『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳、東京創元社)

写真》反戦、市民の人(朝日新聞2018年6月8日朝刊)

 変換まちがいの笑い話にはもう飽き飽きかもしれないが、今度ばかりはちょっとあきれた。パソコンで知人にメールを書いていて、キーボードに「べへいれん」と打ち込んだら「べ兵連」と出たのだ。うっかり見過ごすところだった。送信ボタンのクリック直前に気づいて恥をかかずに済んだのだが、そのことを先方に打ち明けると、自分が試みても同様だったという返信が届いた。「ベトナムに兵士を市民連合ですか」。そんな皮肉も添えてあった。

 

 「ベ兵連」世代のためにあえて補足すれば、僕が「べへいれん」と打って出したかった文字は「ベ平連」である。正式名称を「ベトナムに平和を!市民連合」という。1960年代の日本社会に草の根の反戦運動を巻き起こした市民グループだ。当時の学生運動は、マルクス主義を掲げる新左翼諸派を中心に過激化の傾向にあった。そんななかでイデオロギーに縛られず、静かな抗議デモを繰り広げた運動体――それがベ平連だ。

 

 あのころ、ベ平連は反抗する若者世代の中心にはいなかった。「所詮、小市民(プチブル)」と、冷ややかに見られたりもした。だが、その後の政治運動史をたどると、むしろ先を見通していたことがわかる。一つには、ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊してマルクス主義が色褪せたことだ。もう一つ、地球環境保護や難民支援などの活動領域で国際NGO(非政府組織)の発言力が強まったことがある。後者の行動様式は、ベ平連のそれと響きあう。

 

 ベ平連も国際NGOも、個人と組織を秤にかけたときに前者を重んじる。勝手に入って勝手に出ていける集団、中にいて自由にものが言える集団……。実はこれこそが、僕が前述メールで「ベ平連」をもちだした理由だった。とある趣味の会について、主義主張をひと色に染めようとする傾向はなく、ひとときの楽しみを分かちあう集まりに過ぎないという性格のたとえに用いたのである。相手が同世代だからこそ通じる比喩だった。

 

 驚いたことに、このメールのやりとりの数日後、「ベ平連」の3文字を新聞で見かけることになった。社会学者日高六郎さんの訃報だ。101歳。死去翌日の紙面では「ベトナム反戦運動や水俣病問題など幅広い分野に取り組み、戦後の市民運動をリードしてきた」と、足どりが素描されている(朝日新聞2018年6月8日朝刊)。ベ平連の活動として「脱走米兵を自宅にかくまった」とも。そう言えばそんなニュースもあったな、と思いだす。

 

 ベ平連を代表する人物と言えば、評論家の小田実さんがまず思い浮かぶ。参加者にはテレビで馴染みの文化人たちもいて、日高さんは地味な存在だった。だが実は、反戦の志を貫く青年のために自らの住まいまで提供していたのだ。筋金入りの運動家だったと言えよう。

 

 で、今週の1冊は『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳、現代社会科学叢書、東京創元社)。著者(1900〜1980)はドイツ生まれ、後年、ナチスの台頭から逃れるように米国へ渡った社会科学者。大学では社会学、心理学を学んだが、その後、精神分析学に踏み込んだ。カバー袖の著者紹介によると「精神分析的方法を社会現象に適用する新フロイト主義の立場」を貫いて「社会心理学界に重要な位置を占めた」とある。

 

 この本の原著は、1941年に米国で出た。欧州史をさかのぼって「自由」について考察しているが、圧巻は後段で展開されるナチズム批判だ。著者は、母国のナチス支配を事後ではなく現在進行形で受けとめながら、それを大西洋の対岸で分析したことになる。この邦訳の初版は1951年。日高さんは戦後いちはやく、フロム論考の意義に気づいたということだ。マルクス主義に大きく傾いた戦後論壇に距離を置く着眼だったと言えよう。

 

 僕が学生生活を送っていた1970年ごろ、この本は文系の講義で必読書と言われたりしたが、それを薦めた教師も左翼系ではなかったように思う。不思議に感じたのは、書名がなぜ「自由への闘争」でないのかということだった。闘うのではなく、逃げる? あの時代にこのトウソウ違いは大きかった。どうせ中身は微温的なのだろう。そう思い込んで、この本を完読しなかったことを白状する。その反省から、今回はきちんと読んでみた。

 

 この本の前段で興味を惹くのは、「宗教改革時代の自由」と題する章だ。僕たちは欧州の中世に教会の重圧を見るあまり、それと真逆なものとして宗教改革をとらえる。だが、著者は「ルッターはひとびとを教会の権威から解放したが、一方では、ひとびとをさらに専制的な権威に服従させた。すなわち神にである」と書く。ここで、ルッターはマルティン・ルター。信仰の主舞台から教会が退いた分、個人はいっそう自由を奪われたというのだ。

 

 宗教改革のもう一人の立役者、ジャン・カルヴァンも批判される。著者が引きあいにだすのは、その「予定説」だ。人間はあらかじめ2種類に分けられるという考え方。「カルヴィニストはまったく素朴に、自分たちは選ばれたものであり、他のものはすべて神によって罰に決定された人間であると考えた」。選民意識と言ってよい。このくだりには「予定説はもっともいきいきとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活した」との指摘がある。

 

 そして同じ章に、こんな記述も。「ルッターの神学は、教会の権威に反抗し、新しい有産階級に憤りを感じ、資本主義の勃興によって脅威にさらされ、無力感と個人の無意味感とに打ちひしがれた、中産階級の感情をあらわしていた」。同じ脱中世の潮流でも、ルネサンスが「自己の経済的地位によって、力と独立の感情をもつようになった社会層」を代弁していたのとは異なる。宗教改革は、それよりも下の階層の鬱憤が原動力となったのだ。

 

 本の後段では、この視点から宗教改革とナチス台頭の相似が論じられる。著者は、前者で中産階級の富裕層に対する「羨望」が「道徳的公憤」を装って現れ、それが「破壊性」を帯びた「敵意」を生みだしたのを改めて強調したあと、同様の構図を後者にもみてとる。「下層中産階級の破壊性が、ナチズムを勃興させる重要な要因となった。ナチズムはこれらの破壊的追求に訴えて、それを敵にたいする戦いに利用した」と断ずるのである。

 

 では、この社会心理を育んだ背景は何か。この本には、フロイトに強く影響された心理学者の著作らしく、サディズムやマゾヒズムに対する深い考察がある。要約すれば、サドの「支配し苦しめようとする願望」も、マゾの「依存し苦しもうとする願望」も「孤独にたえられない」状況から逃れて他者との「一体化」を求める心理の表れであり、それは権威による支配と服従の関係に通じるという。ナチズムはここにつけ入った、と著者はみる。

 

 ここで、近代の自由が曲者となる。目を見開かされるのは次の一文。「プロテスタンティズムからカント哲学までの近代思想の発展は、外的権威のかわりに内的権威をおきかえる過程として特徴づけることもできよう」。ここで真っ先に挙がる「内的権威」が「良心」である。ただ、良心がもたらす秩序は「倫理的規範の威厳をよそおった社会的要求によって左右されやすい」と釘を刺す。自由になったように見えて実は自由でないという逆説。

 

 そして著者は、さらなる権威の置き換わりにも言及する。最近は「あらわな権威のかわりに、匿名の権威が支配する」というのだ。例示されたなかに「科学」や「世論」がある。科学と聞くと無批判に信じ、世論の流れにたやすく靡く――僕たちにありがちなことだ。

 

 「個人が自動機械となった」のひと言も衝撃的。近代は個人主義を育んだはずなのに、そこにある自己は「他人の期待の反映」に過ぎず、同一性(アイデンティティー)が失われている。「かれは順応することを強いられ、他人によってたえず認められ、承認されることによって、自己の同一性を求めようとする」「安定をあたえ、疑いから救ってくれるような新しい権威に、たやすく従属しようとしている」。これこそが、ナチズムの温床だった。

 

 この本は、ナチズムの本質を突いた本なのに、僕はいつのまにかポピュリズム批判の書ではないかという錯覚に陥った。自由な社会を生きていけるはずなのに、それをみすみす手放し、ネット世論に縛られようとしている同時代人の姿が、そこここで重なって見える。

 

 フロムは、そして日高さんは、1970年前後より2010年代にこそ必読の人だ。

(執筆撮影・尾関章、通算430回、2018720日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■各編は原則として毎週金曜日に公開します。

■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

■通算回数は前身のブック・アサヒ・コム「文理悠々」の本数を含みます。

■「文理悠々」のバックナンバー検索はこちらから

コメント
コメントする