「解説」(筑波常治執筆)

=『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著、青樹簗一訳、新潮文庫)所収

写真》コメはイネの一部

 自分が生きてきた70年近くを振り返って、世界にもっとも強い衝撃を与えた本は何かと問われれば、この1冊を外すわけにはいかない。『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著、青樹簗一訳、新潮文庫)。僕自身に対する衝撃度の大きさで言えば、筆頭に掲げるべき書物は別分野から探すことになろう。ただ、世間に新しい思潮を生みだしたということで言えば、この本が断トツの存在感を示している。これによって世界は変わったのだ。

 

 カーソン(1907〜1964)は、米国の連邦政府魚類野生生物局などに勤めた海洋生物学者。『沈黙の…』は晩年の1962年、『ニューヨーカー』誌に連載され、同じ年に単行本として世に出た。北米大陸のあちこちで農薬がまき散らされ、虫が死に鳥の鳴き声も消えつつある現実を伝え、生態系(ecosystem)の破壊が何をもたらすかをあぶり出した。この警告によって、生態系という概念が世界に広まったと言ってもよいだろう。

 

 1960年代、先進工業国では経済成長の副作用が市民社会を蝕んでいた。日本では、水俣病など公害病の実態が次々に明るみに出たころだ。人々は、健康な生活には健全な自然環境が欠かせないことに気づいた。ただ、話はそこにとどまらない。守るべきは、ただきれいな水や空気ではなく、多種多様な生物が共存する生態系にほかならない――カーソンに促されて、そんな環境保護思想(ecology)が芽生えたのである。

 

 環境保護思想は、やがて緑の政治思想も生みだす。1980年代には、欧州を中心に「緑」の党派が無視できない政治勢力となった。論争の座標に新しい価値観が現れ、右派左派の次元とは異なる軸が見えてきたのだ。そこには、成長本位か環境本位かという選択がある。今日では脱温暖化という地球規模の課題が首脳会議の主要議題となり、国際政治の場でも成長か環境かの議論がある。『沈黙の…』の問題提起が世界を動かしていると言ってよい。

 

 ただ、この本は読みものとしては難がある。カーソンは手もちのデータを駆使しながら、生態系破壊の実例をこれでもかこれでもかと書き連ねていく。精緻な書きぶりは、科学者としての誠実さの表れなのだろう。だから、説得力には富んでいる。だが、あまりのデータ主義に読み手は途中で疲れ、追いつけなくなる――学生時代に読んだときにそう感じたものだが、今回改めてページをめくってみても同様の印象を受けた。

 

 で、引きこまれたのは、巻末の解説だ。筆者は評論家の筑波常治。『沈黙の…』のデータが訴えかけてくるものをすくい取り、簡潔な読みものに仕立てあげている。出色の論考と言ってよいだろう。ということで今週は、この解説だけを熟読してみたい。

 

 『文藝年鑑2017』(日本文藝家協会編、新潮社)によると、筑波さんは1930年の生まれで2012年に死去した。農学、生物学に通じた人で、文明論的な科学評論で知られる。僕は科学記者としてお会いする機会があったはずだが、それを逸してしまった。

 

 『沈黙の春』邦訳は1964年、『生と死の妙薬』の邦題で新潮社から単行本として刊行された。74年、文庫化にあたって原題Silent Springに忠実な書名に改められる。筑波解説の執筆は文庫版のために書かれた。僕が今回手にしているのは、2006年に出た第66刷。それまでに改版があったようだが、この解説は生き残った。これはよいことだ。1970年代に支配的だった自然観、科学観を後続世代が推し量れるからだ。

 

 『沈黙の…』本文が焦点を当てるのは、農薬として散布される化学薬品。カーソンは、それが生態系を台無しにすることを早くから見抜いていた。では日本はどうか。筑波解説は「いわゆる農薬禍がさわがれだしたのは、数年前から」と書く。僕は小学生のころ、近隣の畑には入らないよう学校から言われた。世間は1960年代初めには農薬による健康被害を知っていたわけだが、それが環境破壊でもあると気づいたのはずっと後だった。

 

 ここで、筑波解説は「敗戦直後」を回顧する。東京都内では、焼け跡のバラックに発疹チフスを媒介するシラミが大発生した。占領軍の施策は殺虫剤DDTによるシラミ退治。「主要な駅の改札口のちかくに、保健所の係員がまっていて、通勤者や通学生にDDTの白い粉をあびせかけた」という。僕自身は経験がないが、親の世代からさんざん聞かされた。戦後の日本社会は生き延びるのに精一杯で、化学薬品の効能ばかりに目がいったのだ。

 

 筑波さんは「有害な生物たちの息の根をとめる薬剤は、有益な生物にたいしても被害をおよぼすのが当然」という見方を示し、有害な生物種だけを化学薬品によって駆除しようという発想の「思いあがり」を叱る。だが強調するのは、その一点ではない。

 

 筑波解説が大展開するのは、「生態系」と人類との関係だ。自然界は「多種多様な生物たちが食ったり食われたりしながら、それなりに安定した生態系をつくっている」。ところが、ホモ・サピエンスは「あまたの生物群のなかから、少数の特定のものだけを、たんに人間の利用目的にかなうという理由でえらびだし、家畜となし、作物となした」。選ばれた生物種は「有益」、その邪魔をするものは「有害」のレッテルを貼ったのだ。

 

 問題は、この有害指定が「安定した生態系」のバランスを崩してしまうことだ。生物界から「一種ないし数種を撲滅」したとしよう。それは「複雑な形の自然石がつみかさなってできた石垣(いしがき)から、一個ないし数個の石をひきぬいた」のと同じ、と筑波さんはみる。ある作物の畑で一つの害虫種を取り除いたら、その種によって抑圧されていた別種の虫が大繁殖して新顔の害虫になることも少なくない、というのだ。

 

 ここで注目すべきは、化学薬品に頼って特定の生物種を一掃しようとする発想を農耕文明の原点に遡って反省していることだ。大地の一角を「牧場」や「田畑」として囲い込み、その土地を「家畜」や「作物」にのみ与えて、それ以外の生物種を「害獣」「害鳥」「害虫」「雑草」と決めつけることの愚。「いわゆる公害の起源は、工業とともにおきたのではなく、遠く牧畜ないし農耕のはじまりにさかのぼる」という見方には目を見開かされる。

 

 この批判はさらに、農業にとって不可欠とされてきた品種改良にも向けられる。「イネならば種子」「キャベツならば葉」……というように生物体の一部を「人間の利用に有利なように改造する」。その結果、「身体(からだ)の一部の器官だけが、他の器官とくらべて不釣合(ふつりあい)に肥大化させられ」「生活能力において虚弱化する」。イネの穂が「たわわ」に実った姿も生物体の種子部分だけが重くなった「不健康な状態」というのだ。

 

 筑波解説には、農業の化学薬品依存を1970年代初頭の日本社会がどうとらえていたについて興味深い記述もある。前述のように、当時高まっていた公害批判の文脈で「農薬禍」に対する関心は高まっていた。そこで「非難のまと」になったのは「製薬資本の営利主義」が「不必要な薬品を売りまくって乱用をすすめたこと」だった。なにごとも資本家対労働者の構図に当てはめる思考回路は、たしかにあのころの定番ではあったのだ。

 

 これに対して、筑波さんは「これだけで片づけられるほど、事態の本質は単純でない」「一企業の責任に帰するには、悲劇の根はいささか深すぎる」と述べて、人類史に目を向ける。1970年風の「皮相的」な読み解きから距離を置いた視点に僕は敬意を覚える。

 

 僕たちは環境問題を考えるとき、農業は善玉、工業は悪玉という決めつけをしてしまいがちだ。だが、農業の原点に自然環境を歪める側面があったことを筑波さんは強調する。今はエコロジーの立場から、有機農業の機運が高まった。畜産現場に「動物福祉」を求める動きも出てきた(当欄2018年8月31日付愛護でなく権利を守る動物福祉)。農業そのものが変わらなければならないことを、筑波解説はいち早く予見していたのである。

 

 農業をだれよりも愛していただろう人が、農業の宿痾を見逃さない。筑波解説はたった12ページだが、エコロジーが人類の生き方を問い直す思想であることを教えてくれる。

(執筆撮影・尾関章、通算459回、2019年2月15日公開)

 

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