『銀座 千と一の物語』(藤田宜永著、文春文庫)。著者は1950年、福井県生まれ。略歴欄によると、大学を中退して在仏の航空会社に勤め、80年代に日本へ戻ると、まずエッセイ、次いで小説を執筆するようになったという。都会派の作家として知られる。妻は同業の小池真理子。軽井沢に暮らし、東京との間を行ったり来たりしているという記事を、週刊誌かなにかで読んだ記憶がある。カッコイイ同時代人だ。

 

 この本は、短編よりも掌編と呼ぶのがふさわしい一話完結の33編から成る。初出は、伝統あるタウン誌『銀座百点』。2011年4月号から13年12月号まで連載された。文藝春秋社が14年に単行本として出し、17年に文庫化した。楽しませてくれるのが、ところどころに差し挟まれた写真。本文にかかわる実在の風景、店舗、人物をとらえたものだ。各編は小説仕立てのフィクションだが、そこには実在性がふんだんにまぶされている。

 

 作中に固有名詞が出てきたとき、そこなら僕も知っているぞ、と思うことは意外に多かった。ここまで本稿で銀座は縁遠い街と縷々述べてきたが、界隈の空気はそれなりに吸っていたということだ。それでも、その店がどこにあるのか、その通りはどのあたりなのかは曖昧だった。すべてわかったのは、読み終わって巻末に「物語の舞台」と題するマップを見つけたとき。先に見ずに読んだからこそ、想像力を膨らませられたのかもしれない。

 

 主人公は多彩だ。男がいる。女がいる。シニアがいる。アラサーもいる。老若男女勢ぞろいだ。変わり種には猫もいる。石碑もいる! 「銀座発祥の地」の碑が内心で独り言をつぶやくこともあるのだ。彼ら彼女らが、銀座にまつわる小さな物語を一人称で語る、という趣向。ただ、全編を通しての主役と言えば、やはり高齢世代。一人称が若年層でも、そこに高齢層がいて陰の主役として存在感を漂わせたりする。まさに銀座の「老い」の物語だ。

 

 第一話の書きだしからしてシニア風味。「定年退職してからにぎやかな街中に出るのが億劫になった。銀座に来るのは何年ぶりのことだろうか」。僕も今春、地下鉄駅から地上に出て銀座は1年ぶりと気づき、退職の身を再実感したばかりだ。この作品の「私」は四丁目交差点で偶然、初恋の女性と40余年ぶりに再会する。本文に「移りゆく銀座をじっと見つめてきたのが、昔ふうに言えば服部時計店の時計」とある。服部時計店は今、和光本店。

 

 老いがもっと進んだ人が登場するのは第四話。「ゴールデンウイークの最中、私は父を連れて銀座に出た」の一文で始まる。父は80歳間近で「認知症を患い、現在は川崎にある施設に入っている」が、ロカビリー全盛期は「バックバンドのリーダーとして舞台に立っていた」。最近、「伝説のジャズ喫茶」として知られる銀座ACB(アシベ)の往時の映像を観て、どうしても行きたいと言いだした。「私」に付き添われ、店の跡地を訪れると――。

 

 第三十二話は、妻と死別した60歳男性の不審な行動に娘の「私」が気を揉む話。父は会社役員だが、このところ朝早く家を出る日があり、そんな日は野菜を手に帰宅することが多い。後をつけると、歌舞伎座近くで行商の女性から野菜を買っていた。この人は巻末の協力者欄に名前があるから、実在するらしい。年齢は、この時点で84歳。肩透かしを食う展開かと思いきや、常連客に50代と思しき「上品そうな顔をした、素敵な女」がいて……。

 

 この掌編群の魅力は、銀座の脇役にも焦点をあて、そこから街を眺めかえしていることだ。第七話では、花屋で働く人の目を通して高級クラブ街を描きだす。50代後半の女性。夫は数年前に飛行機事故で死んだ。彼が生前、親しんでいたらしい「銀座のクラブ」を間近で見つめるめぐり合わせになったのだ。通りに並ぶハイヤーの列、客を送る女たちの声、店の前に立つポーターの姿。「私は、映画のセットを見ているような思いがした」

 

 この第七話からは「銀座の恋の物語」が聞こえてくるようだ。花屋には週に1回の頻度で来店する石原裕次郎似の客がいる。60代半ば。「妻だろうが愛人だろうが、買って帰る花の向こうに女がいるに違いない」。その彼がある日、赤い薔薇を33本買い求め、「麻美、お誕生日、おめでとう」とカードに書いて、近くの飲食店へ配達を頼む。「私の躰から力が抜けた」「たった三十三本しかないのに、花束が重かった」。さて、麻美とは誰なのか。

 

 銀座が大人の恋にふさわしいのは、その街に歴史があるからだ。第二十一話では、リタイア世代の「私」が銀座一丁目の奥野ビルに引き込まれる。「くすんだ焦げ茶色の外壁」「大きな丸い窓」。そして、エレベーターには、針式の階数表示板と蛇腹式の扉。「私」はそれに乗って階上のギャラリーをのぞく。そこは「奥の円窓から淡い光がかすかに差し込んでいる」空間で、パリ市街の廃墟ビルを占拠して創作する芸術家らの作品が展示されていた。

 

 その「私」も若いころ、パリに暮らした。そこで画家の卵の邦人男性と知りあい、恋人を奪われた苦い記憶もある。ギャラリー経営者に男の名を告げると、「私の父を知ってるんですか?」。彼女は、男と元恋人の間にできた娘だったのだ。母は父と離婚して、いま東京に来ているという……。奥野ビルは1932年建造の元高級アパート。「私」の先行世代にとっては生活の場でもあった。建物に絡みつく個人史が見えてくるような一編だ。

 

 第二十八話は、書店の児童書売り場が舞台。バツイチの母親33歳が遭遇するのは同年代の娘をもつ父親。1冊の絵本がきっかけで娘同士の親自慢が始まる。このあと子連れ男女は喫茶店で育児談議。男も妻と死別してシングルだが、そこにあるのはナンパではない。

 

 出会いと別れを重ねた人々が心を通わせる。そんなつきあいが銀座にはよく似合う。

(執筆撮影・尾関章、通算428回、2018年7月23日更新)

 

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