映画「グリーンブック」の小冊子(東宝ステラ編集)

写真》小冊子も緑色

 また、映画で泣いてしまった。涙は眼鏡の内側にとどまったが、強い共感がこみあげた。これは情緒反応の一種だから、他人にひけらかすような話ではない。だが、もしその感情が公憤を伴うものであれば、それを書きとめ、人々の目に曝してもよいだろう。

 

 僕を泣かせたのは、アメリカ映画「グリーンブック」(ピーター・ファレリー監督)。今年のアカデミー賞では作品賞、助演男優賞、脚本賞の三つをとった。日本では、この3月から公開されている。僕は連れあいと5月半ばの平日昼間、都心のシネプレックスに座席予約なしで入ったのだが、予想に反してほぼ満席だった。派手なアクションや特撮はない。恋愛も不倫もない。それなのにこんなに込んでいるとは……それは、うれしい誤算だった。

 

 題名は、米国で1930年代から60年代半ばにかけて刊行された『黒人ドライバーのグリーンブック』からとっている。自らも黒人であるヴィクター・H・グリーンという人物が創刊した。当時、南部諸州では黒人を受け入れない宿泊施設や飲食店が少なくなかったので、この本では、泊れる宿や入れる店を列挙した。今の視点でみれば差別を容認しているようにも見えるが、無用ないざこざを避ける実用書だったのだろう。

 

 この映画は1962年の話。ニューヨーク・ブルックリン在住の白人トニー・“リップ(口八丁)”・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)が黒人ピアニストのドクター・ドナルド(ドン)・シャーリー(マハーシャラ・アリ)に運転手として雇われ、南部巡りの演奏旅行に付き添う。トニーはイタリア系、ナイトクラブに勤め、厄介事の処理をこなしていた。ドンはクラシック音楽の英才教育を受けた教養人。この二人の反発と友情の物語である。

 

 ちなみに、ここで「黒人」は「アフリカ系アメリカ人」と言い直したいところだ。ただ僕の記憶では、1960年代には差別反対の人々も「黒人」という言葉をふつうに使っていたように思う。そんな歴史的事情を映すために、あえて言い換えはしないことにする。

 

 さて、話のマクラをここまで引っぱってきたが、そろそろ本の紹介に入る頃合いだ。だが残念なことに、この映画には原作がない。映画を小説で再吟味することができないのだ。そこで頭に浮かんだのが、館内で買い求めた小冊子(東宝ステラ編集)。インタビューがあり、作品評もあるが、なによりも作中の場面を切りとったスティル写真が満載だ。それをよりどころに、僕がスクリーンを前に抑えきれなかった涙の意味を考えてみよう。

 

 小冊子の記述によると、この映画には実在のモデルがいる。トニー・バレロンガ(1930〜2013)とドナルド・ウォルブリッジ・シャーリー(1927〜2013)。スタッフ欄で目を引くのは、「ニック・バレロンガ/製作・共同脚本」とあることだ。ニックはトニーの息子。もともと映画人で、多くの作品の製作、監督、脚本などを手掛けてきたが、今回は、実の父の実生活をもとに小粋だが風刺の効いた人間物語をつくりあげた。

 

 スティル写真には、一見ありふれた場面もある。トニーが旅に出る前のことだ。自宅で屋内工事があった。黒人の作業員たちの仕事が一段落して、妻のドロレス(リンダ・カーデリーニ)が笑顔で冷たい飲みものを差しだしている。どこの家庭でも見かける光景だ。ところが彼らが引きあげた後、トニーは飲み干されたグラスを見つけ、汚いもののようにゴミ入れに投げ捨てる。当時は北部にもそんな差別感情があり、トニーもそれに囚われていた。

 

 スティル写真を1枚1枚眺めていると、ドンが南部で遭遇した差別の数々が次々に思いだされてくる。その一つは、演奏会の会場でトイレに入ろうとして、戸外の小屋で用を足すように給仕から促される場面。トイレも白人用、黒人用に分かれていたのだ。給仕の言葉づかいがバカ丁寧なことで差別のいやらしさがいっそう際立つ。演奏家としては丁重に遇しましょう、でもあなたはここに集う人々と一緒ではないのですよ、という拒絶。

 

 あるいは、町の紳士服店前でトニーがドンに陳列窓のスーツを買うよう勧める場面。そのころは二人の間に友情が芽生えていて、これは似合うよ、と助言したのだ。ところが、ドンがその気になって試着しようとすると店側に拒まれる。二人は、こんな目にばかり遭う。

 

 映画の主題が言語化されるのは、トニーが土砂降りのなかを運転しながら後部座席のドンと口喧嘩したときだ。いつもは冷静なドンが、このときばかりは激情を露わにする。ここには台本がないので、記憶をもとに要約するしかないが、トニーは、俺たちこそ現実には貧しく虐げられており、あんたは白人上流階層の仲間だ、と言い張った。これは今、トランプ大統領支持の白人低所得者層がオバマ前大統領に抱く思いに近いのかもしれない。

 

 これを聞いたドンは、車を止めさせて外へ出る。ずぶ濡れになって発した言葉にはこんな表現があった。not black enough”“not white enough……「じゃあ、教えてくれ。黒とも言えず、白とも言えないというのなら、僕はいったい何者なのだ?」

 

 そういえば、この映画は米国の人種差別がその多民族性によって増幅される現実も見せつけている。たとえば、イタリア系の男たちが仲間うちで黒人蔑視の会話を交わすとき、いつのまにか言葉はイタリア語に代わっていた。民族の坩堝は分断の芽に事欠かないのだ。

 

 この映画で心にとめておいたほうがよいのは、ドンの窮地を救うトニーの振る舞いがほめられたものばかりではないことだ。ドンがある町で警察官に身柄を確保されたときは札びらをちらつかせて彼らを懐柔する。君たちはしっかり仕事をしている、これはそういう立派な警察官への寄付だ……そんなことを言い連ねて金を渡し、ドンを取り戻す。買収だ。贈賄と言ってもよい。その話のもっていきようは、さすが“リップ”らしくもある。

 

 夜道を走っていて、パトカーに停められたときはトニーの拳が警察官を打ちのめした。黒人は夜間に外出できないという決まりに反するとして、ドンが摘発されそうになったからだ。結局、二人は留置所入りとなるが、ドンがロバート・ケネディ司法長官に電話した結果、州知事経由で警察署に釈放の指示が下る。この出来事がどこまで実話かはわからないが、ドンには東部知識人層の人脈があったから、ありそうなことではある。

 

 もう一つ強調したいのは、この映画で遵法精神をふりかざしていたのが黒人を差別する側だったということだ。その極みはアラバマ州でのひと悶着。ドンが演奏前に晩餐会会場へ入ろうとすると断られる。自らの尊厳をかけて、ここで食事できなければ演奏しないと突っ張るドン。このとき支配人らしき人物が、トニーの抗議にほうほうの体となりながら慇懃な言葉づかいで口にしたのが、これは決まり事なので、という趣旨の弁解だった。

 

 米国では1964年に公民権法が定められるまで、南部諸州ではジム・クロウ法と呼ばれる一群の黒人差別法が幅を利かせていた。悪を正当化する法律が善の前に立ちはだかっていたのである。こういうとき、その悪を打ち負かすために法を逸脱するのを見せつけられても嫌悪感はそんなに起こらない。カタルシスを体験することさえある。映画を観て僕のなかにこみあげてくるものがあったのは、そうした事情なしには説明しがたい。

 

 翻って、今の日本社会はどうか。悪法らしき法律はあるが、黒人差別法ほどには歴然としていない。勢いを増すのは、遵法精神(コンプライアンス)尊重の論調ばかり。人々は、法令の字面にばかり神経をとがらせている。僕はここで、トニーのように警官をまるめ込んだり殴ったりする行為をよいとは言わない。ドンのように有力者のコネにすがるのも潔くはない。ただ、自らの良心に照らして悪法を悪法という権利があることは忘れたくない。

 

 さて、涙が僕の目にあふれたのは、アラバマの一件で会場を出た二人が地元の酒場に飛び込んだときのことだ。店には1台のピアノがあった。ドンは、トニーにそそのかされてショパンを弾く。名曲「木枯らしのエチュード」が場違いなほど静かに始まるが、次第に熱を帯びてジャズのようになる。そして店専属のジャズコンボが加わり、即興演奏で盛りあがった。クラシックからジャズへの自然な移ろい。そこに多民族の心の通いあいを見たのだ。

(執筆撮影・尾関章、通算473回、2019年5月24日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

■各編は原則として毎週金曜日に公開します。

■公開後の更新は最小限にとどめ、時制や人物の年齢、肩書などは公開時のものとします。

■通算回数は前身のブック・アサヒ・コム「文理悠々」の本数を含みます。

■「文理悠々」のバックナンバー検索はこちらから

コメント
コメントする