『上海――多国籍都市の百年』(榎本泰子著、中公新書)

写真》灯ともし頃の外灘

 中国は、僕のように戦後まもなく生まれた世代にとって、大人になるまで現実感を伴う場所ではなかった。世界は東西に分断され、中華人民共和国とは国交が開かれていなかったのだ。人々がどのような日々を送っているのか、情報はほとんど入ってこない。ラジオで北京放送に耳を傾けると、耳に残るのは民心を鼓舞する音楽や、毛沢東思想をたたえ米帝国主義を痛罵する言葉ばかりだった。日本社会からみれば別世界だったと言ってよい。

 

 世代によっては、これが違ってくる。僕たちよりも年長の世代は、中国に対してずっと近い距離感を抱いているように思える。戦前戦中、大陸に暮らしていた人々は大勢いる。よい思い出ばかりがあるわけではなく、軍国主義に手を貸したことに悔いを感じている人も多いはずだが、それでも大陸風土への素朴な愛着や郷愁は捨てがたいのだろう。現地で生まれ育ち、少年少女期まで過ごした年齢層には、その思いがいっそう強いかもしれない。

 

 一方、僕たちよりも年少の世代には、中国に対してもっとストレートな親近感がある。なんと言っても、物心がついたのは国交正常化の後だ。やがて中国経済は改革開放に突き進んだ。今では中国市場が世界経済のど真ん中にある。大きな違いがあるとすれば政治体制だが、これだって昨今の若者にはさほど抵抗感がないのかもしれない。企業経営などでトップダウンのガバナンスが称揚され、それに順応する傾向があるからだ。

 

 さて、そんな中国とはもっとも遠いところにいる僕が生まれて初めて中国大陸の大地を踏んだ。3月から4月にかけての6日間を上海市内とその近郊で過したのだ。で、当欄は今週と来週の2回に分けて、上海小旅行を話題にする。選んだ1冊は『上海――多国籍都市の百年』(榎本泰子著、中公新書)。今回の出発前に読みはじめたので、旅の手引きとなった。本の中身には来週、踏み込むつもり。今週は、そのイントロにとどめよう。

 

 今回の上海滞在で僕が最優先で訪れたいと思っていたのは、外灘だった。ワイタンと読む。黄浦江という川が曲がりくねる西岸にあり、英米の租界が合併してできた旧共同租界(International Settlement)の商業地域だ。英語では、岸壁通りを意味するbundの名で呼ばれる。戦前戦中の上海を舞台とする小説や映画には欠かせない一角と言ってよい。19世紀半ばから20世紀半ばまで、ここは国際都市の様相を呈していた。

 

 外灘の見どころは、なんと言ってもその建築群だ。河岸通りに沿って様式建築が並んでいるかと思えば、そこに古びた高層ビルも交じる。欧州の都市にいるようでもあり、米国ニューヨークに紛れ込んだようでもある。僕は高層建築の一つ、フェアモント・ピース・ホテルに1泊の宿をとった。屋根が四角錐に尖ったアールデコ風の建物だ。ここはもともと、ユダヤ系の英国商人サッスーン家の財閥が1929年に建てたサッスーン・ハウスである。

 

 宿を決めるにあたって僕の心を動かしたのは、ホテルのジャズバーだった。「伝説のジャズ」の演奏があるという。上海で上海らしいジャズが聴きたかったのだ。その夢は叶った。ただ、それは思わぬ発見を伴うものだった。ここでは、そのことを書いておこうと思う。

 

 ひとことで言えば、それはジャズらしいジャズではなかった。もちろん僕は、モダンジャズを期待していたわけではない。思い描いていたのは、グレン・ミラー風のスイングジャズか。ところが聞こえてくるのは、雰囲気がまったく違う。年配のドラム奏者が背広に蝶ネクタイ姿で打ち奏でるリズムは、強弱、強弱という感じ。ジャズらしいアフタービートの強調、すなわち弱強、弱強の軽快感がないように思えた。軍楽隊の太鼓のようなのだ。

 

 5〜6人のコンボ編成でサックスやトランペットも入っていたのだが、アドリブ感のあるソロ演奏を順番に回したりはしない。大体はユニゾンで演奏していた。女性歌手がフィーチャーされていたが、彼女は大半を中国語で歌い、ときに日本語の歌も交えた。どちらも哀愁を感じさせる。「歌謡曲っぽいね」。僕は思わず、そんな感想を連れあいに漏らした。それが悪いというのではない。むしろ、心地よくさえあったのだ。

 

 この心地よさは何だろう。それで気づいたのは、演奏仲間がみな楽しくてたまらない、という様子だったことだ。リーダーらしきサックス奏者はMCで延々となにかをしゃべりまくっていた。そのあと、同僚のサックス奏者2人が加わって輪になって競演した。ホテルの公式サイトによれば80歳超の奏者が多くいるらしいが、日本で言う団塊の世代ほどの「若手」もいた。いずれにしても文化大革命をくぐり抜けてきた年齢層ということになる。

 

 ここから先は、まったくもって僕個人の妄想だ――。おそらく、上海の戦後っ子たちは旧租界に残る欧米文化の空気を吸って育ったのだろう。だから、楽器を奏でる技には長けていたに違いない。だが1960年代、ジャズが世界の若者の心をつかみ、対抗文化を生みだしたとき、彼らはそれとは別の世界にいた。だから、ここには僕たちの知らない「伝説のジャズ」が熟成されたのだ。そう思うと、彼らの演奏が愛おしく感じられてくるのだった。

 

 ちょっとだけ、『上海――多国籍都市の百年』(榎本泰子著、中公新書)に触れておくと、この本には、作家堀田善衛(*)が1957年にサッスーン・ハウスを訪れたときの光景が堀田著『上海にて』の引用のかたちで紹介されている。「豪華なシャンデリアの下を、詰襟の中山服や菜ッ葉服を着た何かの機関の幹部たちが往来している」とあるのだ。いまジャズバーにいる年配の奏者たちは、みんなそういう風景を見てきたのだろう。

 

 ジャズバーは壁がハーフティンバーになっていて、いかにも英国風だ。そこに現代中国ならではの「伝説のジャズ」が流れる。そしてホテルを一歩外へ出れば、外灘の対岸に超高層のビル街が光り輝いている。僕は、この街の近現代史を感じて目くるめく気分になった。

*堀田善衛の「衛」は、この本では「口」の下が「一」の下に「巾」。

(執筆撮影・尾関章、通算466回、2019年4月5日公開)

 

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