『「奥の細道」をよむ』(長谷川櫂著、ちくま新書)

写真》松島は静かに見えて……

 さあて、困った。当欄は今週、前身のコラムを含めて450回の区切りなのだが、公開日の金曜は夕方まで旅先にいる。ブログはもちろん、どこからでもアップできる。米国旅行のときもパソコンを持っていったので、現地で公開ボタンをクリックした。ただ今回は身軽に歩きまわりたいから、持参のIT端末をスマホとタブレットにとどめる。それでも公開ボタンは押せるが、画面をタップするのでは直前の推敲がままならない。

 

 だが、ここで思い直した。幸いにも金曜夜には東京に戻ってくる。当欄は「原則として毎週金曜日に公開します」と宣言しているのだから、公開時刻は夜中でも構わないわけだ。帰宅後にパソコン作業をすれば日付が変わらないうちにアップできるだろう。

 

 どうせ公開が夜になるなら、せっかくだから旅行で見聞きしたことも原稿に盛り込みたい。そんな元新聞記者らしい欲も出てきた。ということで、今週は旅先に因む本をとりあげる。出かける前に草稿を書けるところまで書いておく。目的地で風景をじかに見れば、思い直すことや付け加えたいことがきっと出てくる。それらを反映させるべく草稿に手を加えれば最終稿ができあがる――週初めの日曜、そんな算段をしたのである。

 

 新聞記者の業(ごう)は不可解だ。早めの締め切りを言い渡されると文句を言う。だが、結局は受け入れて仕事にとりかかる。取材を済ませて原稿を書くころには、いつも時計を気にしている。「あと50分、なんとかなりそうだ」「あと10分、そろそろ着地しなくては」。まさに分読み。その心模様は胃がキリキリするようでありながら実はスリリングで、一種の陶酔状態にある。今回は、その速書きを久しぶりに体験してみることにした。

 

 では、旅の計画を明かそう。めざすは日本三景のひとつ、宮城県の松島。木曜朝に東京を発ち、松島海岸の温泉旅館に投宿。翌金曜夜に帰京する、という行程だ。松島といえばやはり松尾芭蕉、ということで俳句にかかわる本をネット通販で取り寄せた。

 

 松島には、芭蕉をめぐる謎がある。代表作『おくのほそ道』の旅で訪ねているにもかかわらず、そこで自句を一つも織り込んでいないことだ。不思議ではないか。今回は、そのわけを教えてくれそうな本を選んでみた。『「奥の細道」をよむ』(長谷川櫂著、ちくま新書)。著者は1954年生まれ、新聞記者出身でメディアでも活躍、句集以外にも俳句の入門書、解説書を多く著している。この本は2007年に刊行された。

 

 この本を開いてすぐに教えられたのは、松島は「おくのほそ道」の牽引力だったということだ。この東北紀行は「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして」で始まるが、しばらくして「松島の月先(まづ)心にかゝりて、住(すめ)る方(かた)は人に譲り」というくだりがある。「住る方」とは江戸・深川の芭蕉庵。住まいを他人に譲ってまで長旅に出ようとしたのは、「松島の月」に心が引き寄せられたから、というわけだ。

 

 かつて、当欄の前身で『芭蕉 おくのほそ道』(松尾芭蕉著、萩原恭男校注、岩波文庫)をとりあげたことがある(文理悠々2612年5月11日付「新緑に芭蕉あり、『奥の細道』考」)。そのときは、この「松島の月先心にかゝりて」をスルーしてしまった。ところが、今回の『…をよむ』によって、このひとことが伏線として欠かせないことがわかる。名著も、然るべき案内人を得れば紙背の意味まで見えてくるということか。

 

 キーワードは「歌枕」だ。歌人が思いを馳せた場所をいう。この本によれば「単なる名所旧跡ではなく、想像力によって造り上げられた名所」。松島は、その代表例と言える。それは「松の小島の散らばる穏やかな内海がはるか北の国にあるという風の便りがあれば十分」であり、その場にいなくてよい。「心にかゝりて」が肝心なのだ。「おくのほそ道」は、歌枕を心に抱きながら旅する俳人の日記にほかならない。

 

 このことは「『おくのほそ道』の構造」と題された章を読むと腑に落ちる。著者は、旅程を四つに分けて、それぞれに名前をつけている。深川から白河の関(福島県)までが「旅の禊」、白河の関から尿前の関(宮城県)までが「歌枕巡礼」、次いで市振の関(新潟県)までが「太陽と月」、その後、終着点の大垣(岐阜県)までが「浮世帰り(かるみの発見)」。このなかで「主菜」、即ちメインディッシュは松島のある「歌枕巡礼」だというのだ。

 

 ここでひとこと補えば「太陽と月」は「宇宙的な空間」のこと。たしかに越後では「荒海や佐渡によこたふ天河」と詠んでいる。前述の「文理悠々」拙稿でも、この句を引いて「空間軸の大きさを感じさせる」と書いたが、それはあながち的外れではなかったようだ。著者の分析によれば、芭蕉は俗世を離れて歌の聖地を巡り、宇宙に心を解き放った後、「かるみ」に価値を見いだす新境地を開いて再び俗世に戻った、ということになる。

 

 この見立てに説得力があるのは、著者が「歌仙」との類似を指摘しているからだ。歌仙とは俳諧味のある連歌(連句)で、36句を連ねて1巻にまとめたものをいう。これも4部構成だ。芭蕉一門は歌仙づくりに熱心だったので、その影響があってもおかしくはない。

 

 それでは、「歌枕巡礼」の頂点、松島の章を見てみよう。芭蕉は月明かりが海に映る夜、二階家の宿で寛ぐ。ここで同行の曾良の一句が差し挟まれるが、「予は口をとぢて、眠らんとしていねられず」。詠もうとしても詠めなかったのか、それともあえて詠まなかったのか。ただ、「口をとぢて」からは、決然とした様子がうかがえる。著者も「松島の一句が入っていれば、話ができすぎてしまう」「松島の句をあえて入れなかった」との見方をとる。

 

 その説明では、絵画がたとえにもちだされる。「絵の名人が富士山の絵を描くのに、頂上を雲で隠し、あるいは、画布の外にはみ出させて描かないのと同じ」。富士は、頂部を絵にしないことで「見る人の心の中で大きくなる」という理屈だ。

 

 「おくのほそ道」には、歌枕について芭蕉自身が語った一節がある。「壺碑(つぼのいしぶみ)」の章。歌枕の多くは自然災害に遭い、石は土に埋もれ、木は生え代わって「其(その)跡たしかならぬ」という。廃墟感が漂う表現だ。皮肉にも、ここで芭蕉が見た「壺碑」も実は本物ではなかったらしい。『…をよむ』は、歌枕は「もともと人間の想像力が生み出した幻」であり、「近づけば逃げ水のように消えてしまう」と言い切る。

 

 歌枕は、いにしえ人が遠くにいて思い描いた幻影ということか。東北地方がその宝庫である理由は、そこが古代のみやこ人にとってめったに足を踏み入れない異世界だったからだろう。そのアイテムを一つずつ点検しようという人が現れたのが、江戸元禄期だったことは納得がいく。戦国の世が終わり、街道も宿場も整って人々が旅に出られるようになったのだ。こうみると、幻影の現状を見てまわる芭蕉の企ては近代の先取りでもあった。

 

 21世紀の今、人々の心にもはや歌枕はない。半世紀前は海外にあったが、外国旅行がふつうのことになり、「夢のハワイ」はとうの昔に死語になった。今はたとえ我が身が海を渡らなくても、地球の裏の出来事をネット経由で同時体験できる。

 

 そんな歌枕不在の時代に、僕はいにしえの歌枕を訪ねる旅に出かけたわけだ。幼いころに家族旅行で塩釜から遊覧船に乗り、松島巡りをしたことがあるから、芭蕉とは違って幻影はすでにない。昭和戦後の船着き場に漂う重油のにおいだけが記憶に焼きついている。

 

 むしろ今回、僕の「心にかゝりて」いたのは、東日本大震災だ。松島は津波の勢いをかわし、本土の被害を小さくしたという。それは本当なのか。60余年ぶりに遊覧船に乗り直し、改めて島々の姿を見てみると、なるほどと思われてくる。洞窟のような穴が開いた島、仁王のようにすっくと立つ島、そして、1960年のチリ地震津波で二つに分かれたという島まである……島々は静かな佇まいを見せながら、実はいつも海とたたかってきたのだ。

 

 芭蕉が見抜いたように歌枕は自然に曝され、変容する。松島にも、その刻印がある。

(執筆撮影・尾関章、通算450回、2018年12月14日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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■通算回数は前身のブック・アサヒ・コム「文理悠々」の本数を含みます。

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