『珈琲が呼ぶ』(片岡義男著、光文社)

写真》コーヒー

 勤めをやめると、ついつい外出が億劫になる。とくに冬は寒いから、家の中に引きこもったままの日々がつづく。毎年、そろそろ散歩でもしてみようかと思うのは、ちょうど確定申告のころ。今年も税務署に書類を届けた帰り、近くの公園をぶらぶらと歩いた。

 

 そのあと、ふらりと立ち寄ったのは税務署の最寄り駅に近い洋菓子店。ここ数年は、この寄り道が恒例になっている。源泉徴収票や領収証相手の気の重い作業から解放された昼下がり、コーヒーを味わい、ケーキをぱくつきながら本を読む。まさに至福の小休止。だが今年は長居をせずに退散した。客が次から次にやってきて騒がしくなったのだ。中高年の女子集団が出ていくと、今度は同年代の男子集団が入ってくるという盛況ぶりだった。

 

 それで痛感したのは、街の喫茶店が激減したことだ。ケーキ屋の大繁盛には、喫茶店を探したが見当たらないという中高年世代ならではの事情がある。この店に押し寄せる集団にも、どこか難民の風情があった。隣のテーブルを囲んだ高齢の男子たちはその典型だ。ケーキには、なんのこだわりもなさそう。ダンボ耳を傾けると「おまえ、いい店、知っているな」「ああ、いつもここに来るんだ」。そんなやりとりが聞こえてきた。

 

 僕たち60歳超の年齢層にとって、喫茶店は一つの街に一つはあるコミュニケーションの場だった。1980年代ごろまで、人々は取引先と商談をまとめるにも、同僚とひと息入れるにも、男女がデートの待ちあわせをするにも、喫茶店の扉を開いた。eメールもない、ラインアプリもない、という時代、肉声で意思疎通を図る場所が不可欠だったのだ。その意味では、私営の店でありながら公共性の高い空間だったと言えるかもしれない。

 

 とりわけ懐かしいのは、「純喫茶」の看板を掲げた店。コーヒーのほかには紅茶やジュース類が定番メニュー。いまどきのコーヒー専門店ほどには味にこだわっていない。だからと言って、歓楽街の酒場のような接客サービスはない。客が享受するのは日常のまったり感。その空気に引きずられてコーヒー1杯で2時間も3時間も粘り、本を読んだり、友だちと長話したりしたものだ。そんな店が今世紀になって、次々と姿を消している。

 

 もちろん今は、それにとって代わるようにコーヒーショップのチェーン店がいたるところに現れた。さらにハンバーガー店などもあるから外出時にコーヒーに親しむ場には不自由しないが、なにかもの足りない。街にぽっかり穴が開いたような気がする。

 

 で、今週は『珈琲が呼ぶ』(片岡義男著、光文社)。エッセイ45編から成る。著者は、僕が敬愛する年長作家。5年前に当欄が「本読み by chance」の看板を掲げたとき、最初に選んだ1冊も、彼のエッセイ集『洋食屋から歩いて5分』(東京書籍)だった。そこにも喫茶店の話が出てきたので、拙稿にはコーヒー1杯の写真を添えた(2014年4月11日付「片岡義男的な空気が吸いたい」)。著者とコーヒーの相性はよいように見える。

 

 『珈琲が…』のあとがきによると、この本を書くことになったのも、著者の自伝的な音楽小説『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』ができあがったとき、編集者が次の企画はコーヒーで、もちかけたのがきっかけらしい。著者にコーヒーは似合うのだ。

 

 だが、著者自身はコーヒーに深い思い入れがないようだ。この本によれば、フリーランスのライター時代に喫茶店は「原稿を書くための仕事場」だったという。あのころのコーヒーは「飲みたくなるようなものではなかった」が「テーブルにつけば、そのテーブル料として飲み物を注文する必要があり、僕が注文したのはいつもコーヒーだった」。著者にとって「喫茶店は最初から日常の場所だった」のだ。これは前述の僕の記憶とぴったり重なる。

 

 冒頭の1編は「小田急線・経堂駅のすぐ近くに喫茶店がある」と切りだされる。この一文で一気に引き込まれた。僕の実家が、まさに「経堂駅のすぐ近く」にあったからだ。その喫茶店は1960年代半ばからあり、2017年の時点でも営業を続けているという。さあ、どこだろうか。思いあたらない。今も経堂駅周辺には食事や買い物に出かけるので商店街の隅々まで熟知しているつもりだが、僕も知らない路地裏がまだあるのか……。

 

 東京・世田谷の経堂は迷子になりやすい町だ。その住人だったサブカルの先達植草甚一(愛称JJ)は『ぼくの東京案内(植草甚一スクラップ・ブック)』(晶文社)でわが町をこう描いている。「なんの気なしに歩いていると、まっすぐになっているような気がするが、どの通りも斜めになっている」(当欄2015年5月22日付「植草甚一のハレにもケをみる散歩術」)。著者も、JJと波長が近そうだからこの町にこだわりがあるのだろう。

 

 さて僕は、その迷路に抛り込まれたような気分になって、ついつい読み進む。「敷地の端の、三角に尖ったところに、その店はあった」。それは今も変わらないという。つまり、店はY字形の三叉路に面しているのか――。そんな当方の謎解きなどお構いなしに、著者の想念は広がる。「窓辺の席にすわることが多かった、と思い出す自分は、まさに窓辺の席にすわっているではないか」。著者は、こうして50年の時間幅を一気に跳び越える。

 

 著者にとっては、何が変わり、何が変わらないかが関心事らしい。東京は、消えてゆくもの、かたちを変えるものが多い。著者が1960年代半ばに通い詰めた東京・神田の神保町界隈もそうだ。ところが、その一角にある路地に一歩足を踏み入れると、そこには昔のままの店々がある。それは、あのころ洋食店でひとり昼食をとりながら窓外に見た風景そのものだった。「ほとんど変わることなく残っている場所」こそが「僕の東京」だという。

 

 京都の喫茶店の話も捨てがたい。千本今出川近くにある創業1938(昭和13)年の店には、ヴェルヴェット張りで背もたれが垂直な椅子がいくつも並んでいる。傷んだところは繕うことになるが、店主は一脚ずつしか修理に出さないという。店の様子がガラッと変わるのを避けるためらしい。客は「この店は今日もいつもおなじだ」と感じとることで「いつもの自分が今日も肯定される」。これは著者の分析だ。喫茶店の日常性とはこのことか。

 

 この本には歌の話も満載だ。たとえば、藤浦洸作詞、服部良一作曲の「一杯のコーヒーから」。僕は1970年代に雪村いづみのLPで聴いたが、もともとは霧島昇とミス・コロムビアが歌った曲で、39年に発売された。国民精神総動員が叫ばれた年である。詞では、それと逆方向の「街のテラスの夕暮れ」が描かれる。あの時世に「ちょうど手頃な大きさにまとまった夢の、まろやかな手ざわりの良さ」が歌われたことに、著者は驚いている。

 

 “I’ll Have Another Cup of Coffee(作詞ビル・ブロック)というカントリーソングもとりあげている。コーヒーは「あと一杯だけ」、その一杯を飲み切ったなら「そこを去るしかない」というような歌詞らしい。夫婦離別の歌。主人公は、家を出る理由を延々と話したりはしない。「きみにこれ以上の悲しみをあたえないために」――。昨今の説明責任論とは相容れない昔風パターナリズムの優しさ。コーヒー1杯が時間の単位になっている。

 

 ペギー・リーのLPで有名な“Black Coffee(作詞ポール・フランシス・ウェブスター)も出てくる。主人公の女性がカレシを待ちわびる歌。淋しくて一睡もできず、部屋を歩き回り、ドアのほうをじっと見つめている。「その合間に彼女がすることと言えば、ブラック・コーヒーを飲むことだけ」。歌詞にはブラック・コーヒーが3回出てくるが、3度目でも彼女は立ち直れなかった、と著者はみる。ここでコーヒーは時間を埋めるものでしかない。

 

 コーヒーは人生を彩る。だが、脇役に過ぎない。著者が1990年代に学生街の古びた名曲喫茶に入ったときのことだ。「普段はもう営業していないんだよ」と店主。コーヒーを出してくれたが、カップにはスプーンが突っ込んであり、「よくかき混ぜて」と言う。「ひと口飲めばインスタントだとわかったが、こういうこともあるのだと僕はそれを全面的に受けとめ、それ以上はなにも思わなかった」。苦くはあるが、ちょっといい話でもある。

 

 たかがコーヒー……をこれだけ語れる人。それはやはり片岡義男しかいない。

(執筆撮影・尾関章、通算468回、2019年4月19日公開、同日更新)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

 

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