「地獄の道化師」(江戸川乱歩文庫『地獄の道化師・一寸法師』=春陽堂書店=所収)

写真》道化の仮面

 いい季節になった。窓から拙庭――というより敷地の余白か――のただ1本の高木ムクノキを見て、そう思う。ひと月ほど前までは枝々が裸のまま黒々としていたのに、今はみずみずしい葉で覆われている。透き通る緑に誘われて、ついつい散歩に出たくなる。

 

 60歳超の散歩は、6歳未満のそれとは大きく違う。6歳未満の散歩は発見の連続だった。初めて見るものだらけだったのだ。ところが、60歳超のそれに発見はない。いや、もしあっても大発見ではない。街の老舗が消えてフランチャイズの店が開業したのを見ても、うすうす予感していた通り。風景そのものに驚きはない。その代わり、別次元の精神作用がある。60歳超の目には、風景の裏側に遠い過去が透けて見えるのだ。

 

 それは、僕のように生まれ育った場所と現在の生活圏が重なる場合は日常のことだ。散歩とは、空間次元のさまよいを指すだけではない。時間次元に迷い込むこともある。

 

 で、このごろ自宅からの徒歩圏をぶらぶら歩いていて脳裏に蘇ってくるのは、街が電車の線路によって分断されていた時代の風景だ。このあたりでは2000年代に入って私鉄電車が高架化され、それによって界隈の雰囲気がガラッと変わってしまった。考えてみれば、電車の線路とは大河に相当するものだ。いや、川は橋があるところでいつでも渡れるが、線路には踏切という関門があって電車が通らないときにしか行き交えない。

 

 今、散歩で高架をくぐるとき、僕の心に思い浮かぶのは、そこが踏切だったころのことだ。母の腕に抱かれ、勤め帰りの父を駅まで迎えにいったときの様子が原風景のように記憶されている。そのころは駅の出口が線路の南側にしかなくて、北側の住人は電車を降りると踏切を渡る必要があった。その踏切には、本線のほかに車庫につながる引き込み線のレールも通っている。だから、遮断機の向こうで手を振る父の姿がとても小さく見えた。

 

 もう一つ、印象に強く残っているのは、踏切がやたらと騒々しかったことだ。開かずの踏切に近かったから、警報機が鳴っている時間が長かったこともある。遮断機の上げ下げがどこまで自動化されていたかはわからないが、踏切番といわれる人が傍らの小屋にいて人や車を見守っていた。旗を振り、笛を吹き、ときに声をあげていたようにも思う。いずれにしても、横断する人や車の流れが急かされていたことは間違いない。

 

 で今週は、江戸川乱歩の探偵小説「地獄の道化師」(江戸川乱歩文庫『地獄の道化師・一寸法師』=春陽堂書店=所収)。本書は1988年に文庫新装版として刊行されたものだが、「地獄の…」は『富士』という雑誌の1939(昭和14)年1月〜12月号に連載された。僕はこの本を、隣駅の商店街にある古書店で手に入れた。思わず手が伸びたのは「春陽堂」の3文字に目がとまったから。往時の探偵小説にはふさわしい版元だ。

 

 この作品は「東京市を一周する環状国鉄には、今もなお昔ながらのいなかめいた踏切が数カ所ある」の一文で始まる。昭和10年代には、山手線にも道路と平面交差する箇所があちこちにあった、ということか。さもありなんと思える。今の踏切との違いは「踏切番の小屋があって」「番人が旗を振る」ことだ。その数カ所の一つ、豊島区にある「I駅の大踏切」で、おぞましい事件の火ぶたが切られる。「I」とあるのは、おそらく池袋だろう。

 

 その踏切を列車が通り過ぎた後の情景描写は、こうだ。「踏切番の笛が鳴って、遮断棒が宙天にはね上がっていく。たちまち自動車の警笛がさまざまの音色をもって、お互いに威嚇し合うように鳴り響き、種々雑多の車どもは、洪水(こうずい)の堤を切ったように、線路の上へとあふれはじめた」。どうやら、歩行者そっちのけで車が行き来していたようだ。これは、僕が幼いころに近所の踏切でみた昭和30年前後の光景とぴったり符合する。

 

 まずは、その「洪水」のなかで交通事故が起こる。トラックの荷台から荷箱がいくつか転げ落ち、オープンカーが踏切から脱輪、積んでいた「白布に包まれた大荷物」が飛ばされ、線路上に横たわる。このとき、白布が外れて中から姿を現したのは「石膏(せっこう)で造った裸女の立像」だった。そこに電車が突っ込んできて急停車するが、間に合わず裸女像を轢いてしまう。人間でなくてよかった、と読者は胸をなでおろすことだろう。

 

 ところが、乱歩流はそんなに甘くはない。群集の間から声が聞こえてくる。「変ですぜ。あの石膏の割れめから、なんだかにじみ出してきたじゃありませんか」「そうですね。赤いものですね」――石膏の中には女性の死体があらかじめ塗り込められていたのである。

 

 さて、この作品はミステリーなので、いつものように当欄は筋を追わない。ただ、大きな構図だけは書きとめておこう。主だった役どころの若い女性が3人いる。野上みや子、あい子の姉妹、そして新進ソプラノ歌手の相沢麗子。ここに二人の男性が絡む。ピアニストの白井清一は、みや子の「いいなずけ」だが、あい子とも互いに惹かれあっている。麗子とは仕事の相棒だ。もう一人、綿貫創人というあやしげな彫刻家も出てくる。

 

 踏切の事件後、あい子が警察署に出向いて、石膏像の死体は数日前から行方不明のみや子ではないか、と申し出る。顔は傷めつけられていて見分けがつかないが、右腕の傷跡から姉に違いない、と言う。ここから謎解きが始まり、明智小五郎探偵の登場となるのである。

 

 この小説では、踏切番のほかにも、今は街頭からほとんど姿を消した職種が出てくる。「チンドン屋」だ。あい子が警察署からの帰途、うら寂しい通りを歩いていると「ひょいと町かどを曲がってくる人影、なんだかパッと花が咲いたようにはでやかな色彩が目にうつった。それは胸に太鼓をつり、背中にのぼりを立てたひとりのチンドン屋であった」。ただし、この人物は仲間がおらず太鼓も叩いていないことから、どうやら偽物らしい。

 

 だが、この箇所を読んで、僕は幼いころに商店街の大売り出しなどでよく見かけた本物のチンドン屋を思いだした。「胸に太鼓」「背中にのぼり」。たしかに、その通りだ。太鼓は胸から突きだすように抱え、鼓面を横から打ち鳴らす。上部には小さな鉦もついていた。たいていは数人で練り歩き、楽器を奏でる。クラリネットなどの洋楽器も含まれていたが、あの旋律は和洋どちらとも区別のつかぬ代物だった。にぎやかだが哀愁が漂っている。

 

 強烈だったのは、その人々のいでたちだ。極彩色の服を着ていることが多かったから、この作品に「なんだかパッと花が咲いたよう」とあるのはうなずける。顔におしろいを塗りたくり、ちょんまげ、着物姿の大衆演劇風の人もいた。この作品の「チンドン屋」は「赤地に水玉模様の衣装」に「とんがり帽子」という道化師の装いだが、やはり顔面は厚化粧。そのことが探偵小説のミステリー性を強める格好の仕掛けともなっている。

 

 もう一つ、この作品で見逃せないのは都市に潜む空白だ。東京市麻布区(現・東京都港区の一部)の描写を見よう。当時、一帯は邸宅街だったが「どの町もひどく古めかしくて、なんだか大東京の進歩にとり残されているような感じ」であり、「思いもよらぬところに、もったいないような草ぼうぼうの広いあき地があったりする」状態だった。明智探偵の助手役、小林少年がチンドン屋風の道化師を見つけて尾行した先も、そんな空白地帯だった。

 

 あき地の周りは「あき家になった小工場や、もうとりこわすばかりの、人の住めない貸家などが、軒もいびつに立っていて、あかりのもれる窓もなく、まるで郊外へ行ったようなものさびしい感じ」だ。道化師は「そのあき地を横切って」あき家の中へ姿を消す。

 

 ここには今昔の違いがある。昔の東京には、こんな逃げ場があちこちにあった。あき地は人がたやすく通り抜けられ、あき家にこっそり身を隠すこともできた。それらは、戦後も僕の幼年期には残っていたように思う。だが今は、空白であっても立ち入り難い。

 

 乱歩がこれを書いたころ、日本社会は国家の締めつけが強まる時代だった。それでも、こんな開放感があったのだ。そう思うと、平和な今の閉塞感がかえって不気味に思える。

(執筆撮影・尾関章、通算470回、2019年5月3日公開、同月6日更新)

 

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