『風の歌を聴け』(村上春樹著、講談社文庫)

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 自らの会社員人生を振り返って、気づくことがある。社歴36年のうち、僕にとっては故郷と言える東京を完全に離れたのは、通算12年間。これには、家族を都内に置いて単身赴任した年数を含んでいない。1977〜86年は西日本にいて、92〜95年は海外に駐在中で、東京の空気をほとんど吸わなかった。それで思うのだが、この二つの空白期は戦後日本社会の曲がり角とぴったり重なるのではないか、ということだ。

 

 いずれのときも、東京に戻ってきたら日本が変わっていた、と痛感したのである。

 

 こんなことを言うと、東京イコール日本とみる東京出身者の傲慢だと指弾されるかもしれない。1990年代半ばはともかく、80年前後は列島にとどまっていたのだから日本社会の変化を感じとれたはず、というわけだ。だが転勤者にとっては、転勤先の新鮮な驚きが時代の変化によるものか、土地古来の文化によるものかが判別しにくい。時間変化が地域差に隠れてしまうのだ。だから、定点観測点に立ち戻って初めて見えてくるものがある。

 

 1992〜95年の曲がり角は、わかりやすい。それは、バブル経済の崩壊期に重なる。崩壊そのものは僕が日本を離れる前から起こっていたのだが、不在中に影響が浸透して、戻ったときには世相が一変していた。高度成長期やバブル期の緩さが消えたのだ。それまでは、よく言えば寛容、悪く言うと杜撰な行動様式が世間のあちこちにあったが、それがバッサリ斬り落とされた。責任追及→謝罪の図式が企業社会に広まったのも、このころだ。

 

 では、1977〜86年はどうか。この変わり目は、全体としてはぼやけている。経済の視点で言えば高度成長が石油ショックで頓挫した直後で、バブルが兆していたが、まだ絶頂期には至っていない。そんな曖昧な過渡期でも東京に帰郷して目についた日本社会の変化がある。なによりも、同世代のいで立ちが変わっていた。長髪をばっさり切って会社員然とした人、小ぎれいなジーンズを穿いてニューファミリーを営みはじめた人……。

 

 象徴的なのは、新宿の様変わりだ。前衛を気取った映画館やジャズ喫茶に往時のにぎわいはなく、街の吸引力は家電量販店に移っていた。新宿は対抗文化の拠点(当欄2018年3月16日付「中央線でオレンジ色の時代を旅する」)としての輝きを失い、代わって存在感を高めていたのが渋谷だ。公園通りの界隈は、ニューファミリーの嗜好に合う消費文化の発信基地と化していた。これが9年の不在後、僕が東京で目にした風景だ。

 

 ちょうどそのころ、風のように現れた作家が村上春樹である。1979年に群像新人文学賞を受けた「風の歌を聴け」でデビューした。この賞の当選作一覧を見ていて、ああそうだったんだ、と今さらながら感慨に耽ったのは、3年前の76年受賞者に「限りなく透明に近いブルー」の村上龍がいたことだ(当欄2014年7月12日付「限りなくに近い1970年」)。二人のムラカミ。その作風を比べると70年代後半の不連続が見えてくる。

 

 龍が対抗文化の極まった1970年前後の空気をすくい取って作品化した人であるとするなら、春樹はポスト70年の時代状況をいち早く先取りした人だったと言ってよい。ちなみに龍は52年生まれなのに対し、春樹は49年に生を受けている。順番としては逆だ。49年生まれと言えば、対抗文化の主役を演じた団塊世代。彼自身も、大学を出てからジャズ喫茶を営んでいたという。その人が次の時代を予感していたのである。

 

 で、今週の1冊は、その新人賞受賞作『風の歌を聴け』(村上春樹著、講談社文庫)。この文庫版は2004年に出た。興味深いのは、小説そのものは1970年8月の出来事を綴っているのに、読んでいるとポスト70年の風が吹いているように感じることだ。

 

 この作品を特徴づけているのは、冒頭の章と、結びの「あとがきにかえて」だろう。そこに書かれているのは「僕」の小説家としての思い。影響を受けた作家として「デレク・ハートフィールド」という人物が出てくる。ヘミングウェイやフィツジェラルドと同時代を生きた故人で「1938年6月のある晴れた日曜日の朝、右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りた」とある。

 

 さて、そんな作家いたのかな、と思う。これほど芝居がかった自殺事件があったかなあ、ともいぶかる。だが、この人が1936年に書いたという著述物の引用を読んで妙に納得する。「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである」。そこで求められているものは「感性」ではない。むしろ、「ものさし」だというのだ。的確と言えば的確。もっともらしく聞こえる文章論ではないか。

 

 「あとがきにかえて」は「ハートフィールド、再び……」と題されている。そこで「僕」は、この作家との因縁を打ち明ける。高校時代、神戸の古書店でまとめ買いしたペーパー・バックスが彼の作品だった。本は劣化の度合いからみて、船乗りとともに太平洋を越えてきたらしい。歳月が流れ、「僕」はハートフィールドの墓を訪れる。ニューヨークからグレイハウンド・バスでオハイオへ。墓のそばで目をつぶり、雲雀の声に耳を傾けたという。

 

 いい話ではないか。その作家がいたのかいなかったのか、そんなことはどうでもよい。港町の匂いがする古本との出会い、風がそよいでいそうな町はずれの墓地、そして警句めいて核心を突いた文章論――現実か非現実かを問わず、それらで僕たちは心地よくなる。

 

 告白すると、このハートフィールドのくだりで僕は既視感を呼び起こされた。1970年前後の若者文化が皮肉られているように感じたからだ。映画監督と言えばジャン=リュック・ゴダール、ミケランジェロ・アントニオーニ……。ヌーヴォーロマンならばアラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン……。現代米国文学ではヘンリー・ミラー、ノーマン・メイラー……。外来の固有名詞を粋がって並べたてていた悪習が自嘲気味に思いだされる。

 

 そう思うとこの小説は、ハートフィールドの登場だけで十分にポスト70年なのだ。

 

 著者が張りめぐらせた仕掛けは、ほかにもある。11章の書きだしは、四角囲みで「ON」の2文字が振られ、「やあ、みんな今晩は、元気かい?」。ラジオのDJらしい。で、放送中に曲が流れる段になると「OFF」の四角囲みが現れる。「ねえ、クーラーもっときかないの?」「野球はどうなってる?」「他の局で中継やってんだろう?」と楽屋話だ。この章は、本来の筋と無関係の間奏部分。それが、読み手の気分を軽快にしてくれる。

 

 主人公「僕」の友人、「鼠」が語る小説の話も間奏だ。彼は、1年前に読んだ本をぼろくそにけなす。「不治の病」を患う女性が「海岸の避暑地にやってきて最初から最後までオナニーする」という作品。「俺ならもっと全然違った小説を書くね」と構想を披歴する。

 

 それは、こんな感じだ。太平洋で船が沈んだ。「俺」は浮輪をつかんで漂い、星空を仰いでいる。すると、女がやはり浮輪を使って近づいてくる。二人は船からこぼれ落ちた缶ビールと缶詰で酒盛りを始めるが、やがて女は泳ぎ去り、「俺」は救援機に助けられる。「それでね、何年か後に二人は山の手の小さなバーで偶然めぐりあうんだな」。これを聞いた主人公は「セックス・シーンの無いこと」と「一人も人が死なないこと」に長所をみる。

 

 「セックス」も「死」も要らない理由として主人公が書き添えているひと言は、見逃せない。「放って置いても人は死ぬし、女と寝る」。公正を期して言えば、ここで「女と」とあるのは「異性と」とすべきだろう。ただ、言いたいことはよくわかる。翻って70年文化は、放って置くべきものをことさら取りあげて、ドロドロとした世界を現出させようとしていたのではなかったか。それをすり抜けたところに著者、村上春樹はいる。

 

 『風の歌を…』の筋そのものは、「鼠」の小説よりも70年っぽいように思う。それについては、ネタばらしになるのでここには書かない。ただ僕が感心するのは、著者はふつうならばドロドロになる物語をサラサラにして聴かせてくれる語り部だということだ。

(執筆撮影・尾関章、通算446回、2018年11月16日公開、同日更新)

 

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