「人間を知る:霊長類学からワイルドライフサイエンスへ」

(松沢哲郎著、岩波書店『科学』2018年11月号掲載)

写真》ヒトはサルの仲間

 今さらこんなことを言ってもどうにもならないのだが、僕の就職第一希望は出版社だった。四十余年前のことだ。中央公論社(現・中央公論新社)が『自然』という月刊科学誌を出していて、その編集に携わりたいと切に望んだのである。当時、中公の社屋は東京・京橋にあった。名匠、芦原義信が1950年代半ばに設計したモダニズム建築。就活の会社訪問で一度ならず足を運んだが、応接ロビーの内装もすっきりしていて心地よかった。

 

 このとき相手をしてくれたのは、岡部昭彦編集長。穏やかな紳士で、僕の青臭い訴えにも耳を傾けてくれた。だが結果は、筆記試験で敗退。編集長の眼鏡にかなうかどうかという以前の関門ではじかれてしまったのである。こうして『自然』編集部員の夢は露と消えた。

 

 岡部さんと再会したのは、それから10年後、1980年代半ばのことだ。僕は度胸試しで挑んだ新聞社の入社試験にたまたま受かり、新聞記者となっていた。二つの支局で警察回りや町回りを担当し、大阪で科学部に配属されて東京に戻ったころ、ある席で名刺を交わすめぐり合せになったのである。岡部さんはちょっと悲しげな顔をして、「(『自然』編集部に)来なくてよかったですね」と言った。このときすでに『自然』は休刊していた。

 

 そのころ、科学誌は今ほど苦境にあったわけではない。それどころか1980年代前半には、グラビアを生かしてビジュアル力を高めた新雑誌が次々に登場していた。『自然』はこうした流れに惑わされず、地味だが堅実な誌面構成を貫いて消え去ったように思う。

 

 『自然』を象徴する看板記事を一つ挙げるなら、やはり物理学者集団ロゲルギストの連載ということになろう。日々の出来事を数理の視点から見直すことで、読む側に目から鱗の発見をもたらした。難しい話をかみ砕いて易しく、という「啓蒙」とは、ひと味もふた味も異なる刺激がそこにはあった。そしてもう一つの特徴は、誌面から歴史観がにじみ出ていたことだ。科学雑誌でありながら科学史雑誌の色彩も帯びていたように思う。

 

 再会後の岡部さんに、僕はいくつもの教えを受けた。直接お会いするだけではない。ペン書きの封書やはがきをしばしばいただいた。そこに脈々と流れていたのも、歴史観をもって科学を見つめるジャーナリスト精神だ。『自然』は寄稿中心の雑誌だから、岡部さん自身が論陣を張るわけではない。テーマや執筆者の選び方を通じて科学研究の変遷を浮かびあがらせようとしていたのだろう。そのことが僕への助言でもよくわかった。

 

 で今週は、そんな往時の『自然』誌を彷彿とさせる雑誌記事について書く。「人間を知る:霊長類学からワイルドライフサイエンスへ」(松沢哲郎著、岩波書店『科学』2018年11月号掲載)。『科学』は、かつて『自然』の良きライバルだった老舗出版社系科学誌。今も健在だ。最近号のページをパラパラとめくっていたときに、この一編に出会った。当欄は1週1冊を原則としているが、ときにはわずか6ページの論考を選んでもよいだろう。

 

 著者は1950年生まれ、霊長類学が専門の京都大学高等研究院特別教授。チンパンジーのアイちゃんを育てあげた人と言えば、思いあたる科学ファンも多いだろう。僕が新聞社で大阪の科学部長だった2000年代初め、アイちゃんとその息子アユムくんは著者たちの実験研究の主役として大活躍していた。彼女や彼は、コンピューターや自動販売機を人間さながらに操る。部員の取材を通じて、その研究成果に目を見張ったものだ。

 

 著者の略歴を、ご本人の公式ページからたどろう。1974年に京大文学部哲学科を卒業、大学院の文学研究科へ進むが、76年に博士課程進学後まもなく中途退学、そのまま京大霊長類研究所に移り、助手の職を得たという。著者が推定1歳のアイちゃんと出会ったのは、その翌年だ。なんという華麗な文理またぎ。これぞ京都学派、と言える身の振り方ではないか。その学びの風土が感じとれるのも、この『科学』論考の魅力だ。

 

 今回、誌面でまず目に飛び込んだのは、著者の自撮りツーショット。隣にいるのは、河合雅雄さんだ。1924年生まれの京大名誉教授。「日本の霊長類学の黎明期を知る唯一の存在」である。写真説明に「2018年9月16日」と記され、本文には「丹波篠山のご自宅で直接お話を聞くことができた」とある。著者は、この論考を執筆するために大先輩を訪ね、自身の研究の源流を再確認しようとしたのだろう。その熱意に、僕は心打たれる。

 

 自然科学を時間軸で見通す視点は、かつて『自然』に見てとれた誌風と響きあう。さらに、執筆者が丹波の里で大先輩と肩寄せあう写真も、まったりしていて懐古気分にさせる。

 

 この一編は、「日本における霊長類学の成立は1948年12月3日といえる」という一文で始まる。ちょうど70年前のことだ。この日、京大無給講師の今西錦司が二人の学生を伴って宮崎県の幸島を訪れた。目的は、野生ニホンザルの観察だ。学生の一人が、50年代末からアフリカで霊長類の実地調査を展開した伊谷純一郎だった。京大グループが国際的な名声を得た霊長類学の原点は、戦後日本の九州の小島にあったのだ。

 

 ここで著者は、河合が動物学を志望したころの心境を書きとめる。少年期の友の多くが戦地で帰らぬ人となるなかで「どうして戦争が起こるのか」「人間の暴力はどこから来るのか」という問いが湧き起こったという。それが、霊長類学に結びついたのである。

 

 著者自身も、霊長研ではニホンザルの観察から始めた。関心事の一つは「視野の異方性」。人間は大地を歩き回っているので、「地上の水平方向」と「重力の鉛直方向」に敏感な「知覚の枠組み」を具えている。ならば「樹上を自由に動き回り、ときに上下も逆さまになるサルだと、この空間の見え方が人間と違ってもよい」とにらんだという。研究結果がここに書かれていないのは残念だが、ヒトとサルを同列にとらえる視点は新鮮に思える。

 

 実際、そのあとに始まったアイちゃんの研究は「比較認知科学」の道を切りひらいた。著者によれば、これは「人文・社会科学である心理学・認知科学」と「自然科学である生物学とりわけ霊長類学」の結婚によって生まれた。ヒトとチンパンジーの「心」のありようを比べて「同じものがあればそれは共通祖先に由来」「違うものはそれぞれの進化の過程で生まれたか失った」と見分ける。異種の比較で「心の進化」をあぶり出す研究である。

 

 著者たちにとって、20世紀終盤に生物種のDNA塩基配列を読みとるゲノム研究が開花したのも幸運だった。この論考にあるように、ヒトとチンパンジーの配列差は1%程度とされている。こうした知見に支えられて比較認知科学の自然科学度は増したように思う。

 

 著者たちによるアイちゃん、アユムくんの実験で、チンパンジーも「数字を使って物の個数を表現できる」とわかった。さらに驚くべきは「1から9までの9つの数字を、一瞬見ただけでどこにどの数字があるか記憶できた」のである。「チンパンジーは人間のような言語の習得はむずかしいが、一瞬で記憶することにはたけているようだ」。ヒト以外の動物にヒトとは別方向の賢さを見いだしたことも、比較認知科学の成果と言ってよい。

 

 著者は、ヒト科に分類されるヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属を概観して、ヒト属のヒトらしさをこう結論づける。「人間には、男女の結びつきを核とした家族があり、そうした家族が複数集まって作る共同体がある」。チンパンジーは「共同体はあるが家族はない」。ゴリラは「家族だけで、それを束ねた共同体はない」。オランウータンは「母子の結びつきしかない」。ヒト社会のみが、重層の構造をもっているというのだ。

 

 人間は、公私を両立できる生きものということか。保育や介護の負担は、家族と公助共助が分かちあう。利潤を追求してもよいが、富は再配分する――。僕たちは社会を設計するとき、ヒト属がたどった「心の進化」にもっと目を向けるべきなのかもしれない。

 

 科学は人間とともにある。それを痛感させてくれるのが科学誌だとつくづく思う。

(執筆撮影・尾関章、通算445回、2018年11月9日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■各編は原則として毎週金曜日に公開します。

■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

■通算回数は前身のブック・アサヒ・コム「文理悠々」の本数を含みます。

■「文理悠々」のバックナンバー検索はこちらから

コメント
コメントする