『土偶のリアル――発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで』

(譽田亜紀子著、挿画・スソアキコ、監修・武藤康弘、山川出版社)

写真》ジョーモン

 教科書だけじゃ、なにもわからない。そう痛感する機会がこの夏にあった。東京・上野で開かれていた特別展「縄文――1万年の美の鼓動」(東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社主催)をのぞいたときのことだ。あの模様付きの土器なら学校の教科書でなんども見てるよなあ、まあ、現物を見るに越したことはないが……内心、そんな奢りがあったことは正直に打ち明けよう。それは、会場に入ってすぐに吹っ飛んだ。

 

 最初に圧倒されたのは、土器をこれでもかこれでもかと並べたスペース。深鉢から火炎模様が一斉に立ちのぼるさまには、一種異様な迫力があった。縄文人が個々に向きあっていた土器を2018年夏、列島の1地点に集めたことで縄文の力がまざまざと見えたのだ。

 

 これにかかわる展示で気が利いているなと感心したのは、日本の縄文期とほぼ同時代に世界各地の土器事情がどうなっていたかをきちんと見せていたことだ。文明の進み具合という尺度でみれば、日本列島は後発だった。そのころ、中国や中近東などでは農耕が始まっているが、縄文人はまだ食糧を狩猟や採集、漁労から得ていた。展示品を眺めても、先進地の土器は繊細だ。ただ、そのことが縄文のたくましさを逆に引きたてたようにも思う。

 

 次に衝撃を受けたのは、国宝の土偶を集めたコーナー。土偶そのものも魅力的だったが、僕が興味をそそられたのは、むしろそこに添えられたデータだ。発見年を見ていて、ある一つのことに気づいた。1970年代から90年代にかけて次々に掘り出されているではないか。高度成長期以降、列島のあちこちが掘り返され、それを追いかけるように埋蔵物の発掘保存が進んだ。そんな時代の風景が、出土歴に映しだされているように思えた。

 

 そう考えると、僕たちは稀有な時代を生きていることになる。国内線の飛行機から下界を見下ろしたとき、開発による自然破壊が至るところに及んでいるのを目のあたりにして愕然とするが、その副産物として、一つの古代文化の全体像に近づいたのだとも言える。

 

 土偶で僕が感じ入ったのは、リアルとはとても言えない人間の造形だ。その特徴は、頭部がのっぺりした仮面状のものや、アイマスクのような目をしたもの(遮光器土偶)で際立っている。会場には、イノシシを現物そっくりに模した土製品などが展示されていたので、人間をもっと人間らしくつくる技量は十分にあったと思われる。それなのに、あれほどまで現実ばなれさせるとは。これこそが、縄文人の高い精神性の表れなのかもしれない。

 

 で、今回の1冊は、会場の売店で買った『土偶のリアル――発見・発掘から蒐集・国宝誕生まで』(譽田亜紀子著、挿画・スソアキコ、監修・武藤康弘、山川出版社)。著者は、岐阜県に生まれ、京都で学生生活を送った人。本文の記述から、全国に散らばる土偶発見地に目を向け、当該機関の報告書や新聞記事を集めて丹念に読み込んでいることがわかる。略歴欄によると、テレビ、ラジオにも出演しているらしい。この本は2017年に出た。

 

 さっそくだが、土偶発見と列島開発を結びつけた拙論があながち的外れでないことは、この本からも見えてくる。1995年に土偶の国宝第1号となった「縄文のビーナス」が長野県茅野市の棚畑遺跡で見つかったのは86年。遺跡の存在は古くから知られていたが、この年に市が工業団地の誘致を決め、遺跡保護のための測量作業が進められていたときのことだったという。地域経済の振興が地中のビーナスを外界にはじき出したのである。

 

 背丈45cm、すらりとした日本最大の土偶、国宝「縄文の女神」も開発の副産物と言える。こちらは1992年、山形県舟形町の山あいで自動車専用道路の建設計画に伴う発掘調査中に発見された。こちらは、クルマ文明が女神のベールを剥いだ例と言えよう。

 

 現代人にも、もっとのどかな土偶との遭遇がないわけではない。1975年、北海道南茅部町(現・函館市)で国宝の中空土偶「茅空」が見つかったときがそうだ。著者は、読売新聞の記事を踏まえて情景を再現する。家庭菜園でジャガイモ掘りをしていた女性が「鍬を振り下ろした瞬間」のことだ。「カン!」と音がする。不審に思って土を除くと「地中から頭の形をした焼き物がひょっこりと現われた」。だれにも、チャンスはあるということだ。

 

 「茅空」の章には、へぇー、そうなのかということも書かれている。埋蔵文化財は「落とし物」として扱われるというのだ。落とし物は持ち主がわからないとき、やがては拾った人のものになる。土偶は本来の持ち主が名乗り出るわけがないから、この扱いに相当するが、「茅空」の発見者は所有権を南茅部町に譲ったという。彼女は、読売新聞の取材に「発見したんじゃない。『当たった』んだ」と応じたとある。ちょっといい話ではないか。

 

 さて、土偶の形状の話に入ろう。まずは、国宝「仮面の女神」から。これは2000年、茅野市の八ヶ岳山麓にある中ッ原遺跡で発掘された。この本には、全体像を斜め正面からとらえた写真が載っているので、造形の妙はひと目でわかる。量感のある腹と下肢。とりわけ両下肢はずんぐり丸みを帯びて安定感がある。上肢は短く左右に突き出したかたち。そしてなによりも顔がすごい。逆三角形の平面。幾何学図形のお面としか見えない。

 

 著者によれば、そのお面には一応、目、鼻、口や眉が見てとれる。頭の後ろに紐のように見える部分があり、お面を被っているという解釈で間違いないようだ。同様の仮面土偶はほかの場所でも出土されているが、縄文後期の東日本に特徴的なものだという。

 

 では、なぜお面を被らせたのか。著者の見方はこうだ。仮面土偶は、集落で呪術を担う人、即ちシャーマンの「道具」であり、「依り代」(憑依物)の役目を果たしたのではないか。だから、人であってはならない。仮面は「人ならざるものの象徴」なのだろう――。茅野の仮面土偶は縄文人の墓から出ており、被葬者が集落のシャーマンだった可能性もあるという。ただ、それでも不思議なのは、お面のデザインがあれほどまで幾何学的であることだ。

 

 茅野の仮面は正三角形に近い。高度の対称性を帯びた図形が数千年前、ユーラシアの辺境に現れたのだ。大陸文化の影響か。それとも独自の発想か。欧州には、縄文人をピカソになぞらえ、キュビスムの先駆者ととらえる向きもあるが、もっともなことだと思う。

 

 「人ならざるもの」という形容は、縄文晩期にあちこちで見つかった遮光器土偶にも当てはまる。「その姿はずんぐりむっくりの宇宙人と言われ、アニメや特撮物の映画にも登場する、誠に稀有(けう)な土偶」と、著者は書く。これは、突然出現したのではないらしい。まずは目がアーモンド形をした土偶が現れ、その目がどんどん拡大して完全な「遮光器」になった、という。縄文人の造形には、すでに強調という表現手法があったのか。

 

 この本には、典型的な遮光器土偶で「鼻は眉間」へ、「口は目と目の間」へとずらされ、「乳房はその位置を留めているに過ぎないほど遠慮気味に作られ、文様の一部と化す」とある。頭部は「宝冠(ほうかん)状」に飾られ、体表は「雲形」や「点」の模様で覆われている、ともいう。興味深いのは、このきめ細かな装飾性が時の経過とともに崩れてゆき、前衛風の色彩を帯びることだ。写実から離れる方向へ進化しているとは言えるだろう。

 

 つくづく不思議に思うのは、縄文人の感性が近現代人のそれにつながっていることだ。仮面の幾何学からはキュビスムだけでなくアール・デコを感じる。「遮光器」の力強さは表現主義の先取りか。そして、全身を覆う装飾はアール・ヌーボーを彷彿とさせる。

 

 この本では、縄文人が土偶に託した役割についてもいくつかの推理が紹介されている。土偶が割れた状態で出土することが多いのは、そもそも「壊される存在」としてつくられたから、という解釈は目から鱗。人の「痛み」を「肩代わり」してくれるというのだ。

 

 ただ、僕が畏怖を覚えるのは土偶をつくった動機ではない。縄文人が人のかたちをベースに「人ならざるもの」を具現しようとした行為に、人類の表現欲求の強さをみるのだ。

(執筆撮影・尾関章、通算438回、2018年9月14日公開)

 

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